2008年11月28日金曜日

9.11の時


 
これは私の友達が経験した9.11。あれから時がすぎて、彼女から直接聞いた話もだんだん消え入りそうになる...。だからぜひ書いておきたかった。

『9.11の時』

「あんた、今テレビつけてごらんなさい」
 朝、日本の母からの突然の電話。テレビをつけると、そこには映画のようなシーンが広がっていた。ツインタワーの片方のビルが燃えている。一体何が起こったのだ?ぼーっと見ていると、もう一方のビルに何かが突っ込んだ...。

 9月11日2001年の、あの朝のことは忘れられない。
 私はニューヨークにいた。そしてあのビルには、同じアパートに住む友人が働いていた。

 彼女は第2ビルの80階あたりにいた。となりのビルが燃えているのを職場の仲間と呆然と見ていたそうだ。そのときは、まさか自分のビルにも何かが起ころうとは夢にも思わない。しかし、とりあえず全員が避難するということになった。皆がそんな軽い気持ちだったという。
 
 彼女は最初、ランチにでも出るようなかっこうで下に降りようとした。いったん歩き始めて、ふと所持品全部を持った方がいいような気がしたので、大事な書類も上着も全部持った。
 緊急の避難と言えば、エレベーターより階段である。ところが階段は人でごった返していた。すると突然エレベーターのドアが開いた。中から、こっちこっちと手招きする黒人のおじさんがいる。彼女はその手に誘われるように、エレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターはビルのまん中あたりの階で終わる。一階まで降りるには、そこから別のエレベーターに乗り換えなければいけない。降りると、すぐ下に向うエレベーターがドアを開けて待っていた。彼女は何も考えず、そのエレベーターに乗った。

 一階のロビーに降りたとたん、突然上の方でドーンという巨大な破壊音がした。冒頭の、私がテレビで見たあの瞬間である。表にでると通りは大パニックだった。上からバラバラとガラスや何かの破片が降ってくる。人とぶつかり、転んで、膝から血を流しならがら、地下鉄とバスを乗り継ぎ、我が家までやっとの思いでたどり着く。事故のあった直後は、まだ交通機関は動いていた。アパートのテレビをつけると、さっきまで働いていた二つのビルは、跡形もなく消えていた....。

 一体何が生死を分けるのだろうか。
 「あの時、階段を選んだ人たちは、みんないなくなってしまった...」と彼女。
 あの時、なぜおじさんが手招きしたのか。あの時、なぜもう一つのエレベーターは待っていたのか。あの時、なぜ地下鉄は動いていたのか。あの時、なぜ彼女は荷物を持ったのか.。あの時、なぜ....。
 すべての偶然は、単なる偶然ではないのかもしれない。今こうして無事である彼女の存在が、何かをいい現わしているような気がするのはなぜだろう。

 今はその『偶然』に感謝するだけである。

2008年11月26日水曜日

ナイフがナイフを呼んでくる



NYの友達に、へんなやつがいた。仮にビルと呼ぼう。
ビルはユダヤ人のいいとこのボンボン。親の金で株をやり、ひと財産あてたこともある。でも失敗して今はすっからかん。女優や俳優の運転手をしながら、次の一手を考えている。ふがふがとうるさいブルドックを連れて、よく私たちのドッグランにやって来ていた。

そんな彼が911のあと、とつぜんこなくなった。
「ビルのやろう、怖くなって今ごろベッドの下にもぐりこんで震えてるぜ」口の悪い犬仲間が言う。

案の定そうだった。ビルは、あれから世の中のすべてが怖くなった。一歩もアパートから出られなくなり、近所に住むおかあちゃんに、毎日ピザを運ばせていることを、風の便りに聞く。


ふしぎなことに、彼はいつも犯罪に巻き込まれていた。
「夜中、地下鉄に乗っているだろ。そしたら、みんなオレのところにやって来て、ナイフを突きつけ『金を出せ』って脅すんだ」
「そんな夜中の誰も乗っていない電車になんか乗るからよ」と私。
「違うんだ。まわりに人がいっぱいいても、なぜかおれんところにやってくる」
さっと腰から大きなナイフをとりだす。
「だからオレはこれで身を守るのさ」

私はその時、ナイフがナイフを呼んでいるのではないか?とおもった。
「あんたがそんなもの持ってるから、引き寄せられるように来るんじゃないの?そんなもの、捨てなさい」
「いやだ。これは高いんだから。捨てられねえ」
「じゃあ、おれが預かってやる」うちのダンナが言った。

ダンナはしばらくビルのナイフを預かってた。
刃渡り25センチくらいのりっぱなナイフ。これをいつもあいつはぶら下げているのか。カッターナイフの部類じゃねえぞ。まったくの凶器じゃねえか。簡単に人も殺せるぜ。ビルのナイフを二人で眺めがなら、このニューヨークがどんなに切迫感にあふれているのか、ビルの心を通して知るのだった。

「やっぱり返してくれ」
しばらくたってビルは言った。怖くておちおち街を歩けないというのだ。ナイフを持っているから心が落ち着くのだ。ナイフは彼の心の安定剤になっていた。

私はニューヨークの街をナイフなしでも歩ける。でもビルは丸腰で歩けない。この違いは何だ。心の平安はナイフで本当に得られるのだろうか。
いつも「脅される」と思って、ヒヤヒヤしていると、その思いは、「脅してやろう」と思っている誰かに伝達しはしないだろうか。ちょうど、ラジオのチューナーがあうと、音が聞こえるように。
「あ、あいつ、脅してほしいと思っているな」と、すぐ見つかっちゃう。で、たくさん乗っている人々の中で、彼を見つけ出す。


話が飛んじゃうけど、アメリカ人は、よく人の目線に気がつく。おもろい人だなあ〜と何となくなく眺めていると、必ずこっちを見る。おちおちニンゲン観察できない。
ウチのアパートのエレベーターが混んでいて、18階のボタンが押したくても押せないでいたとき、誰かが18階を押した。降りたのは私だけだった。あの時「あっ。18階!」って思ったのだ。そしたら、ふいに誰かの手が18階を押してくれていた。


そんなふうに、人の心や思いは、伝達されていくんじゃないだろうか。
それが宇宙の法則だったら?
いいも悪いもおかまいなし。恐怖は恐怖を呼び、笑いは笑いを呼ぶ。類は友を呼ぶっていうのも、同じ思いをしたモノたちが集まることじゃない?それは、まるで磁石のように引き合う力なんだろうね。

だからビルもナイフでもって、ナイフを引き寄せる。でもただ持っているだけじゃ、引き寄せない。ここに、「襲われる」とか「戦う」とかの恐怖の感情がのっかって、電波を発信するんだ。
で、いちゃもんをつけたい悪ガキたちが、その電波をキャッチするという寸法。


ビルは、この世は悪に満たされていると思っている。オレを襲うやつばかりがいると思っている。だから、ナイフがない事には耐えられなかったのだ。

その後、911がやって来た。
あれからビルに公園で会うことは、一度もなかった。

絵:『幕末テロ事件史』扉イラスト

2008年11月24日月曜日

敵?味方?



今日電車に乗ったら、社内は混み合っていた。
一個だけ席が空いていたが、その上には白いカバンが二つのっかっている。私はそれをどけてもらおうと、
「ここ、開いてる?」
と、そのカバンの持ち主であろうお姉ちゃんに聞いた。

おねえちゃんは、大きなグラデーションのかかったサングラス越しにこっちをむいた。ガムを噛みながら、なにもせず私をしばらく見ている。サングラスで表情はわからないが、どうも私を睨みつけている模様。

私はじっと待った。すると彼女はこれでもかというぐらいゆっくりとした動きで、大きな白いカバンを取り上げた。そうしてそれをクレーンで運ぶかのように、真横に移動させ、自分の目の前で手をいきなりはなし、カバンを落とした。ガチャン!中に入っていたものが床に当たって音を立てた。

私は一瞬ヤバイと思った。
よく見ると、彼女の座り方はふんぞり返り、キラキラ光る黒いエネメルのハイヒールのブーツの片方を、前に思いっきり投げ出している。ほら、よくその筋のお方がお座りになられるような、威嚇座りをなさっていた。

私はもう一個のカバンが異動するのも待った。お姉ちゃんはあいかわらず私を睨みつけながら、もう一つのカバンを膝の上に置いた。上に羽織ったニットのコートのすそが、まだ座席に残っている。私はそれを彼女の方に寄せながら、「ありがと」と言って座った。

人は人のとなりにくると、その人の何気ない雰囲気やオーラのようなものを感じる。彼女の横に座った時、それはすぐにやって来た。まるで赤ちゃんのような雰囲気。
小さな甘えるようなカワイイ高い声で、となりの彼氏としゃべっている。彼氏もまた小さな声でしゃべる。その二人のソフトなトーンに何とも言えないスイートな感じがあった。
「あのねえ、あたしねむけがさめちゃった」
そりゃそーだろー。おばさんがあなたを働かせたもんねえ...。

それにしてもさっきの彼女のトーンとはまるで違うではないか。月とスッポン、悪魔と天使。これが同じニンゲンか?ほんの5秒前と全然違うではないか。今、彼氏と話す彼女は、ホントにいい子だった。

彼らの意識の中には、敵と味方がいるのではないだろうか。
味方は自分を守ってくれる彼氏。でも外のニンゲンや社会は、全部敵。時には身内も敵になるのだろう。そうやって結界やバリヤーをはって生きている。

日本に帰って来て、テレビで最近よく聞くセリフで気になるものが。
「信じているから」
「仲間だから」
「味方だから」
いつの間にこんな言葉がはびこったのだろう。私がいた96年まではそんなセリフはしょっちゅう聞かれるものではなかった。

ニューヨークにいた頃、じつはこの言葉をよく聞いた。
「I can believe you.(あんたを信じられる)」
なんでわざわざそんなことを言うのだ?と聞くと、だって、君ら二人は信じられるゆいいつの友達だといった。

前の日本では、人に対して「君を信じられるから」なんて言ったこともなければ、言われたこともない。だって、信じるもなにも、友達なら信用しててあたりまえだったのだもの。わざわざいうなんて、どっかおかしーんじゃねえの?という感覚だった。
だから「アメリカ人って、おっかしー」って、一笑に付していた。
ところが帰ってくると、面と向ってマジ顔でそんな言葉を言われる。私はきょとんとする。ニッポンがアメリカ化していた。

つまり、この世には信じられるものがない、という前提なのだ。信じられるものや人がいないから、信じられる人を求める。だから私たち二人は、信じられる貴重な存在だと。
そんなことを言われて「はいそうですか」と喜べる私ではない。褒められているとは思えない。なぜならその言葉を発する彼らの背後に、例えようのないさびしさを感じるからだ。

前に書いたアメリカの「平等」や「自由」もそうだ。そんなものはないに等しいから平等だ、自由だと叫ぶ。
だから「信じられる」や「仲間」や「味方」は、すでに見失っているからあえて叫ぶコトバなのだ。

ある島では、しあわせというコトバがないと言う。それは、すでにしあわせだからだ。それをあえて意識する必要もないのだ。


冒頭のかわいいおねえちゃんは、彼氏以外には、全身でトゲを出しているのだろう。だがその彼氏だって、いつか、信じられない敵になる日が来るかもしれない。それはたぶん、なんてことのない出来事で。その時彼女はいったいどうなるのだろう。自分以外は、全員敵になるのだ。



ガチャン!とカバンを落とした時、私の顔や態度が彼女を責めるようなモノに変わっていたら、彼女は敵をここにまた一人見つけ出しただろう。あるいは(たぶん無意識に)それを狙っていたのかもしれない。あれは彼女の自己表現だ。こんな悪いことをしている私を、おばさんはどうする?と挑発して来た。
しかし私は顔色一つ変えなかった。彼女への非難めいた気持ちは何もなかった。ただ待った。そして「ありがと」といった。

彼女にとって私は、敵でも味方でもなかった。そんな人もこの世にはいるのだ。世の中すべての人が敵じゃない。それを見た彼女はちゃんと応対をした。そしていつもの温かいふわふわした心で彼氏としゃべり始めたのだ。そんなシーンが彼女のまわりで少しずつ増えてくると、彼女の態度も変わってくのだろうな。
ケバい格好で態度はあばずれ風でも、心の中はいたって素直でいい子たち。ただただ、赤ちゃんのようにこの世を怖がっているだけなのだな。今日、そんなことを知って、やっぱりそうかーと、うれしかった。

電車を出る時、彼女が床に落としたカバンを持って歩く彼氏に、コロコロとくっついていく彼女がかわいかったなあ。



今は人の心が異常に過敏になっているのではないだろうか。傷つけられた、傷ついたといつも思っている。そこには、自分を絶対傷つけない味方が必要になってくる。仲間が必要になってくる。傷つけない相手は「信じられる」のだ。でもそんな条件付きの関係は、なんでもないことで破綻しないだろうか。

その「信じているから」の「から」に何か引っかかるものがあるのは私だけだろうか。
信じているなら、「信じている」だけでいいではないか。でも最近のことばには、よく「から」がついてくる。
そこには、ことばにしないもう一つのコトバが隠されている気がする。

「信じているから、(オレを裏切るなよ)」
「仲間だから、(みんなを裏切るなよ)」
「味方だから、(あたしを傷つけないでね)」

ほとんど脅迫だーっ!
言っている人が、言われている人にむかって、おまえ裏切るんじゃねえぞ、傷つけんじゃねえぞと、確認をとられているような、そして脅しをかけられているような、妙な圧力がある。

これこそ、条件付きの仲間であり、味方なのではないのか?それってホントの仲間?

この世は信じられるとか、信じられないとか、敵だとか、味方だとかという単純なものなんだろうか?
二元論的な物差しで計りきれるものなんだろうか。そこにどこかムリがあるから、しだいにひずんでくるんじゃないのだろうか....。それはまるでこの世の色を、黒か白で表せと言っているようなものかも。黒と白の間には、何千、何万、何億色というグレーゾーンが広がっているのに。

私はその巨大なグレーゾーンの中に秘密があるような気がする。

絵:ANA動物診断 「ひつじ」

2008年11月22日土曜日

懐メロと畑



今日は近所でイチョウ祭り。小仏関所ではたくさんの人が来ていた。
相変わらず、高尾は人気もの。

で、私は今日も畑の開墾中。
関所からの音楽がよく聞こえる。懐メロ、演歌、フォークソング、懐かしのヒットメロディーが次から次へ。「近所の人はこんな音楽一日聞かされるんだ。ひゃー。たいへーん」と、気の毒がる私。

最後の砦である篠竹と葛をばったばったとなぎ倒し格闘していると、知らないあいだに関所から流れてくる音楽を聴いている。そして知らない間に口ずさんでいるではないか!
いけない、いけない。私としたことが。

赤ん坊の時から、スピーカーの横に寝かされ、大音響でクラッシックを強制的に聞かされていた私のお耳なのだ。
思春期には、カーペンターズやビートルズを聴き、(ここら辺から狂ってくるが)、ストーンズに目移りし、ハードロックに移行、当然ヘビメタをむさぼり、いきなり飽きて、ヒュージョンへ。それがきっかけになって、ジャズに。そして京都でダンモのズージャ(モダンジャズ)の喫茶店に入り浸る。
そこからブラコン(ブラックコンテンポラリー)、R&Bへと、まったくの黒人音楽の世界に入ってからキャリアが長い。

そんなおしゃれでかっこいい横文字音楽の世界にいた、この私なのだ。そ、そんな懐メロなんて知っていてはイケナイのだ。

「お〜い、なっかむっらく〜ん。ちょいとま〜ちた〜ま〜え〜」って、なんでしっているのよ、あんた。
「み〜さき〜、め〜ぐりの〜、バスは〜は〜しる〜...」って、唄ってんじゃねえよ!

ああ、やっぱし私は日本人。日本人の血は音楽にまで浸透する。篠竹に絡み付いた葛のツルを引っぱりながら、フルコーラス唄ってスッキリする私。うれしくなって思わず笹を空中で振り回すありさま。

いっくらおしゃれに外身をよそおっても、結局ニッポン人なのだ。最後はここに帰ってくるのだ。ニッポンの音楽はニッポン人の生理にそって生まれでてくるのだ。知らん顔してても、カラダに入って、おぼえちゃっているのだ。


畑で笹を振り回し、演歌を口ずさむ私に、ニューヨーカーだった面影はない。

絵:ミステリマガジン掲載

2008年11月19日水曜日

ガマンってなに?



「夜中にお腹がすいたら、コンビニ行って何か買えばいいんだもん。我慢しろって言う方が説得力ないよなあ」
珈琲屋のマスターは言う。

ほんの30年前までは考えられなかったことだ。24時間お金さえあれば何でも買える。そのお金だって、100円持ってりゃ、小腹ぐらい満たしてくれる。そのくらいそこらの子供たちは持っている。

そんな子供たちに「ガマンしなさい」という方が説得力がない。
「なんでえ〜?」となる。
「夜中に食べたら、メタボになるわよ」
「お父さんなってんじゃん」
「お、お父さんはいいのよ..」
「なんで〜?」
「お、お父さんはお仕事で、しかたなくなるのよ」
「じゃあ、僕はお仕事じゃないからメタボにはならないよ」
「ちっ..違うのよ。そういう意味ではなくて....」
「いってきま〜す」

これが夜中にお店が開いてなかったら、我慢するしかない。モノも今ほどなかったら、もっと我慢することをしてたかもしれない。そうやって、現状が我慢の程度を作って来たのかもしれない。

アイヌの人が食べるウバユリは、根っこを臼でつき、発酵させ、乾燥させて3年間待ち、それを削って粉にし、水に何度もさらしてきれいにして、やっと食べられるのだと言う。アイヌの人たちだけではなく、私たち日本人もそうやってじっくり食物を作って来た。コンビニなんてないから、自分で調達しなければならない。知らないあいだに根気やガマンを知る。

だから、
「おっかあ、はらへった」
「あー。舌でも噛んでな」となる。

ニンゲンというものは、環境の生き物という。その時その時の環境や状況によって感じ方や、考え方が変わる。
昔は、なにもないがゆえに死が身近にあり、どうしようもない切迫感があった。説得力以前の問題だ。

今はこんなに品物が溢れていて、ガマンを勉強させるのはむずかしい。「未来は食糧難かもしれないのよ!ガマンしなさい!」と言われても、「それがなにか?」と想像もできない。

衣食住というニンゲンの原点がすべて満たされて、動物的緊迫感がなくなると、旗本退屈男になっちゃって、頭だけがぐるぐる回ることになるのかもしれない。まさにバーチャルに生きる人種。


昔読んだ本で、ニンゲンは洞窟で、一切の太陽光線を遮断して生活すると、勝手に1日は25時間サイクルでまわっているのだそう。地球の1日は24時間。この1時間の差はいったいなんだ?
私は勝手に、この1時間の時差によって、何かニンゲンにある種のストレスを生み出し、それが進化の道をたどったのではないか?と考えた。

江戸時代、飛脚は長距離を走らなければいけない前日は、何も食べなかったそうだ。ウシを引かせるのも、前日には何も食べさせなかったと言う。なぜか。
生き物は食べられないことによって一歩「死」に近づくと、俄然「生きよう」として、普段よりすごい力を発揮するという。昔の人は実体験によって、生き物の秘密を知っているのではないだろうか。

ニンゲンの25時間サイクルに、1時間のストレスを与えることによって、進化が成り立って来たとしたら...。

この衣食住満たされた現代の子どもたちは、いったいどこに向っていくのだろう。

絵:ANA「動物診断』子鹿

2008年11月18日火曜日

雑誌コスモポリタン



昨日、今は休刊となったコスモポリタンの編集部にいた人々にあった。懐かしい顔ぶれに「ああ、私の仕事の始まりはここからだったんだなあ...」とあらためて思う。

コスモポリタンは私のあこがれの雑誌だった。
創刊された頃は、私が美大生だったとおもう。京都の小さな本屋さんで見つけた真新しい雑誌。大胆な女性のボーズの表紙。お色気ではない、何かにいどむようなオーラが溢れていた。その頃の女性誌と言えば、女性の優しさや控えめでいて強いというのが主流だったような気がする。
その中で「これからの新しい女はこうよ!」と堂々といい放った、ふてぶてしいまでの女性誌。女性の方が本来は強いと思っていた私は、こりゃイケてるわ、と密かにほくそ笑んだものだった。

フリーになったあと、コスモに営業に行き仕事がはじまった。強い女、大胆なポーズ。コスモに負けないように制作する。本当のところ、私のイラストの根本的な発想は、編集部の人々のおかげで作られたんじゃないだろうか。

じつはニューヨークのアートディレクターに私の絵が受けた理由はここにあった。私はラブロマンスの表紙はいつも意図的に女性が男性に挑むような絵に仕掛けたからだ。

あれからしばらくたって、私は懐かしい人々に会う。コスモから始まってグル〜ッとながい旅をして、そしてまたコスモにやって来た。神保町の駅に降りた時「出発点にまた立ったなあ〜」としみじみ思った。

私は今まで過去を振り返らないで前ばかりを見て走って来た気がする。でも今の自分は過去あっての自分。今はその大事さを触覚でつかんでいる。


今、あのコスモはない。みんなそれぞれの道を歩んでいる。そして時代のトーンも変わった。
ぐるっと一周して同じところに戻ったように見えるが、それは一段階上の場所に来ている。縁は螺旋階段のように、上に上にあがっていくのだ。

これからの新しい時代の女性は、どんな姿をしているのだろうか。

絵:ラブロマンス表紙

2008年11月16日日曜日

畑開拓



最近、近所で荒れ地になっていた畑を友達と耕し始めた。
耕すというより、開拓に近い。5、6年も放置してあった畑は、まったくの自然に帰ろうとしていた。

篠竹が生え広がって、その上を葛のツルがおおう。まわりのケヤキや杉にも絡み付いて、畑と山の境界線がなくなっている。まるで一面うねうねとひろがった葛の葉のじゅうたん。一見そこがかつて畑だったなんて誰がわかろうか。かろうじて木が生い茂っていないことによって「ひょっとして前は畑...かな?」と勘ぐるぐらいだ。これじゃ誰も手をつけないはずだ。

さて「開拓」がはじまった。
固い竹を地面すれすれに切る。上におおいかぶさっていた葛の葉の5、6年分の枯れ草が頭の上に降ってくる。「ひえ〜」ほこりまみれになる。葛の重さで篠竹は弓のように曲がっている。
下を覗くと、篠竹の下には、別世界が広がっていた。暗い森の中にトンネルがあった。それはひたひたと続き、あちこちに枝分かれしている。その先には大きな穴。疲れた体をそこにうずめるにはちょうどいいお椀型をしている。そう、そこはけものの世界だった。
まるでトトロが住んでいそうなけもの道。そのトンネルは向こうの杉林に続いている。杉林の奥には大きなケヤキの樹がある。そこがトトロの住みかなのか?

友達の子供たちはわあわあいいながら、その中を駆け抜けていた。
私もやりたかった。ほんとは私が一番やりたかった。でも大人になってしまった私は、あとのめんどくさい作業を思い出してしまっていた。

近所に自然や動物をこよなく愛する友達がいる。私はイノシシやハクビシンたちの住みかを壊している。こんな現状を見たら、彼らはさぞかし嘆くだろうな。ひょっとしたら、恨まれちゃうかもしれない。ナイショにしておこう。
畑なんか作らなくても、私たちは食べていける現実がある。スーパーに行けばいくらでも買える。わざわざ彼らの住みかを侵してまでも畑は作ることはないかもしれない。けれども私は自然の中にニンゲンの領域を作ることとはどんなことなのか、自分の手で知りたい。自然から遠くはなれてしまった私の感覚は、昔の人の気持ちを知りたがっている。そんな気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったりする。

そうこう考えながら篠竹と格闘するうちに、ほとんど開拓し終えた。

すると杉林の近くに古い墓石を見つける。
それらは横に倒れ、うずもれ、忘れられていた。まわりをイバラが覆い、まるで人を一切寄せ付けないかのようだった。腕や足にイバラが刺さり、ひーひーと痛い思いをしながらとりのぞくと、墓石が現われた。
横に刻まれた文字には、「文政」「享和」そして「宝暦」とある。なんのことやら。調べてみると、200年から250年も前の墓だった。近所のお年寄りに聞いても誰も持ち主はわからない。きっと子孫の畑を見守るかのように当時は立っていたのだろう。

この畑はまわりの土と違って、がれきがなく、ほくほくとしている。この墓の子孫たちががれきをいちいちふるいにかけていたにちがいない。大事に作っていた様子が分かる。まだ始まったばかりの開拓だが、土にほんの少し触っただけで、昔の人々の気持ちが少しつたわってくる。

「まっすぐ立ててきれいにしよう。そうすりゃ、なんかいいことあるさ〜」この開拓のリーダーの棟梁は言う。ここだけの話、彼はくせ持ちでまわりは大変だが、私は彼のそんな信仰心が好きだ。

さて、どうなりますことやら。

絵:COOPけんぽ表紙「あかとんぼ」

2008年11月14日金曜日

肉体はコンピューター?



この肉体は、ホントはコンピューターなんじゃないか?と、おもう。

電源のいらないパソコン。机の上に鎮座していなくて、一人でぶらぶらほっつき歩けるパソコン。
電気の変わりに食べ物。足りなくなったら、勝手にバッテリーを補給している。
コードがない完全に独立したコンピューター。

まだ生まれたばかりの新しいパソコンは、何でもかんでも吸収する。
一番身近にいる親が、情報の吸収源。親のやることなすこと考えること、全部、真っ白なデータにインプットする。何を食べるか、どうやって寝るか、どうやって生活するか、いつも何をしゃべっているのか。人が、ニンゲンという種類で生きていくのに、ひととおりのルールを身につけるのは、たいてい親からだ。

オオカミ少女や少年は、その素材がニンゲンという種類であっても、オオカミに育てられると、オオカミのような動きをするし、オオカミの感性を手に入れる。これもインプット。カルガモの赤ちゃんが最初に見たものを追いかける。これもインプット。

だからその人が、あることに対する反応は、たいてい小さい時に親からもらったり、身近な人がやった反応をマネして身につけたもんじゃなかろうか。で、最初にインプットされちゃったもんだから、後生大事に保管して、ずっと使われ続けているんではないだろうか。
 
だから似たようなことが起こると、インプットされたデータによって、「これは以前、似たケースがあったから、これが有効だろう」と、前と同じように反応をする。

私の友達のお父上は、政治家が大嫌い。常に社会のここがいけない、あそこがいけないと憤慨している。今の教育はなっとらん、今の社会はなっとらんといつもいっている。
で、案の定、友達も憤慨する。小さい時から聞いて来た言葉だ。しっかりインプットされた。

私は、父や母から、社会がなっとらんとは聞いたことがない。だから社会に対する不満はあまり持っていないようだ。しかし、両親に「ちゃんとせんかあ〜ッ!」って、怒られてばかりいたから、逆に、私は「ちゃんとしていないんだ」とインプットしてしまった。

で、幼い頃にインプットした反応や感情はそうやすやすとは取れない。なぜなら、すべては無意識の中に奥深くはまり込んでしまってるのだろう。そのインプットを意識もしない。ところが、大きくなって小さい時に身につけた反応は、だんだん有効ではなくなってくる。

「おっかしいなあ、この感情は今まで使えたのになあ...」と、葛藤が起こる。

あたりまえだ。それはもう古いのだ。何しろ30年から40年も前に入れたデータだ。
ところが、もうすでに入ってしまっているジャンルに新しいデータを入れようとすると、
「ここはすでに満室です」と入れてくれない。

で、新しいファイルを作っていれても、
「社会=憤慨する」とインプットされたもののパソコンに、
「社会=憤慨しない」という相反するものを入れるとなると、コンピューターはどっちにいっていいのかわからず、こんがらがるのだ。
なので、とってもややこしいが、昔入れたデータを消去しなきゃいけない。
そうじゃないと、太いパイプでつながったなじみ深い反応に、勝手につながってしまうのだ。
私も「ちゃんとしていない」とインプットされた太いパイプでつながっている無数のデータを、少しづつ消去している最中だ。

でもそう考えると、じつは人の感情や反応は単純なところから来ているのかもしれない。
単に体の一番上の丸いボールの中にある、有機的なコンピューターが、ある法則にもとづいてすべてを動かしているだけだ...としたら?
そのマシーンの理屈がわかれば、個人で奥深く抱え込んだ感情も、外から見られるようになるかもしれない。

絵:けんぽ表紙「秋」

2008年11月9日日曜日

自己嫌悪発令中





最近,私はだんだん楽になって来たという話。

朝起きても,前は『早く起きなきゃ!」とあせっていた。でも最近は何にも考えない。ただ「あ、朝だ」と思うだけ。たったそれだけのことなのに、この楽な気持ちは何なのか?

人はそれぞれ、心の中にある種のクセを持っている気がする。
そのクセは、気がつかないくらい本人に浸透していて、人の人生にチャチャを入れてくる。

実を言うと、私は自己嫌悪のかたまりである。自己嫌悪が服きて歩いているみたいに、四六時中自己嫌悪している(笑)。

たとえば、近所の人たちと楽しい会話をしたあと、ルンルンとうちに帰る途中、そのルンルン気分はだんだん、不安な気持ちに変わっていく。
「あんとき、私ああいっちゃったけど、彼女は傷ついていないだろうか?」
「あのとき私はあんなことしたけど、はたしてあれでよかったんだろうか?」
「あんなにニコニコして話してくれたけど、ほんとは頭にきていたんじゃないだろうか?」
と、あとで何でもかんでも「反省」してしまうのだ。

で、反省しているつもりが、どこかで
「反省しているんだから、私は大ジョーブ」みたいな、まるで責任を果たしたかのような気分になって、逆に安心するのだ。(なんじゃそりゃ)

ホントに反省する気があるんなら、次はもっと慎重に会話をするべきなのに、やっぱり同じ調子でしゃべりまくり、帰り道、また「反省」をする。懲りない私。

朝起きた時、「ああ早く起きられなかった。私ってバカ」と自己嫌悪。部屋の掃除が出来ていないと言っては自己嫌悪。仕事をすれば自己嫌悪。買い物すれば自己嫌悪。ブログを書いちゃ、自己嫌悪。
どうも、自己嫌悪は私の趣味らしい。
いちいち自分をいじめちゃうのだ。
これは子供の頃、さんざんいじめられたからか?

たぶん、自分に自己嫌悪することと、ちゃんとしなきゃ病は同じところから発生している。「ちゃんと出来ないから、自己嫌悪」するのだ。ところがはたから見てたら、ちゃんとしてたりする。でも自分の中では納得できない。もっと他の、どんなにかすんばらしいやり方で私は出来るのだ!とか思っているのかもしれない。これは、ある種の勝手な架空の美意識によって、それと違う自分が許せないのだ。だから自信がない。もっと自分に自信を持たなきゃ、と思う先から自己嫌悪。
これじゃいつまでたっても自己嫌悪から卒業することは出来ない。

そう、これが私のクセ。
なんかする→自己嫌悪→また同じことをする→自己嫌悪→また同じことをする....。

自己嫌悪はわたしの中毒なんじゃないだろうか?これをするとどっかで安心する。いじめられることによって、「ああ、私のようなけがれたものは、いじめられてちょうどいいのだ....」
これってマゾじゃあねえかあよお。

人のクセは自己嫌悪だけじゃない。

ある人は、これが私とは正反対の、世の中が私に何かひどい仕打ちをする。と思い込んでいる。私は何もしていないのに、唐突に何か問題が起こる。私はいつもそれに翻弄されるのだ。私は、繊細なのだ。こんな繊細な人間になんてことするんだ。と、考える。だから外に向っていつも戦々恐々としている。
その人は、外に向って許せない。私は自分に向って許せない。(これって、元を正せば、同じことなのかもしれないね)

人の心の中って、形に現われてこないから見えないけれども、ある種の同じパターンや法則でもって、同じ感情を動かしているだけなのかもしれない。

そこで私は考えた。「これ、止めてみよう」

それから私は、何かの拍子に自己嫌悪菌が活動を始めると、
「こらっ!」と、ハエたたきでペシッとやる。
クライアントとの電話でちょっと問題が起こる。あとであーだこーだとまた自己嫌悪警報が発令する。そこですかさず、ハエたたきでペシッ!
朝起きて『ああ、また遅くなっちゃっ.....」ペシっ!!

思いクセって、いったん考えはじめると、ブンブンとフル回転をしはじめる。で、止まらなくなって宇宙の果てまでいってQ〜になっちゃうのだ。
その時、先生が生徒をさとすように「こうだから、止めなさい」と、フル回転しようとする頭に理屈で講釈しても、「でも..」とか「だって..」とか言いはじめて、また、宇宙の果てまでいってQ〜、になっちゃう。
だから、ペシっ!が一番。
理屈なし!

こうやって、出てくる自己嫌悪菌をモグラたたきのように、ぼこぼこ消していった。
すると、だんだんあんまり考えなくなって来た。

前はうだうだ、ぐるぐる考えていたものが、どっかでいなくなっている。手作業の仕事をしていても、前のように、ネガティブな考えが起こらなくなってる。すると以前はいやいややっていた作業が、淡々とこなせるようになっている。
どうも、いちいちの行動にいろんな感情がくっついていたらしい。それだからなんでもかんでもいやになっていたのだ。でも自己嫌悪菌を取り除いている間に、ネガティブな感情も消えていくのだから、こりゃ、一石二鳥だわい。

きっと、これが『内的な作業』っていうやつなんだろうな。よくこむずかしい宗教哲学やなんかで言われることなんだけど、地味〜な作業かと思いきや、いやいや、これが案外、自分発見でおもしろかったりするのだ。
しかも自分の中に変化が起こる。おもしろいぞ〜。

自己嫌悪するそのこあなた、社会がお嫌いなそこのあなた、いっぺんやってみそ。

絵:レタスクラブ「お金の本」扉イラスト

2008年11月6日木曜日

越えられない問題はやって来ない




「越えられない問題はやって来ない」
ニューヨークに今も住む友達はこう言った。経験豊富な彼女ならではの言葉。説得力があった。

この言葉は、私を含めてNYに住んでいた友達が、呪文のように心でとなえていた言葉だった。

とにかく、ニューヨークは問題の多い街だった。とつぜん電光石火のように事件が起こる。
ある日こんな手紙を受け取る。
「高速道路の料金所で、あなたは、時速180キロでぶっ飛ばして逃げました。ついては罰金1000ドルと、◯月◯日に出頭してください」

は?なんで運転免許取りたてほやほやの私が、料金所で、しかもいつも混み合っているニュージャージーの料金所で、180キロでぶっ飛ばして料金を踏み倒すことが出来る?よーくかんがえてごらんなさい、あなた。それって、まわりの車を全部飛び越えるような神業でも使わないかぎりムリ。

ちょっと考えれば、無茶なことぐらいわかるはずのことが、この国ではわからないらしい。
でもあの融通の利かない、一方方向しか知らない国に、母国語でもない英語で、言いたい事を伝えることの大変さはとても口では言い表せない。まるでおんぼろの船の上に、荒波にゆられながら生活しているような感じ。

大家にお金をチョロまかされる。電話料金が尋常じゃないものが送られてくる。クレジットカードの請求書には買ったこともないものがいっぱい入ってくる。突然、夜中にピストルを持った男が家の中に人が押し入ってくる.....。
数え上げればきりがない。

そんなシッチャカメッチャカなニューヨーク生活は、あの言葉なしでは生きていけない。

「越えられない問題はやって来ない」

そう。ありとあらゆる唐突に降りかかってくる問題は、その人が越えられるよ、と思われるから、やってくるのだという思想。そう思わないとやってられない、というか、それなしでは精神がヤラレル!

だからあの手紙がやって来た時、
「こっ.....、こえられない、もんだいは、やって...こない....!」

私は免許取り立てのこと、いつもあの料金所が混み合っていること、どう考えても、180キロという時速は出せないことをつらつらと書いて、送り返した。

後日、「検査の結果、あれはまちがいでした。あなたの罰金と失点は取り消されました」という手紙を受け取る。やはり、越えられない問題はやって来なかった。(ちなみに、アイムソーリーとは絶対いわない)
あとで、その料金所は、最近新しいカメラを取り付けて、それがウマく作動せず、私みたいな手紙を、そこらへんのみんなが受け取っていたことを知る。

そんなの、そっちでおかしいって、気がつけよ!って?
気がつかないんだな、これが。


この言葉は、今も日本に住む私の中で生きている。
日本はアメリカみたいに、ドッカーンと外から問題はあまり降りかかっては来ない。でも、じんわ〜りとやってくる。(お国柄なのか?)

そんな時、いつもこの言葉で励まされる。

「越えられない問題はやって来ない。これは、今私の人生にとって、必要な問題なのだ。必ず越えられるはずだ」と。

絵:『GRACE』カットイラスト

2008年11月3日月曜日

2つの脳みそ



私はニンゲンには、二つの脳があると思っている。

それは右脳と左脳?
いやいや、それは頭の中に入ったしわくちゃの脳みそと、
胸の中心の奥にある脳みそ。

いや、脳みそっていっちゃうからこんがらがる。
アイディアというべきか。

あるアイディアが浮かぶとする。
すると私はそのアイディアが、頭の中から来るのか、胸の奥から来るのかをチェックする。

この二つの場所はまるで種類が違う。

頭の中から来る物は、「常識」や「法律」や「こうしなければならない」という思いを通してやってくるものが多い。例の私の「ちゃんとしなきゃ病」もここからくる。
人様にご迷惑をおかけしないように、とか、大人でしょ、あんた!とか、どっちかっちゅうと、自分を押し殺しちゃうようなアイディアが満載。

ところが、胸の奥からやってくるのは、常識を飛び越えている。突然思いついちゃうと、
「ええ〜っ!」とか「何でえ〜〜〜〜〜っ!」とか、心がウチ震えちゃうくらいおっかないアイディアだったりする。でもその後ろで、すごく小さな声で「ウフ.....ワクワクする...」という自分自身の声が聞こえる。

そう。胸の奥からやって来るアイディアは、地球上の(いや、ニッポン人としての?)常識を超えているのだ。だからおっかないのだ。「そ、そんなのあってはイケナイ事なのだ」とか「いやいや、わしの人生で、こんなことを考える事自体、あり得ないのだ」とか、心はおろおろしちゃう。
そりゃ、そうだ。それは地球圏外から来るアイディアだからだ(?)。


私がニューヨークに行った理由もそこからくる。

阿佐ヶ谷のアパートで、毎日近所の犬の鳴き声を聞かされていた。その犬が散歩に連れて行かれるところを見たことがない。犬好きの私としては、とてもいたたまれないものがあった。
そして「犬に未来のない国に、はたして明るい未来などあるのだろうか?」などど思ってしまった。
すると突然、誰かが
「ニューヨークに行け....」といったのだ。

その言葉は、私の中から聞こえた。
すでに行った事のあるニューヨーク。現実を見て「こんなとこ、住めねえ..」と、悪態をついていたくらい、住みたくもない魅力のない街だった。
「ええ〜〜〜〜〜〜っ!あんなきったない町?誰がいくのよ〜〜〜」と、かなり動揺をした。それから一週間、私の様子がおかしいのに気づくダンナ。「おまえ、なんかおかしいぞ」
ことの次第を伝えると、それまでジーッと黙ってたダンナが、口を開いた。
「よし、行こう」


これはまさに、胸の奥から来たアイディアだったのだ。
おかげさまで「この国に未来はある!」ということを、7年半のNY生活を通して、痛感させてくれた。

あの時、あの声に「ジョーダンじゃないわよ〜」って笑い飛ばしていたら、今の私はいなかった。いつまでも日本に愚痴をこぼして、それを理由にうだうだしていたかもしれない。



昨夜、ある友人から、
「こんなことを思ってしまったんです...」と電話があった。彼も常識とそのアイディアのはざまで心が揺れている。私は、冒頭の二つの脳の話をする。

「そのアイディアがどっちからきているのか、自分で静かに聞いてみたら?」
すると彼は迷いもなく、
「はい。これは、胸の奥からのものです」と、いった。

彼の人生が、また新たに始まりそうだ。



ニンゲンは地球とつながっていると同時に、宇宙ともつながっている。地球上の今の常識は、ちょっと前は常識ではなかったかもしれない。そして未来も。
心の奥の脳は、何か偉大なものを見つめているのかもしれない。

絵:ANA「動物診断」さびしがりやのオオカミ

2008年11月1日土曜日

UFOさわぎ




先日、一部のマニアックな人々が、ちょっとばかりコーフンした。

10月14日から3日間、世界の空を巨大な宇宙船が空をおおいつくすというもの。
世界中のネットやブログで大騒ぎした。
「ついに来ます!ついにやって来ます!カメラもって外に出てください」
日頃からヒマな時がありゃ、空をぼーっとみてる妄想族の私。こんなオイシイ話に飛びつかないわけがない。その日を指折り数えて持っていた。「も〜い〜くつ、ね〜る〜と、う〜ちゅう〜せ〜ん〜」と。

で、その日がやってきた。
何にも来ない。
「おかしいなあ、今日じゃなかったのか?」
二日目。
雲に覆われて何も見えない。
「まさか雲の上に出ちゃっているのか?」
ネットで調べる。
誰も見ていない。
三日目。晴れた。
やっぱり空はいつもの空。
「お〜い、宇宙船、どこにいる〜?」
呼べど叫べど返答はない。


「UFOが来ます」と言っていたブログがあった。
そこでのコメントは、
「いつも楽しみに見ています」「あなたのブログは愛に溢れています」「心がすくわれます」「ああ、その日が来るのをワクワクしています!」と書いていた人ばっかりだったのに、その日のあとは「死ね!」とか「ニンゲンやめろ」とか「信じていたのに、もう誰も信じられません」に変わってしまっていた。
おかげで、そのブログは「お休みします」となってしまった。


それを見て「あ、こりゃ、一敗やられたわい」と気づいた。

これは何かに依存したい集団的な無意識の心が、そんな『予言』を生み出したんじゃないだろうか。
10月14日にそれを見ることによって、意識の変革が起こるとか、これまでの社会的なシステムが変容するきっかけとなるのだ、とかなんとか言われていた。こりゃ、霊感商法とほとんど変わらないんじゃない?壷を買うお金はいらないないけど。

人はどこかで自分を変えてくれるのは外の何かであってほしいと思っている(私も)。
だからヨーグルトキノコがはやると飛びつくし、納豆がいいと聞くと、スーパーの納豆がいきなり品切れになる。ところがそれもブームが去るとどこ吹く風。今ではスーパーの納豆はいつでも買える。そうやってブームはいつでもはやってはすたり、はやってはすたりをくり返す。
つまりこの世には、これさえ食べれば、これさえ使っていれば、健康で心が安定する絶対的なものなど存在しないのだ。

つまるところ、自分は自分でしか変えられないのだ。他力的に、人が変わったり、社会が変わったりすることはないのだ。
それを痛感したのが今回のUFOさわぎだった。
みんなが瞬間的に同時に意識が変わったり、元気になったりすることはない。すべては個人個人にゆだねられる。


私の知り合いでUFOを目の当たりに見た人たちがいる。不思議なことに、彼女とその友人にしか見えなかったという。まわりにいる人々にはまったく見えなかった。空をおおうほどの巨大な宇宙船が出現したというのに。

そうやって本物の宇宙船はやってくるのかもしれない。一人一人に、その人がいちばん大事な時にメッセージとして目の前に現れる。それは「ジャジャジャジャーン!」と、ハリウッド映画のように劇的に表われるのではなく、音もなくその人の前にふっと、静かに出現するのだ。

ミーハーな私としては、ドッカーンと現われてほしい。
指差して「でっ...でたーっ」っておおさわぎしたい!
でもそんなUFOの出現は、日頃の鬱憤をはらしてくれる一時的な遊びみたいなアイテムにしか過ぎない。

そのブログで反転した人たちも、私も、自分を変えるのは、心の中の、静かで、地道な努力でしかないのだ。

ちぇっ。

絵:ECC英語教材絵本『ゾウの目方』より