2026年2月27日金曜日

コース頭でっかち

つい最近できた作品群



 「俺、罪悪感がすごくある。。。

この世は全部罪悪感でできてる。人は罪悪感で動いてる!」


昨日夕飯を食べながらダンナが熱く語る。

パスタ食べながら話す内容ではないけれど、

こうやって心を紐解いていく最近の私たち。


コースを学ぶためには罪悪感のことを避けて通れない。

私たちには罪というものはない。

だからこそ自分の中にある罪悪感に気づいていく必要があるけれど、

なかなか人は「もともと私たちに罪はないんだから、

罪悪感は見なくて大丈夫。

だってその罪悪感に引っかかるとさらに自我に巻き込まれるから」

と言って、罪悪感案件をさらっと通り抜けようとする。


それでもいい。

少しづつ、少しづつ、心の闇に気づいていく。

そして優しくゆっくりとほぐしていく。



人によっては、短期決戦のパターンもある。

出来事によって前に進むことを促される。

ダンナがそのパターンだ。

コースを学び始めた頃、

「罪悪感?はい?そんなもの俺にはない」という人だった。


しかし本人曰く「カラダの痛い痛いシリーズ」

が後から後から次々にやってきたり、鬱状態になったりして、

どんどん心と体が疲弊していって、

「一体なんだこれは!コースやって楽になるはずが、

もっとひどくなったではないかー!」

と私に訴えること百万回。


ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジを徹底的に読み倒し、

それでも人生への苦しさは消えず、

隣にいたやつが読んでいる奇跡講座という分厚い本を手に取ってから、

さらに不幸になる始末。


そうはいってもコースに書かれた内容は、

マハルシやマハラジがボンヤリとしたものでしかなかった心の仕組みを

具体的に説明してあることに驚き、四六時中読みふける。


頭の中に完全に知識が入っていったが、

まだそれと実際の自分の行動への応用がなく分離している、

いわば「コース頭でっかち」なやつがそこにいた(笑)


しかし人生とは捨てたもんじゃなく、

だんだんとコースが自分ごとに照らし合わせられるようになってくる。


それまでぼんやりとしかわからなかった自分の心の状態が

うすらうすら見えるようになってきた。

そこに学んできた知識が応用されていった。


「俺、マハルシやマハラジ読み倒してた頃、

もうすぐ悟れると思ってた。山の頂上はもうそこだと。

でもコース学んでからは、まだ山の裾野にも行けてないって知ったよ。。」





心は本当に深い。

自分の心を見ることは、

何か恐ろしいものに触れるんじゃないかとなかなか見れない。


でも人生の苦難に直面した時、人はそこに行き着くしか無くなる。

人生の苦難の原因は外にあるんではなく、心にある。


勇気を振り絞って見る。

すると見れば見るほど、心の理解を促され、

そしてまたその先の理解に連れていかれる。

連れていかれるのだ。いったい誰に?


個人的な罪悪感の層を深く掘り進んでいくと、

個人を超えた層に触れてくる。

それと同時に神の片鱗に触れ始める。



ついこのあいだまでコースの理解が違い、

喧嘩ばかりしていた二人だった。


それがこんな風に罪悪感について、神について、

こんなに楽しく笑いながら語り合える日が来るとは思わなかった。







和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです









2026年2月20日金曜日

世界が遠くにある

麦汁プッシュ〜!全部私の器だぜー。

 

この世界のことを何も考えなくなる瞬間が時々くるようになった。


それは安堵。ふつふつと湧き出てくる喜び。気楽な心。

世界が遠くにある。ずーっと離れたところにちっちゃな点としてある。


そんな時、ああ、世界はないんだなあ〜って絵空事のように感じる。

うふふ〜ってな気分になる。


しばらくそんな気分を味わってのち、元の感覚に戻される。


重い(笑)。


この世界のことを考えるってなんて重いんだ。

考えようとしなくても勝手に考えている。


これから先どうするんだ?お金は?健康は?


その心持ちの違いを教わると、この世は地獄だとさらに強く感じる。


よく老人たちはこの状況で耐えられるもんだ。

体はどんどん衰えていく。お金はどんどん減っていく。


世の老人たちよ。あなた方はすごい!(おまえも老人だろ)




今右足が痛い。

寝ていると足がつって今ビッコをひいている。

下手くそなヒップホップのステップを無理やり踏んでいるうちに右足が痛くなってきた。


こうして常に体のどこかが痛いという思いをしている。

それが「私は体だ」という信念を維持させてくれている。

ありがた迷惑な話だ。


母が歩けなくなっていったという姿を見ているから、

歩けなくなりたくないという恐れがある。

その恐れからダンスをしているフシがある。

恐れへの抵抗が、逆に体に負担をかけているとも言える。


すべてこの世界の話だ。

この世界は実在すると信じてやまない私の心が作り出した地獄。

恐れのあまり恐れから逃れるためにあれこれやってさらにドツボにはまる(苦笑)。


でも私にはもうひとつの見え方がある。


自分の中にある恐れを、ぜんぶぜんぶぜ~んぶ引き受けて、

今ここにある光に溶解してもらうのだ。


道は長いかも知れんが、目標は見つけた。








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2026年2月15日日曜日

恐れを作った

 




コースの言葉は抽象的だ。

その言葉をそのままオウムのように繰り返していてもあまり意味がない。

それを全て日常の中に自分ごととして取り込んでこそ意味がある。



「あなたが恐れを作った。

だからあなたが恐れを自分で取り除くことはできない。

なぜなら自分で作ったものをあなたは信じるからだ。」


このちんぷんかんぷんな言葉が、

本当に自分で恐れを作っていること、

そしてだからこそ自分でそれをコントロールしたり取り除くことはできない

と言うことを日常の中で具体的に気づいていく。




私は現象に恐れを抱く。

ある夜、ー10度という天気予報を見て、水道水が破裂するんではないかと心配する。

うちの給湯器を直してくれた業者さんに電話をしたら、

水道水をぽとぽとと出しっぱなしにしとけばいいと聞く。

安心するが、今度はポタポタという音で寝られない。

音にも恐れを抱く私。


本当にちっぽけな心配事だが、

恐れに大きいも小さいもない。

それは必ず大きな恐怖につながっている。

そしてその恐れを自分で取り除くことはできない。


恐れで行為したものは、いっときは楽になるが、また別の恐れを生み出す。

こうして恐れが順繰りに回っているだけで、

その根本の恐れの原因にはたどり着けないようになっている。

現象を現象で消しても、同じ水平線上での行為だから消えることはない。

私が信じた世界だから。


こんな風にコースの抽象的な言葉は、具体性を帯びて私に説得力を与える。

だからこその聖霊力。


私はあらゆる恐れの中で震えている。

これはどういうことか、

どう見ればいいのかと問い続けた。




恐れは何のために作られているのか。

私自身を苦しめるためだ。


私たちは自分自身に罰を与えるためにこの世に生まれてきている。

いや罰を与えるためにこの世を作った。

この世界自体が牢獄。


だからこそその恐れ/罰に気がつき、

それが実は存在していないことを教わる。




明け方小さな言葉がすっと入ってきた。

「信頼しなさい」


その言葉を聞いた時、心がポッと広がった。


信頼。。。。

そうだった。

私は信頼することを忘れていた。



この世界を信頼せず、私を信頼せず、現象を信頼せず、

この不快なものをどうにかしなければと思い続けていた。

自分でやらなければ、自分で解決しなければ、自分で、自分で。。。。


考えたら、自分自身を信頼していないのに、

自分でどうにかできると信じていたのだ。

それは信頼できない業者さんに心配事を頼むようなものだ。

心もとないに決まっている。


これが自分が作った恐れを信じてやまないこと。

矛盾する中をぐるぐる。



この世界に生まれてきた意味は、

私の中にある闇をどんどん光の元に渡していくことだ。


自分がやっていることの矛盾に気がつけば気がつくほど

それが明るみに照らされる。


隠しておきたいものに触れた時、

それは渡す準備が整っているからこそ触れる。

それを勇気を出して差し出す。


私は怖がっている

ということをまともに見て、それを認識し、

それはもう要らないと宣言する。


信頼がそこについていてくれるからこそそれができる。


信頼は意志力がいる。

ほおって置いたらすぐに恐れを信じる。

自分は小さい、弱い、無力だ。

その無力の中でどうにかしようとする。


信頼するとは、自分の人生を信頼することだ。

何が起こっても、それはあなたの闇を溶かすために起こる。

水道管の破裂の心配も、ポタポタ音への恐怖も、

私の闇を溶かすために起こる。


愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去るために。


悪夢から目をさますために。












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