2018年5月26日土曜日

優柔不断とやさしさと。



紺地に水玉模様のほっかむりをした初老のおばさんが野良仕事をしている。

薄緑色のエンドウのサヤをプチプチちぎりながら、彼女の心はちがう所にあった。

「何でわたしはこんなに薄情なんだ」
「何でこんなにうそつきなんだ」
「何でこんなに優柔不断なんだ。。。」

彼女は人とのやり取りの中で、いつも二つの意見を持っていた。
ひとつはその場の流れを乱さない意見。
もうひとつはまったくちがう視点からの意見。
そして選択されるのは、たいてい流れを乱さないほう。

すると彼女はそんな自分にちくりと針を刺す。
「このうそつき」
自分をのろいながら、会話の川にながされていく。
たまに嘘つきな自分に嫌気がさして、ちがう意見をなげてみる。
すると川の流れは急にぎこちなくなり、それまでの空気が変わってしまう。

「あ、やっちまった。。。」彼女はあせる。ドキドキしながら、また川がいつものように流れはじめるのを固唾を飲んで待つ。
そんな自分にもいやけがさしていた。

「これ、どっちも苦しいじゃないか」
ふいにエンドウをちぎっていた手が止まる。

空気を読んだ意見をいう自分を否定し、正直な意見を言う自分を後悔し、あげくにつねに二つの意見を持つ自分の優柔不断さをのろう。
何を選択しようとも否定していた。

その時、今まで考えたこともなかった言葉が出た。
「あ。わたしは、やさしいんだ。。。」

ちがう意見を持つのに人に合わせる意見を言う自分。それは優柔不断から来ているのではなく、ひとえに人を思う心から来ていた。そのことに気がついた瞬間、胸のあたりがふわっと軽くなった。


手にした白い粉が吹いたエンドウのむこうに、過去の出来事がみえた。

高校時代、門限は8時と決まっていた。
厳格な父の決めごとは死守すべきものだったが、ある時友人の恋愛相談をうけて、門限を30分おくれてしまった。

玄関で仁王立ちした父の顔は真っ暗で何もみえなかった。言い訳は聞き入れてはもらえない。間髪入れず鉄拳が飛んで来た。岩のようなげんこつを顔面に食らって、コンクリートの地面に吹っ飛んだ。

その夜、湯船につかりながら泣いた。
父が怖くて泣いたのではない。友だちを裏切ったことと、自分の力不足に泣いたのだ。
友人の恋は切実なものだった。泣いて訴える彼女を振り切って帰って来た自分。友人よりも父に殴られることを怖れた自分。結局どっちも失敗に終ってしまった現実。自身のふがいなさになさけなく、そして今も苦しんでいるであろう友人の心の痛手を思うと、涙が止まらなかった。
今思えば、それは友人を思うやさしい気持ちからの苦しみだった。


「わたしは今まで自分を冷たい人間だとばかり思っていた。。。」
目の前に草だらけの畑が広がる。この農法は草を刈り続ける。彼女は草を刈りながら、草にわびをし続けていた。
「ごめんよ。ごめんよ。でもあなたたちのおかげでおいしい野菜が食べられる。わたしはなんて勝手なんだ。おいしい野菜を食べたいが故に、あなたたちを育て、そして刈る。人間てなんて勝手なんだろうね。。。」
自分の勝手さをのろいながらも、この農法がやめられない。そういう自分をまたのろう。

でもそれに気づいていることもまた、草を思うやさしさからきているのではないか。

実際、彼女ははたから見たらやさしいひとではないのかもしれない。人の意見は千差万別。だけど大事なのは、彼女が自分をやさしいのだと自分自身を肯定したこと。

わたしはやさしい。
そう口にするたびに、心はふわっとなる。

いくつもの意見を同時に持つことは、物事を冷静に見れていることでもある。そしてその選択は吟味して選ばれたものであるのなら、それこそやさしさゆえではないか。
そうおもえた時、いくつもの分裂した意見は、ひとつの大きなものに統合された。

たわわに実ったウスイエンドウが彼女にほほえみかけていた。


2018年5月19日土曜日

落ち込んでるのん?

落ち込んでる、、と思ってたら、
心が静かなだけだった。

人はどっかで、明るい気分のほうがいいっておもってるよなあ。
ほんとはそう決めつけることもないのかもね。

じーっと暗闇にある池の表面を眺めている。
少し風が吹いて、水面がささささと、縮緬のように波打つ。

そこに感情の波を見る。
言葉にならない感情の細かな波。

あれは悲しみの波だ。
あ、あれは怒りの波だ。
今見えたのは、胸をぎゅっとさせるやるせなさ。
あれー嬉しがってる波もある。。。

感情の水面はいつも波立っている。
本当は一個じゃない。
ありとあらゆる感情が一緒くたになって、常に動いているのだ。

それに気がついたとき、
落ちこんでいると思っていた気分は、
ただ静かな感情があっただけだと知る。


2018年5月10日木曜日

親孝行のかたち



「おまえをよろこばせちゃろか」

父がうれしそうに電話をかけて来たのは、父の死の三ヶ月ほど前だった。
「うんうん、よろこんじゃる。何?何?」

年明け、父は退院して家に戻り、その後手厚い訪問看護を受けていた。そのいつも来てくれる看護士さんが、ある日私のこのブログを見つけたのだと言う。
「ウチにある絵を見て、彼女はおまえの絵のファンじゃが、ブログがしょうおもしろいがやと!」(注:しょう=とても/高知弁)

父が私をほめることは滅多にない。理由は「おまえはすぐに調子に乗る」から。
だからその彼がわざわざ私にそんなことをいいに電話をかけて来たのにはおどろいた。うれしそうに何度も同じ話をする彼の笑顔が手に取るようにわかる。

たかがブログでそんなによろこんでくれるなんて。。。
と思った時、はっとした。
あ。これが親孝行だ。


ずっと私は親孝行が出来ていないと思い続けていた。
親孝行とは、親を旅行に連れて行ったり、本を出したり、有名になったりして、
「お父さん、どお!?こんな本を出したよ!」とか「こんなに有名になったよ!」とかいって、
「おお!おまえはすごいなあ~」
というふうに親をよろこばすもんだと。


一度だけ、父との旅行を計画したことがあった。母と離婚したあとの父をよろこばそうと、自分なりのツアーを考えた。まずは鞆の浦の古びた街並と瀬戸内の鯛を堪能し、海の次は山陰の山奥にある奥津温泉にまで足を伸ばし、棟方志功が晩年よく通ったという旅館を用意。私は父とふたり、冒険気分で行く予定だった。

ところが直前になって、別れたばかりの母が「私も行く」と言い出した。
父と私の分だけを用意したお金は、母が参入する事になって足りない。
けっきょく母の分は父に出してもらうという、なんともかっこ悪いことに。これじゃ親孝行にならない。おまけにまさに犬猿の仲まっただ中のふたりのあいだに挟まって、あっちの機嫌、こっちの機嫌と、どっちものご機嫌とりに右往左往する私。

遊覧船に乗ったとき、横に並んだふたりの、互いにそっぽをむいた顔が今でもうかぶ。
そして鯛づくしの豪華な夕食も、母の口にかかっちゃイチコロだった。
「いや。これ冷凍の鯛や。おいしゅうない。。。」
鞆の浦名物の鯛料理にことごとくケチをつける母。一気に気分も盛り下がる。
やっぱり連れてくるんじゃなかった。。。。と後悔すること山のごとし。

しかし最後の奥津温泉での料理は、母を唸らせた。
まず器が良かった。昔ながらの古い本物の漆器を大切に使っていた。その上に美しく盛られた料理のほんとうにおいしいかったこと!目と口のうるさい母は、このすべてに感激する。あとのふたりもツラレて感激する始末。まったくこの一家は、いつまでも母のノリにふりまわされる。
そうはいいながらも、床に入り川からあふれてくるはじめてのカジカの声に耳を傾けながら、母もつれて来て良かったとおもったものだった。

だがこれが父への親孝行になったとは到底思えない。父があの時どんな思いをもっていたのかは今は知るよしもない。

そんないきさつもあり、私は一度も父に親孝行をしていないと思い続けていた。
しかし今、それがひょんなことから親孝行が出来てしまった。
お金もかけない何の努力もしていない、好きなように好きなことを書いているこのブログのおかげで。

なんだ。。。こんなことだったのか。。。
肩から力が抜ける。
彼のうれしそうな声を聞きながら、ああ、これでよかったのだと、心底安堵した。


あとから叔母に聞いた話。
「お兄ちゃんは、つくしちゃんの記事が掲載された高知新聞を、毎月大阪に送ってくれてたんよ。あんたは自慢の娘!」
その昔、毎月シリーズで高知新聞に私の記事が掲載されていた。父はそれを余分に買って、わざわざ親戚に送っていたのだ。

そんなことも知らなかった娘。父の思いと娘の思惑は、どうしてこうもずれるのか。
きっと世の中は、互いの思惑の違いで、心に後悔や罪悪感を抱える親子がいるにちがいない。ほんとうは親孝行なんて大仰な思いを抱える必要もなかったのではないか。
「ただあなたが元気でいてくれるだけでいい」そんな風に親は思っているのかもしれないし、また子は子で、「親がいてくれるだけでいい」そう思っているだけなのかもしれない。


いつのまにか私たちは形で示すのが愛の表現だと思いはじめた。
ほんとうは最初に愛があり、その表現として形にあらわれただけなのに、いつのまにか最初に形ありきになってしまった。形を示さなければそれは愛ではないというまでに。

そうして人は形ばかりにこだわってしまった。逆に言えば、形さえ繕っておけばいいという殺伐としたものにもなりうる可能性もあるのだ。口先だけ、形だけになる世界に。

そしてまたご多分に漏れず、それが私の思っていた親孝行の形であった。厳密に言えばそれは父への侮辱でもあったのだ。
愛はとてもシンプルなものかもしれない。何かをすることによって、そこにいることを許されるのではなく、ただそこにいるだけでいいのだ。

私の場合は、ただ自分が楽しんでやっていることを、人を介して父も楽しんでくれていた。
父は父自身が楽しむというよりは、人がそれを楽しんでくれているのを見て、幸せを感じる人であったように思う。
父の死の間際にそれが知れたのは幸運だった。


あの親孝行の一件から、私は何かが吹っ切れた。父にたいする後ろめたさも後悔も懺悔も消えていた。
親孝行してくれてありがとうと言われたわけでもないのに、父が心底よろこんでいくれていることに気づけた。ひょっとしたらあれが一年前であったなら、私は気づけなかったかもしれない。

ことは自然に起こる。
たとえ大事な人がいなくなったあとでも、ある日ふと気づきが起こる。
それは孝行したい相手が生きていようが死んでいようが、その人にあったベストなタイミングで。

そしてそれこそが、この世が愛に満ちているあかしではないだろうか。





2018年5月3日木曜日

母の煮物



「台所に煮物があるき、お皿に入れて持ってきて。」
私は赤絵の骨董品の小皿を選び、ガスコンロの上に乗っているお鍋のふたを開けた。

「味見してないけど、食べてみて」
大胆に切られた大根とジャガイモがゴツゴツと入っている。その上に大きな鮭の切り身が4枚綺麗に並んでいる。母の言う通り、味付けをしたあとかき回されたり味見をされたあともない。
「え~。これ、大丈夫?味見してからにしてや~」
いささか不安になった私はぼやいた。
「ええから。早う持ってきて」

テレビのある部屋のソファで座っている母に持っていく。
「早う。食べて」

昔はきれい好きだった彼女も、年をおうごとにいろんなことが億劫になってきた。高知に帰るたびに汚くなっていく住まい。汚すぎて触る気にもならない台所。シンクの上を小さなゴキブリが我が物顔でウロウロ。
ただでさえ食欲をそそらない場所で、ヨーグルトがあるから食べろだの、野菜ジュースがあるから飲めだの、あれこれ私に食べさせようとする。
そのあげく、味見もしてない煮物を私に食えと。

「拷問以外の何物でもないな。。」
いやいや食べた。
「あ。美味しい。。。」
「そやろ?」
ニヤッと笑う母。

よく見たら、大根の皮もジャガイモの皮もついたまんま。
「大根の皮ついてんのに、なんでこんなに柔らかいん?前もって茹でたん?」
「なーんもしてない。そのまんまゴンゴン入れて、煮付けて終わりよ。」
大根もジャガイモも鮭も皆それぞれが美味しい。大根から出たであろうちょうどいい甘さと塩加減。思わずおかわりした。

高校卒業後、高知を出て久しい。母の手料理は私の記憶から遠のいていた。それが父の容体悪化のため度々高知に戻ることになって、母と過ごす時間も増えた。彼女もずいぶん体の様子が悪い。複雑な思いを抱えながら帰る日々。
気楽な一人暮らしの彼女は、私が帰ることで何かしら緊張もするだろう。
先日もできるだけ母の手を煩わせないようにと、スーパーで買ってきたお惣菜を持っていった。

お惣菜を一口食べた母が言う。
「もういらん」
「え?食べないの?」
「うん。もうえい。あんた一人で食べて」
せっかく買うてきたのに。。。とブツブツ言いながら食べる私。

「お鍋にある煮物、持ってきて」と母。
台所で鍋のふたを開けると、赤い液体の煮物があった。
「何?この赤いの」
「ケチャップ」
「は?」
またまた変な組み合わせをしたもんだといぶかりながら、小皿に乗せてリビングに持っていく。
「食べて」

皮の付いたままのジャガイモと玉ねぎとくちゃくちゃに固まったままの豚。ケチャップで煮たという怪しげな物体を、半ばやけくそで口に押し込んだ。

絶句する。
これはやばい。
「これも、、ひょっとして味見してないが?」
「うん。朝煮たまんま。食べてもない」
かすかな酸味と和風の味付けが絶妙なコクのある絶品だった。

ついさっきまで美味しいと思って食べていたスーパーのお惣菜が、いきなりゴミにおもえる。
彼女が一口食べていらないと言ったわけだ。
もう一度食べくらべてみる。
まずい。
母の煮物を食べる。
うまい。
この違いは別次元だった。

何がちがうのかすぐにわかった。
「気」だ。
スーパーのお惣菜は、まったく気が入っていない。どんな味付けをされていようと、腑抜けなのだ。しかし彼女のはガツンと気が入っていた。

「味付けは何?」
「ケチャップとみりんとお醤油」
「それだけ?」
「それだけ」
出汁も何も入っていない。豚肉と皮付きジャガイモがコクを出していたのだ。
「これ、同じ方法で私がやったら、絶対腑抜けな味になるよ!」



美味しい食べ物は人を幸せにする。
それは味付けが上手とか、そういうことではなく、カタチではない何かしらのものがそこに入っているからではないだろうか。作る人の気持ちのようなもの。

スーパーのお惣菜がそれを教えてくれた。流れ作業の中で作られる料理には「気」など入れてられないのだ。
このごろ、なんとなくまずいなあと思いながらも、面倒なので買っていたスーパーのお弁当。これが理由だったのか。まるでエサのように感じられる。
しかし気の入った料理は身体に染み通ってくる。これこそが本当に栄養になっていくものじゃないだろうか。

母のアパートから東京に戻るとき、鍋にあったタケノコの煮付けを二、三個ほおばっていった。母にうながされることもなく自ら。
それはまるで中学生が学校に行く前のようだった。

「いってきま~す!」
という言葉が、自然に口から出た。