2026年7月24日金曜日

苦しみに関わらない

「わたしの庭」和紙、水彩

 

お知らせ:秋の展覧会の日程が決まりました。


築紫(つくし)作品展

2026年10月9日(金)~19日(月)


高尾駒木野庭園

八王子市裏高尾町268ー1

tel:042-663-3611


開館時間9時30分~16時30分

無休 入場無料


今年から作家名を「つくし」から

本名の漢字である、

「築紫」に変更していきます。

よろしくおねがします。


注:九州の「筑紫」ではありません。

元々母はこの漢字を私の名前にしたかったようですが、

父が役所に届け出ましたところ、

その当時当用漢字でないものは名前として使えなかったらしく、

建築の築と、紫を合わせて「つくし」と読むという不思議な読ませ方で採用になったそうです。

というわけで今流行りな感じのオリジナルな名前ですね(笑)。


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このところやたら忙しい。

10月の展覧会に向けてのハガキ作りやチラシ作りや

自身の制作は言わずもがな、

それとは別に陶芸展に向けてのハガキやチラシ作り、

そして町内会の会計の仕事、営業など、

毎日あっちこっち行きまくっている。


だがそんなこの世界の「やること」とは真逆の感覚も。


夜は私の心の中の雑多なものが噴出する時間なのだろう。

夜中になると漠然とした苦しみが心に溢れてくる。

この世界のありとあらゆる問題定義である。


それはこの問題、あの問題とも言えない混沌としたヘドロのようなものだ。

それをどうにか解決するという代物でもなく、

その圧倒的な漠然とした苦しみを前になすすべもない。


そして気がついてくる。

これはどんな解決方法もない。

ただそこから離れることだけだと。




エゴはこの世界の問題定義をし、

その問題を解決するために私たちを奔走させる。

これが世界を私にくっつけさせ、

この世界を維持していくための手段だ。


そう、エゴとくっついた私がこの世界をでっち上げ、

この世界に問題を見つけ、それを解決していく。。そんなことの繰り返し。


そういうすべてもろもろの、この具象的世界とは全く関係のないところに心を置く。


関わらない。

関わらないという言葉がその感覚に近いかもしれない。


苦しみにさえも関わらない。


例えば陶芸展のハガキ作り。

器のブツ撮りやそのバックに置く桑の葉っぱ探し。

そういう一つ一つの面倒なことに、感情を関わらせない。

会計の仕事に恐れを関わらせない。


これまでは、恐れと一緒に

頑張って、無理して、我慢して、やってきた。


だがその感情こそが、この世界を重要に、深刻に、重く、

そして超リアルにさせてきたのだ。


作品の制作過程の行為一つ一つに

「これ、間違ってないか?変な方向に行かないか?」

と恐れと共に作品を作ってきたその感情から離れる。

「こうである必要はない」





真っ暗闇の中、この世界の苦しみと関わらないでいると、

つまり具象性の中ではなく、

何もない抽象性の中にいると、

やがて静寂に包まれる。

苦しみなどなかったかのようになる。


指一つ動かしていないのに、

問題を何一つ解決していないのに、

心が変わる。


そういう体験をしていくほどに、

この世界は本当にあるのか?という思いになる。

すべては心次第なのではないか?という結論が迫ってくる。


でっち上げが、

でっち上げとして証明されていく。











和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです



2026年7月20日月曜日

探求とは、自分の中にある破壊的な信念を見つけていくこと

 

わたしの器とダンナの器(真ん中手前)

「わかったよ!こういうことだったんだ!

俺、ずっとこんなふうに考えていたんだ!

いや、確かに君に何度も言ってもらってた。

だけどピンとこなかったんだ。

でもふと今日わかったんだ。

うわ~そういうことかー。」


ダンナはボリボリと頭をかいて、空を見つめていた。

その顔は喜びと驚きに満ちている。


こういう気づきの発見を聞くたびに、ああよかったと思う。

本人がはっきりと気づくまで、言葉はただの空耳アワー。


自分が意識にも上らせないほど当たり前のように考えていたことは、

真実ではなく、ただの思い込みだった。

そのことに気がつき始めると、

さらなる他の思い込みに気がつき始める。




言葉は、単なる単語、音でしかない。

しかしその言葉を本当に本人が「理解する」瞬間が訪れる。

「言葉が入る」と言ってもいいのかもしれない。


その時、その人の心はパッと広がる。

ああ!そういうことだったんだ!




これは私たちが学校や社会で聞いて覚える知識とは違う。

勉強って、知識を入れることだと思ってきた。

確かにこの物理的世界においては、「知る」ことが大事。

知識はあればあるほどいいらしい。


しかし本当のところは、この物理的世界の知識は真実の知識ではない。

この世界のルールを覚えてうまく生きるための知恵。

残念なことにその知識が完全に整って完璧になることはない。

あろうことか知れば知るほど矛盾が露呈してくる始末。




だが冒頭の知識は自分を解放していく。

自分の中の本当の自分とのつながりを見つけていく作業なのだ。


探求とは、愛を見つけることではなく、

愛を覆い隠している、

自分の中にある自分を傷つけてきた破壊的な信念を

見つけ出していくことだった。


その破壊的な信念に本当に気づいたとき、

そこに罪悪感はない。

ああ、これは無意味な信念だったのだ!とふっと荷がほどける。



この世界はほとんど生まれた時から、

自分にダメ出しを出され続ける。


こうであってはいけない。こうでならなければならない。

こうあるのが正しくて、今そうなっていないことがいけない。

今そうなっていない。だからダメなんだ。


コマーシャルやSNSを見て感じないだろうか。

「そのままじゃあなたダメです!」

よくなるためにはこれを買ってとか、

こうやって運動してとか、

禁欲的な食事をしてとか、

そんな情報ばっかりじゃない?


あなたそのままではダメなんですよって洗脳されまくってる。

そう言われ続け、そしてそうでない自分を呪う。


その破壊的な洗脳、

自分自身に与え続けてきた無意識レベルにまで隠されてきた破壊的な信念に気づいて、

一つ一つその重荷を降ろしていく。



そうしてこの世界に対するすべての考えが、


「この世界は実在する」


という自我の誘惑そのものなのだったのだと教えられる。





和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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2026年7月6日月曜日

ちゃんとしなきゃ病=罪悪感

 

「宴」和紙、水彩


やる人がいない町内会の会計。急遽私にお鉢が回ってきた。

しゃーない。誰もやらんのやからやったるわい。


先日の役員会で町会費を集計。

慣れない手つきでお札を数えていると、

「金を扱ったことのねえ奴の手つきだな」

と、口の悪いオヤジが私の横でぼやく。


罪悪感が頭をもたげる。

「やばい。簿記もやったことのない私が、会計なんてやっていいんだろうか?」

ちゃんとしなきゃ病が湧いてくる。。。

だが次の瞬間、その罪悪感をぽいっと捨てる。



一昨日の京王八王子駅近くの「えきまえテラス」での陶器出店の時。

「明日は一日中雨だけど、明日、午前中だけでもやるか~」

「先生。私はやめときまーす」

先生のやりたそうな空気を読まずに思ったことをはっきり言う。



心の中は常に罪悪感が渦巻いている。

どう思われる?

こんなことやっちゃったら後でバチが当たる?

これ食べちゃったら太る?

これは体に悪い食べ物?

やっても、そしてやらなくても、バチを恐れる。


コースの中にある言葉「罪悪感は罰である」


罪悪感があるから、罰を与えるんではなくて、

罪悪感を持つ、それがすでに自分への罰なのだ。


罪悪感は、持った瞬間に苦痛がそこにある。

それこそが罰だった。




自分がいかに罪悪感で世界を怖がっていることか。

それを知ることは、この世界からの解放への道だ。

そのために自分の心を見る。

そこからしか始まらない。

見えている世界を変えることではない。

見えている世界こそが、自分が信じていることが結果として現れている(見えている)世界だから。

だからその原因を見る。心という原因を。





私たちの行動の一つ一つは、よく見ると罪悪感が動機になっている。

息をするたびに罪悪感が湧いてきている。

この世界は罪悪感でできている。


そしてそれを自分の心を見るために利用する。

冒頭のオヤジの言葉は、私のちゃんとしなきゃ病を意識させてくれた。

オヤジが悪いわけではない。

自分の中にそんな罪悪感があるよと教えるためにその言葉を発してくれたのだ。


なぜ教えてくれたのか。

それはあなたが罪深いからではない。

あなたには罪などないということを思い出すためなのだ。



自分が罪悪感を持っているということを意識しない限り、

「それはない」というところには行けない。

知らないうちに消えてくものではないから。


この自分が持っている罪悪感を一旦自覚し始めると、苦しい時期を過ごすことになる。

自分がどれだけ恐れているかを知り始めるからだ。


しかしそこを通り抜けて、別の道へと歩む。

自分が作ったお化け屋敷を解体していくのだ。


自覚された小さな一つ一つの罪の意識。

それはここに生まれてきた時に既に持っていたもの。

でもそれは本来の私たちのものではない。


それをそっと手放していこう。

もういりませんと、空に渡していこう。


そうして少しづつ薄い罪悪感というベールを剥がしていくうちに、

時々恩寵という名の陽の光がさっと差し込む。

ああ、こっちなんだ。。。と確信が増えていく。


その違いは心の感覚ではっきりとわかる。

ぎゅっと苦しいか、ほ~っと緩んでいくか。その違いを認識する。


私たちは一人ぼっちではない。

私が一つほどけるごとに、この地球のどこかで誰かがほどけていく。


罪か。愛か。


どっちを選ぶ?


すぐ横で、何かが、暖かい思いで、見つめてくれている。








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