2026年2月1日日曜日

「ダメな私はいない」

「麦」ビールジョッキ

 

「私はいない」という言葉を10年ぐらい前に聞いた。


最初その言葉を聞いた時、

どこかホッとするような気分になった。


「こんなダメな私はいないんだ。。

ああ、良かった。。。」と。


でもどこか物寂しい、空虚感を感じていた。


それが悟りなのか。。。?

そういうこと。。。?



コースを学んでくると、その言葉が別な意味で捉えられ始めてきた。


私が抱いている「私」というアイデンティティ。

そのアイデンティティは、酸いも甘いも経験してきた私という人物像だ。


その酸いも甘いもは、この世界で味わってきた思い。

世界の法則、世界の法律、世界に対する思考、それにくっついてくる感情。

それら全部をひっくるめたものが私。


この物理的世界に翻弄されながら生きていると信じているけれど、

コースは、その苦悩は幻想なのだと言う。


「いやいや。こんなに苦労してきて、

それが単なる思い込みだっただなんて、

ありえないでしょう。

だって現にこんなに苦しんできて、、、、」


とブツブツ言って抵抗しながらも

自分の心を見る訓練をしていくと、


ある時「いや、確かにそうだわ、、、

え、マジで?マジでそうなん?」


という現象が時々起こり、

知識だけではなく、

体験を通してその言葉の意味がわかり始める。


するとそれまで自分の中にあった苦悩としてのアイデンティティが少しづつ落ちていき、

その苦悩があったところに愛が忍び込み始める。


わけもなく喜びがあふれたりする。

ヘラヘラ笑っていたりする。

自分の強さに気づいたりする。


泡がうまし!



例えば、20センチの物差しが私であるとする。(そんな無茶な)

その物差しの18センチぐらいが自分のアイデンティティで、

残りの2センチぐらいが、

なんか得体の知れない本来の私?神の子の私?みたいなものなんだろうと思っていた。

ほぼ苦悩体験の私。


でもある時気づいた。

その残り2センチだと思っていた神の子わたし(亀の子たわしみたいだな)は、

実は2センチどころか、地球一周するぐらいのものすごーーーーいデカイ私だったのだ!と。

で、その地球一周するぐらいのでかい私を無理矢理20センチの物差しにはめ込むと、

18センチもあった苦悩する私はナノレベル。(ナノより小さい単位は知らん笑)

鼻くそピン!ほどの代物だったのだ。


「私はいない」は、

「ダメな私」はいない。

だったのだ。

コースでいうなら、罪な私はいない。


そんなもん、親指と人差し指で「ピン!」とふっとばせるほどの「私」だったのだ。


本当の私は今ここにいる。


この地球いっぱい。

この宇宙いっぱい。


いないのは「ダメな私」。



思うんだ。


私の真のアイデンティティは、そのダメな私が抜け落ちたもの。

一人一人がそもそも持っている強烈なユニークさ。


その独自のユニークさがどんどん開花していくことが、

幸せな夢、実相世界を見始めることなんじゃないかと。







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2026年1月31日土曜日

今ここには何もないのか?

「花」

 予定を立てる。

計画する。


そういうことに重さを感じる。

それがたとえ楽しい計画であっても。


それよりか、今にいることがとても楽しい。


それまでは幸せになるために未来に計画を立ててきた。

それを考えるだけで楽しいと。


でも未来に楽しみを得るために何かをする必要がなくなってくる。


そんなものは恐れの穴埋めでしかなかった。


未来とは何もわからないもの。

わからないから私たちは計画を立てる。

でもそこには恐れがある。


それと同じように、

今ここに私を幸せにしてくれるものが何もないから、

保険のように将来に何かを埋めて安心しようとする。






今ここに何もない。

私たちはそう信じ込まされてきた。


今ここにない何かを未来に見つけろと。


それは明日の未来でもいいし、10分後の未来でもいい。

とにかく今ここには何もないから、

なにか建設的なことをやって未来を充実させるのだ!


私たちは恐れている。


その恐れている自分を見るのは怖い。

チラッとでも恐れが出てきたら、

すぐに何かを考えて気を紛らわそうとする。

次の計画。次の考え。


恐れをないことにして、その恐れを押し入れの隅っこに隠してしまう。


でもその恐れが出た瞬間が大事なのだ。

そこに恐れがあることを見る。

自分が恐れていることを受け取る。

体で感じ取る。

それがじっとしている瞬間。


恐れを、動くことや、

これは自我ちゃんなのねと言って自我のせいにしたり、

外にあるもので気を紛らわすことや

考えを巡らすことでなかったことにしない。


これは心を強くする訓練になる。



今ここには何もない?


今、見えているものから目を離す。

目の前に見えているものの中に、

あなたを救ってくれるものはない。

それを超えたところに無限に広がっている。


今ここには喜びがある。












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2026年1月24日土曜日

それは言わない約束

人のロクロを使って、人の粘土で
うちのダンナが陶芸もどきを始めた。


うちのダンナはよく人に悩み事を相談される。


あの風貌が妙な説得力を感じさせるのか、

置かれた状況がそうさせるのか。


彼は最初はこうしたらいい、ああしたらいいとアドバイスをするが、

相談者はその後それをやっている節が見当たらない。

相変わらず、また同じ相談を持ちかけられるそうだ。


「それでこの間、

『お釈迦様が言った「この世は幻である」という言葉、知ってるか?と

言ってやったんだ。

すると彼らはドキッとした顔をして、後退りする。」


「この『お釈迦様が言ってた』という枕詞が大事なんだ。

でさあ、知ってんだよ。それ。

この世は幻想だって、みんなどっかで知ってんだ」


「へーえ。本当に?」と私。


「そうさ。

で、彼らは「そっ、、、それは言わない約束でしょ!?

そうじゃないとこの世界で遊べないじゃん!」と、

無言で俺に言ってくるんだ」


「マジでー?」私は大笑い。


「で、その人はどうするの?」

「その後しばらくは相談に来ない。でも忘れた頃また来る」


「その時はどうするの?」

「お釈迦さんがさあ~。。。というと、また後退りしてもう来なくなる」


それは究極のお悩み相談の回避の仕方だな。


「悩みも遊び。

悩むことも彼らにとっては遊び。」

と、ダンナはいう。



くれぐれもうちのダンナに悩み事は相談しないように。




ダンナいわく、これはそばちょこなんだそう。
高台は私が綺麗に処理してやった。
そうすると途端にゲージツ作品になる。






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2026年1月17日土曜日

なーんだこれ夢やった、という夢を見る


 このところ、家が見つからなくて焦ったり、

よく覚えてないんやけど、混沌の世界や悲惨な夢を見る。

そして、あ、これ夢だった。


という夢を続けて見ている(笑)。


なーんだ。夢やんけ。

家ここにあるし。

私大丈夫やし。

でもその家、私の知らん家やし。(でもホッとしている)



実際の私は起きてきたけど、

その起きてきたという夢をまだ見ているのかもしれない。

今、パソコンに文字を打っている夢を見ているのだ。


と言うクルンクルンと回ってどこにも収まらないところにいる。


それがなんか面白い。




昨日も、なんとも解決のしようがないことがあった。

一難去ってまた一難。

ほっとくことにした。


世の中は、なんとも解決しようもないことばかりだ。

こうやったら解決すると思うその解決方も、どうもすっきりしない。

どっかにしわ寄せがくる。

そのしわ寄せを別の方法でしわ伸ばしをする。

するとまたそのしわ伸ばしのせいで別なところに問題が発生して。。。。


この世界に完璧な解決法はない。


まるで夢の中のわちゃわちゃと同じじゃないか。

一見秩序立っているかのように装うが(ここが味噌)、ほころびが見つかる。


で、「「なんか変だ。。。これひょっとして夢なんじゃね?」

と思い始めるところに出口がある。



朝、ダンナが、

「この世界は無意味だって知ったら、俺は自由になれる!」

と豪語しながら起きてきた。


コースのワークブックに

「この部屋の中に見えているものには、何の意味もない」

と一発目から容赦ない言葉が出てくる。


この世界は無意味だと言われたら、人は普通「チッ」って思う。


こうなってくれたら幸せと思う。

それはこの世界に意味を感じている。

この世界を価値としている。

だから必死で解決方法を探るのだ。

でもうまくいかない。


うまくいかないのはひょっとしたらギフトなのかもしれない。

そこ探っても何も出てこないよって。


自我はささやく。

「探せよ。されど見つけることなかれ。ひっひっひ」


聖霊はいう。

「見えているものを探しても真理は見つからないよ」




そうなのだ。

無意味であることを知る。


それは自由になる!


でもそう簡単には

「はい。そうですか。では無意味ということで」とはならない。


でも小さな矛盾から気がついていくと

「あれ?」って思うことたくさんあるに違いない。


そしてこれは知っておくべきだ、こうあるべきだと言われていることを

「知らなくていいのかも。。。?」

と思ったりした時のちょっとした開放感。(ここも味噌)


そんなものの積み重ねが、

だんだんとこの世界を


「ほんまにこれあるんかいな。。。?」


と、引いて見れるようになってくるのかもね。








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