ある朝目覚めたら、ものすごい喜びでいっぱいになっていた。
うれしくて飛び跳ねたくて、その場でぴょんぴょんしてもいいくらい。
ちっちゃな子供がはしゃぎまくって最高に楽しい!って感じ。
な、なんだこれは?
その理由を探した。
ずっと手こずっていた自分の作品集の版下作業が終盤に入ったからか?
そんなことでここまでうれしくなるかなあ。
なるとしたら、完全に入稿が終わってからだろうに。
とにかく謎の喜びのまま、ジムに行く。
車の運転は苦手な私。いつもおっかなびっくり運転している。
それが危うい接触事故を起こしそうになった瞬間も平然としている。
あ、抜けた。よかったね。終わり。
いつもだったら「ヤバイヤバイ、あんなことしなきゃよかった。もしぶつかってたら今頃、、、ああ、なんてことをしでかしたんだ私。。。。」と延々と続くはず。
ジムでマシーンを使いながら周りの様子を見る。
私も含めてみんな必死で体を鍛えようとしている。
そういう様を見ながら、
自分は体ではないという思いがあることに気づく。
私は今、体というものを味わっている感じがした。
ややこしい言い方だけど、こんな感じ。
「完璧じゃないものをわざわざ作って、完璧を目指す」
ということを物質という体を作って味わっていると。
できる、できない。
達成する、達成できない。
自分は未熟だ。
そういうことを味わっている。
ひたすら味わっているのだ。
だから、たとえ目標を達成しても、そこで満足できない。
またすぐ新たな目標を探し始める。
そのまんまでいられない。
だがこの体が私という観念がなかったら、
私に物質はない。
私という考えだけがある。
朝の喜びは自分と体はくっついてなかった。
ただ爆発的な喜びだけがあった。
思いだけがあり、
その思いには形はない。
それこそが完璧なのではないか。
その思いが、物質という衣をまとったとたん完璧さを失う。
その衣は、衰え朽ち果て、やがて死んでいくのだ。
私はただ不完全さをずっと味わっている。。。
マシーンを使いながら、その不完全さを味わっている自分を見た。
これに終わりはない。
ここに満足は見出せない。
この先には何もない。。。。
自分は体ではないという不思議な感覚をずっと持っていた。
こういうことなのか。。。
これは言葉にはしずらいなあ。。。
その夜、草刈りをしていない庭のことを突然思い出し、
ほったらかしにしてジャングルのような庭にしてしまった自分の罪悪感に引っ張り込まれ、一晩中その苦しみの中にいた。
草ぼうぼう、大家さんに怒られる、周りにみっともない、だらしない私、やらなければいけない、でも暑くてやりたくない、膝が痛くなる、、、、。
私は肉体で限界があり、老体にムチ打ってやらなければいけないことが山のようにあり、、、、。
昼間に味わっていた思いと真逆な自分にあぜんとする。
一睡もできずに朝を迎えた。
「我思うゆえに我あり」
デカルトがそこまでわかっていたかどうかは定かではないが、
これは最もシンプルで真実だ。
我の思いは、どこにくっついているかで、地獄と天国がある。
形という分離にくっついていれば地獄があり、
形のない思いの中にいれば、天国がある。
光と闇を行ったり来たりの体験をしている。