Aさん、Bさん、Cさん。
三人とも全く別の人物なのに、
三人がまぜこぜになって時々わからんなる。
ダンナに言わせたら「それは同一人物」だそうだ。
それを聞いた時大笑いしたが、
ひょっとしたらそうなのかもしれない(笑)。
かおりさんのブログで「自分で作ったお化け屋敷」というフレーズにハマった。
私たちは自分で作ったお化け屋敷にいる。
そしてそのことをすっかりコン忘れてきているのだ。
そうじゃなきゃお化け屋敷で本気で怖がれないではないか。
Aさん、Bさん、Cさんが、つくしが作ったモブキャラだったら、
似たようなキャラになっていてもおかしくはない。
だってそう簡単には多くのバリエーションが作れないから。
私が作った恐ろしいお化け屋敷。。。
想像してみる。
恐ろしい形相をしたエンマ様が私にこん棒で殴りつける。
あ、これトーチャンじゃねえか。
古いお屋敷の奥の奥に、
10ワットぐらいしかない電球の下にぼんやり浮かび上がる深みどり色の和式のトイレ。。。
恐る恐る覗けばそこに真っ暗な底なしの穴が。。。
あ、これババアちゃんの家だ。
周りを土葬の墓に囲まれた一軒家。。。
西の森には腰の曲がった墓守の老婆が住んでいる。。
その一軒家は私が幼い頃住んでいた家。
そこのぼっちゃんトイレは、
土葬のとき掘られた穴をそのまま使っているというもっぱらの噂。。。。
そのまんまお化け屋敷じゃねえか!
我ながら素晴らしい設定を作り上げたもんだ。
この世は恐ろしい人で溢れていて、
私は媚びて媚びて媚びまくらなければこの世で生きてはいけない。。。
あの夜、トーチャンの逆鱗に触れ、
裸足で外に放り出され全ての雨戸を閉められ、
「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!」
と泣き叫びながら雨戸を叩きまくったあの夜。
何をもうしませんと言ったのか覚えてない。
たぶんご飯を全部食べられなかったか、靴が揃ってなかったか。
ご飯が全部食べられないことで大罪になってしまう私が、
力のあるものの下で生きるには、
泣いて懇願しなければ生きていけない。
なんと恐ろしいお化け屋敷設定ではないか。
私にはなんの力もなく、その自身の力を他人に渡していた。
考えたら、お化け屋敷って他人(お化け)に怖がらされる屋敷だもんね。
その時、自分の外にいる存在、力のある存在、
父や出版社やアートディレクターや画廊のオーナー等々の
権威にひれ伏して生きていかねばならないという信念が
私の中に深く根付いていたことに気づかされた。
こっ、これはあの時の体験からずっと続いている。。
気づかないまま、その信念の中で、
惨めな思いを抱えながら力のある存在に泣いて訴えていたのだ。
これを知るために私は何度もなんども同じ経験をして、
そこにその信念があるよと教えてもらっていたのだった。
だがそのお化け屋敷の中で、光は確かにあった。
そうでなければ私は今頃死んでいる。
だがその違いが私には自覚されていなかった。
その光とは、自分と他人は対等だということ。
力がどちらかにあるということではなく、どちらにもある。
そしてそのどちらも私だということだ。
私の中に分離したもう一つの自分を作って、その片方に力を与える。
ある時は他人に、またある時は私に。
そうやって力のシーソーを続け、この世界を実在させ、
お化け屋敷を長々と維持させていたんだ。
見る対象はお化けの姿じゃない。
お化けの心を見るんだ。
悲しくて、苦しくて、恐ろしくて、怒りにまみれたそのお化けの心を。
傷ついた自分の心が、お化けという形を作り出していたんだ。
外にあった力は、つまり権威という力、恐ろしいと思わせる力は、
私が原因だった。
私の中にある力の一部を外に放り出して、それと対峙していた。
それを今戻していく。
自分の元へ。
自分には力があった。
それを思い出していく。
微動だにしなかったお化け屋敷が、
今静かに解体を始めた。




