ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年5月14日火曜日

空き家



ともだちたちがひっこした。
ともだちっていうよりは、向こうにとってはこっちは年上の先輩ってかんじだったかもしれないんだけどね。
最初パートナーが先にひっこしちゃったときは、まだ完全にいなくなるってかんじじゃなかった。まだ彼女もここにいるってかんじがしていたから。でもがらんとなった空き家を見て、寂しさは現実のものになった。彼女にもらったもんぺまでが消えていくような。

やまんばはいつもひっこしてばかりで、ぎゃくに置いてけぼりの側の気分をあまり知らなかった。だけどいまはわかる。なんだか心にあるいつもの風景の中に、ぽかんと白い余白が出来て、そこがみょうに真っ白くうきあがっているのだ。まるでジグソーパズルのワンピースがぽろっと消えて、後ろの白い紙が見えているかのように。心はそこをなんとか埋めなきゃ埋めなきゃとあせっているような。

だけどかれらは明日を見つめている。これから始まる全く新しい世界を見つめている。不安もあるんだろうけど、その先にあるまだ知らない世界に向かってワクワクする心が深いところから温泉のように吹き出してきているんだろうな。やまんばもいつもそうだったから。

すべてはいつもベストな状態で進んでいる。この世は完璧な世界。

彼らのおかげで高尾生活が今までにない彩りをつけてくれた。
やまんばの心の中にできたその白いスペースは、これから別のものに変化していき、友だちの前にある、まだ見ぬ大きな真っ白いスペースは、これからどんどん彩られていくのだ。

ありがとう、みんな。
広い世界でおもうぞんぶん飛び回っている姿を遠くでたのしく眺めてます。
元気でね!

2012年6月29日金曜日

『はりまや食堂』

ハイヤーを呼んだ。
「おんちゃん、はりまや橋のあたりのレストランいってくれる?○○ってゆう有名なケーキ屋さん知っちゅう?あそこのすぐちかく」
「ええ?そんな名前のケーキ屋さん、知らんぞね」
「ほいたら、住所ゆうでえ。はりまや橋1丁目。。。」
「ああ、もうめんどくさい。どこぞね。はようそこのレストランの名前いいや」
「これがねえ、よー言わんのよ。。ら。。ゔぇゔぇ。。。ぷ。。ぷ。。。」
「ああ。プリプリかえ。はよう言わんか。そこなら知っちゅう知っちゅう」
「プ、プリプリ?ちがうちがう。そんな名前やないきに」
「わかっちょらあえ。あのおっしゃれ〜なレストランやろ?はりまや橋の」

おんちゃんは知っていた。
何でも最近そこへの客の送り迎えが多いそうだ。だがこのハイヤー会社社員一同、そのレストランの正式名称をだれも言えん。だから「プリプリ」という名前で呼ばれているらしい。おんちゃんはその店の名前について、怒濤のごとくわたしに説教を始めた。(なんでやねん)

「だいたいやねえ。だーれも呼べんような名前つけるがあがおかーしい。高知県人がそんなおっしゃれ〜な名前言えるか?高知のおんちゃんでも言える名前にせんといかん。『はりまや食堂』とか」
「『はりまや食堂』?おんちゃん、ここイタリアンやで」
「ほいたら、、、洋風、、、うん。『洋風はりまや食堂』じゃ」
洋風はりまや食堂。。。ぷぷぷ。。。

「何でもそこの店はえらい繁盛らしいやんか。そんなええ店は長続きしてもらわんといかん。ほいたらみんなあが気軽に呼べる名前じゃないといかんのじゃ。はりまや食堂やと、みんなあが言えるやろ?『おんちゃん、はりまや食堂行ってや』ゆうてな」
「おんちゃん、洋風はりまや食堂や」
「ああ、そやそや。洋風はりまや食堂」


このハイヤーのおんちゃんの説教を、私はそのまま店の男の子に伝えた。店が終わる頃、その話は出ただろうか。どんな顔をしてみんなは聞いたのだろうか。
あのとっても感じの良かった男の子は、楽しそうに私の話を聞いてくれたのだった。

季節の有機野菜、その日に捕れた魚介類、イタリアンとフレンチと、そして高知の味をうまくミックスさせた本当においしいひとときだった。あんな店が末永く続いて欲しいと心から願う。そのためには改名が必要?

きっと今頃、あのハイヤーの隠語は「プリプリ」から「はりまや食堂」に変わっているのだ。。。

いや、きっとこうだ。
「あ、○○ハイヤーさんですか?こちら『洋風はりまや食堂』です。車一台おねがします」
「『洋風はりまや食堂』さま。いつもご利用ありがとうございま〜すっ。すぐにまいりま〜すっ!」

2012年6月20日水曜日

帰高は皿鉢料理

いや〜、昨日は地球のエネルギーを感じました。
え?こわくなかったかって?
ごわがっただあ〜。
家が飛ばされるかと思った。

10時頃びびりながら就寝。(早過ぎ)
怖さの中で夢にうなされて、ハッと気がつけば、シンとした静けさ。11時にはいつもの空気に戻っていました。
窓を開けると、さっきまでびゅんびゅん首を振っていた樹々たちが、なにごともなかったかのようにヘーゼンとしている。
足下には蛍が静かな光を放ちながら飛び交っている。カジカもいつものように鳴き始めていた。
むんっとする植物の甘い匂い。あの巨大なエネルギーに振り回されて、生きるエネルギーを取り戻したかのようだった。

朝7時頃畑に行く。
無惨に飛ばされたトマト用のビニール、たおれまくった支柱の数々。。。黙々と片付ける畑歴4年目のやまんばであった。


しばらくブログ更新おこたってました。高知に帰ってたのです〜。いや〜、盛りだくさんの、内容濃過ぎる、さながら皿鉢料理のような怒濤の帰高でありました。

懐かしい友に会い、お互い全然かわっちょらんねえ〜と「確認」しあい(主観で言い合っているので、ほんとかどーかはともかく)、ウン十年来の友だちが、見た事も聞いた事もないような、チョーど田舎に生まれ育っていた事実を目撃し、チョー有名なデザイナーさんとお会いする事が出来、ほんでもって、チョーうまいものばっかし食わせてもらった(皿鉢料理も!)日々でありました。
みなさん、すいましぇんねえ〜。高知は世界一うまい所でおます。

ほんとはばばあちゃんの最後の法事と、かあちゃんの様子をみに行くっちゅうのんがメインだったのでありました。
何年かぶりに親戚一同に会ってみれば、はあ、こりゃまた、たいへん。みーんなよいよい。身体は動かんが、口はご達者なご様子で。何よりでございました(笑)。

帰ったら、メールがてんこもり。畑は草がてんこもり。ありがたいこっちゃ。
日々野良仕事と、仕事にボットーしております。(どっちがメインやねん)

高知のみんな、ありがとねー!

2010年10月5日火曜日

阿寒湖の虹




重大な任務により、北海道は阿寒湖のほとりにいってきましたです。なにぶん、隠密なので、その目的にかんしては、しみつ(秘密)であります。ですが、生まれて初めておりたった北海道の地、空気、緑、風、雨、光、そして虹までも味わわせていただきました。しかしそれにもまして、言葉で言い表せないほどの人の温かさとおおらかさを満喫。もう腹一杯でございます。阿寒の皆様、ほんとうにごちそうさまでした。


女満別空港に降り立ったのが、3時前。友人のお母さんの車をお借りして、網走に入り、オホーツク海に向かう。わたしゃ、高知県の海しか知らない。あったかい太平洋の波しか知らない。ぜひ北の海をみてみたいと思ったのであった。途中、サンゴ草という真っ赤な草を見に行く。ここら辺にしか生えない貴重な草。湖畔の湿地帯に群生していた。しかし今年の暑さで思うように赤くなっていないもよう。その湖を回るように、車で海に向かう。湖のわきを抜けた瞬間、ごお~、どど~ん、という地の底から溢れてくる音とともに目の前に海が広がった。すごい。車を道路のわきに止めて、海を体感する。これぞ地球のエネルギー。よせてはかえす地球の呼吸。溢れる潮のにおい。地を揺るがす波。水平線の向こうからやってくる異国の潮。ここに流氷が流れ着くのかあ。

基本的に私は海には興味がない。湘南の海も、フロリダの海も興味がない。
「海がみたいの。ドライブしましょ」なんてそこらのおねーちゃんがいうようなセリフははかない。そんなもんはわたしにとっちゃ、海じゃない。しかし今回は
「海がみたいぜよ。ドライブするぜよ」
生まれて初めてはいたセリフだった(注:こんな高知弁はないちや)。
高知の海とはまるでちがう。おそろしー強さとさびしさときびしさと、なんだかわけのわからない感情がおしよせてくる。頭で理解しきれない感覚をただ立ち尽くして全身で味わっていた。

阿寒湖のほとりに降り立ったのは、夜。アイヌコタンは、しっとりとぬれておりました。初めて見る「アイヌの村」という名の街。入り口には巨大な木彫りのミミズクが、羽を広げて訪れるよそ者を見定めるような、威嚇するような、それでいておおらかに、見下ろすようなカタチで私を迎え入れてくれました。おとぎの国に入り込んだような不思議な感覚。ディズニーワールドを100分の一にギュ~っと凝縮したような、ちょっとめまいがしそーな現実の世界ではないような感覚になる。

入り口にミミズクが鎮座ましましている。これはまさに鳥居だ。その鳥居をくぐると、奥に向かってぐっと急激な坂道になっている。坂道の両脇にはお土産物や食堂がずらっと並んでいる。そして一番奥には建物が。その建物で、アイヌの伝統古式舞踊が粛々ととりおこなわれるのだ。
これはまさにひとつの神社の形ではないか!神社フェチだった私は、一人勝手に妄想してくらくらした。ミミズクの鳥居をくぐって参道の両脇に出店。その一番奥は社。その社でお神楽が舞い踊り、神に捧げられるのだ。
いや、アイヌ人を倭人に見立てているんじゃない。そもそも神社の形そのものが何かの真理をついた姿なのかもしれない。それを倭人が神社という形にし、アイヌ人はそれをコタンと呼ぶ。
コタンは他の阿寒湖町の道とは少し方向が違う。変だなと思いながら地図を見ると、コタンはちゃんと東西に向いていた。

そのコタンの一角で、アイヌ人と倭人がひそひそとしみつの会議を開いた。(しみつだから状況ははしょるのである)
ホテルに戻ると、夜中の3時を回っていた。やまんばはだれひとりいない湯船にぽちゃんとひたる。なんとゆうすべらかな温泉なのだ。身も心もとろけそーになりながら、そのままそこに寝るわけにもいかず、意志力で部屋にもどり、ふとんにもぐりこんだ。
翌朝、窓を開けると目の前に虹が広がっていた。阿寒湖を渡る虹の橋。ありえない。絵に描いたようだ。いや、まちがってもこんな絵は、恥ずかしくて描けない。そんな風景をもらった。

その日は一日中だあだあぶりの雨と、横殴り(?)の風。台風かあ〜?阿寒湖はマッチロ。なんにもみえない。しかし霧に浮かぶ美しい島を見つける。しばし美しさにひたる。
その夜もしみつの会議が粛々と無事とりおこなわれる。ああなんという美しいコタンの人々よ。こんな濃厚な時間をもらってしまっていいのだろうか。「いやいや、ほんとうにすみません〜」恐縮しながらもしっかりと、すべてを味わわせていただくどん欲なやまんばであった。

出発の朝はドン晴れ。
そーとー日頃の行いが悪いと見える。コタンの人々に見送られ、後ろ髪を引かれながら、コタンを去る。釧路空港から見えたのは、雌阿寒岳だったのだろうか。手を振ってくれているように見えたのは気のせいか。
みんなの顔がその山にかさなった。


絵:この絵を見て、アイヌの歌い手床絵美さんが「摩周湖みたい」と言ってくれた。摩周湖は阿寒湖の近くにある。