紺地に水玉模様のほっかむりをした初老のおばさんが野良仕事をしている。
薄緑色のエンドウのサヤをプチプチちぎりながら、彼女の心はちがう所にあった。
「何でわたしはこんなに薄情なんだ」
「何でこんなにうそつきなんだ」
「何でこんなに優柔不断なんだ。。。」
彼女は人とのやり取りの中で、いつも二つの意見を持っていた。
ひとつはその場の流れを乱さない意見。
もうひとつはまったくちがう視点からの意見。
そして選択されるのは、たいてい流れを乱さないほう。
すると彼女はそんな自分にちくりと針を刺す。
「このうそつき」
自分をのろいながら、会話の川にながされていく。
たまに嘘つきな自分に嫌気がさして、ちがう意見をなげてみる。
すると川の流れは急にぎこちなくなり、それまでの空気が変わってしまう。
「あ、やっちまった。。。」彼女はあせる。ドキドキしながら、また川がいつものように流れはじめるのを固唾を飲んで待つ。
そんな自分にもいやけがさしていた。
「これ、どっちも苦しいじゃないか」
ふいにエンドウをちぎっていた手が止まる。
空気を読んだ意見をいう自分を否定し、正直な意見を言う自分を後悔し、あげくにつねに二つの意見を持つ自分の優柔不断さをのろう。
何を選択しようとも否定していた。
その時、今まで考えたこともなかった言葉が出た。
「あ。わたしは、やさしいんだ。。。」
ちがう意見を持つのに人に合わせる意見を言う自分。それは優柔不断から来ているのではなく、ひとえに人を思う心から来ていた。そのことに気がついた瞬間、胸のあたりがふわっと軽くなった。
手にした白い粉が吹いたエンドウのむこうに、過去の出来事がみえた。
高校時代、門限は8時と決まっていた。
厳格な父の決めごとは死守すべきものだったが、ある時友人の恋愛相談をうけて、門限を30分おくれてしまった。
玄関で仁王立ちした父の顔は真っ暗で何もみえなかった。言い訳は聞き入れてはもらえない。間髪入れず鉄拳が飛んで来た。岩のようなげんこつを顔面に食らって、コンクリートの地面に吹っ飛んだ。
その夜、湯船につかりながら泣いた。
父が怖くて泣いたのではない。友だちを裏切ったことと、自分の力不足に泣いたのだ。
友人の恋は切実なものだった。泣いて訴える彼女を振り切って帰って来た自分。友人よりも父に殴られることを怖れた自分。結局どっちも失敗に終ってしまった現実。自身のふがいなさになさけなく、そして今も苦しんでいるであろう友人の心の痛手を思うと、涙が止まらなかった。
今思えば、それは友人を思うやさしい気持ちからの苦しみだった。
「わたしは今まで自分を冷たい人間だとばかり思っていた。。。」
目の前に草だらけの畑が広がる。この農法は草を刈り続ける。彼女は草を刈りながら、草にわびをし続けていた。
「ごめんよ。ごめんよ。でもあなたたちのおかげでおいしい野菜が食べられる。わたしはなんて勝手なんだ。おいしい野菜を食べたいが故に、あなたたちを育て、そして刈る。人間てなんて勝手なんだろうね。。。」
自分の勝手さをのろいながらも、この農法がやめられない。そういう自分をまたのろう。
でもそれに気づいていることもまた、草を思うやさしさからきているのではないか。
実際、彼女ははたから見たらやさしいひとではないのかもしれない。人の意見は千差万別。だけど大事なのは、彼女が自分をやさしいのだと自分自身を肯定したこと。
わたしはやさしい。
そう口にするたびに、心はふわっとなる。
いくつもの意見を同時に持つことは、物事を冷静に見れていることでもある。そしてその選択は吟味して選ばれたものであるのなら、それこそやさしさゆえではないか。
そうおもえた時、いくつもの分裂した意見は、ひとつの大きなものに統合された。
たわわに実ったウスイエンドウが彼女にほほえみかけていた。