2024年10月31日木曜日

双六の盤の上で

ミステリー「コウモリ村」

 

ある人が、自分の状況を話してくれる。

それは苦しみに満ちていた。


またある時は自分の心の内を話してくれる人がいる。

それも苦しみに満ちていた。


知り合いに、人も羨む権力の世界を渡り歩いてきた人がいる。

その人も今は方向を失い、心はどこに向かっていいのかわからなくなっている。


周りを見渡すと、お先真っ暗な人々ばかりだ。


ほとんど引きこもりの人も、権力を手にした人も、

みんな等しく心の闇をさまよっていた。


70才になっても80才になっても、ずっと探し続けている。

どうしたら安心できるのか、どうしたら幸せになれるのか。


そうしてだんだん気づいてくる。

この世界はそうでしかないのだ。


幸せはいっときのものでしかなく、

あっという間に消えていくので、

また次の幸せを求め探し回る旅。

私たちは双六の平らな盤の上でウロウロするコマの一つ。




これが私たちが求めてきたものだ。

神から離れて、自分で世界を作りたかった。

放蕩息子が描いた世界。

分離の中で幸せを作り上げようとした結果。


結果的にそれは不幸せばかりを生んできた。

苦しんで、さまよって、絶望して、恐れて、悲しんで、、、、。

それは神と全く真逆な世界。




「この世界はあなたが作り出した」

とコースはいう。


双六という盤を作ったのも私。

その中でゲームをしたいと駒の一つになったのも私。



苦しむために私たちは生きている。

気がついたら、お金を稼ぐためだけに生きている。

自分のために家族のために必死で稼いで、ほんのちょっとご褒美をもらう。

ただそれだけのためにほとんどの時間を費やして生きている。

そして老いれば、今度は健康になりたい!という思いで生きていく。

これのどこが幸せなのだろうか。


私たちは双六という苦行の中にいる。

この盤の上には幸せは見つけられない。

なぜならそれは私が自分に与えた罰ゲームなのだから。


苦しむのは自分に罰を与えているからなのだ。

そして心の深いところで、自分自身を嫌っている。。。



なぜ?


私は小さい時からずっと自分が罪深いと思ってきた。

どうしてそうなのかわからなかった。


コースはこの罪悪感の意味を初めて解き明かしてくれた本だった。


「あなたは神を裏切ったと信じて罪を感じたのだ」と書いてある。

そしてこうもある。

「しかしあなたに罪などない。あなたは今も神の中にいる」と。


裏切ってもいなければ、罪もなかったのだ。


ただちょっと「神から離れてみたら、どーなる?」

と思い描き、

「な、なんてことを考えてしまったのだ!」

という一瞬の動揺がこの双六(宇宙)を作り、

その中に埋没することで本当の自分を忘れてしまっただけなのだと。


最初その話を聞いてもポカンとするだけだった。

神?裏切った?

すんません。記憶にございません。


でもこの意味不明な私の罪悪感は、

その元をどんどん辿っていくと、そこにしか原因が見つけられなかった。


そして周りを見渡していても、確かにあの人もあの人も

心に罪悪感を持っているから苦しんでいるのが見える。

みんな罪人のように背中に刑を背負って生きている。



「マジでそういうことなのか?」



この世界は完璧じゃない。

一見筋が通って見えるけれど、よく見れば筋が通っていない。。。




本当なのかもしれない。

私に罪などなかったのかもしれない。


そんな思いがちらほらと浮かんでくる。

浮かんでくるほどに、少しづつ双六の盤から足元が浮く。

完璧な物理学の理論に沿っているはずの双六の盤にほころびが見え始める。

だんだん遠くの景色が見えてくる。

双六の色や形が薄くなってくる。


双六にはない存在を感じ始める。

それは形も音もない抽象の世界。



もう自分に罰を与える必要はないのだ。

もう苦労を買ってでもする必要はないのだ。


双六の苦行ゲームから降りるとするか。







和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです





2024年10月27日日曜日

癒しについて

「ねこじゃらし」和紙、水彩

 

「癒し」について書いてみる。


奇跡のコースには癒しが必要だとしょっちゅう書いてある。

私は癒しってピンとこなかった。


「癒し?はて?なんのこと?」


SNSで、ネコを見て「は~癒されるう~」というのを聞いて、

「そりゃーまあ猫は可愛いに決まってんだろが。それのどこがどう癒されるんだよ」

ってな具合になんかウザい感じがあった。


だからコースに「あなたには癒しが必要だ」と書いてあるのも、

「なんかウザい。。」と思ってた。


ところがある時、ものすごーく辛くて辛くてどうしようもない時、

「癒しを求めなさい」という言葉に触れて、思わずすがった。

「私には癒しが必要です!癒しを私にください!」




それからどこでどうなったかは記憶にない。

私に癒しが訪れだした。

なんとも言えない暖かさに触れて、

「は~癒されるう~」になったのだ。

ただぼーっとしているだけで満たされて、

ゆるんで、幸福感が現れてきて、ウキウキし始めた。


そしたら人と道であってちょっと話しただけなのに、

「あ~つくしさんに会えて癒されるう~」とか

「人は間違うもんです」と言っただけで

「はあ~、癒されるう~」とか言われだす始末。

私何もしてないんですけど。


癒しを求めたら、癒しが私に取り憑いて

ぬらりひょんみたいな「癒し妖怪」にでもなったか?




癒しが近くにあると、赦しもくっついてくるようで、

いろんなことがそんなに深刻でなくなってくる。


人の噂話もニヤニヤ聞ける。

AさんがBさんを嫌ってても、その理由を聞いてもそりゃあ、

その一理はある、嫌う理由もわかる。

だけどそれを聞いても私はAさんもBさんも大好きなままだ。


みんな愛を求めて「私を愛して~」と言っているだけなのだから。


愛を求めていることはみんな同じだ。

私もAさんもBさんも。

みんな一緒。

そこの視点に立つ時、自分だけがいいものになったり、

自分だけが悪者になったりしない。


形を見ると、形にとらわれる。

どの形が正しいかということに終始する限り、幸せはやってこない。

それは罪悪感を形の中に隠蔽しているだけだから。


そっちを必死で見ても答えは出ない。

形は罪悪感とくっついている。

その形の向こうを見る。


そこには形のない何かがある。

AさんやBさんといった分離がない何か。

互いがつながった何か。みんな一緒だという何か。


癒しはそれを思い出させてくれるそよ風みたいなもんかな。

そよ風が吹いて、「こっちだよ~ん」とそちらに向かせてくれる。


ああ、そうだ。こっちだった。こっちこっち。






和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです

2024年10月24日木曜日

ぜんぶが数珠繋がりになっている

お嫁入りした『山笑ふ』

 

郵便局に行く。帰りに焼き団子を買う。

最近近所にできた和菓子屋さんで、どら焼きを買い、

新メニューの 「カフェラテあんこ」なるドリンクを購入。

店の前で立ち飲みしながら、店主と知り合いの養蜂家の話になる。


その足で駒木野庭園に遊びに行く。

お目当ての園長さんは大事な会議中。

思いついてどら焼きを渡したスタッフさんと深い話になる。

途中でダンナから電話。

内田くんが千代田稲荷の掃除の帰りにうちに寄るという。

でも深い話がさらに深い話になり中断したくない。さらに深い話に進む。

しばらくして庭園にお客さんがやってきた。

それをきっかけにうちに帰る。

まだ内田くんはきていなくてホッとする。

と、ピンポーンとなるのでドアを開けると、近所のオヤジがたんまり銀杏をくれた。

おとつい前の川で洗ってたやつだ。


それから内田くんが来ると同時にダンナも帰宅。

ダベっていると話しの中でこの前買った蜂蜜が欲しくてまとめて買いたいという話になり、養蜂家に電話。滅多にケータイ取らないのになぜか出た(笑)。ついでに和菓子屋さんが会いたがっているということも伝言できた。そしてちょっと風邪気味だという内田くんの奥さんへと銀杏も渡せた。


なんかぜんぶが繋がっている。

ふと思いついたことや、出来事が数珠繋がりになっていることが増えた。


郵便局へ行くのは普通だとして、焼き団子買ったんだから、別にどら焼き買わなくてもいいではないか。ふと思いついてどら焼きを買い、ふと思いついてドリンクを買って、そのまま店主と話して養蜂家の話になってそれが私の知り合いだと知る。後で彼に電話することになるとも知らず。

ふと足が庭園に向かい、スタッフさんにどら焼きを渡し、そこから滅多に聞かない話に展開。互いに貴重な時間を過ごす。キリのいいところで庭園にお客さん。帰ったらオヤジが銀杏。内田くんの奥さんへのお土産が勝手にやってくる。(焼き団子を渡すのを忘れたけど笑)




先日生まれて初めて二万円もする枕を買った。(普通の値段なのか?)

枕はいつも高めにするのだが、これはめちゃ低い。でもそれが体にいいというのだ。

説明を聞きながら別に買う気はなかったのに、なぜか「買う」と言ってしまった。

で、実際それで寝てみたよく朝、首が痛い(笑)。

今までは、買ってしまったことにものすごい後悔が起こり、自分を責めまくっていた。

でもなぜか後悔はない。寝心地悪かったらやめればいいや、などど金持ちがいいそうなことを思うだけだ。

その売り子のおねえちゃんがすごく可愛い。

私の名前が不思議だというので、「古事記」から取ったというと、えらく興奮して「今古事記勉強しているんです!」という。また深い話になる。楽しい。




毎日目まぐるしく出来事が起こる。

でもそれをそのまんまほっておく。

勝手に連れていかれるままにする。

勝手に思いつくままに行動する。

その出来事に後悔したり焦ったりするのもそのまま味わう。


一瞬解釈するけれど、そこから先は追いかけない。するとそれで終わる。


現れては消える目の前のドラマをニヤニヤしながら見ている。

だから心はヒマだ。


トレーニングジムの重いマシーンをやった後、

そのまま座ってそのひと時をじーっと味わう。

周りでマシーンを使っているオヤジたちの存在もじーっと味わう。


私が空間になっていく。

幸せが広がっていく。




追記:二万円の枕三日目、背中が伸びる感じがする。首の痛さはもうない。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです