2026年10月21日水曜日

展覧会最終日

 


展覧会最後の日。

私にとってはとても感慨深い1日だった。


この高尾駒木野庭園での私の展覧会は今年で4回目を迎えた。

当時の園長さんと知り合い交流が深まるほどに、

この場所を全部借り切って私の展覧会をやろう!と

三年がかりで話をすすめてくれて実現したものだった。

だがその園長さんも変わり、それも今回でおしまいになった。


歩いて行ける場所でもあり、

四回の展覧会の会期中は毎日出向いた。


この場所の面白いところは、

絵にはまるで関心のない人たちや、山帰りの人たちでごった返す。

ホワイトキューブのギャラリーとはまるで違う体験。

だがそんな中で私の絵に触れてとても感動してくれる瞬間もあった。


特に今年はそういうシーンをたくさん見ることができた。

絵と初めて対面して、それが心に響いていってるのを横で目撃するのは

なんとも得難い体験で、こっちの心まで広がり始める。

絵とはこんなにも人の心を打つものなのか。





人々は波のようにやってきて、そして凪に帰る。

静かな午後、枯山水を望む縁側のガラス戸を開けてひとり風を感じる。


心になんのイメージも持たない

なんの感覚も持たない

ただ縁側に座る


目の前に広がる自然の中に、絵の材料を探そうともしない

これからどうするのかという考えも持たない

心の中は真っ白に、透明に

なんの考えも計画もない

そこにとどまる


聞こえてくる鳥の声、虫の声、遠くで聞こえる電車の音、風の音、、、


心が空っぽでいることの心地よさ

何かを入れたとたん苦しくなる

この世界のことを考えると苦しくなる

その自覚

はっきりと見えるその違い


自我の救済計画はどうやってもうまくいかない

私はこういうことになったら救われる、

お金があったら救われる、

保険、保証、確実なもの、みんながやっていること、

そうやって65年やってきた。

でも救われなかった。

これからもそこで救われることはないだろう。


そういうものから離れる。

神の救済計画とはどういうものだろう。

自我の私が知る由もない。


でもそれしかうまくいかないのはわかる。

こうやって真っ白になるほどに、

そこにしか真理が見出せないことが垣間見えてくる。



そうして凪の時間の次に、

また波がやってきて、

にぎやかな最後の時間を過ごした。



今年の展覧会は本当にたくさんの方々が来てくれた。

同時開催の浅川市民センターでの展示も功を奏したようだった。

今まででいちばんの来場者数だった。


この静かな思いを持って次に進んでいこうと思う。



浅川市民センターおよび高尾駒木野庭園へ足をお運びくださった方々へ

厚く御礼申し上げます。












2026年10月14日水曜日

自我は詐欺師

「ももいろもり」和紙、水彩

 

私たちは、自分の中でわき起こった感情を、疑問も持たずに信じる。


イヤ~な気分になった時、それに気がつき、

あ、あいつがあんなことしたからこんなイヤ~な気分になったんだーと、

その気分の理由をすぐに見つけ出す。


私がこんなに苦しいのは、残高が少ないから。

私がこんなに悲しいのは仕事がないから。

ムカつくのは上司がイヤミを言ったから。


なぜならこう言う事情があったからこんな感情に見舞われたと信じる。


夜中にトイレに立って歩いている間、心が未来の不安でいっぱいになる。

真っ暗闇で何にも見えない。

何のきっかけもないはずなのに心が不安材料を思い出す。


私はそこに疑問を持つ。

何で?

この不安の感情はしょっちゅう起こる。

何で?



不安な気持ちがやってくると、

そうだこの不安をどうにか解消しなければ!といって考え始めて来た。

けれど、いっとき成功した気になったことはあっても、

また次の不安がやってきて、

それに関連した事柄がずーっと芋づる式に広がっていって、

嫌な気分はどん底にまで至る。

その繰り返しはもう嫌だ。。。。



そしてある実験を開始する。


罪悪感が襲ってくると、その罪悪感の理由はちゃんとあるけれど、

それとまともに付き合わず、あ、来たなといってほっておいてみた。

どんな感情も瞬時に気づき、

ネガティブなものには取り合わないようにしていった。


そうやって地味な作業をしていると、

わいて来た感情って本当は正しくはなかったことに気づく。

正しくなんかないのだ。

振り込め詐欺みたいなもんだ。

不安をあおっといて、その不安を解消するためにあらゆることをやらせる。

するとこの世は俄然リアルに迫ってくる。


ほれほれ、もっと苦しめ~。もっとなげけ~。もっと心配しろ~。

って、不安な感情を起こさせてくる。

これこそが自我の誘惑だったのだ。


自我は詐欺師だ。

晩御飯時のニュース番組みたいなもんだ。

恐怖のお知らせを立て続けに見せて民衆を恐れさせ、

自分で考える力を失わせ、マインドを一定方向にコントロールするアレだ。



そうすると、もともとどっちが先だったのかと思い始めた。

本当はその気分になりたい自分がいたんじゃないかと。


イヤ~な気分になりたかったから、上司のこう言う行動を見た。

苦しみたいから、残高を見た。

悲しみたいから仕事がないように見た。


何で苦しみたいのか。

苦しみという罰を受けようとしているのだ。

刑罰は何も刑務所に入ることばかりじゃない。

イヤ~な気分になるのも罰の一つだ。

苦労ばかりする人もいる。

それは無意識に自分に罰を与えている。


ではなぜ罰を与え続けるのか。

自分には罪があるという深いところでの信念があるからなのだ。

もともとこの世界に生まれていること自体が刑の中にいると言える。


人生って苦しみばかりじゃないですか。

それ、そういうことなのだ。


だから人生の中で苦労をすることがいいことのように思われている。

それは少しでも罰を受けることで、

死んだ時えんま様に情状酌量の余地を与えられると信じているからだ。


「私ってえ~、こんだけ苦労してきたんだからあ~、えんま様。よろしくねっ!」と。


でもどっちみち同じこと。

針のむしろが、つまようじのむしろに変わるぐらいのこと。

死んでも苦しむ刑なのは同じ。


だからこその、私には罪などないということを思い出すのだ。

苦しむ/罰を受ける必要などないことを思い出すのだ。




ふっと浮かぶイヤな思い、ふっと浮かぶ不安、

ふっと浮かぶ心配、ふっと浮かぶ寂しさ、

ふっと浮かぶ怒り。。。

それを地味に放っておいた。

相手にしないでいた。


だんだんそれが来なくなり始める。

夜中にトイレに起きても心に不安は立ち上らなくなっている。

心が静かになってくる。


そしてその反対に、忘れていたあの感覚が浮かび上がり始める。

心の底にウキウキするものが、あったかい想いが。。。


意味がわからないけれど、喜びで眠れない夜もやってくる。

ありがたさで胸がいっぱいになってくる。


見えているものに重さを感じなくなってくる。

心はこの世界に縛り付けられなくなってくる。


世界が遠くなってくる。。。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです


2026年10月12日月曜日

高尾駒木野庭園での展覧会が始まりました

 


高尾駒木野庭園での展覧会が始まって三日たった。


初日は美大時代の友たちが来てくれて、

変わらぬ懐かしい顔を見せてくれた。


連休のせいもあってか、連日たくさんの方がふらっと来てくれる。


同時開催になった近所の浅川市民センターで私の展示を見たと言ってその流れで来てくれた人もちらほらいる。宣伝成功~。


通常のギャラリーでは絵を見る目的で来るものだが、ここは庭園。高尾山からの帰り、絵とは関係なく入ってくる人たちが多い。

そんな中で偶然に私の絵との出会いをいたく感動してくれる人もいる。

キラキラした目で眺めてくれる。

「こっ、、、、これはいったい何!?」

何か琴線に触れる瞬間があるのだろう。

その姿は私に活力をくれる。

老若男女。老いも若きも、男も女も。

そんな人たちとの出会いが嬉しい。


今回でこの庭園での展覧会開催も4回目となった。

自分で言うのも恥ずかしいが、すこぶる評判がいい。


口うるさい町会のオヤジもやってきて

「これはすごい。この頂点に来て、ここから築紫さんはいったいどこへ向かうんだい?

褒めない私が褒めてるんだから、昔買ったあなたの絵とこの絵を交換してくれよ」

と無茶を言ってくる(笑)。





長雨の後の秋晴れが続いています。

気が向いたら、ふらっと高尾まで来て澄んだ空気と絵を楽しみに来てください。

今月19日までやっています。


この会場での絵の売買はできませんが、築紫個人での販売はいたしております。

一言築紫にお声をお掛けください。プライスリストをお見せします。








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2026年10月5日月曜日

声

「野菊に会いに」和紙、水彩

 

私たちはいつも誰と喋っているのかというと、

ダンナでもなく友達とでもなく、自分の中で聞こえる声としゃべっている。


まさかそんな架空の存在と絶え間なくしゃべっているとも自覚なく、

ひたすらそいつと朝から晩までしゃべり続けている。


「あいつのアレが気に入らないわよねえ」

「ああ、そうそう!あれさえなけりゃあねえ」

「どうにかならないもんかしら」

「いっぺん言ってやんなさいよ。バシッと!」

「そ、そうよ。そうよ。いっぺんバシッと言ってやんないと。」

「ところであの件はどうなった?」

「まだ何も進んでないわよ~」

「ダメじゃないの~」

「そうなのよ~」

「あんたが甘いからなめられてんのよ」

「やっぱりそう?」

「そうに決まってんじゃないの!バカにされてんのよ、あんた!」

「やっぱりそうなの!もう、あのやろう!明日なんか言ってやるわ」


言葉でここまではっきり会話してなくても、

なんとなくそんな空気感の中でずーーーーーーっと

垂れ流し状態の会話がなされている。


心の中の声は、自分の中から聞こえてくるんで、自分の味方みたいに思っている。

でもその内容をよく吟味すると、

会話のほとんどが、イヤーな気分になったり、心配事を持ちかけてくる。

気が滅入る、人生が嫌になる、お先真っ暗、

惨めになる、泣きが入る、挙句に死にたくなる。。。


そして今ぼーっとしてたら大変なことになるから、

何かを変えなければいけないと訴えてくる。

外の何かを、外の誰かを、そして自分の何かを。

常に何かを変えて、コントロールして、楽にならなきゃと。

ところがそう簡単には外を変えられないし、

自分も変えられないし、コントロールもうまくいかない。

今度はそれを責め立てる。あんたの力不足だと。


この声はいったい何。

味方のフリした自分を責め立てる鬼じゃないか。

気分が落ち込むのは、外の環境のせいじゃない。

自分の心の中の声を信じてそうなったということに気づく方がいい。


ダンナを見てイライラする。

そのイライラを疑う。

ぎっくり腰になっちゃった自分を責める。

その責める気持ちを疑う。


責めたとして、それがどうなるもんでもない。

責めることでぎっくり腰が治ればいい。

イライラすることでダンナが変わればいい。

どっちをやっても効かない。


声があおるままにイライラや後悔に心を持っていけばいくほどそれは肥大化する。


実はそれがその声の目的なのだ。

苦しんでくれることがその声のエネルギーになる。

宿り主、つまり私たちが疲労困憊してドツボにハマってくれて、

この世界をますます実在化し、地を這うように生きて死んでいく。

それが声の目的。


声は詐欺師だ。

思考という詐欺師。

感情という詐欺師。

そして五感という装置を生み出して、

この世があるかのように見せる詐欺師。


五感、思考、感情。

これが組み合わさって、この世界に臨場感を与える。

それが延々とグルグルと回っている。


その思考を疑い、

その感情を疑い、

目の前に見えている世界を疑う。。。








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