「俺、罪悪感がすごくある。。。
この世は全部罪悪感でできてる。人は罪悪感で動いてる!」
昨日夕飯を食べながらダンナが熱く語る。
パスタ食べながら話す内容ではないけれど、
こうやって心を紐解いていく最近の私たち。
コースを学ぶためには罪悪感のことを避けて通れない。
私たちには罪というものはない。
だからこそ自分の中にある罪悪感に気づいていく必要があるけれど、
なかなか人は「もともと私たちに罪はないんだから、
罪悪感は見なくて大丈夫。
だってその罪悪感に引っかかるとさらに自我に巻き込まれるから」
と言って、罪悪感案件をさらっと通り抜けようとする。
それでもいい。
少しづつ、少しづつ、心の闇に気づいていく。
そして優しくゆっくりとほぐしていく。
人によっては、短期決戦のパターンもある。
出来事によって前に進むことを促される。
ダンナがそのパターンだ。
コースを学び始めた頃、
「罪悪感?はい?そんなもの俺にはない」という人だった。
しかし本人曰く「カラダの痛い痛いシリーズ」
が後から後から次々にやってきたり、鬱状態になったりして、
どんどん心と体が疲弊していって、
「一体なんだこれは!コースやって楽になるはずが、
もっとひどくなったではないかー!」
と私に訴えること百万回。
ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジを徹底的に読み倒し、
それでも人生への苦しさは消えず、
隣にいたやつが読んでいる奇跡講座という分厚い本を手に取ってから、
さらに不幸になる始末。
そうはいってもコースに書かれた内容は、
マハルシやマハラジがボンヤリとしたものでしかなかった心の仕組みを
具体的に説明してあることに驚き、四六時中読みふける。
頭の中に完全に知識が入っていったが、
まだそれと実際の自分の行動への応用がなく分離している、
いわば「コース頭でっかち」なやつがそこにいた(笑)
しかし人生とは捨てたもんじゃなく、
だんだんとコースが自分ごとに照らし合わせられるようになってくる。
それまでぼんやりとしかわからなかった自分の心の状態が
うすらうすら見えるようになってきた。
そこに学んできた知識が応用されていった。
「俺、マハルシやマハラジ読み倒してた頃、
もうすぐ悟れると思ってた。山の頂上はもうそこだと。
でもコース学んでからは、まだ山の裾野にも行けてないって知ったよ。。」
心は本当に深い。
自分の心を見ることは、
何か恐ろしいものに触れるんじゃないかとなかなか見れない。
でも人生の苦難に直面した時、人はそこに行き着くしか無くなる。
人生の苦難の原因は外にあるんではなく、心にある。
勇気を振り絞って見る。
すると見れば見るほど、心の理解を促され、
そしてまたその先の理解に連れていかれる。
連れていかれるのだ。いったい誰に?
個人的な罪悪感の層を深く掘り進んでいくと、
個人を超えた層に触れてくる。
それと同時に神の片鱗に触れ始める。
ついこのあいだまでコースの理解が違い、
喧嘩ばかりしていた二人だった。
それがこんな風に罪悪感について、神について、
こんなに楽しく笑いながら語り合える日が来るとは思わなかった。




