お祭りあとのほこら
町内会の(といってもほとんど「村」)夏のご神事がやって来た。
午前中は村にある若宮八幡宮のちいさなほこらをお祭りする。お米や、ダイコン、鏡餅、鯛、お神酒などの供物や榊を捧げ、神主さんを呼んで祝詞をあげてもらう。
小さな石でできた素朴なほこらは、しめ縄とシデも新たに、年に二度ういういしい姿になる。夏のご神事と新年のご神事だ。
神社入り口
一度日本を離れて日本の美しさを知ったわたしにとって、この小さなほこらは宝石のように輝いてみえる。
そのむかし神道に凝ったことがあって、しきたりのひとつひとつの意味を知り、感銘を受けたものだった。時がたって宗教的マイブームは去り、一時的にご神事にも行かなくなった。
しかし再び足を運ぶようになった今、むかしとは違う受け取り方をしている。
むかしは祝詞の言葉の意味を求めていたが、今は音そのものを楽しむ。
神主さんが発する「おおおおおお~~~~~~」という音の響き。
祝詞の言葉の、太古のにおいがする響き。
さーっ、さーっ、と、榊でお祓いをする音。
ときどきほこらの後ろを通り抜ける電車の音。
蝉の声。
人々の存在する音。
樹々が、山が、聞き耳を立てて、そのすべての音を聴いている。空気が振動する。
ほこらから見える風景。高尾山の山並み
色を楽しむ。樹々の緑。しでの白。大地や幹の茶色。神主さんの鮮やかな衣装。水色、黄緑、濃い紫。真っ白い足袋。紫の鼻緒。
感覚を味わう。むっとする湿度。ふいにふく風。
その瞬間に私は同調する。それを全身で味わう。
村の人々がそこにいるのに、いないかのように静まり返り、その一瞬の中に人々は溶ける。
神道という形は、日本人の存在にピッタリ来る。
そこには人間対神でも、上下関係でもない、自然も人間も神も、そのすべてが一体となる瞬間を演出しているかのよう。。。。
「本日は、おめでとうございます」
ご神事が終わり、神主さんの最後の一言で、村の人たちは各々の意識にもどっていった。
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