2026年2月12日木曜日

間違いだらけ

「葛」ビールジョッキ

 

「君の考え方はずれている。

僕の質問の答えになっていない」

「君はいつもそういう言い方をする。

それは僕を不快にする」


そう言われるたびに、

「自分は間違っている!」と感じ、

恐れおののく。


「ち、違う。。。そういう意味じゃない。。。」

と言っても相手には届かない。


相手が愛を求めていることがわかっているからこそ、

こういう考えはどうだろうと提案するが、

それがかえって火に油をそそぐ。


ああ、やっちまった。。。


相手に対する恐れと怒りが出てくる。

恐れと怒りはセットになっている。

存在を揺るがされると、人は怒りで防衛しようとする。



これは何を私に教えてくれようとしているのだろうと聖霊に問い続けた。

そして「自分は間違っている」

あるいは「間違っているのかもしれない」という信念があることに気づく。


「あなたは間違っている」と言われることが心底恐ろしい。

だから「あなたは間違っている」と言われるのが投影の仕組み。


知ってはいたが、その仕組みをまともに見て、

今度こそその信念と真剣に向き合わなければいけないと思った。


そしてじっと考えた。




幼い時、警察官の父に、

「嘘をつくな!」と怒られたことがある。

嘘はついていなかった。

しかしそう言われると、

私はだんだん嘘をついている気になって泣いた。


間違ってはいけない。

嘘をついてはいけない。


間違うとか嘘というものは、神の世界にはない。

それが分離であることがわかる。

この世界のものだ。


分離。。。


Aさんから見た世界は、Aさんから見える世界しか見えない。

Bさんから見た世界も、Bさんから見える世界しか見えない。


浜に立って、海に顔が向けば海が見える。

浜に立って、海に背を向ければ海は見えない。


「何が見える?」

「海!」

「嘘だ!海なんか見えない!」


それぞれが見たものを言えば、

それは間違っていると言われて嘘をつくことになる。


仮にいくら私の目の横に、相手の目をくっつけても、

目の位置だけ見ている世界がずれる。

どうやっても「同じ」ものを見ることができない。

誰かの目と私の目を重ね合わせることもできない。


これが分離の世界だ。

これが知覚の世界だ。

ただそれぞれが自分が見たものを言い合うだけだ。


間違いと嘘だらけ。

それぞれの解釈と判断でさらに分離する。

それがこの世界の道理。


「私だけ」が間違っているわけではなかった。

この世界のすべてが「間違い」なのだ。


それに気がついた時、心が少しほどけた。




知覚と言う五感で世界を見ている限り、

兄弟との間では違いしか見えない。


分離したいという間違った思いの世界の中で、

思いを一つにすることはできない。


この間違いの世界を使って、

つまり、ここで必死にどうにかしようとすることの無意味さを知るためにこの世界はある。


その先に心を向けるために。




その気づきを相手とシェアした。


そこにこの世界に立って話していない二人がいた。

水平線上にいない二人。


その時、心は一つになっていた。








和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです













2026年2月7日土曜日

「展覧会 in 山籟」を終えて

 


今日は柔らかな雪が高尾に降っています。


新年明けてからのジビエ料理レストラン山籟さんでの展覧会が幕を下ろしました。


寒い中、わざわざ足を運んでくださった方々に御礼申し上げます。


幸いにも毎日いいお天気に恵まれ、

珍しい鹿肉やイノシシ肉のイタリアンなフレンチな美味しいジビエ料理を囲んでの団欒は

今までの展覧会とは趣の違う素敵な時間でした。


「こんな料理食べたことない!」

と感動してくれる人もたくさんいました。


「オレ、今度こっちの方の山歩きして、帰りにここに寄って一杯やって行くわ」

と密かに計画を練るクマさんもいました笑。


とにかく連日すごい人で、常連さんはもちろん、私の知り合いまで来て、

山籟さんはさぞかし大変だったことと思います。

さらに私の器や作品集なども販売もあったので、なおさらのことと。。。

山籟さん、お疲れ様でございました。

本当にありがとうございました。








今回初めて絵と器を同時に展示したのですが、

器がなぜかとても売れて、

会期中に窯出しがあったので器を追加したのですが、

結果ほとんど売れてしまいました。


なんでかな?安いからかな?

いやたとえ安かろうと人はそう簡単に買ってはくれません。


つくしが慣れない手つきで必死こいて作った器を

うちに持って帰って使いたいと思ってくださった方々にお礼申し上げます。

ありがとうございました。


そして作品はというと、

うちの旦那が厳選して掛けたのですが、

まるで前からそこにあったかのような自然な風景になっていました。


展覧会というのは、ギャラリーのようなホワイトキューブ、

つまり白い壁があって、そこに絵がかけてある。

絵を見てくださいと飾られるわけです。

異質なものが置いてあってこそ、初めてそこに目が向く。


レストランでの展覧会というのは初めてでした。

山籟さんの料理の美味しさに心が奪われてしまい、

絵を見るという感じではなかったのかもしれません。

一つ勉強になりました。


それでも作品が心地よい空間を作ってくれていたらいいなあ、

心のどこかに記憶として残っていてくれればいいなあと思いました。








期間中、ジビエ料理を食べながら、

「僕のそれまでの木の見え方が変わりました」

と話してくれた人がいました。


彼は私の絵を買ってくださった方なのですが、

毎日近くの公園を散歩されているそうです。


「それまで木が僕に語りかけてくれることなんてなかったんです。

それが公園の木たちそれぞれ個性を持っていることに気がついてきたんです。

「私はね」とか「俺は」とか僕に語りかけてくるんですよ。

これはつくしさんの絵の影響です!」


なんと答えていいのかわかりませんでしたが(笑)、

私が森を見て感じ取っていることが、

絵を通して人にも伝わっていくのかもしれないと思いました。


また昨日、去年の展覧会の時送った絵葉書を見ているだけで、

いろんなことが起こり、心が癒されていく方のメールをいただきました。

読んでいる私まで心が震えて涙が溢れてしまいました。


これはもう私の作品がとか、手柄がとかいう次元じゃない。

絵は勝手に私の手を離れて一人歩きをしている。

人々の元に何かを伝えに出かけているのでしょう。

これを奇跡と呼ばずに何というのだろう。



絵を描くこと、

器を作ること、

何か面白いことを思いついたら作ってみること。

これからも楽しんでいきたいと思っています。


ありがとうございました。










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2026年2月1日日曜日

「ダメな私はいない」

「麦」ビールジョッキ

 

「私はいない」という言葉を10年ぐらい前に聞いた。


最初その言葉を聞いた時、

どこかホッとするような気分になった。


「こんなダメな私はいないんだ。。

ああ、良かった。。。」と。


でもどこか物寂しい、空虚感を感じていた。


それが悟りなのか。。。?

そういうこと。。。?



コースを学んでくると、その言葉が別な意味で捉えられ始めてきた。


私が抱いている「私」というアイデンティティ。

そのアイデンティティは、酸いも甘いも経験してきた私という人物像だ。


その酸いも甘いもは、この世界で味わってきた思い。

世界の法則、世界の法律、世界に対する思考、それにくっついてくる感情。

それら全部をひっくるめたものが私。


この物理的世界に翻弄されながら生きていると信じているけれど、

コースは、その苦悩は幻想なのだと言う。


「いやいや。こんなに苦労してきて、

それが単なる思い込みだっただなんて、

ありえないでしょう。

だって現にこんなに苦しんできて、、、、」


とブツブツ言って抵抗しながらも

自分の心を見る訓練をしていくと、


ある時「いや、確かにそうだわ、、、

え、マジで?マジでそうなん?」


という現象が時々起こり、

知識だけではなく、

体験を通してその言葉の意味がわかり始める。


するとそれまで自分の中にあった苦悩としてのアイデンティティが少しづつ落ちていき、

その苦悩があったところに愛が忍び込み始める。


わけもなく喜びがあふれたりする。

ヘラヘラ笑っていたりする。

自分の強さに気づいたりする。


泡がうまし!



例えば、20センチの物差しが私であるとする。(そんな無茶な)

その物差しの18センチぐらいが自分のアイデンティティで、

残りの2センチぐらいが、

なんか得体の知れない本来の私?神の子の私?みたいなものなんだろうと思っていた。

ほぼ苦悩体験の私。


でもある時気づいた。

その残り2センチだと思っていた神の子わたし(亀の子たわしみたいだな)は、

実は2センチどころか、地球一周するぐらいのものすごーーーーいデカイ私だったのだ!と。

で、その地球一周するぐらいのでかい私を無理矢理20センチの物差しにはめ込むと、

18センチもあった苦悩する私はナノレベル。(ナノより小さい単位は知らん笑)

鼻くそピン!ほどの代物だったのだ。


「私はいない」は、

「ダメな私」はいない。

だったのだ。

コースでいうなら、罪な私はいない。


そんなもん、親指と人差し指で「ピン!」とふっとばせるほどの「私」だったのだ。


本当の私は今ここにいる。


この地球いっぱい。

この宇宙いっぱい。


いないのは「ダメな私」。



思うんだ。


私の真のアイデンティティは、そのダメな私が抜け落ちたもの。

一人一人がそもそも持っている強烈なユニークさ。


その独自のユニークさがどんどん開花していくことが、

幸せな夢、実相世界を見始めることなんじゃないかと。







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