2026年2月20日金曜日

世界が遠くにある

麦汁プッシュ〜!全部私の器だぜー。

 

この世界のことを何も考えなくなる瞬間が時々くるようになった。


それは安堵。ふつふつと湧き出てくる喜び。気楽な心。

世界が遠くにある。ずーっと離れたところにちっちゃな点としてある。


そんな時、ああ、世界はないんだなあ〜って絵空事のように感じる。

うふふ〜ってな気分になる。


しばらくそんな気分を味わってのち、元の感覚に戻される。


重い(笑)。


この世界のことを考えるってなんて重いんだ。

考えようとしなくても勝手に考えている。


これから先どうするんだ?お金は?健康は?


その心持ちの違いを教わると、この世は地獄だとさらに強く感じる。


よく老人たちはこの状況で耐えられるもんだ。

体はどんどん衰えていく。お金はどんどん減っていく。


世の老人たちよ。あなた方はすごい!(おまえも老人だろ)




今右足が痛い。

寝ていると足がつって今ビッコをひいている。

下手くそなヒップホップのステップを無理やり踏んでいるうちに右足が痛くなってきた。


こうして常に体のどこかが痛いという思いをしている。

それが「私は体だ」という信念を維持させてくれている。

ありがた迷惑な話だ。


母が歩けなくなっていったという姿を見ているから、

歩けなくなりたくないという恐れがある。

その恐れからダンスをしているフシがある。

恐れへの抵抗が、逆に体に負担をかけているとも言える。


すべてこの世界の話だ。

この世界は実在すると信じてやまない私の心が作り出した地獄。

恐れのあまり恐れから逃れるためにあれこれやってさらにドツボにはまる(苦笑)。


でも私にはもうひとつの見え方がある。


自分の中にある恐れを、ぜんぶぜんぶぜ~んぶ引き受けて、

今ここにある光に溶解してもらうのだ。


道は長いかも知れんが、目標は見つけた。








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2026年2月15日日曜日

恐れを作った

 




コースの言葉は抽象的だ。

その言葉をそのままオウムのように繰り返していてもあまり意味がない。

それを全て日常の中に自分ごととして取り込んでこそ意味がある。



「あなたが恐れを作った。

だからあなたが恐れを自分で取り除くことはできない。

なぜなら自分で作ったものをあなたは信じるからだ。」


このちんぷんかんぷんな言葉が、

本当に自分で恐れを作っていること、

そしてだからこそ自分でそれをコントロールしたり取り除くことはできない

と言うことを日常の中で具体的に気づいていく。




私は現象に恐れを抱く。

ある夜、ー10度という天気予報を見て、水道水が破裂するんではないかと心配する。

うちの給湯器を直してくれた業者さんに電話をしたら、

水道水をぽとぽとと出しっぱなしにしとけばいいと聞く。

安心するが、今度はポタポタという音で寝られない。

音にも恐れを抱く私。


本当にちっぽけな心配事だが、

恐れに大きいも小さいもない。

それは必ず大きな恐怖につながっている。

そしてその恐れを自分で取り除くことはできない。


恐れで行為したものは、いっときは楽になるが、また別の恐れを生み出す。

こうして恐れが順繰りに回っているだけで、

その根本の恐れの原因にはたどり着けないようになっている。

現象を現象で消しても、同じ水平線上での行為だから消えることはない。

私が信じた世界だから。


こんな風にコースの抽象的な言葉は、具体性を帯びて私に説得力を与える。

だからこその聖霊力。


私はあらゆる恐れの中で震えている。

これはどういうことか、

どう見ればいいのかと問い続けた。




恐れは何のために作られているのか。

私自身を苦しめるためだ。


私たちは自分自身に罰を与えるためにこの世に生まれてきている。

いや罰を与えるためにこの世を作った。

この世界自体が牢獄。


だからこそその恐れ/罰に気がつき、

それが実は存在していないことを教わる。




明け方小さな言葉がすっと入ってきた。

「信頼しなさい」


その言葉を聞いた時、心がポッと広がった。


信頼。。。。

そうだった。

私は信頼することを忘れていた。



この世界を信頼せず、私を信頼せず、現象を信頼せず、

この不快なものをどうにかしなければと思い続けていた。

自分でやらなければ、自分で解決しなければ、自分で、自分で。。。。


考えたら、自分自身を信頼していないのに、

自分でどうにかできると信じていたのだ。

それは信頼できない業者さんに心配事を頼むようなものだ。

心もとないに決まっている。


これが自分が作った恐れを信じてやまないこと。

矛盾する中をぐるぐる。



この世界に生まれてきた意味は、

私の中にある闇をどんどん光の元に渡していくことだ。


自分がやっていることの矛盾に気がつけば気がつくほど

それが明るみに照らされる。


隠しておきたいものに触れた時、

それは渡す準備が整っているからこそ触れる。

それを勇気を出して差し出す。


私は怖がっている

ということをまともに見て、それを認識し、

それはもう要らないと宣言する。


信頼がそこについていてくれるからこそそれができる。


信頼は意志力がいる。

ほおって置いたらすぐに恐れを信じる。

自分は小さい、弱い、無力だ。

その無力の中でどうにかしようとする。


信頼するとは、自分の人生を信頼することだ。

何が起こっても、それはあなたの闇を溶かすために起こる。

水道管の破裂の心配も、ポタポタ音への恐怖も、

私の闇を溶かすために起こる。


愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去るために。


悪夢から目をさますために。












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2026年2月12日木曜日

間違いだらけ

「葛」ビールジョッキ

 

「君の考え方はずれている。

僕の質問の答えになっていない」

「君はいつもそういう言い方をする。

それは僕を不快にする」


そう言われるたびに、

「自分は間違っている!」と感じ、

恐れおののく。


「ち、違う。。。そういう意味じゃない。。。」

と言っても相手には届かない。


相手が愛を求めていることがわかっているからこそ、

こういう考えはどうだろうと提案するが、

それがかえって火に油をそそぐ。


ああ、やっちまった。。。


相手に対する恐れと怒りが出てくる。

恐れと怒りはセットになっている。

存在を揺るがされると、人は怒りで防衛しようとする。



これは何を私に教えてくれようとしているのだろうと聖霊に問い続けた。

そして「自分は間違っている」

あるいは「間違っているのかもしれない」という信念があることに気づく。


「あなたは間違っている」と言われることが心底恐ろしい。

だから「あなたは間違っている」と言われるのが投影の仕組み。


知ってはいたが、その仕組みをまともに見て、

今度こそその信念と真剣に向き合わなければいけないと思った。


そしてじっと考えた。




幼い時、警察官の父に、

「嘘をつくな!」と怒られたことがある。

嘘はついていなかった。

しかしそう言われると、

私はだんだん嘘をついている気になって泣いた。


間違ってはいけない。

嘘をついてはいけない。


間違うとか嘘というものは、神の世界にはない。

それが分離であることがわかる。

この世界のものだ。


分離。。。


Aさんから見た世界は、Aさんから見える世界しか見えない。

Bさんから見た世界も、Bさんから見える世界しか見えない。


浜に立って、海に顔が向けば海が見える。

浜に立って、海に背を向ければ海は見えない。


「何が見える?」

「海!」

「嘘だ!海なんか見えない!」


それぞれが見たものを言えば、

それは間違っていると言われて嘘をつくことになる。


仮にいくら私の目の横に、相手の目をくっつけても、

目の位置だけ見ている世界がずれる。

どうやっても「同じ」ものを見ることができない。

誰かの目と私の目を重ね合わせることもできない。


これが分離の世界だ。

これが知覚の世界だ。

ただそれぞれが自分が見たものを言い合うだけだ。


間違いと嘘だらけ。

それぞれの解釈と判断でさらに分離する。

それがこの世界の道理。


「私だけ」が間違っているわけではなかった。

この世界のすべてが「間違い」なのだ。


それに気がついた時、心が少しほどけた。




知覚と言う五感で世界を見ている限り、

兄弟との間では違いしか見えない。


分離したいという間違った思いの世界の中で、

思いを一つにすることはできない。


この間違いの世界を使って、

つまり、ここで必死にどうにかしようとすることの無意味さを知るためにこの世界はある。


その先に心を向けるために。




その気づきを相手とシェアした。


そこにこの世界に立って話していない二人がいた。

水平線上にいない二人。


その時、心は一つになっていた。








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