2026年8月26日水曜日

こんなん出来ました〜。ありがとうございます〜。

「喜び」

 

昔、神と出会ったことがある。


って書くと、白いローブを羽織った後光が差す聖人と会ったとかイメージしちゃうけど、

そんなもんは何一つ見えなかった。


そこに物質的にあったのは、

何一つ遮るものがないものすごい広い空と、

ひたすら広がるひび割れた大地と、

完全なる無音の世界。


音がない世界にいたのは生まれて初めての経験。

鳥や虫などの生命の音がしない。

風の音すら飲み込んでしまうほどの無音の空間。


そこで私は神に出会った。

目の前には何にもないのに。

なぜ神と出会ったとわかるのか。


それは神の思いに満ち溢れていたからだ。

愛だ。


私は神にとてつもなく愛されていると、

これ以上ないくらい受け取っていた。


何もないのにはっきりと感じる神の思い。

受け取りきれないほどの愛の量。

愛は、その巨大な空間いっぱいに満ちていた。


私はひび割れた大地の上で喜びに耐えきれず、のたうちまわった。



コースを学び始めてそれが神の思いだと知る。

まったく形がない、抽象の世界。


だから私は神を形で想像することがない。

イエスでさえ、彼をイメージで捉えようとも思わない。


ずっと形を描いてきたからなのかもしれない。

その形の中にそれはいないことを知っている。

神はその背後にいる。


私は絵を描く。最近は器も作る。

しかし神は絵や器の中にいない。

だが喜びの反映としてそこに見えている。


絵を見たとき、器を手にした時、

そこに喜びがあれば、神がいる。





最近、私の絵を見て、心が癒されている人の話を聞いた。

その人は壁に私の絵をかけてなくて、ベッドのそばに置いてある。

眠りに落ちる前、


「意識がなくなる眠りの、、その前、、

夜と、朝の覚醒するまでの、

思考にあまりひきこまれない時間。

その時空の中で、

つくしさんの「喜び」を感じるのが、

情動に落ち着き、呼吸が深くゆっくりになって、

私には心地よい時間です。

包まれ、みちる体感。しあわせです」


それを聞いた時、心が震えた。

これはもう、、、私の仕業じゃない。


絵を描いたのは私なのかもしれないが、

絵が勝手に別のものになっている。

彼女が自分を導くきっかけになっている。

本当の自分自身を思い出すために。


絵とはこんな仕事をするものなのかと驚かされたし、

そんな仕事を請け負っていることがありがたい。



現代絵画って、投資の目的になっていたり、

小難しい論理で構築されていたり、

ちょっと眉間にしわを寄せて鑑賞したりするものとして捉えられがちな節がある。


私はもっと単純で、うわ!と思ったものを絵にしている。

いつも自然の中でそれを見つける。

そして出来上がったら、その絵をお山に見せる。

その時、ちょっと気恥ずかしい。

でも感謝とともに報告する。


「こんなん出来ました~。

ありがとうございます~」と。









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2026年8月20日木曜日

なんてこったこの世は自作自演

「花と宇宙」

 

自分が自分を怖がらせている。

自分が自分をいじめている。


この世は自作自演。。。

なんてこった。


「ちょっとお願いするわ~」

と兄弟に頼んで悪人を演じてもらっている。


そんでそのわざわざ演じてくれた人を「このやろう」と恨む。

そりゃ兄弟に失礼やろう。


でも兄弟はそれを喜んで引き受ける。

なんで?

愛があるから。


映画のエキストラでなんの役が一番楽しいか。

ゾンビなんだそう。

私もハロウィンのダンスでゾンビ踊りしたことがある。

めちゃおもしろかった。


本当の自分じゃないものになるっておもしろいんかも。


いやいやそんなことを言ってる場合ではない。

目の前で嫌味を言ってくる人を見て、

「うん。これはなかなかいい演技だ。アカデミー賞もんだ」

などど余裕を持って見られる人などいない。





自分が自分を怖がらせている?

マジですか。

そんなわけないじゃないですか。


私が好き好んでビンボーになって苦しんで。。。?

そんなわけないじゃないですかー。


自分の無能のせいでビンボーになった。。。

自分の無能のせいで。。。


と思うから、どうにかして無能をやめようとする。

しかしもともと無能なのだから、無能を有能になんてできるわけがない。

すったもんだしてみたが、どうにも無能は無能のままだ(苦笑)。



そこで考え方を変えてみる。

ひょっとしたら無能を欲しているんではないか?

演じてる。。。?

無能でありたい。

なんでや。

苦しみたいから。


よく考えたら、人はいつもなんらかのことで苦しんでいる。

経済、体、人間関係。だいたいその三大要素の中で苦しんでいる。


そう。私たちは苦しむためにこの世に生まれてきたのだ。


お釈迦様も言い放ったではないか。

「この世は苦である」


どんな金持ちもなんらかの苦悩がある。

どんなスポーツ選手もなんからの苦悩を抱えている。

ご近所さんも人知れず苦悩を抱えている。


苦悩があるからそれを解決するために悪戦苦闘する。

そうやって人生は終わっていく。

最後は死という慰め、もしくは救いを目指して。

それのどこが楽しいのだ?最後は死ぬ。

やっぱ「苦」だ。



本当は「苦」を欲しているだけだったとしら?


なんでか知らんが、私たちはただいるだけでオッケーにはならない。

どこか落ち着かなく、なんかしてないといられない。

ぼーっとしてたら、ぼーっとするな!と怒られたではないか。


美味しいもん食べて、山を眺めて、

あ~ホッとする~と思った次の瞬間、

さて今度は何やろう?と考え始めているではないか。


幸せ感は一瞬でさってしまい、

次の幸せ感を求めて心はさまよいだす。

それの繰り返し。

1%ホッとするのために、99%を悪戦苦闘する。

そんな馬鹿げた人生ってありなのか?


心の中をずーっと見ていると、ポンポンと恐れの考えが湧いてくる。

みごとに。一瞬のいとまもなく。

その自動的にやってくる恐れの考えに

「ああそうだった。こんなことしている場合じゃない」

と言って恐れから逃れる戦略を考え続けているんだ。


浮かんでくる恐れを助長するその考えをよく吟味してみよう。


その恐れに何の信憑性がある?

誰かから聞いたからそれはこうなるはずだと。

本当にそうなる保証はあるのか?

保証はないけど、もしそうなったら、、!

という未知数の恐ればかりじゃないか?


過去は罪を思い起こし、

未来は恐れを思い起こす。


恐れは何の脈略もなくふいにやってくる。

恐れさせるマシーンみたいに。


これって何?


これが私たちが自分自身に与えた「苦」なのだ。

お釈迦様はそれを見たのだ。


これが自分自身を怖がらせ、

自分自身を不幸に陥れ、

強いては自分自身をいじめているものなのだ。

だから自作自演。


本当の自分を見つけないように、

「苦」のアイディアを浮かび上がらせ、

それと格闘することで本当の自分を思い出せないようにする。


あっちは見ちゃいけない!そっちは闇!とんでもないことが起こる!と止めに入る。

だが、そっちが本当の私なのだ。


コースのいう「赦し」は、そんな自分を赦すことだった。

怖がらせ、本当の私を見ないようにさせてきた自分を。


自作自演を繰り返す自分自身を認めて、受け取り、

全面的にすべてを赦していく工程を教えてくれていたんだ。







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2026年8月13日木曜日

10月の展覧会お知らせ


 10月の展覧会が決まったのでお知らせいたします。


場所はいつもお世話になっている高尾駒木野庭園です。

2022年に初めて展示させてもらってから今回で4回目の展覧会になります。

戦前の懐かしい建物の美しさが絵を引き立ててくださり、

とてもゆったりと過ごせる場所です。

機会があれば是非お立ち寄りください。



築紫作品展


2026年10月9日(金)~19日(月)


高尾駒木野庭園

東京都八王子市裏高尾町268ー1

Tel: 042-663-3611

開園時間 9時~17時

ギャラリー 9時30分~16時30分

無休 入場無料




合わせて、庭園の近くにある浅川市民センターの二階にある

第一ギャラリーにも展示いたします。

こちらは以前展示した作品を飾る予定です。


2026年10月1日(木)~15日(木)


浅川市民センター

東京都八王子市高尾町1652-1

Tel:  042-666-4700

ギャラリー 9時~17時(最終日は15時まで)











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