香港さんが、大阪から高尾にやってきた!
本当は国家試験の準備に追われて私の展覧会には来ない予定だった。
が、なぜかそれまで満室だった高尾のドミトリーに空きができて、ひとベット開くことになり、
「そうか、新幹線の中で試験勉強すればいいや!」
というグッドアイディアを思いつき、急遽高尾にやってきた。
(実際は新幹線の中で爆睡とビール飲んで「ぷっは~」といい気分になってただけらしいが笑)
こうやってわざわざ遠くから足を運んでくれることのありがたさよ。
香港さんの兄貴に感謝!(兄貴=謎の存在)
今回は前回行けなかったジビエ料理の店『山籟』さんで
奇跡パパさんも招集してのコース三昧!
(料理のコースと、奇跡のコースを引っ掛けた)
鹿肉を堪能した後うちに帰って、なんと武史と4人で話すことに。
不思議だ~。こんなシーン見ることになるとは。
他責の人と自責の人の話題になった。
ざっくりくくると、香港さんと武史は他責組(笑)、
私と奇跡パパさんは自責組だ。
自責は自分が加害者的な意識になる。
他責は自分が被害者的な意識になる。
そんな話をしていたが、武史がボソッと切り出した。
「俺、車ぶつけられたんだ。。」
「え〜〜〜っ!」
まさに被害者だ~!
実はその日の夕方、私たちがジビエを堪能しているまさにその時間、
うちの車が、侵入したきた車にぶつけられていた。
幸い武史に怪我はなかったが、助手席側の二つのドアが凹んで傷跡がざっくり。
当初どう考えても相手側が100%悪いので修理費は全て相手側が支払う予定だった。
ところが数日経って相手の保険会社から、
そちら側にも前方不注意があったんじゃないかと切り出される。
95%はうちで払うから、5%はそっちで払ってくれと言ってきた。
いやいやあれはもう避けようがない状況だった。減速したが避けきれなかった。
なのになぜ俺が悪いんだ!なんで俺に非があるんだ!と抗議する。
たとえ5%でもこっちに非があると言われると、俄然腹がたつ。
被害者的な立場にあると、罪はあっち側にあるから安泰だ。
しかしほんの少しでもこちら側に非があると言われれば、
もう被害者ではいられなくなる。
これがこの世の仕組み。罪はある。という前提。
被害者意識も加害者意識も罪があるという信念に立つ。
だからいつでもひっくり返る。
「痛み分け」という言葉もある。互いに罪をかぶりあい、
ちょっと罪を軽くしましょうと。
てか、どっちにしたって罪はあるじゃん。
だから私みたいに自責組も、ひょんな事で被害者になる。
他責組の人も、ちょっとしたことで加害者になってあわてる(笑)。
罪はここにあって、それをどっちに渡すかでもめる。
誰も自分に罪を宣言されたくない。だからずっとウンコの投げ合いになる。
「俺のウンコじゃない!」
「いや、俺のウンコでもない!」
じゃあ、その言い分をはねつけたらどうなるのか。
裁判になりますねえ。弁護士をつけて裁判に持っていく。
そうなるとまあ軽く一年はかかる。その際の弁護士費用もある。
しかし車は修理出さないといけない。その費用は、、、、?結局自腹、、?
そういう手間を考えて、めんどくさいから5%払って終わりにする。。。?
という考えもなんか負けた気分で腑に落ちない。
という堂々巡り。
他責組だった武史は、ここで初めて罪というものを意識することになった。
それまで人や社会が悪いことになっていたので、被害者にあぐらをかいていられた。
ところがたった5%でも自分に罪を意識させられたのだ。
そこで新たに自分の罪悪感というものがぐっと迫ってきた。
コースを学ぶ前は、罪悪感なんてかけらも持ち合わせていなかったのが、
徐々にひょっとしたら持っているのかもしれないというところにいた。
でも自己否定感とか自己嫌悪の中で感じているものとして捉えていた。
それが今回の出来事で、初めて自分の中の罪の意識、罪悪感というものと面と向かったようだ。
出来事はその人に必要な時に必要に起こる。
それをどう捉えていくかでその先が決まる。
この世の仕組みの中でこの世のものの考え方の中で生きるのか。
それとも違う視点を持った場所に行こうとする意志を持つか。
彼はどっちを選んだのか。
5%の罪。
この世界での選択。
だが心はその先のことに視点を移した。
罪はない
というところ。
この世界の土台は「罪はある」で出来ている。
どこまでいっても罪は消えない。
たとえ100%相手が悪いといっても、罪があることに変わりはない。
罪は存在するというのが前提。
それはほんの一瞬で罪がこっちにやってくるという危うさを持っている。
でも罪はないというところは、
誰にも罪がない。
そこに立つ時、いや、そこに立とうという意志を持つ時、
みんなが同じ無罪の人になる。
誰も憎まず、誰も裁かず、全員が安心の中にいる。
罪はないところは、
みんな同じ心だったんだ!と思い出す場所なのだ。



