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2011年6月23日木曜日

こわくね?




ニュースは言う。
「今日はたいへん暑い一日でした」
「電気使用量が軒並み85%を超えました。このままいくと、夏本番には明らかに供給量が足りなくなってきます」
「そんな中、セーフは原発の安全基準を強化しました」
「今日は熱中症にかかる人が続出しました」
「ボランティアの方々が、一人暮らしのお年寄りのところを訪問します」
お年寄りは言う。
「ええ、できるだけクーラーは使わないようにしています」
ボランティアさんは言う。
「でも熱中症にかかるといけないので、ときどきクーラーはつけて下さいね」
「さて、副島第一原発のおはなしです。高濃度の汚染水が漏れていました。非常に危険です」

ニュースなんてただの情報だが、よく聞いていると、ニュースに誘導されているのがわかる。
今日は暑い一日だった。
このまま行くと、電気料が足りなくなると脅す。今、日本中の54基の原発のうち、35基ほどが止まっている。今は原発なんていらないという人々がいるはずだ。それに向かってなにげに訴えている。このまま夏に向かって原発を動かさないとどうなるか分ってますか?と。それからすかさず、セーフは安全基準を強化したという。すると
「ああ、原発も基準を高くすると安心だあなあ」
という気分にさせる。
そうすると、タタミカケルように、熱中症でお年寄りが亡くなった話をする。
「ああ、やっぱり電気は必要だあなあ」
と、さらに確信に向かわせる。
と、ここでいきなり原発の今現実に起っているあぶない状況を報道する。
人は「ええ〜っ、やっぱりあぶないじゃん!」とびっくりする。

ニュースは何をやっているか。混乱させているのだ。原発は安心ですよ〜ともっていきつつ、最後に落とす。一見、どちらの意見も報道して公平なように見せている。ここがくせものだ。人はどっちの意見も言われると混乱し、迷い、結局自分で判断することを放棄してしまう。混乱した頭に「こっちですよ〜」といわれると、そっちにおもわずふらふらとついていくものだ。

電気を使うなと言ったり、熱中症になるから使えと言ったり。そうやってどっちにしていいかわからないようにさせて、誘導する。心理作戦の成功パターンだ。

テレビを見ているとほとんどそういうパターンになっている。今まで気にもしなかったことを問題視させ、動揺させ、そのための解決方法を教える。はじめから答えありきだ。それは健康番組も、化粧品やヘアケアのコマーシャルも。
玉虫色の、コロコロ変わる価値観で混乱させられ、自分の中で矛盾するものを抱え、イライラし、ダンナと奥さんが意見の相違でケンカする。
私たちの価値観は、実は外から知らず知らず作られている可能性がないかい?


絵:似顔絵「秋山仁」

2011年6月22日水曜日

よし、蛍になろう





夜寝る前に、部屋の明かりを消して窓を開ける。
暗闇の中に小さな光がふ〜わふわと移動する。今年も蛍がやって来た。このところの暑さで急に出てきたのであろうか。いつもの蛍スポットにいくと、去年より多い。きれいな光が川の上や木の下でゆらゆらゆれている。音もなく飛ぶ姿はなんと優雅なんだろう。彼らは今、生を謳歌しているのだな。

そりゃ、パートナーを見つけるために必死で光っているともいえる。しかし、空を羽ばたきもせずとぶタカや、へたくそなのにいつまでも歌ううぐいすなど、彼らの姿を見ていても、単にパートナーを求める理由だけでやっているとは、やまんばはおもえないのだな。ただ飛ぶ、鳴く、光る喜びを楽しんでいるようにみえる。

ほんとは理由なんか、ニンゲンが勝手にこじつけたものなのかもしれない。どうして?なぜ?と聞くからしょーがなく。ひょっとしたら、歌っているとパートナーがやって来たり、光っているとパートナーがやって来たりしているだけなのかもしれない。どっちが先かわからんではないか。

結局彼らにとって一番の理由は、楽しいからなのかもしれない。明日のことを煩うこともなく、過去に引っ張られることもなく、ただ今を謳歌しているだけなのだ。
鳴きたいから鳴く。光りたいから光る。飛びたいから飛び、水に飛び込みたいから飛び込む。ついでにニンゲンもそうなっちゃえばいいんだ。泣きたいから泣き、怒りたいから怒る。叫びたいから叫び、走りたいから走る。飛びたかったら飛び。。。こりゃムリか。

前後左右まわりのこと、近所の手前、将来のため、昇格のため、家のため、死にたくないため、いろんなことが心配で、ガマンして生きているのだ。ガマンするのが大人の姿だと思ってる。
なんだかね。
そんなのがほとほといやんなっちゃったのだ。


と、ここまで書いたところで、
ウチの家の前を幼稚園児が集団で通り過ぎる。
「かえるのうたが〜きこえてくるよ〜」とみんなで大合唱。
すると、突然男の雄叫びが。
「うっせえんだよーっ!」
「なんか言ってみろーっ!5、4、3、2、1ー!」

近所の自閉症の僕だ。保母さんは後ろを振り返り振り返り、園児を連れて行く。保母さんとしちゃ、心配だろうな。なにされるかわからん。
けどその僕の気持ちも分る。私も言いたい。だけど言ったら、保母さんも子供もおびえることになる。どっちの気持ちも分るからどっちもやれないわけだ。するとやりたいのにやれないというジレンマが起る。それがガマンになる。

どっちにもつかないことだろうな。この人間界の価値観の中に、どっぷり浸からないことなんだろう。その価値観を外から見るようになれたらいいな。だって蛍もタカも人間界の価値観にいない。「心配」なんて言葉もないかもしれない。だからただ今生きる。
よし、やまんばも蛍になろう。


絵:似顔絵「森毅」

2011年3月28日月曜日

すいません。。。



こっちが正しい、あっちが正しい。あんな奴はくそだ。信じるな。

今、ネット上では炎上している。人の意識が完全に核分裂を起こしている。どこまで暴走するのか。

ついこのあいだまで、陰謀論で共通の誰かさんを敵にして共感しあっていた人々は、原発の今の状況について意見が割れ、いつのまにか互いの意見のちがいで戦いあっている。今は自分に同意してくれる人以外は、みんな敵になった。


誰か特定の人々が悪いんではなく、こうやって互いを非難し、自分を正当化する意識が、この世に大きな矛盾を作り出したのではないんだろうか。
かくいう私もそうだ。誰かを怒ってなじって自分を正当化する。私の中に、この世の悪の枢軸が潜んでいる。こんな悲惨な状態に日本がなったのも、じつは私の中にある2元論が作り出したのだ。あいつが悪い、私は悪くない、あいつは間違っている、私は正しい、こっちの方が得だ、あっちは損だ。自己嫌悪が大好きな私は、自分の非難に明け暮れる。そのうち苦しくなって自分を正当化する。心の中は常に非難と正当化で渦巻いている。

この世は鏡だ。自分の中にあるものが外に現れている。悲惨な心になると、悲惨なものが現れる。怒りが爆発すると、まわりも怒っている。この今の状況もネットで炎上している状況も、みんな私が望んだものなのだ。退屈でしょうがないから、何かが起ってくれる事を願ってしまっていたのだ。生きている実感をほしがったからなのだ。私もこの悲惨な状況の援護者なのだ。


絵:「モンスター列伝」出光佐三/出光興産創業者

2011年3月26日土曜日

風が吹くとき





風が吹くとき。
風が吹くとき、桶屋が儲かる(ちがうだろ)。

あったなあ。チェルノブイリ事故の後でた絵本「風が吹くとき」。まさにそんな感じを彷彿とさせる今日この頃、皆様方はいかがおすごしでしょーか。つい最近まで風が吹くと、
「かっ、花粉が飛ぶううう〜〜〜〜〜」と身を固くしておりましたが、先頃は
「ほっ、放射能物質が飛ぶううう〜〜〜〜〜」と戸締まりを固くする気分でしょうか。

また毎日この上なく風がふきまくっております。この風を受けて、西に逃げるもの、海を越えるもの。
畑の真ん中で風を受けながら、白菜やアブラナ科の植物から育ったナバナを摘んでいる。心なしか、素手でつむ指先がひりひりする。すべての植物にやや緑がかった黄色いこまかい粉がびっしりはりついている。気象庁に、「こっ、これは放射性物質ではないのか!?」という問い合わせが殺到。「いえいえ、これはスギ花粉です」と報道。するとネットでは「ああ、ついに気象庁までもが大嘘をついた。あれは放射性物質だ!」とおおさわぎ。
ド素人の私が判断するに、あの粉は毎年飛ぶスギ花粉にしか見えない。しかしその中に放射性物質が紛れ込んでいるやも知れぬ。たまたま同じ色と形をした物質かもしれぬ。どう解釈するも、その人次第である。

これだけ情報が氾濫すると、原発の安全性の情報は見事なぐらいピンからキリまである。いったいどれが本物なのか、真実を語っているのかさっぱりわからない。死ぬ気で原発まで8キロの地点までガイガーカウンターをもっていった方がいらっしゃる。その方いわく、全く安全だったそうだ。「私は原発の見える所に家を買って、福島の野菜、肉、魚を食う!」と豪語なさった。そこに続く人もあれば、とんでもない所にきている!という方もおられる。

これをどう解釈するかは、その人がどう解釈したいかにかかっている。つまり逃げたいなあ〜と思っている人には「やばいぜ!今すぐ逃げろ!」という情報をほしがるし、まだここにいたい。。。とか、移動できない。。。と思う人には、「全然ダイジョーブです」という情報が欲しい。だからそれを納得できるまでネットを見る。テレビを見る。そうしてだんだん分らなくなってくる(笑)。
結局、どっちなの。。。?

やまんばは畑の中で風を感じる。
西から吹くかと思えば、北から吹く。びゅお〜びゅお〜と四方八方から吹き荒れる。この中に放射性物質はあるんだろうな。まるで日本中を駆け巡ってすべてを覆い尽くさんばかりに吹き荒れる風。ふと高知が恋しくなる。ああ、高知までは飛んでないかな。。。
でもどうしても帰る気になれない。どこまで逃げてもやがてやってくるかもしれない。今はそんなふうに逃げる自分がイヤだ。今この瞬間にも原発で死を覚悟してがんばっているフクシマ50の人々がいるのだ。すでにおなくなりになった人もいると聞く。そしてその近場で、身内をなくされ、家もなくし、食べ物もなく身を振るわせている人々もいる。なんでこんな遠くにいる私が逃げられようか。とんでもない文明の負の遺産をこれ以上の被害がでないようにがんばっている人々に申し訳ない。

いつも来る宅急便のおじさんがいう。
「たいへんだよね。だけど、被災地の人々の事考えたら、こっちじゃどうってことないよ。ちょっとぐらいがまんしなきゃね」
うんうん。おじさん、どうってことないよね。

先日チェルノブイリの森の話をかいた。
あそこに今でも住んでいる人々がいる。放射能をあびて、放射能入りの野菜を自給自足して、そしてがんにもかからず元気に生きているそうだ。広島で原爆症にかからなかった人々がいる。日本の伝統食を食べていたそうだ。みそ、梅干し、玄米など、塩をよくとったそうだ。そして爆心地に近い所で被爆しなかった人もいるらしい。なんと酒蔵の中にいた。

何か自然は私らの左の脳ではお呼びもつかない芸当を見せてくれるようだ。いや、私たちがあまりにも短絡的で目先の事しか見えず、もらった「知識」だけを鵜呑みにして生きているから、このような事態に陥ってしまったのかもしれぬ。セシウムとかウランとかプルトニウムとか、こむずかしー名前はついていても、所詮この地球上でとれたもので作り上げたものなのだ。この地球がさくさくと解決していくのだろう。ただその時間がニンゲンの考える範囲かどうかはしらないが。

今は、人が、ほんとうに人であれるかどうかを問われている時期なんじゃないかなあ〜とおもうのだ。昔、戦争が起った頃は情報が一辺倒だった。しかし今は完全に逆になっている。ありとあらゆる情報に溢れている。だからこそ、その心持ちが、今問われている。

ニンゲンはそんなにやわな生き物ではない。


絵:「モンスター列伝」坪内寿夫/元来島グループ社長

2011年3月24日木曜日

敵は自然じゃダメですか?




人は敵を作るのが好きだ。
ネット上では今回の地震は人工地震で、あいつがやったんだ!と、言って盛り上がっている。ほんとかどーかはしらない。もしそうでも、そうでなくっても、やったのはあいつだー!と言っている方が、なんか盛り上がる。敵がいるとなんだか自分を意識する。自分とあいつ、敵と味方。

でもさ、もしこれが、ほんとの自然現象だったら、敵は作れない。
「そっかあ。。。自然がやったのね。。」となってしまって、
「敵は自然だーーー、うてえええーーー!」とはならない。

なんでかしらんが、自然相手だと、盛り上がらないのだ。漠然としてしまって目標が持てない。キホン自然は何考えてるか分らないから、この先どんなことが起るかもわからない。今までの比じゃないのがやってくるかもしれないし。。。
そう思うと、なんだか雲をつかむような感じで心もとない。んで「人はなんかしたくなる理論」(いつできたんや、そんな理論)で行くと、
「こっ。。これは人工地震だあ~!」
と、いっておいたほうが、精神安定上いい。人工地震を作ったのはニンゲン(ウチュー人かもしれない)なのだから、そいつをぶっつぶせばいいのだ。ネットという架空の世界の中で敵を作って、誹謗中傷という竹槍でもって、空に向かって突っつけばいいのだ。それで心はなんとか収まる。

しかしそれをいつまでもやっていた所で、そのうち疲れてくる。だって敵をぶっつぶす具体的なものは何もないんだもん。イケー、ヤレーって言ってても、日々地面はぐらぐらしているし、被災地は現実を突きつけられている。

勝手な妄想だが、やまんばは、このままこの地面がぐらぐらをやめるようには思えない。今までは大きな地震が来て、その余震が何日か続いた後、収縮していくというのが常識だった。だが、それはニンゲンの勝手な「常識」なのかもしれない。自然には常識もパターンもありはしない。好きなように突き進むのだ。

太平洋の向こうっかわのボリビアやコロンビアが、最近地割れを起こし始めている。世界中で、どっこんどっこんと大きな穴が突然あく。ド素人が考えるに、これは今回の日本の地震となんかカンケーがあるんではないのか。巨大な太平洋プレートがグググ~っと左に向かって突き進んで、日本にぶちあたり、地面の下にめり込んでいっている。今まではゆっくり動くプレートは、今回は活動を早めた。今までじっくり日本の下に入り込んでいたプレート。そのストレスで何十年に一回どかんと来るのが今までの地震。
しかしそれがスピードを速めたら、しょっちゅうストレスで地面がぴょんぴょん跳ねまくる事に成りはしないか。それが今回の、今日も続く地震の姿だとしたら。

原発が必要とか必要でないとか言ってる場合ではないのかもしれない。毎日ぐらぐら常に揺れまくる地面の上に、あんなに危なっかしいものを日本国中に乗っけておいて、動かしつづけてていーのか?

敵は自然じゃなくて、ニンゲンの心の中にある。
いつまでもあいつが悪いって、外に向かって叫んでいる場合じゃないのだ。そのあいつとは、本当は自分の中にいるあいつじゃないのか。

自分の中に敵を作って暴れてけんかして心の中を揺り動かしている限り、地球さんはぐらぐらをやめないのかもしれない。


絵:「モンスター列伝」だれだっけ?

2011年3月20日日曜日

人はなんかしたくなる




ついこの前まで普通だったものが、普通じゃなくなったような感がある。スーパーは長蛇の列。お米、トイレットペーパー、などが跡形もなく消えている。保存食になるお米がなくなるのはわかるにしても、なんで菓子パンまでがなくなるのだ?おまけに牛乳も。保存できないっちゅうんじゃ。

朝から晩まで震災の情報が流れ、原発の危険性も流れる。ネットではテレビのいうことはウソだといい、早く西に逃げろとかり立てる。
こんな状況の中、スーパーに行けば、お米も菓子パンもなくなっている。人の心理として、いつもあるものがなくなれば欲しくなるものである。商品が届くたびに、あっという間に売り切れるらしい。気持ちは分る。なんかせずにはいられないのだ。

行列のできる店なんかもそうだ。行列ができると「なんか得するんじゃないか?」という心理が走る。で、先頭が何に繋がっているのかも分らず並んじゃう。新宿のなんとかのドーナツ屋さんが出来た時も長蛇の列だった。それを横目に歩いていると、おばあさんがわけもなく最後部に並んだ。おばあさんがドーナツ買うんかいな?と思って通り過ぎる。用事を済ませてまたもとの道に戻ってくると、あのおばあさんがちょうど「ああ、これドーナツの行列なのね」と、独り言をいいながら、列からでた瞬間も見た。人はどうもみんながやっている事を自分もやりたいと思うようなのだ。なんて名前だったか忘れたが、それは立川にも出来た。出来た当初は2時間待ちの札が立っていたので味見できなかった。あれからしばらくたって例のドーナツ屋さんに寄った。だーれもいなかった(笑)。初めて味見したが、2時間並ぶほどの味じゃなかった。

この災害に対して人はいろんな行動をする。なんかしたくなる。いてもたってもいられなくなる。

このところ毎日NYのアートディレクターからメールが来る。
「大丈夫?ああ、あなたの事が心配よ。なんかないものない?何でも言ってちょうだい。なんでも送るわよ」
「え?何でもくれるの?じゃあ、仕事チョーだい!」と言ってみた。
「つくし、今は写真の仕事ばかりだから、あなたが望むような仕事はないわ。」
なら言うなよ。

全世界が日本のニュースに釘づけのようだ。みんな固唾をのんで日本の成り行きを見守っている。おバカなニュースキャスターが「今、日本に世界中が注目してくれているようです」とうれしそうだ。そんな事で喜ぶんじゃない。その心理の奥は、対岸の火事。まるで映画の再現だという気持ちで見ている人も少なくないはず。
しかし少なからず心が落ち着かない。その心を埋めるように、何かしたくなるので、何か出来ないかと言ってくる。気持ちはありがたいが、その後ろにいい人でいたいという彼女の自分を正当化する気持ちも見えているので、もらうほうとしては複雑だ。今はこうしてパソコンも打てる状態なのだから気持ちだけ受け取っておく事にする。

人はものが少なくなると急に欲しくなる。人が並んでいると並びたくなる。特にこんな非常事態の中では、みんなと同じ事をしようとする。だがその根拠はあやしい。今回の騒ぎで、人は基本的にはあまり自分で考えていないのが分る。原発の近くに今も避難している人々や、物資が何もなく途方に暮れている人々のことを考えると、今東京で起っている騒ぎは観念でしかない。今ここに迫った緊急の危機ではないのに、未来の事を憂いて何かしなきゃと思い、わけもなく人々のあとに続く。



テレビは私たちに今出来る事はないかとうったえてくる。なにかしましょうといってくる。あいにく私にはそんな力はない。いい人でありたいとも思わない。私が出来る事はここにいて、近所の人と出来るだけゆったりとした時間を過ごす事だけだ。
今私たちに求められている事は、心を動揺させず、静かな心を保つ事ではないだろうか。これは自然にできる事ではない。意識的にする事なのだ。これが福岡正信さんの言う「何もしない運動」なのだ。今この瞬間にも地球は刻々とこの状況を変化させている。荒治療がおこなわれたのち、その姿をまた静かに調節しているのだ。今だからこそ、私たちは意識的に静かでいる事が、地球さんが押し進めている治癒を助ける事になるのではないだろうか。


花粉症の症状が治まりつつある。苦しくなると何かしようと行動する。しかしその何かする事が、またもっときつい症状を生み出す事に気がついた。それでなにもしないことにした。夜中鼻が詰まって息が出来なくなり、口呼吸して喉が痛くなる。それまで痛くてかゆくて、何かしようともがいていた。
でもそれでもいいじゃないか。そのままにしておこうと。するとだんだん症状が薄らいで来た。薄らいでくると心も静かになってくる。これだって、何かしようとしない事のひとつじゃないだろうか。

放射能と花粉症を同じにするなと言われそうだけど、911のときの状況に今の東京は似ている気がする。私もあのときニューヨークにいたが、心で不幸になっていく人を見て来た。今だからこそ、東京にいるわたしは、静かに見守っていたいと思っている。


絵:「モンスター列伝」なんだけど、エーン、誰だったか忘れたあ〜

2011年3月11日金曜日

似顔絵 河村たかし





夜、窓を開けて夜の山を見る。まだぼた雪が舞っていた。スミ80パーセント以上の暗闇の世界。その中に、音もなくまい落ちる大粒の雪。
う。。美しい。。。ああ。。。たまらん。。。なんて美しい風景。。。。そのみたされたじかんのなかでしばしたゆたよっていると、ふと明日の仕事の事を考え始める。ふと確定申告の事を考え始める。いかんいかん。そんなもん明日考えりゃいいのだ。今はこのひととき。。。。確定申告。。。。仕事。。。。あ、そーいやこれもまだやっていなかった。。。げ。あれもだ。。。あーどーしよ~。。。

結局、雪の夜を味わったのは一瞬だけ。あとはあとからあとから湧いてくる雑念が目白押しして来て、味わえんかったんじゃ。
これはだなあ。つまり人と言うのは、なにかこう、ふわ~っとした暖かい感覚になると、「私」というものが膨張して希薄になっていくのではないだろうか。そうすると、まるで自分が消えていくような感覚になり、心の奥に潜むモンスターが
「お、お、お、自分が消える。いかんいかん。消えたらいかんぜよ。そーだ。自分に気がつくようにしむけなければ!」
と、ネガティブな事を思い出させる。ネガティブな事は一気に人を現実の世界に引き戻す。

「あっ、やばい。確定申告!」
と言った瞬間、シュン!と縮小する自分。そのシュン!と小さくなった自分は、はっきりと固形化してそこにいるのだ。ぶわ~と広がって希薄になっていく水蒸気が、何かの冷却で一気にぎゅっと縮まって固形化する氷のように。
するとモンスターはほくそ笑む。ふっふっふ。ほーらもどってきた。そうこなくっちゃ。あんたは心配事でいっぱいになる~。ますますオレを大きくさせる~。わっしょいわっしょいわっしょいわっしょい、ソーレソレソレお祭りだ~。と、心配事でがちんがちんになって、自分という存在をいやほど意識するのだ。がちんがちんに固まって心の中は自分という巨大なモンスターに占領される。行き着く所は悲惨。


近所に精神病院がある。道をうろうろ歩いている患者さんを見ていると、彼らが自分の事でいっぱいになっているのがわかる。きっと心の中は、心配事とか、憎しみとか、悲しみとか、いらだちとか、そんなものでいっぱいなのだろう。それがますます自分というものを意識させ、凝縮させ、固形化する。その凝縮力はは超合金のように固い。

自分というものを強く意識すると、他人という存在もはっきり見えてくる。それはまるで空気が二つに分かれるようにそれぞれに凝縮していくのだ。敵を作るという事はすなわち、自分を強く意識する事でもある。じつはそれは快感でもある。
「敵はあそこダアー!あそこに向かって打てええーーー!」っとやる、あれ。目的と大義名分が自分というのもを実感させてくれる。男の子はこの遊びが大好き。

スギ花粉も似たようなものだ。スギを敵にすると自分が立ち上がってくる。「敵は花粉だあ!打てええーーー」となる。(どーやって?)

わたしゃあ、きっとスギの木を気にしすぎるんだろうな。目の前にスギ林。たわわにほこったスギの花。ああっ、こう書いただけでも目がかゆくなる。。。
これっておかしいでしょ。パソコン打っているこの今、窓を閉め切った部屋に花粉がが目に入ってくるわけでもなし。
よく考えたら、四六時中花粉症の事を気にしている。目がいくのもスギの木。「ああ、まっちゃっちゃだあー!」と、脅威を感じながら、半ば喜んでいるふしがある。
つまり私の今のマイブームは、ズバリ花粉症なのだ。

心はどうもいつも何かにしがみついて、いつも何かを考えていたいようなのだ。それが一番自分と言うもの、私という存在を強く意識できる。だから今のマイブームは花粉症。私の心の奥に住む「自分を意識しろモンスター」はたまた「あたしは人生おもいっきり実感したいのよ~モンスター」のしわざなのだ。

ふおっ、ふおっ、ふおっ。


絵:似顔絵「モンスター列伝第ニ幕/河村たかし」
このお人の顔はどー見ても悪党面なのだ。そのお顔がこりゃまたたまらんのだ。「越後屋、おまえも悪よのお。。ふおっ、ふおっ、ふおっ。。。」と、まんじゅう小判をもってよだれを垂らす。そんなシーンが浮かびます。

似顔絵「モンスター列伝」3





似顔絵「モンスター列伝」2





似顔絵「モンスター列伝」1

ここんところ似顔絵が面白いので過去に出して来たものをまとめて出しちゃいます。
このシリーズは雑誌「起業人」の中で中田潤さん書いたエッセイに、私がイラストを入れたものです。彼が書く過去の偉大なる業界人の生い立ちやそこから醸し出されてくる性格の描写はとてもおもしろく、イメージが勝手に膨らみ、私なりに解釈して描かれたものです。
今描いているモンスター列伝第ニ幕も、今度は私なりに解釈した人々を描いています。来月に裏高尾の「ふじだな珈琲」で展示をします。また案内を出しますね。乞うご期待!





2011年2月23日水曜日

鳩山由紀夫 似顔絵




仏教の教えの、チョト違うなあと思うところは、私たちが抱える思考の山や108つの煩悩など、頭にうごめく考えを、力で粉砕させようとしたところなんだな。

考えないことや、思考を止めるために、滝に打たれたり、同じ文句を言い続けたり、ひとつの文字を見つめたり、イメージを展開させたりするのが、思考を止める方法なんだけど、考えようとする人間の意識を、別のところに追いやろうという手段を使っているわけだ。もしそれが成功していたなら、もちょっとしあわせな気がするんだけどなあ。。。

ところが思考という奴は(心といってもいいけど)、押し付けたり、コントロールしようとしたりすればするほど、巨大になるのだ。その巨大化した思考をなんとか止めようと必死になって、なおのこと力づくで押さえ込もうとする。その繰り返しをしているような。。。。

たぶん私たちは今までその思考というものがどんな存在であるかということ、どんな特徴を持っているかということを、誰も真剣に考えて来なかったんじゃないかと思う。仏教では、とにかくそれはイケナイことだというだけで、そうしてしまう理由を追及して来なかった。

お釈迦様が生まれて2000年ほどたっても、ほとんど変わらないのは、それが方法論だけに終始してしまっているからではないか。ほんとは、もっと手前の、ころころと動いて、ぴょんぴょんと跳ねて、とらえどころのない心というものを理解することだったんじゃないかとおもうのだ。

たとえば、言うことを聞かないやんちゃな子供を力でねじ伏せても、やがていつかその子は爆発するでしょ?それをまたコントロールするために、もっと大きな力でねじ伏せる。そんなことばっかりしている気がする。
そんな方法論は世界中どこでもやっている。武力でねじ伏せることもそうだ。歴史はそれの繰り返し。

きっといい先生は、なんでその子は大人の言うことを聞かないのか?とその子の気持ちになって考えるはずだ。するとなんでやんちゃをするのかがわかる。きっと自分の中にある葛藤をどう処理していいか分らずに暴れるのだ。はたまた暴れることで大人が自分に注目してくれているということに執着しているのかもしれない。ゆっくりじっくり見ていると、どう対処すればいいかわかってくる。力で押さえつけることより、まずはその子の中に入って、その子をよくみることだ。

思考はねじ伏せても逃げ回る。巨大化する。しかし思考とは何か?どういった特徴を持っているのか?とそれ自体を観察し理解すると、それはふっと消えていく。

闇を見て、お化けがいるかもしれない、こわいこわいと背を向けてその闇を見ないようにすればするほど、恐怖は大きくなるが、勇気を持ってじっとその闇の中を見つめると、そこには何もないことを知る。するとその人の中から恐怖は消えているのだ。知ることが恐れをなくしていくことなのだ。

思考は絶えず恐怖と一体化している。漠然としたあらゆる恐怖をつねに感じながら、そこから逃げるために、四六時中非難と正当化を繰り返しているのだ。


今日のモンスターちゃんは、鳩山由紀夫ちゃん。
ちまたでは宇宙人とか言われているけど、どうもやまんばには「勘違いお貴族さま」という感じがぬぐえない。やまんば的には好きなお顔です。真面目に少女マンガに出てくる美男子にしてしまいたい衝動に駆られるが、でも遊んじゃいました。


絵:「モンスター列伝・第二幕/鳩山由紀夫」

2011年2月20日日曜日

亀井静香 似顔絵




私ら人間は、思考は絶対的なもんだ、と信じて疑わない。ロケット飛ばすのも悟りを開くのも思考があってこそなのだ、と信じて疑わない。しかしその思考がこの世の悲惨も招いた。

暇なやまんばは、思考ってそこまで絶対的に必要なもんなのだろうか、と考える。
頭の中で思考すると、言葉で考えている。言葉はすでに知っている過去の産物だ。私たちは未来を考えたがる。ところが未来は私たちには何も想像できない。だってまだここにないんだもん。1分先が見えないことは怖い。で、私たちは、過去の経験を通して、「うん、1分後にはこうなるだろう」と予測をする。つまり、過去の経験を使って未来を予測するのだ。だがそもそも過去とか未来とか言う時間を作り上げたのも思考なのだ。

勝手に未来という概念を作り出して、「お先、まっくら」という恐怖も作り上げた。
犬見てると、「お先、まっくら」という顔をしていない。
「今があるだけですが、なにか?」
みたいな顔をしている。

人間だけが、あたまがぼーちょーしている。その原因は思考だ。私たちは思考というものを買いかぶりすぎている。世界の哲学も宗教も戦争もすべて思考が作り出した。思考だけが至高の営みなのだと思い込んでいる。(しゃれ)

ほんとにそーなのか。
思考があらゆる自然な流れをさまたげていないだろうか。こうやったらいい、ああやったらいい、あの人のようになりたい、こんな自分はイヤだ、そんな考えがいつも心の中にぐるぐるしている。何かになりたがるのは思考のなせるわざじゃないだろうか。
思考が作り出すのは「こうあるべき」であって、「あるがまま」ではない。私たちは今ある自分を見るのが怖い。それは思考が常に「こうあるべき」とそそのかしているからだ。それによって、実はものすごい労力を使い果たしているんじゃないだろうか。頭の中でぐるぐるする自分じゃない誰かのになろうとする努力。これほど無駄なことはないような気がするんだが。


今日のモンスターは亀井静香ちゃん。
転んでも絶対起き上がってくるダルマみたい。その根性を表現してみました。

しかし達磨大師もその思考と戦って座り続けたんだよな。。。足腐るまで戦うのはちと違うような気がする。思考と戦うもんではなくて、思考とはいったいどんな性質をしているかを理解することの方が、足腐らせずにすむような気がするんだが。。。

絵:「モンスター列伝・第二弾/亀井静香」オリジナル

2011年2月18日金曜日

菅直人 似顔絵




あんまり人の悪口いっちゃいけないんだけど、菅さんはあまり頭がよさそーには見えない。なんかどこかおろおろきょろきょろして、何かを常にとりつくろっている感じで、落ち着きがない。かわい〜お顔はしているんだが、その自分のお顔の良さを知っているあたりが、みょ〜に気に入らない(なんじゃそりゃ)。政治家たるもの、そんな道具を利用するな!ってかんじだな。

描いてて相当な女好きとみた。鼻のカタチでナニが想像できちゃったりする。

だけど心の中はさびしそーなのだ。その心の中は、夕暮れの寂しー雰囲気に包まれている。カラスなんかが、かあーかあーって、鳴いちゃっていたりする。

そんな菅さんにしました。
この方が今の日本をしょってます。


絵:「モンスター列伝・第二弾/菅直人」オリジナル

2011年2月16日水曜日

小沢一郎 似顔絵



似顔絵はやまんばがイラストレーターになるきっかけを作ってくれた。だから一番キャリアが長い。最初はソープランド譲からはじまったなあ〜。写真は出せないよね。それで私がかわいく描いた。ちょっとは宣伝になったかな?それからミュージシャン。NYにいく前に母のところに昔の作品を預けておいたものを久しぶりに開くと、でてくるでてくる昔の似顔絵。プリンスを知ったのも似顔絵の仕事からだった。「戦慄の貴公子」にはまったなあ〜。

さて、今日は今話題の小沢一郎。悪の権化と言われているこのお顔。最近はネットのインタビューによく出てくる。笑うとかわいいお顔をしている。男の人はいいよなあ。どんなナントカでも、自分というものがあると、なんだか味わい深いお顔になってくる。化粧もしないし、ほんとの地顔が出るってもんだ。彼のじっと構えた忍耐の顔がどうしてもお地蔵さんに見えて来て、思わず描いてしまった。オリジナル。ひさしぶりの「モンスター列伝」、勝手にわたしが第二幕はじめます。

絵:「モンスター列伝・第二幕/小沢一郎」オリジナル

2010年1月10日日曜日

あれが龍馬か?




いかんちや、いかん。あれはいかんぜよ。
龍馬伝じゃ、あの龍馬伝。
まいったねや。あんながをこれから1年も見るがあかえ?もう2回めにして飽きたちや。まっこと。
やっぱし、監督がいかんがやろうか。なんかひとっちゃあ骨太じゃないきに。ぽっちゃん便所の臭いがぜんぜんせんがよ。龍馬が洋式便所に座ってウオシュレット使いゆうかんじがムンムンじゃ。なんちゃあ説得力がないでえ〜。
どーいたが、NHKさんよ。このままいったら、こけるでえ。今頃高知県人は、悪口言いまくりゆうがやないやろうか。一揆起こされんように気いつけや〜。
そんな中でも、ゆいいつ引きつけるがあは、岩崎弥太郎よ。あの役者さんは、今ホントにきらめいちゅう。ぐぐっとくるぜよ。弥太郎が画面に出ると、こじゃんとおもしろうなる。キュウリを丸ごとくわえて振り向く姿に、あてはぐっときたぜよ。
あのくらい福山龍馬ちゃんにも働いてもらわんと。


絵:「モンスター列伝」岩崎弥太郎/雑誌「起業人」より