「過保護のカホコ」がおもしろい。
物語の構成もおもしろいが、なによりカホコが自分の感情を率直に見ている所がおもしろい。
番組で必ず「こんなのはじめて。。。。」というセリフ。自分の中に起こって来る感じたことのない感情を素直に見、素直に受けとめている。それがいわゆる、いい感情であれ、悪い感情であれ。
こう言う習慣が私たちについたら、この世はもっと生きやすくなる。
感情を見るということを小さいときから教えられて来ていたら、教育の中に取り入れられて来たら、この世はもっと違っているだろう。
うん。ぜひとりいれてほしい!
今、人はあまり自分の感情を見ないし、気がつかない。むしろ気がつきたくないほうかもしれない。先日も母とはなしをしていて、彼女は怒っている自分に気がついていなかった。
私たちの中には、悪い感情はもってはいけないという固い観念がある。そう教育されて来たのだから、その観念の壁をこわして行くのはけっこうたいへん。カホコのように、自分の中に起こってくる感情をそのまんま見るようなことはまれなことだ。
だけどそれはできる。
感情が起こり、それがネガティブなものだと判断された瞬間、人々のあたまの中は言葉だらけになる。
いけないことなのだから、それを消そう消そうとするのだ。消すために、言い訳を考えたり、感情を引き起こした相手の悪口を言って、自分の感情の正当化をする。
これは、言葉によって、自分の感情をごまかしているのだ。
悪いとされる感情を見ないようにする理由は、それが暴力につながるからだと判断されている。だが実際は、何もこわさなくても怒りは消える。むしろ何かをこわしたりしたほうが、怒りは消えないし、そのあとの罪悪感などで、もっと感情を引き起こしてややこしくさせる。
わき上がった感情には、必ず理由がある。意味もなくただわき上がりはしない。その直前に何かを見たり、何かを思いだしたりしたものに関係している。
自分の感情に気がついたとき、それに抵抗している自分、言葉だらけになっている自分に気がつこう。
それに気がついたら、目の前でやっていることをひとまず置いておいて、何もせずゆったりと座る。
目を閉じて、
「今どう感じてる?」
と自分に問うてみる。
頭はあいつがああだこうだと言い出すだろう。だけど
「それはいいから。今どんな感じ?からだは?」
と、意識をからだにむける。
意識は頭にばかり行くので、胸のあたりを意識するといいかもしれない。
私たちは、意識の比重をほとんど頭に向けている。すべてのことは頭で解決できると思っている。しかしそれはどうもちがうようだ。頭はろくなことを思いつかない。
頭がぐるぐるすることをほっておこう。
ただからだに向ける。
ただ感じるままを感じる。
何も抵抗しない。
エネルギーが動いているその感じをとらえてみよう。
聞こえる音を聴いていよう。
からだに空気が出入りするその感覚をとらえてみよう。
ほほをなでるわずかな風を感じてみよう。
その頃、あなたの心はもう感情の中にいない。
頭は忙しくしていない。
言葉にならない、なにかをかんじている。
そして、ふとやってくる「言葉」。
それは今まで考えにも浮かばなかった言葉。
あ、、、これだったんだ。。。
という気づき。
それは起こるこるかも知れないし、起こらないかも知れない。
そんなことはどっちでもいい。
静かな時間をもつ。
それが大事。
頭では解決できない。
頭では感情を抑えることは出来ない。
ただ、今そこにあるあなたをかんじて。
「Don't think! Feeeeeeeeeeeeeel!!」