2016年10月27日木曜日

羽毛布団は、今夜までに乾いてくれるのだろうか。。?

 
ふとおもいついて、羽毛布団を大型コインランドリーにて洗いに走った。

1時後、ほわんほわんに膨らんだ羽毛布団に仕上がっているはずと、とりだした布団は、ぺっちゃんこ。。。

「イっ、、、イメージと、ちがーーーうっ!」

たまたまガス屋のおじさんが、ここのランドリーのガスの修理に来ていた所を、
「1時間だけやらせて~」
と、ムリヤリ押し込んだのだ。
これ以上ガス屋のおじさんを待たせるわけにもいかない。

「お、おじさん、、
も、もうちょっと乾燥機にかけたい。。。」
と、口に出そうになったが、ぐっとこらえて、
ペッチャンコな羽毛布団を持ってかえって、
しぶしぶベランダに干す。

20センチ四方の仕切りの中で、すみっこに固まって片寄りまくった羽毛を、しゅくしゅくと、ほぐほぐと、ほぐす作業を地味~~にやった。


西から雲が出始めた。
かっ、、、、乾いてくれるんだろーか、今夜までに。。。。

2016年10月17日月曜日

畑でもらうもの




先日のつづき。

畑で草を刈っていると、いろんな思いがよぎる。
さっきまで考えていたこと、昨日の出来事、ふいによみがえるちょっと前に感じたこと。
かと思えば、何十年も前に聴いた音楽のフレーズ。。。

あたまの中は、絶えずそういう考えや、音に埋め尽くされているのがわかる。
こう言うものは、風のようにやって来る。

目の前には、茶色い土、枯れかけて倒れはじめているメヒシバの根元、赤いゴミ手袋をはめた両手。右手にのこぎりガマ、左にはメヒシバをつかむ手。
見ていると、両手はせっせ、せっせと、草を刈り、草を抜いている。
しかし頭は、ここにない。

今しがた、風のように入ってきた言葉に囚われて、その言葉を追いかけ続ける。

あのとき、なんでああしたんだろう。
なんであんな言われかたをされなきゃいけないんだ。
だいたいわたしはどうしていつもああなんだ。
なんであいつはああなんだ。
今度はこう言ってやろう。
「それはね。。。。。。。。。」

そうやって、頭がエアー演説をしている。
まるで金八先生が教壇に立って、素晴らしいスピーチをし、みんなが納得し、
「さすがや!やっぱ、言うことが違うなあ~」
と、みんなを丸く納める姿。。。。

頭がそういう風に、
どんどん空想の世界に入ってるのに、はっときづく。

「また思考の中に巻き込まれている。。。。」

それは同じ所をぐるぐる回るだけの、きりのない思考の世界。
それに気づくと、今度はこうやってみる。

目の前にあるモノとはまったく違う所に心があるのを、ただ、ながめる。
おしゃべりをする「音」に、耳を傾ける。

するとあたまの中の「音」は、次第に消えはじめる。

「。。。。。」

そして、
ふと、気づきが起こる。

「ああ、、、私には、こう言う観念があったんだ。。。。」

あるときは、
「ああ、あの人は、こういうおもいがあったんだ。。。」

あるときは、
「ああ、これがこの思考の仕組みだったのか。。。。」


そのときわきおこる気づきは、さっきまでのトーンとはまるでちがう、
今まで考えもしなかった言葉や、こと。

それは開かれて、ゆるやかに、はればれとした、雰囲気を持っている。

頭で導き出した答えは、どこか窮屈で、ぎゅっと萎縮する感じがする。
それはどこまでいっても、おなじ。

しかし、何の感情も交えずに、起こっているものを見るだけになると、
あるときふいに、それはやって来る。

それは自分で考え出したものじゃない。
今まで思いもつかなかったこと。
それが心に入ってきたとき、今までとは違う空気感になる。
そのちがいが、はっきりとわかる。
今までぐずぐず考えていたことが、完全にほどけている。
心はぱあ~っと、開かれて行く。


私は立ち上がって、高尾の山並みを見る。
夕暮れの赤い陽射しが、山並みを染める。
自分が消えていく。


やまんばは、畑で野菜をもらう。
でもここは野菜だけじゃない、もっとおおきなものをもらう。



絵:「里山の秋」


2016年10月15日土曜日

野菜は勝手に育つ、とゆー農法(笑)


私は畑で、なにしてるかっちゅーと、
草を刈ってるか、草を抜いてるだけやな、って気がつく。

それから土がむき出しになった所をちょこっとスコップでほっくりかえし、平らにし、そこに種を蒔く。
それだけ。

あとは彼らが勝手に芽を出し、勝手に大きくなって行くのを、たまにちらっと横目で見て、気が向いたら、間引きをし、気が向かなかったら、間引きもしないでほっぽっとく。
あるいは、店で苗を買ってきて、それをつっこみ、そのまんま。

今年は、キュウリとシシトウのあいだに、こぼれ種のゴーヤが勝手に育ってきたから、てきとーに支柱を作っといたら、そこから、四方八方にツルを伸ばし、キュウリの上におおいかぶさり、シシトウの上におおいかぶさり、さらに陣地を広げ、八頭の葉っぱにまで到達した。
そのあいだに、草はぼうぼうはえ、その草にまでゴーヤのツルは絡み付く始末。

「え~~~。。。。草、刈れないじゃん。もーええわ。ほっぽっとこ。」

そのままほったらかしておいたら、キュウリ、ゴーヤ、シシトウ、ピーマン、八頭、メヒシバ(草)、あかまんま(草)たちは、共存共栄し、キュウリのあいだにゴーヤはみのり、ビーマンの枝にゴーヤがぶら下がっていた。
しかもいつになく結構な収穫(苦笑)。
(写真は、シシトウとゴーヤの葉っぱ)

「。。。。。」
どゆこと!?

一事が万事、こんなかんじ。

「雑草は取り除きましょう」
「肥料と追肥は忘れずに」
「しっかりと耕しましょう」
「お日様が入るように、苗の間は空けましょう」
の、家庭菜園さいてールールはここでは通用しない。
彼らは、好き勝手に育って行く。

ほんとに、なんにもしてない。

だから「私、野菜育ててマス!」
って、おこがましくって、言えねえ、言えねえ。。。。
「野菜、勝手に育ってマスっ!」
って、言うしかねえし。

こんなぐうたらなやまんばでも、
野菜は勝手に育ってくれているのだ。

ダイコンは、先日葉っぱを根こそぎ、だれか(虫じゃなくて、鳥かたぬきどん)に食われちまったし、
枝豆も、みごとに全部、おサルどんに食われちまった。。。

でも!
そんなこたあ、どーでもええのだ。

それよりももっといいものを、この畑でもらっているのだ。

つづく。



絵:「フキ」/和紙、洋紙、水彩、クレヨン


2016年10月14日金曜日

すこしだけ、かいまみせてもらった


お風呂につかってぽかんとする。
白い天井、白い壁、少しカビが生えたすみっこ。
浴槽のふちにあたまをのっけて、
首から下が、じーんとあたたかくて、
しろい湯気が、ほほの上でたわむれる。

「これ、しかないんだなあ。。。」

あたまの中は、さっきまでの出来事を追いかけようとする。
けれども今は、それがなんだか、
100mとおくのほうにいる。

さっきまでの出来事、思い、いろんな感情、
そんなものが、すっぽりぬけおちて、
ただ今、ここにある風景。
お風呂の風景、暖かさ、電車の音、湯気の香り、
それだけがここにあった。

この世には2つの次元がある。

目の前に展開する現象、
そして、
あたまの中でアレコレ考え、騒ぐ世界。

私たちは、あたまの中で騒ぐ世界に、
心のほとんどを占領されて、
右往左往する。
目の前にあるものを、
あるがまま、そのままみることがほとんどない。

非二元は、そんなふうに言う。

頭ではそれを知っている。
だが、それがどう言うことか、
身をもってわからなかった。

でも、今、
ただ見ている風景にしか、心はなかった。
心は、ぽかんとし、
しずけさがあった。


すこしだけ、それをかいまみせてもらった。

2016年10月12日水曜日

ジョロキア



さっき、近所の畑のおじさんに、
「これ、いる?」と、声を掛けられた。

「あ!それ!何?前から、ピーマンでも、シシトウでもなさそーな野菜、何かなーっ?っておもってたんだ~」
おじさん、にんまりしながら、
「からいの、好き?」という。
「うん、まあまあ。。(う、からいんか。。。)」
「じゃ、もってって!」

おじさんはピーマンらしき苗を、根元から切り落とし、
「はい!」とくれる。
「え~~っ?こんなに?いいのー?」
「もう、全部捨てるからいらないから、もってって!」

半ば押し付けられたよーなかんじで、赤や黄色やグリーンの、ピーマンのよーなシシトウのよーなものがぶら下がった枝をうけとった。

「あ、これ、その野菜の名前ね」
別れぎわ、苗についていたタグを受け取る。

歩きながら、タグの名前を読む。
「ジョ、、、ジョロキア、、、?」


帰り着いてネットで調べる。
「ジョロキア。ハバロネの10倍の辛さ。世界一からい唐辛子と言われる」

はっ、、はあ~~~~~っ?

「もはや、対人兵器。ひとくち口に入れて、救急車を呼んだ人物もいる」

おいおいおいおいおいおいおいおいっ!!!!

ギリシャのレストランで、とんでもない辛さのピーマンを口に入れて、そのあと七転八倒したことを思いだした。

ハバロネの10倍~~~っ???
こりゃ、とんでもないものをもらっちまっただよ~~~~。

どーすべ?

2016年10月3日月曜日

かぐわしいトイレの芳香剤の香り。。。。



キンモクセイがあたり一面、あまい匂いで世界を埋め尽くす。

やまんばは、鼻の穴をおっぴろげて、これでもかーってぐらい、嗅ぎまくります。

すると一緒に歩いていた友だちが、
「あ、これトイレの芳香剤の匂いや」
と、のたまいやがる!

「ちゃう!キンモクセイのカグワしい香りや!」
「え~~~、エステーの芳香剤の香りにしかおもえない」
「アホかーっ!これはほんまもんや。あっちはニセもんの匂いや!」
と、道ばたでケンカする。
しかしだんだんトイレのイメージがふくらんでくる。。。

89歩あるいた時、
「うん。やっぱりこれはエステーの匂いや」
と、納得する。


ピヨピヨ

(ちゃうやろーーっ!)

2016年10月1日土曜日

産道を通る夢



夢を見た。

機械なのか、人なのか、生き物なのかわからない存在が、わたしの額に手を当てて、「お前の中のものよ、現れろ」みたいなことを言った。

灰色の泥の中に、人の頭のような物が現れて、それがどろどろと溶け出し、骸骨のようなものが現れたかと思うと、それも溶け出し、その中から、わけの分らんものが現れては溶け出し、そしてまた何かが現れては溶け出し。。。をみていると、自分が母親の胎内にいるのに気がついた。

声が聞こえる。あ、父と母の声だ。。。
真っ暗な生暖かい中でふたりの声を聞いていた。
と、突然、身体がある一方方向に引っ張られて行く。
あ、ここからでようとしている。。。
頭がぎゅーっとどこか狭いところに入って行く。。。
うわーっ、くるしい。。。!頭が、伸びて行く。。。!
息ができなくなくなって、ちょっと向きを変えると、隙間があって、そこで息をする。でももっとぎゅうぎゅうに押し込められて、息ができなくなる。
くっくるしい、死んじゃうーーーっ!
声、母の声、看護婦さんの声?
自分のまわりの壁が、つるんとしてて、生暖かい。でもくるしい。。。
もうすぐ抜ける。。。きっと明るい所だろう、とふむ。
しかし出た先は、灰色の石がゴロゴロしたような風景しか見えなかった。

そこで目が覚める。

はーっ。何ちゅー夢を見たんだ。
おきてぼーぜんとする。

じっさい、わたしはかなりな難産だったらしい。
出てきたときは、長ーい頭。ほとんど死産にちかかったそうな。
医者は、わたしのからだを逆さに持って、背中を強くばんばんたたいた。
しばらくのち、息をしたらしく、その最初の産声は「おぎゃあ」ではなく、病院中に響きわたるような大声、「わあーーーーーーーっ!」だったそうな。

考えたら、産道を通るあいだは、まだ肺呼吸してないわけだから、息ができないわけないけど。。。。?
夢じゃから、いーかげんなもんだw

しかし、産道の、ヌメッとした、ぬるっとした、つるっとした、なんともいえない触感は、妙にリアルだったし、あの狭い空間を自分が通って行く感覚もはっきりかんじた。出る!出る!ってなかんじw

それにしても、そういう自分をその中だけでなく、どこからかそれを客観的に見ている視点がそこにはあった。

泥の中に形態を変えて行く姿も、ひょっとしたら体内で、は虫類、魚類、哺乳類へと変化する過程だったかも知れない。

今もほほに、まだ母の産道の感覚が残っている。

絵:「クモマツチョウ」/洋紙、和紙、水彩