2026年10月5日月曜日

声

「野菊に会いに」和紙、水彩

 

私たちはいつも誰と喋っているのかというと、

ダンナでもなく友達とでもなく、自分の中で聞こえる声としゃべっている。


まさかそんな架空の存在と絶え間なくしゃべっているとも自覚なく、

ひたすらそいつと朝から晩までしゃべり続けている。


「あいつのアレが気に入らないわよねえ」

「ああ、そうそう!あれさえなけりゃあねえ」

「どうにかならないもんかしら」

「いっぺん言ってやんなさいよ。バシッと!」

「そ、そうよ。そうよ。いっぺんバシッと言ってやんないと。」

「ところであの件はどうなった?」

「まだ何も進んでないわよ~」

「ダメじゃないの~」

「そうなのよ~」

「あんたが甘いからなめられてんのよ」

「やっぱりそう?」

「そうに決まってんじゃないの!バカにされてんのよ、あんた!」

「やっぱりそうなの!もう、あのやろう!明日なんか言ってやるわ」


言葉でここまではっきり会話してなくても、

なんとなくそんな空気感の中でずーーーーーーっと

垂れ流し状態の会話がなされている。


心の中の声は、自分の中から聞こえてくるんで、自分の味方みたいに思っている。

でもその内容をよく吟味すると、

会話のほとんどが、イヤーな気分になったり、心配事を持ちかけてくる。

気が滅入る、人生が嫌になる、お先真っ暗、

惨めになる、泣きが入る、挙句に死にたくなる。。。


そして今ぼーっとしてたら大変なことになるから、

何かを変えなければいけないと訴えてくる。

外の何かを、外の誰かを、そして自分の何かを。

常に何かを変えて、コントロールして、楽にならなきゃと。

ところがそう簡単には外を変えられないし、

自分も変えられないし、コントロールもうまくいかない。

今度はそれを責め立てる。あんたの力不足だと。


この声はいったい何。

味方のフリした自分を責め立てる鬼じゃないか。

気分が落ち込むのは、外の環境のせいじゃない。

自分の心の中の声を信じてそうなったということに気づく方がいい。


ダンナを見てイライラする。

そのイライラを疑う。

ぎっくり腰になっちゃった自分を責める。

その責める気持ちを疑う。


責めたとして、それがどうなるもんでもない。

責めることでぎっくり腰が治ればいい。

イライラすることでダンナが変わればいい。

どっちをやっても効かない。


声があおるままにイライラや後悔に心を持っていけばいくほどそれは肥大化する。


実はそれがその声の目的なのだ。

苦しんでくれることがその声のエネルギーになる。

宿り主、つまり私たちが疲労困憊してドツボにハマってくれて、

この世界をますます実在化し、地を這うように生きて死んでいく。

それが声の目的。


声は詐欺師だ。

思考という詐欺師。

感情という詐欺師。

そして五感という装置を生み出して、

この世があるかのように見せる詐欺師。


五感、思考、感情。

これが組み合わさって、この世界に臨場感を与える。

それが延々とグルグルと回っている。


その思考を疑い、

その感情を疑い、

目の前に見えている世界を疑う。。。








和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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2026年10月3日土曜日

なんもわからん!

「食パン皿」
うねうねした四角いお皿に草花をあしらってみました。

 

二箇所同時開催の和紙の作品の展覧会、陶器の作品の展覧会と、

立て続けの忙しさの中で、ぎっくり腰になってしまった。


なんてこったい。

理由はわかってる。

何キロかもわからない鉄のかたまりの重たい手回し轆轤を何個も使って作品を作ってたからだ。


この忙しい時期に!何やってる私!と、自我は叫ぶ。


朝目が覚めて立ち上がるまでに5分かかる(笑)。

はたから見たらなんというすっとぼけた格好だと自画自賛(使い方違う)。




しばらくブログを更新していない。

あらゆる出来事が起こって、どこをどう話していいのかわからん。

全ての問題は何一つ解決することもなく進行中。

目下の問題、未来の問題、全部があやふやなまま突き進んでいる。

そしてぎっくり腰。

ある朝、私は思った。


「なんもわからん!」


ひとりリビングで叫ぶ。


そうなのだ。

さっぱりわからんのだ。

わかんなきゃいけないと思ってきたのだ。

わかってこそ大人と。


でもわしは思った。

そんなもん、分かるわけないやろ。


狂気の土台で成り立っているこの世界は、全てが狂気。

辻褄なんて合ってる風に見えているだけで、よく見たら合ってない。

合った気になっているだけだ。


問題は一見解決したように見えて、

ホッとした瞬間、また別の問題がやってくる。


最近はやりの映画やドラマでやってるタイムループは、

一つの出来事が繰り返しやってくることだけど、

これ、実は同じことがこの世界で言えている。


一つのことが「形を変えて」繰り返しやってきているのだ。

形が違うからタイムループとは思えない。

でも一瞬止まってよく考えると

「あれ?また同じことやってね?」とならないか?


この世界はそのタイムループを気づかないようにずっと繰り返しやらされて、

ずっとこの世界に魅了させられるよう(つまり問題解決に明け暮れるように)に仕向けられている。

ハツカネズミが輪っかの中をぐるぐる回り続けるように。


だから「なんもわからん!」は、

このぐるぐるから手を引くことでもあるのだ。




こうするのが正しい。

この問題はこうやって、こうしてこの方向に進むのがいい。。。

そういう画策を一切手放して、「なんもわからん」のまま進むと、

気がつくと、なんだか人生が優しくなっている。


握ったハンドルを手放して自動操縦にさせると勝手にことは進んでいく。

そこで思うのだ。

最初から自分で操縦なんかしてなかったんだって。


してる気になって

「そっちじゃない!こっちだ!そっちじゃなーい!」

って自分でなんとかしようとしてたことが苦しかったんだと。


未来のことも、自分の人生も、この社会の道理も、なんもわからん!


これって「無知の知を知る」ってこと?


いや~。

そもそもこの世界を知る必要もないってことかな(こらあ~っ!)。








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2026年9月20日日曜日

クルンと回ってひとつの輪っか

 

「ムカゴ」長石、織部

ありがたいことに器が売れたので、宅急便を出しにコンビニに行く。

自転車で行けば速いけど、川沿いをテクテク歩いて持っていく。

たくさんの草たちに会えるから。


これでもかーってぐらいみごとに虫に食われてレース状になったクズのぱっぱ。

華麗な花を咲かせるイタドリの群生。

ハヤトウリのツルがそこら中に広がって、桜の老木を登っていく。

瓜がなったときは、誰か食べるのかな?たぶんサルが食べてしまうのだろう。
(私もおこぼれをもらうことにしよう)


風に乗ってキンモクセイが香ってくる。

鼻をおっ広げてクンクン嗅ぎながら出どころを探す。見つけられない。

きっとどこかの庭先にあるのだろう。自然の中や山の中に見ることはないから。

川のそばの柿がたわわになっている。

栗もそうだったけど、今年はなりがいいのかな。


昨日、小さな作品ができた。

野菊の花。

出来上がった時、心が踊る。



先日陶芸の先生が言ってた。

「自分の核になるものを見つけなさい」


私は先生に「これ使いたい!と思って作ると良いものができた。

それは使っても良いけど、売ったほうがいいんだろうか。。?

陶芸家はそういうの、どういう基準で考えてるんですか?」

と、ちょっと下世話な質問をしたつもりだったのに、先生は深読みをした。


先生にとっては「敗戦」が彼の作品の根になっているという。

「私は『日本の終戦』とは呼ばない。『敗戦』と呼ぶ」

敗戦後、彼は母親に連れられて米軍の武器輸送船に乗って平壌から日本に帰ってきた。

幼い頃、たくさんの悲しいものを見てきたようだった。


私の作品の核になるものってなんだろうと考える。

地べた、草、花、ダンゴ虫、、、、笑


とにかく地面からにょきっと出てる不思議なもの、面白いもの、綺麗なものを見ていた。

私のズボンの膝はいつもすり切れて、母がそこにアップリケをつけてくれていたらしいから、相当這いつくばって生きていたようだ。

それが核、、なのかな?


若い時、この地球の主人公は植物だ!と思った時のあの感動を今も覚えている。

だから自然の中で自然に触れて暮らす。


考えてみると、地べたは粘土とつながっている。

和紙はコウゾだし。


粘土という地べたに、

和紙という植物に、

草を描く。


なんか、クルンと回ってひとつの輪っかになってるなあ。









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2026年9月16日水曜日

夢のほころびを見つける

 

山芋のツルの器

ここんところ、なんだか嫌なことばかり起こる。


突然知らないオヤジに怒られたり、

パソコン乗っ取られたり、

陶芸の道具である撥水剤をうっかり床にこぼして、

大勢の人を巻き込んでえらい騒動になったり(今も進行中)、

兄弟がヒステリーになったり(笑)。


いや笑い事ではない状況に落ち込んで、

あーでもない、こーでもないと必死に対処する。

毎日何かが起こる。

その都度カラムーチョのおばあさんみたいにヒーヒー言う。


そんなことやってる場合ではない、

展覧会の準備はどうするんだ!?と言うと、

なぜか淡々と進んでいる。

心が荒れ狂っている最中にも制作は進む(笑)。


いや笑い事ではない。

心は完全に疲労困憊した。



現象は私の心の中の現れだとコースはいう。

見せてくれているのだ「あなたの心の中はこうだよ」と。

そうすると、「えーっ!私はこんなにもこんがらがったひどい心の中なの!?」

と罪悪感が浮上する。。。という元気さえもなくなった。


ただただボーゼンとする。

そうして自分がいろんなことをコントロールしようと思っていたことに気づく。

この世界をどうにかして、いいように持っていく。。。


ってできないじゃん!

ってことをとことん思い知らされた。


この世は支離滅裂だ。

香港さんのブログでハッとする。


夢の世界は支離滅裂だ。

夢の中にいるときは、それが本当に起こっていると信じて必死で対処する。

でも夢から覚めると、なーんだ、支離滅裂だったじゃん。

なんで必死に対応しようとしてたんだろ?

と一笑に伏す。


それと同じことがこの世界に起こっている。

支離滅裂に見えない。辻褄が合っているように見える。

しかしよく見ると変だ。

ほっといたら消えていたりする。


夢のほころびを見つける。


この世界をコントロールしようとすることをやめる。

私の心が外に見えているだけなのだ。

鏡に映ったものを気に入らないと言って
鏡を拭いて変えようとするのをやめる。
それは私の心の結果だから。


ただやって来ては消えていく様を見る、雲を眺めるように。


世界は暴れたい放題に、

暴れさせておいてあげよう。







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