ありがたいことに器が売れたので、宅急便を出しにコンビニに行く。
自転車で行けば速いけど、川沿いをテクテク歩いて持っていく。
たくさんの草たちに会えるから。
これでもかーってぐらいみごとに虫に食われてレース状になったクズのぱっぱ。
華麗な花を咲かせるイタドリの群生。
ハヤトウリのツルがそこら中に広がって、桜の老木を登っていく。
瓜がなったときは、誰か食べるのかな?たぶんサルが食べてしまうのだろう。
(私もおこぼれをもらうことにしよう)
風に乗ってキンモクセイが香ってくる。
鼻をおっ広げてクンクン嗅ぎながら出どころを探す。見つけられない。
きっとどこかの庭先にあるのだろう。自然の中や山の中に見ることはないから。
川のそばの柿がたわわになっている。
栗もそうだったけど、今年はなりがいいのかな。
昨日、小さな作品ができた。
野菊の花。
出来上がった時、心が踊る。
先日陶芸の先生が言ってた。
「自分の核になるものを見つけなさい」
私は先生に「これ使いたい!と思って作ると良いものができた。
それは使っても良いけど、売ったほうがいいんだろうか。。?
陶芸家はそういうの、どういう基準で考えてるんですか?」
と、ちょっと下世話な質問をしたつもりだったのに、先生は深読みをした。
先生にとっては「敗戦」が彼の作品の根になっているという。
「私は『日本の終戦』とは呼ばない。『敗戦』と呼ぶ」
敗戦後、彼は母親に連れられて米軍の武器輸送船に乗って平壌から日本に帰ってきた。
幼い頃、たくさんの悲しいものを見てきたようだった。
私の作品の核になるものってなんだろうと考える。
地べた、草、花、ダンゴ虫、、、、笑
とにかく地面からにょきっと出てる不思議なもの、面白いもの、綺麗なものを見ていた。
私のズボンの膝はいつもすり切れて、母がそこにアップリケをつけてくれていたらしいから、相当這いつくばって生きていたようだ。
それが核、、なのかな?
若い時、この地球の主人公は植物だ!と思った時のあの感動を今も覚えている。
だから自然の中で自然に触れて暮らす。
考えてみると、地べたは粘土とつながっている。
和紙はコウゾだし。
粘土という地べたに、
和紙という植物に、
草を描く。
なんか、クルンと回ってひとつの輪っかになってるなあ。





