2026年4月7日火曜日

この世のことは放っておきなさい

「夜のハス」

 

意識しているとしていないとにかかわらず、

人は常に自分の非を恐れている。


昨日歯医者に行った。

自分の歯に異変を見つけられると、

何か悪いことをしたような気分になる。


甘いもの食べ過ぎたからだ、

不健康な生活しているからバチが当たったんだ。。

きっと自分は悪いことをしたに違いない!と心の中がざわつく。


銀行のお金が減っていくのもそうだ。

今日より明日、明日より明後日と、

徐々に減っていくお金が、

私の罪をさらに大きくさせる。


あまりの苦しさにいっそゼロになってしまった方が楽かもしれないと思う。


完全にゼロになったら、

日々罪が重なるよりマシ。

大罪を受け取ってせいせいするかもしれない。


試しに想像してみる。

今、完全にゼロなら。。。?

きっと今この時を味わうだろう。

もし5億円銀行にあったら?

きっと同じだ。今この時を味わう。


おかしな話だ。

徐々に減っていくという恐れが消えた時、

ゼロでも5億でも同じように今を味わうなんて。




人の苦悩は大体三つにある。

お金、健康、人間関係。


私の人生の苦悩の大半はお金だ。

フリーランスには常につきまとう不安。

そしてそのうち体が言うことをきかなくなり、健康へとシフトするのだ。

そして病院や施設で今度は人間関係に悩まされ。。。。

パターンは読める。



プルプルと震えるちりめんビブラートのような恐れが私を襲う。

取り除こうともがいてももがいてもその恐れは消えない。

お金がなくなる、私は罪を犯した。大罪だ。この罪は消えない。。。


この恐れはお金を稼ぐことで解決することではない。

お金が入るという結果でホッとすることをやっている限り、

その恐れはまたやってくるのは目に見えている。

でもどうやってこの恐れを取り除くのだ。。。


凄まじい苦しみの中で必死に聖霊に頼む。


どうか教えて欲しい。。。

どう見ればいい?

あなたの見方を教えてください。。。


ひたすら祈り続ける。

長い時間が過ぎた。



ほんの一瞬、言葉が浮かぶ。


「じっと黙って、静かにする。。。」


先日読んだコースのテキストの中に出てきた言葉だ。


そうだった。。。



私は恐れの中で、じっと黙った。

じっと静かにした。


闇が静まった


真っ暗な中で、チリチリと震えていたちりめんビブラートは

し。。。。ん。。。

となった。





ただ、じっとしていた。


そして気づいた。


この世界にべったり張り付いていた私を。


今、まったく違うところに立っている私を。


この世の道理とは関係ないところにいる。


そういうことだったのか。



あの夜からお金への恐れが消えた。

状況は何一つ変わっていない。

またいつでも戻ってくるかもしれない。

それでもいい。



一つギフトがあった。

不意にお金が入った。

額は小さいけれど、

これはメッセージだ。




「この世のことは放っておきなさい。

わたしがちゃんとする。」



そう言われていると感じた。





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2026年4月5日日曜日

赦せない私

 

「夜の梅」

いつもの散歩コースに、

トレイルランの人々が走るようになってきた。


コロナあたりから増え始めた。

土日は大勢走ってくる。

すぐ川の向こうに車道があるのにそっちは走らない。


それまでは山登りの人々や四季折々の山野草を楽しむ人々が歩く、

ゆったりと落ち着いた場所だった。


一人ぐらいしか歩けない細い遊歩道を後ろから走ってくる。

私は脇の斜面に身を避ける。

あるいは崖すれすれに立って通り過ぎるのを待つ。


お礼を言う人もいれば言わないで走り去っていく人もいる。

団体だったり二人で走ってくるときは、皆大声で話しながら走ってくる。



日々変わっていく足元の小さな風景や木々の変化を

味わいながらのんびり歩いているのに、

それを蹴散らされているような気分になる。


なんかいやだ。


赦そうと努力する。

でもどうしても赦せない私がいる。


それは私が走れない罪悪感から来ているのか。

ジムで練習して走れるようになったら、彼らを赦すことができるのだろうか。

でもそれも違う気がする。


奇跡のコースは私が走れようが走れまいが、

彼らを赦すことを促している。



最近、遊歩道の入口にトレイルランをできるだけ控えてくれるよう看板が出た。

このエリアの自然を守っている団体だ。

しかしいつの間にかその看板も雨にさらされて

何を書いているのかわからない状態になっている。


昨日、あまりの多さに声をかけた。

「すいません、ここ、トレイルラン禁止の場所なんです」

最初に声をかけた男の人は、

「あらっ、そうなの?知らなかったわ。ごめんなさい」

と、ほおに両手を当てた仕草が可愛かった。


それから次から次に声をかけた。


だがだんだんいやになってきた。

これいつまで言い続けるんだろう。


走っている人は悪者で、歩いている人は善人。。


私はトレイルランをしている人を敵にしている。

自分と他人を完全に分離させている。


こうやって書くことで、トレイルランをしている人が浮き上がってくる。

人は何かにフォーカスすると、

それを肥大化させて、さらに実在させる。


人が敵を外に見るのは、

自分に罪があると信じているから悪い人を外に置くのだ。


そしてその人に

「お前が悪い!お前には罪がある!」

と宣言することによって、

その時だけ自分は無罪になると信じている。


だから私はトレイルランする人に罪をなすりつけている。


だが罪があると言った瞬間、自分に罪があると宣言している。


罪は罪を作る。


どっちかが有罪でどっちかが無罪。。。

なーんてことはドラマの中の設定でしかない。


事実は、誰かに罪を見た時、同時に自分に罪を与えている。


これは本当にきつい。

最初そのことを知識で知った時、まさかと思った。

しかし今はそれが事実だとわかる。

私は罪に魅了されているのだ。


罪があると信じている以上、その罪を手放すことはできない。


罪を握った手を緩めることはできない。


だから私はじっと見る。

罪を手放そう手放そうとあがいている私を見る。


じっと黙って静かにそこにいる。


じっと黙って何もしない。








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2026年4月1日水曜日

満開の夜桜

「ケサランパサラン」和紙、水彩

 資金も底をついてきた。

この世は幻だ。ここに価値はない。

起きてくることに身を任せ、

お金もなくなりホームレスになるのが運命ならそれでいいではないか。

どのみちこれは幻想だ。

と、言い聞かす。


でも心がいう。

このまま死んでもいいんだろうか。

いや。このままじゃ死ねない。

やれるとこまでやってみる。




久しぶりに営業に動く。

今まで出版社やデザイン事務所、

ニューヨークではそれプラスイラストレーターエージェントに営業をしてきたが、今回は画廊。


自慢じゃないが数々の門前払い、無視、お断りの経験を積んできたから、

営業といえば辛かった思い出ばかりがよみがえる。


今は昔と違ってメールでやりとりができる。

作品を持って行ったり、作品ファイルを送ったりという手間は省けるが、

相手の反応がちっともわからない。

それでもお断りの返事をくれるだけの丁寧さがあるところはありがたい。


営業が好きな人っているんだろうか。

作品に自信を持って送っても、

まったく場違いだったり、

「あんたどこに絵を見せてんの?」みたいな反応があると、

私バカなんちゃうか?と落ち込む。



どんどん落ち込んでかなり辛くなってきた。

いったい何十年同じことを繰り返してきたんだ。。。40年?

そしていつも同じ反応だ。

自分の無能さがほとほとイヤになる。

惨めだ、ひとりぼっちだ、もうイヤだ!


これは私に何を教えてくれようとしているのだろうか。。。


私の中に

営業の失敗=私が間違っている/無能

お金がない=私のやり方が間違っている/無能

という法則があった。


有名な人は正しい営業をして、

お金持ちは正しいやり方をした。

という法則。


つまり私はひたすら間違った無能な人生を送っていることになる。

確かにそう思っている。


この信念は正しいんだろうか。


それは自分の価値を人に渡していることになる。

仕事が決まれば自分の作品もしくは自分という存在に価値があるとされたことになり、

仕事にならなければ自分には価値がないということになる。



自分の存在価値を外に渡している。


たとえ仕事が決まったところでそれはひとときのものだ。

決して長続きはしない。

そしてまた自分の価値を求めて外をさまようことになる。


自分の幸せは他人次第。

そんなことをやっている自分がいた。


この世は幻想どころか、あきらかにこの世を実在させていた。

知覚に完全に振り回されている。。。




営業に失敗しようが成功しようが、私は幸せ。

お金があろうがなかろうが、私は幸せ。


知覚ではなく、知識を思い出す。

私という存在が、

ただそこにあるだけで価値がある。


正真正銘そこに行くために、

私はこの出来事をひき起こしたのだ。



夜3時に目が覚める。

窓を開けると目の前に、

満開の夜桜が満月を浴びて輝いていた。


心の中に緑あふれた草原が広がっている。
私はそれを自分の中に
どんどんどんどん取り込んでいく。


私という存在が、

内側から大きく膨らんでいくのを感じていた。









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