2026年7月2日木曜日

くうが来た!

海沼武史写真作品「小仏川」

 

先日、京都から夜行バスに乗ってくうが訪ねてきてくれた。

その理由は、写真家海沼武史の大量の作品群をどうするかという話し合いのためである。


高級な額に入った作品は、二階の部屋の半分のスペースを占領している。

そのうちの10分の1を箱から出して眺めながら一言、

「もったいない!」


そうなのだ。実にもったいないのだ。

このまま老いさらばえて死んでいけば、この作品群は灰になる。

てか残されたものはどうすればいいのだ?


朝も早よから話し合いが始まった。

どうする?

どうやって広める?

どこで?

誰に?


途中、お昼に蕎麦屋の杜々に行って、久しぶりに会った店主としばし団らん。

くうは約10年前までここ裏高尾に住んでいた。

彼女はその時、裏高尾の森で子供達と一緒に「空と大地の教室『つきのわぐま』」という森冒険の教室と英語教室「Coo's English School」を開いていた。

今はそれをさらに進化させた『カシオペア』という名で今度は京都の森と広々とした教室で、英会話も導入し、子供達に美の感性を磨くべく新しい教えを京都でやっている。


話し合いは午後まで続き、彼女は夕方新幹線で京都に戻っていった。


彼女はまる丸一日かけてわざわざ京都からきてくれて、

そして私たちの未来について真剣に考えてくれている。

美味しいお酒や美味しいものをたくさん持って。

これほどの愛の表現はない。


「海沼武史美術館」を作ろう!という話も出た。

一回や二回の展覧会では出しきれないほどの量と内容。

彼の世界観はもうすでにそこにある。

その空間の中に一歩足を踏み入れれば、その世界観は一目瞭然だ。




だがその打って出ることがまだ彼の中で踏み出せない何かがあった。

彼の過去の営業についてのトラウマだった。

打って出ても結果が出ないという思い。

どうせ何をやってもうまくいかないという信念。

これが彼の足を引っ張っている。


しかし過去はもうここにはない。

ただその信念だけがあるだけだ。

傷ついたという思いがあるだけなのだ。


私たちは心を体と同じように思っている。

体は傷つけることができるから、心も同じように傷つくと。

心のどこに傷がある?

そう思い込んでいるだけなのだ。

過去はここに持ってこれるか?

ただその思いがあるだけなのだ。



実はこれは私にも言い聞かせていること。


現に私も今ギャラリーにガンガン営業をかけている。

断られまくりの日々だ(笑)。


イラストレーターだった頃のあの辛かった営業の日々を嫌でも思い出させられる。

何の反応もない、スルーされる日々。

あの惨めさ、ひとりぼっち感、お前はここにいる価値がない、

無能を宣告される感覚。。。

あの傷が再び。。。。と。


自我が私にささやく。

「お前はここにいる資格はない」


だがもう同じところに行かない。

行かないために、この思いが再びやってきているのだ。

その思いが本当ではないことを知るために。


この世界の中で答えを見つけようとしても見つけられはしない。

それがこの水平線上のならわし。

それを越えたところに心を持っていくことが鍵を握っている。

出来事はすべてそれを教えるためにやってくる。


この小さな弱い体の中に入っている私ではなく、

とてつもなく巨大な何かが本当の私であると完全に知るために。




濃厚な1日だった。

彼女の巨大な愛の思いが私たちを包み込んでいた。


彼女はまさに、私たちの真の自己がなんであるかを

喜びを持って伝えにきてくれたメッセンジャーだったのだ。


くう、ありがとう。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです


2026年6月23日火曜日

庭に咲いていたホタルブクロを制作中

 

今年は雨が少なかったので、蛍は少ないんだろうなと思っていた。

だが蛍はいつもより多く飛んでいた。


真っ暗な山を背景に蛍が乱舞する。

水辺に戯れる光があるかと思えば、

高く舞い上がって杉の木の中で飛び交う光たちもいる。

あのフワンフワンと現れては消える光を見ると自然と心に喜びが湧いてくる。


川のせせらぎと、カジカの大合唱、そしてかすかに虫の声が聞こえ始める。

蛍は季節の境目にいる。

カジカから虫への橋渡しだ。

山の近くにいると、季節の変化を音と目とそして香りで確認する。


大合唱の中で私の心にもう一つの音があった。

それは藤井風くんの新曲Comets +Gold。

彼の所作はあまり好きじゃないが、曲は好きだ。彼の所作はあまり好きじゃないが、曲は好きだ。

昨日は1日中そのフレーズが頭に流れていた。




三鷹にある出光美術館に行ってきた。

駅からバスに乗って指定のバス停に着くも、どこにも美術館らしきものがない。

何人もの人に尋ねならがやっとついた。

美術館といっても中近東文化センターの一角にちょこんとあるだけだった。


たった25点の展示だったが、私にとっては見応えがあった。

器の説明も焼き物をやり始めたおかげでよくわかる。

裏に回って高台の付け方まで見れたのは面白かった。


ポスターにあった取っ手がついた可愛らしい織部草花文手鉢は、

実物を見るとちょっと汚くそんなに魅了されなかった。

だが志野山水文鉢には圧倒された。

「欲しい!」と思った(笑)。

この器にどんな料理を入れようかとワクワクした。

図録もなく写真も撮れない。しばらく佇んでしっかり目に焼き付けてきた。


帰りも駅までのバス停が見つからず、またしても何人もの人に聞きながらたどり着く。

それにしても人は優しい。たくさんの人に助けられてちょっとした旅を味わった。



ラーメンどんぶりの絵柄(笑)


先日までは20匹くらいいた蛍たちも、昨日はその三分の一に減っていた。

こうして季節は巡っていく。


暗がりの中で目を閉じる。

川の音と、カジカの声と、時々虫の声。

そして頭の中にあの曲のフレーズ。

私を癒してくれる。

それでいいんだよ、あなたはそのままでと。


神が私に語りかけている。

私を包んでくれている。


涙が溢れてくる。

喜びに溢れてくる。








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2026年6月20日土曜日

放蕩息子

「コーヒーカップの絵付け」

 

放蕩息子のことが頭に浮かんだ。


王の息子は財産分与でもらった金を持って旅に出て全財産使い果たし、

食べるものもままならなくなった。

このままでは死んでしまう。父の元に帰ってこう言おう。

父よ私はあなたに対して、天に対しても罪を犯しました。

私はあなたの息子の資格はありません。

どうぞ私をを雇人の一人ににしてくださいと。

そうして父の元に出かけたら、

まだ遠く離れているのに父は彼を認め、

走り寄ってその首を抱いて接吻した。

さあ、早く、最上の着物を出してこの子に着せ、指輪を手にはめ、履物を足に履かせなさい。

また、肥えた子牛を引いてきて屠りなさい。食べて楽しもうではないか。

この息子が死んでいたのに生き返り、

いなくなったのに見つかったのだから。

息子が帰ってきた!さあ皆で祝おう!


しかし息子は自分のおかした罪に苛まれ、

「父よ。私はそんなことを父にしてもらう資格などありません。」

と言って父の喜びを受け取ろうとしない。。。。



これ、私だ。

 

前からその話は知っていた。

しかし今ほどそれをリアルに感じることはなかった。


父/神から離れたいと思い、一人で生きることに決めて今まで頑張ってきた。

そして文無しになって、父の近くに帰ってきながら、

父の豊かさを受け取ろうとしない。


父よ。私にそんな資格などありません。

どれだけ父を裏切って、どれだけ自分一人で生きて来ようとしたか。

その結果がこれです。私はこれからもその罪の償いをしていきます。


だが父は私の「罪」に何のとがめもなく、まるでなかったかのように振る舞う。

ただただ私がここにいてくれるだけで最大の喜びなのだ。

そしてその豊かさを渡そうとしている。


しかし私は「罪」を償おうと、自ら辛い思いを選ぶ。

ちっこいところでちまちまと生きる。

私にはこれだけしかありませんので。。。

私の力はこれだけなので。。。

すみません。放っておいてください。。。



これが分離だった。


父とは一緒になれません。

兄弟とも一緒になれません。

なぜなら私は罪深いので。。。





私は直径20センチくらいのちっちゃなクリスタルボールの中を覗き込んでいる神の子だった。

クリスタルボールの中が私の唯一見える世界だ。

その世界がすべてだった。

そこには自分の体も世界もある。

それしか知らなかった。

それしかないと思っていた。

だがその中は罪/分離の世界だった。


そこから一瞬離れる。

するとそのクリスタルボールの外は、即、神の世界だった。

全てが輝く光しかない豊かな神の心だった。


こっちが本当だった。。。!

唯一実在するものだ。

私はただ分離を覗き込んでいる、

その中に没頭しているだけだったのだ。


錯覚を皆置き去りにする。

「自分の罪」を置き去りにする。

父はそんなもの見てはいない。




私は私にすでに与えられた豊かさを持って歩こう。

与えたものが与えられる。


罪を与えれば、罪が与えられる。

愛を与えれば、愛が与えられる。


十字架にかかるか、

自由の中にいるか。


心は活動的に常に動いている。

十字架刑か、自由か。
この今、この瞬間の、

一瞬一瞬が、私の選択にかかっている。






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