友達が我が家に遊びに来てくれた。
気の置けない友達、本音で喋られる友達。
楽しい時間を味わいながら、
私たちは分離しているように見えるけれど、たったひとつの心なのだと実感した。
たったひとつの心が、四つの意識になって語り合ってる。
四つのキャラになって、楽しんでいる。
聖霊が見ている世界を垣間見せてもらったのだな。
こんな風にいつも笑っているのだよ、と。
最近ますます思う。
人の悩みってみんな同じやなあって。
仕事、お金、名声、健康、、、。
その表れ方はまったく違うように見えるけど、よく見たらみーんな同じ悩みのパターン。
ドラマや映画を見たって、ぜんぶ同じ内容だ。
自分は体の中にいて、自分と他人は別々の存在。
その別々の存在がくっついたり離れたり。
お金、仕事、名声、健康の悩みも、元はぜんぶ自分は体だって思っているところからくる苦悩だ。
人の悩みが全部同じってことは、それはひとつの心だからじゃないのか?
たったひとつの心が考えることはみんな同じだから、
だから悩みも同じ。
求めるものも同じ。
人の気持ちがわからないってのは、わからないことにしているだけなのかもね。
それはちょこんと現れてくるキャラの姿だけを見ているから、
相手の気持ちがわからないように感じる。
でもそのすぐ下には、大きなひとつの心。
自分の心を掘り下げてのぞけば、相手の心も見える。
みんな同じように愛を求めて生きている。
体を持った自分は孤独感と欠乏感で苦しむ。
だけど愛を求めてくっ付き合いたい衝動は、
もともと同じ心だってどっかで覚えているからなのだ。
これ、なんかちゃう!
なんかちゃうぞ!って(笑)。
丸いテーブルを四人で囲みながら次々に話題が出てくる。
トラがぐるぐる回って、バターになったイメージが浮かんだ。
二人は寅年。あとの二人は丑年。
バターとミルクで何作りましょ。
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