2026年6月20日土曜日

放蕩息子

「コーヒーカップの絵付け」

 

放蕩息子のことが頭に浮かんだ。


王の息子は財産分与でもらった金を持って旅に出て全財産使い果たし、

食べるものもままならなくなった。

このままでは死んでしまう。父の元に帰ってこう言おう。

父よ私はあなたに対して、天に対しても罪を犯しました。

私はあなたの息子の資格はありません。

どうぞ私をを雇人の一人ににしてくださいと。

そうして父の元に出かけたら、

まだ遠く離れているのに父は彼を認め、

走り寄ってその首を抱いて接吻した。

さあ、早く、最上の着物を出してこの子に着せ、指輪を手にはめ、履物を足に履かせなさい。

また、肥えた子牛を引いてきて屠りなさい。食べて楽しもうではないか。

この息子が死んでいたのに生き返り、

いなくなったのに見つかったのだから。

息子が帰ってきた!さあ皆で祝おう!


しかし息子は自分のおかした罪に苛まれ、

「父よ。私はそんなことを父にしてもらう資格などありません。」

と言って父の喜びを受け取ろうとしない。。。。



これ、私だ。

 

前からその話は知っていた。

しかし今ほどそれをリアルに感じることはなかった。


父/神から離れたいと思い、一人で生きることに決めて今まで頑張ってきた。

そして文無しになって、父の近くに帰ってきながら、

父の豊かさを受け取ろうとしない。


父よ。私にそんな資格などありません。

どれだけ父を裏切って、どれだけ自分一人で生きて来ようとしたか。

その結果がこれです。私はこれからもその罪の償いをしていきます。


だが父は私の「罪」に何のとがめもなく、まるでなかったかのように振る舞う。

ただただ私がここにいてくれるだけで最大の喜びなのだ。

そしてその豊かさを渡そうとしている。


しかし私は「罪」を償おうと、自ら辛い思いを選ぶ。

ちっこいところでちまちまと生きる。

私にはこれだけしかありませんので。。。

私の力はこれだけなので。。。

すみません。放っておいてください。。。



これが分離だった。


父とは一緒になれません。

兄弟とも一緒になれません。

なぜなら私は罪深いので。。。





私は直径20センチくらいのちっちゃなクリスタルボールの中を覗き込んでいる神の子だった。

クリスタルボールの中が私の唯一見える世界だ。

その世界がすべてだった。

そこには自分の体も世界もある。

それしか知らなかった。

それしかないと思っていた。

だがその中は罪/分離の世界だった。


そこから一瞬離れる。

するとそのクリスタルボールの外は、即、神の世界だった。

全てが輝く光しかない豊かな神の心だった。


こっちが本当だった。。。!

唯一実在するものだ。

私はただ分離を覗き込んでいる、

その中に没頭しているだけだったのだ。


錯覚を皆置き去りにする。

「自分の罪」を置き去りにする。

父はそんなもの見てはいない。




私は私にすでに与えられた豊かさを持って歩こう。

与えたものが与えられる。


罪を与えれば、罪が与えられる。

愛を与えれば、愛が与えられる。


十字架にかかるか、

自由の中にいるか。


心は活動的に常に動いている。

十字架刑か、自由か。
この今、この瞬間の、

一瞬一瞬が、私の選択にかかっている。






和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです









2026年6月13日土曜日

母の三回忌の旅にて思う

「湖畔遊」からみた物部川

 

母の三回忌のために高知に帰ってきた。


友達やいとこに助けられて、

お寺やお墓や土佐和紙の工房や素敵な場所に連れて行ってもらった。

本当にありがたかった。


今回は亡くなった人へ寂しさではなく、

自分自身への苦しみを抱えることになった。


同い年の友達といると、自分自身への罪悪感がどんとやってきた。

年金を払っていなかったことへの山のような恐れと後悔がやってきた。

なんてことをしてしまったんだという後悔。

これからどうなってしまうんだという恐れ。

その罪悪感の中にどっぷり入ってしまった。


そして話は大体が認知症や介護の親の問題。

それだけではない。

やっと親の問題が終わったと思ったら

今度は自分の問題への対応へと、

問題が後から後から続いてやってくる。


この世界は判で押したように「同じ問題」が人々に降りかかってくる、

体にまつわる話でいっぱいだ。

この世界で生きるということはなんて苦しいことなんだろう。




ホテルに帰ってずっとコースを読んでいた。

今回はワークブックのレッスン1から一気にまとめて読んでいく。


「この部屋の中で、自分が見ているものには何一つ、なんの意味もない」

「この部屋の中で、自分が見ているものすべてのものに、

自分にとってどれだけの意味があるか、それを決めたのは自分」

「自分は過去だけを見ている」

「自分は何一つ、今あるがままに見ていない」

「自分の思いには何の意味もない」

「自分の無意味な思いが、無意味な世界を自分に見せている」

「無意味な世界は恐れを生ずる」

「神は無意味な世界を創造なさらなかった」

「自分の思いは、自分が作った想像の産物である」

「自分が思っていることが及ぼす影響を感じるのは、自分一人ではない」


ここまでは今自分が見ている世界についての話だ。

そしてここから別の視点へと移っていく。


「自分は物事を違った風に見ようと決心している」

「自分が見ていることは報復の一つのかたちである」

「自分の見ている世界からは、攻撃的な思いを放棄することで逃れられる」

「何よりも自分は物事を違った風に見たいと望んでいる」

「神は自分の心の中におられるので、

自分が見ているすべてのもののうちにおられる」


                 「奇跡の道」田中百合子訳より



私たちはこの世界は初めにあって、その中に生まれ落ちたと信じている。

だが真実は逆だ。

初めに心があって、その心がこの世界をでっち上げて、さもそれがあるかのように見ている。

自分は人間だと信じ、この体は老いて朽ちて死んでいく。

そういう壮大な物語を自分で作り上げてその中で一喜一憂して生きているのだ。


三回忌の読経の後、浄土真宗のお坊さんが話してくれた。

「阿弥陀さまにお願いすると、極楽浄土に行けます。」

だからすべてを阿弥陀さまに委ねなさいと。


そうか、コースもすべてを聖霊に委ねなさいという。

一緒なんだと思ったが、よく聞いていると、

後生のことだった。


「私たちにはたくさんの闇があります(そこは一緒だ)

いくらいいことをしたと思っても、知らない間に悪いことをしていたりします。

だから死んだのち、閻魔さまに裁かれてどこへいくかわからない。

だけど阿弥陀さまにいつも感謝の念を唱えていると、

それだけで死んだ後は即悟り、そのまま極楽浄土に連れて行ってくださり、

もう輪廻することはありません。」


仏教は後生のことを話ししているのかもしれない。

面白いのは輪廻するっていうのが前提だ。

ほっといたら輪廻してしまうから、もうしないための仏教。。。


そういう意味ではコースと同じ。

もう輪廻しないために学ぶのだから。


仏教は「この世は幻である」ということと、

コースの「世界はない!」は同じだ。


しかしこのふたつがちょっと、、、

いや、だいぶ違うのは、

この世界はあなたがでっち上げたということだ(笑)。


だから年金の問題も親の問題も体の問題も、

私がでっち上げたのだ。

この世界をハラハラドキドキ臨場感たっぷりのお化け屋敷にするために。


コースは経済についてでも親の問題についてでも、

この世界のことを考えている時、心は空白になっているという。

必死で考えている気になっているが、

無、何もないものについて必死で考えているから、空っぽと(笑)。


だから私は無益な考えに浸っていたのだ。


「今、私は必死で考えているように思っているけど、

本当は何も考えていないんだな」

そう思うと愉快になってくる。



「自分の見ている世界からは、攻撃的な思いを放棄することで逃れられる」

この言葉が私にひびく。


つまり私は自分がいたらなかったことに対して

自分自身に攻撃を仕掛けていたのだった。

自分の罪悪感に対して、その中にどっぷり浸り、

罪の償いを必死で考えていたのだ。


その自分自身への攻撃心を放棄しよう。

心は活動的だからしょっちゅうその攻撃心はやってくる。

だけどそのつど放棄する。


心を静けさの中におく。


「まるで世界がないかのように生きなさい」


最近心の中にリフレインしてくる言葉。

歌のように聞こえる。


最近、静けさは私の宝だ。

何もないところに心を向けると、

ずっとそこにあったものに触れて幸せになってくる。



こうやって聖霊はこの世界を使って

私に本当の自分を思い出すことを手伝ってくれる。


母の三回忌の旅に感謝。




それから一つお知らせがあります。


来年の6月中旬から7月中旬まで約一ヶ月、

高知にある和紙の博物館、

『いの町紙の博物館』で、少し大きな展覧会を開くことになりました。

詳しいことはまたおってお知らせいたします。


田村工房の田村晴彦さん、栄子さん、

そしていの町紙の博物館に感謝いたします。










和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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