内田くんにちっちゃい頃のことを思い出したほうがいいんじゃないか?と言われていた。
ちっちゃい頃のことを思い出せと言われれば、トラウマのことしか出てこない。
「え~。またアレを思い出して消して行けってこと?」
憂鬱になった。
そうじゃなかった。
ちっちゃい頃、本当はどんなことを感じていたのか。
どんなことに心踊っていたのかを思い出すことだった。
そして思い出したのだ。
それは幼稚園か小学低学年ごろのこと。
祖母の家に画集があった。
ダヴィンチ、ラファエロ、レンブラント、ルノアール、セザンヌ、ゴーギャン、シャガール、、、、そうそうたる画家たちの画集。
その中でダントツ強烈に私の心をつかんだのがゴッホだった。心が震えた。
ひまわりはもちろん、麦畑の上を舞うカラス、糸杉のざわめき、分厚い本、馬鈴薯を食う人々、、、。
完全にロックオンされた。
だがそれに酔う暇もなく、次のショックが待っていた。
その頃漢字は読めないが、説明文のひらがなを追って理解したのか、
叔母に吹聴されたのか忘れたが、この男は気が狂ったのだと知った。
自分の耳を切り落として、愛する女にそれをプレゼントまでして。。。。
感動の次にショックが来た。
その時一つの法則ができた。
絵描きになる=気が狂う。
その時から私の中で何かが封印されたのだった。
元々絵を描く衝動があったらしい私は、
大人になっても絵を描くところからは離れられなかったようだ。
しかしそれは自分のためではなく人のために。
自らのパッションから描くと耳を切り落として気が狂うだろうから、
人のために描いたら気は狂わないだろうと思ったのか思わなかったのか。
ともかくそのおかげでお金が手に入った。
人のために描くと狂わないし、しかもお金が手に入った。
描きたいという衝動が、こういう形で身を結ぶとは(笑)。
しかしそれも限界があった。だから苦しくなっていたのだ。
はっきりと自分の心に気づいた。
自分のために描きたい。。。!
自分が描きたいものを描きたい!
ゴッホは死ぬまでにたった一個の絵しか売れなかった。
絵を描く=気が狂う=絵は売れない
人のために絵を描く=気は狂わない=仕事になる
だがその法則はいつでも変えられる。
自分が勝手にそうインプットしただけなのだ。
絵を描くことと、気が狂うこと、そして絵が売れないことは、
イコールでもなんでもなかったのだ。
繋がってなどいなかった!
好きにやっていいのだ!
私の中で封印が解けた瞬間だった。
そのことを思い出させてくれたのがこの絵。
散歩の途中、いつも見かけるこの木。
梅の木だったか桜の木だったか覚えてないほど、この古木の大きな太い幹に心惹かれた。
苔にびっしり覆われたくさんの種類の植物たちが共存している。目から伝わってくる触覚はベルベットのようであり、ゴブラン織りのようだ。この宝石のような木を絵にしながら思い出したのだ、あの時の喜びを。
そのことを気づかしてくれた内田くんに感謝する。
絵:「惹かれて」