2024年12月15日日曜日

色々あった一年

 


今年もあとわずか。いろんなことがあった。

今思えば、未知なことだらけの一年だった。


1、2月は、一年半に渡った聞き取りと原稿書きをしてきた町内会の歴史年表作りがピークを迎え、レイアウト版下作りで奮闘し、78ページの冊子完全版下で印刷製本にまでこぎつけた。

しかし無事出来上がってはきたものの、いざ町会に手渡したあと、一体どんなお裁きが下るか、もう袋叩きの晒し首に合うかもしれぬという気分でいた。

ところが思いの外皆さんに気に入っていただき、腰砕けと感謝の気持ちでいっぱいになった。

町会の皆様の温かい心に支えられて、つくしはこれからも生きていけますっ。









3月、確定申告を終え、後半は高知に帰って父の七回忌も終えた。


5月、GW中に開かれた高尾駒木野庭園での展覧会

会期中ライブトークなるものもやってみた。動画配信までしてしまう(笑)。


6月、知り合いの写真集作りを頼まれる。町会の冊子作りの経験が役に立った。


6月後半、突然の母の死に出くわす。言葉は悪いかもしれんが、「出くわす」と言っていいほど、母に仕組まれた彼女の死だった。彼女の様子を見に高知一泊の予定が、そのまま一週間滞在して葬儀や事務的な手続きを終わらせてきた。


7月、私が歴史関係の冊子を作った経緯で、八王子の歴史関係の仕事の話が来た。

ところがそれは入札だった。はい?入札?入札ってあれだよね。お金が高いか安いかで持っていかれるあれ。。。蓋を開けてみると、とてもややこしいものだった。これは安くつけてはできないと思い、通常の値段を提示。

その後入札のための書類作りに入った。これがとてつもなくややこしい。しかも時間がない。あれやこれやの書類集めに奔走される。八王子の法務局でできると言われたので行ったら、九段下に行かなくてはならないと言われ、その足で九段下まで行って一枚の書類を取ってくる。あとはもう一枚の書類だけ。それは近所の支社で取れると聞いたからいくと、「本籍は八王子ですよね?」「え?ちゃいます。。。。」えーん。さっき電車で前通った~~~。

すべての書類を送ってあとは返事待ち。

「他の方に落札されました」ですよね~。チーン。いい経験をさせてもらいました。


8月、旦那が変なことを言う。

「オレ、写真集出したい。でもお金ないから寄付を募りたい」

「はい?寄付金で写真集?」

私が2月に町会の冊子を作り、6月に知り合いの写真集を作ったあの印刷屋さんでなら、そんなに高くなく写真集を作れる。

しかしなんと恐ろしいことを思いつくのだと思いつつ、恐る恐るお知らせをフェイスブックに提示する。すると驚いたことに、賛同してくれる人がどんどん出てきてくれた。半月で目標額に到達。


9月、たけしの編集、そして私の版下作業が始まった。


10月後半、無事2冊の写真集を作り上げることができ、寄付をしてくださった人々に贈呈することができた。

他では例を見ない、なかなか深い写真集ができたと思います。あらためて皆様には御礼申し上げます。


11月、地域の文化祭に初めて参加。作品を2点かけさせてもらう。その時知り合った陶芸教室の人に誘われて陶芸教室に通うことになった。NY時代に1年間陶芸をやって以来、27年ぶりのろくろ回しは、完全に初心者マークだった(笑)。


11月末、久しぶりに出かけたふじだなコーヒーさん。

いつも月ごとに展示を変えている。ふと思いついて聞いてみた。

「空いてる月ある?」

「ああ、1月にキャンセルが出て困っているんだよ。」

「え?1月?は、はやいなあ~。。。でも、やるか!」

と決まって、ただ今来月の展覧会のための制作中。


いやはや今年は最後まで何かと忙しい年でありました。







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2024年12月6日金曜日

展覧会のお知らせ

 

「高尾の秋」和紙、水彩


高尾の奥にある自家焙煎のお店、

ふじだな珈琲店で、1月に展覧会を開きます。


高尾山の稜線を眺めながら、美味しいコーヒーとともに作品を見ていただけたら嬉しいです。

ここはコーヒーしか置いてありませんのでお気をつけくださいませ。

もちろん作品を見ていただくだけでも構いません。


場所は高尾駅からバスで15分くらい。

旧甲州街道に入ると風景が一変し、のどかな景色を眺めながらの散策も楽しいです。

しかし開催は1月なので防寒をよろしくお願いいたします。


開催が決まった時、小品を中心にと考えていましたが、

今年の5月の展覧会が終わってからの新しい作品も増えてきたので、

大小取り混ぜて展示することにしました。




つくし作品展


時:  2025年1月10日(金)~31日(金)


場所: ふじだな珈琲店

    〒193-0841

    東京都八王子市裏高尾町1254

電話: 042-661-0798

時間: 10時~17時 最終日は16時まで

定休日:火、水、木

駐車場:3台

バス: 高尾駅北口から京王バス『小仏行き』に乗り、「裏高尾」下車徒歩1分

(平日は1時間に1本ですが、土日は1時間に3本出ています。)

京王バスナビ




つくしは日曜日は10時から3時までいます。

その他の日は、ふじだなさんにご連絡くだされば向かいます。


皆様にお会いできる時を楽しみにしています。


つくし






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2024年11月29日金曜日

それでいいのだ。



「センブリ」和紙、水彩


久しぶりに立ち寄ったなじみの喫茶店。

そこでは過去に何度も小さな展覧会を開かせてもらっていた。


入りぎわ、またやろうかなと思い立ち、店主にスケジュールを聞く。

ちょうどやる予定だった人からキャンセルを受けて、1月に空いているよと。

1月。。。ちょっと早いかな?と思ったが、そこしか空いていない。

やらせてもらうことにした。



最近、ふと思いつくことに抵抗せず、

どんどん受け入れることにしている。


例えば陶芸教室。

地域の秋の文化祭に出店させてもらった時に出会った陶芸教室。

なんとなくやりたいと思ってその場で入会。

初めての教室の日に、生徒さんがキレた場面に出くわす。

でもそのまま受け入れた。彼は彼で色々思うことがあったんだろうと。

だからってその教室が問題、、、とも思わなかった。

先生や生徒さんたちはみんなそれぞれ個性があって優しい人たちだ。


スポーツクラブは週三回行っていたが、

急ぎの展覧会の制作のために、

しばらくは週一回と陶芸教室週一回にした。

あとの五日間は制作三昧だ~。



目の前で起こることをそのまま受け入れ、

心に浮かぶことをそのままやる。

こんな単純なことが、なんで今までできなかったんだろう。


今までは、何かを思いついても、

「いや、、、もしこうなったら、面倒なことになるし、、、」とか、

目の前で不快なことが起こったら

「いやー。。。こんなところ、来るんじゃなかった。。。」

とか思って、色々判断解釈した結果、やめてきたこと多数。

あれはもったいなかったな~という後悔ものがいっぱい。


でもそれでいいのだ。

起こることにただ任せる。

最悪の事態になっても、それでいいのだ。

それにはちゃんと意味がある。


任せられるようになってきたのも、

だんだん罪悪感が消えてきているからなのかもなあ。




「ただ、自ずと起こることに干渉するのをやめること」

っていうコースの言葉が私にぐっと入ってくる。


そしてやめたところに何かが入ってくるのだ。

それは私のちいこいアタマで考えもつかないところで起こっている何かだ。

こうであらねばならないという自我のちっこい世界をはるかに超えた何か。


ただ「夢を見ているもの」のところにたち、

その夢の中で起こっているものを、

何の判断もせず、そのままに受け取る。


それがどんなに気楽なことだったのか。

バカボンのパパはとっくに知っていたのだ。



ふじだな珈琲さんでの展覧会は、
1月10日(金)〜1月31日(金)
定休日:火、水、木

am10:00~ pm5:00

詳しいことは、またご連絡します。




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2024年11月23日土曜日

夢を見ているもの

「秋の音」和紙、水彩

 

いつものようにスーパーで買い物をした時のこと。


新しく見つけたスーパー。

美味しいものが食べたいので、あれやこれやとついつい手にとってしまう。

たくさん買っていっぱいお金を使ったことを後悔した。


胸にチクっと痛みがやってきたとき、

あることを思い出した。


それは先日のこと。

その内容はもう忘れたんだけど、

苦しさで悶々としていたとき、

「夢を見ているもののところに立て」というひらめきが来た。


その場所に立とうとした瞬間、私の中から苦しみが消えたのだ。

それを思い出したのだった。



スーパーの出口から大きな木が見えた。

赤く色づき始めている。

なんとなくそれを見ながら、

「私は夢を見ているもののところに立つ」と心で言った。


次の瞬間、それまで心にあった罪悪感が消えた。


目は相変わらずその大木に注がれている。

赤い葉っぱがハラハラと風に舞っている。

見ているものは何も変わらない。

しかし心が静かになった。


この世界の中に私はいなかった。

そのとき、私はこの夢の「主人公」ではなかった。



「夢を見ているもの」と「夢の主人公」の違いは、

私の捉え方としては、

双六の上にいるコマの一つの「夢の主人公」に対して、

「夢を見ているもの」は、

双六盤から垂直に上がった、

上の方からこの世界を俯瞰して見ているものなのだろうと思っていた。


これが本当に「夢を見ているもの」の視点かどうかはわからないが、

その視点に立った時、私は1ミリも動いてはいなかった。

全く同じ場所から夢を見ていた。


でも心は完全に違った。

なんの悩みも心配も消えている。

この世界を、ただ見ていた。判断一つなく。

静かで平安で、そしてここの住人ではなかった。

自分という形が消えていた。





判断は、この世界を実在させる。

判断は恐れを抱かせ、それをリアルにする。


お金を使ってしまった!という恐れは、

お金というものが実際にあって、それでものを買う。

そのお金は増えたり減ったりする。

その減り具合や増え具合で、人は一喜一憂する。


その時、私は夢を見るものではなく、夢の主人公になり、

モノポリや双六の上に立って、あてのない水平線上をウロウロする。ゴールは死だ。



私は死さえも、夢を見ているものとして見ていられるだろうか。






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