2008年12月30日火曜日

憧れる民族



先日、ニューヨークから友達が遊びに来た。彼女はNYに住んでかれこれ20年以上になる。その彼女いわく、
「あ〜、やっぱし日本はいいわあ〜。繊細で。それにくらべてアメリカと来たら!ニューヨーカーは原始人のようだわ!」おこたに入りながらつぶやいた。

「久しぶりに帰ってくると、合う人たびにNYから来たことを知ると、とたんに態度が変わる。『へ〜、NYですか。いいですねえ』とか、『すてきですねえ』とかいって、私自身を見るというよりも、『NY』を通してみる。それが気に入らない。でもどこから来た?っていわれたら、NYというしかない。もう、そんな目でわたしをみないで!」と。
彼女はあそこは原始人の住む世界で、日本人がおもっているような憧れるような世界ではないといいたいのだ。


日本人は憧れる民族である。
何でもかんでも憧れる。歴史を振り返れば、最初はお隣の韓国にあこがれ、次に中国に憧れる。シルクロードを経由して、今度はヨーロッパに憧れる。そして今はアメリカだ。

つい最近までは、その憧れる民族は雑誌やテレビでアメリカのすごい所をいっぱい聞かされて、「ああっ!すてき!」と恍惚感にひたってこれた。
ところがここにきてアメリカもいろいろほころびが出て来て、憧れる日本人は、どこかで「これはなんかおかしい.....」とおもいはじめた。けれどもあくまでも憧れたい民族だから、冷静によその国の事がブンセキできない。
アメリカ=大国。ニューヨーク=ステキ。と、形容詞のようにくっついてはなれない。
だからきっと今、日本人の頭の中で混乱しているに違いない。ステキなはずなのにひどい現状......?

ホントは最初っからアメリカは変わっていない。まさに弱肉強食の原始の世界。そのひどさが国内で隠しきれず、ついに外にあふれだしただけのことだ。それも世界を巻き込んで。
今回の発端のサブプライムローン問題は、内容を見れば、誰がそんなローン組むかと言いたくなるような内容。金利がいきなり上がる何年後かには破綻するのが目に見えている。貧乏人対象にしているのだ。突然ドーンと給料が上がるわけがない。アメリカの貧困層は日本の比ではないのだ。誰かが意図的にやったとしかおもえない。それを「そんなことが起こるなんて...」という事自体がおかしいのだ。テレビがいちいち騒ぎ立てる事を鵜呑みにしたはいけない。

探し求めていた青い鳥はどこにいる?グッチやエルメスの中に青い鳥はいない。
ちょうど今、一番日本らしさを感じられる季節。
じつは自分の一番身近なところに青い鳥はいるのかもしれない。

絵:『NEW YORKER』お買い上げ。いつ掲載されているのかわからない。(笑)

2008年12月24日水曜日

お初の仕事




なんか、畑のことばっかり書いてしまう..。
しょーがない、めずらしいんだもん。

ついにわが畑は、篠竹の根っこを凌駕し、葛の根っこもほぼ凌駕した。
思わずみんなでばんざーい!をする。700坪はある畑。よくぞここまでやりました。

あのうっそうとした野性の山は、真っ黒な大地が現われた畑の原型になった。江戸時代ごろの姿に戻ったにちがいない。これからイノシシよけの柵を作り、まわりの杉林も整理する。

うちのダンナは杉の枝打ちを生まれてはじめてやる。
3階ほどの高さまで枝を伝って上がり、上から枝を一本ずつ切り落としていくのだ。その枝の太さ、直径25センチ。もう枝とは言えないくらいに育ってしまっている。枝の中は芯まで出来てしまっているものだから、ものすごく固い。黙々と男らしく作業をしていたが、あとであまりの大変さに腰がぬけた。本当に昔の人はすごい、と体感したらしい。
植えられた杉の木も、山の人が誰も手入れをしなくなるとこういう姿になる。そのまま放っておいたら、雪の重みで木がバランスを崩し、そのうち倒れてくるようだ。その下に畑があったら、えらいこっちゃ。

男衆が杉の手入れをしている間、私はユンボでひっくり返ってでこぼこになった大地をクワを使って平らにしていった。まさにお百姓さんの気分。おもわずもんぺを履いてくる。
クワに、もんぺ。に、似あい過ぎる....。
棟梁いわく、「格好、八割だからな。なんでもまず、格好からだ。わしが大工になりたての頃は、白足袋はいて、びしっと決めたぞ」とのこと。

土の中にまだ残っている葛の根っこをほじくりだしながら、この単調な作業が楽しくなってくる。
そういや、生まれてはじめて『働く』ことをしたのは、幼稚園のときだったなあ。
ものすごい単調な仕事だった。お茶の葉っぱに紛れ込んでいる草を取り除く作業。たったそれだけのことが、ことのほか楽しかった。でもしたたかな私は、密かにもう一つの楽しみを待っていた。それはお茶の時間。いつもイチゴ味のシャーベット氷を2、3個もらっていたのだ。あの単調な仕事の楽しさは単にシャーベットのせいだったのか?ま、子供とはそういうもんだ。(なんだそりゃ)

畑の端っこに、「まだいけるかもしれない」と、きぬさやえんどうと、ほうれん草と、時なし大根の種を植えた。ここの畑の場所は、案外暖かいのだ。これからどうなるか楽しみ。

絵:coopけんぽ表紙『焚き火』

2008年12月18日木曜日

ばばあちゃんの手




私は人の手をみるのが好きだ。
手の形は、その人の顔なり体つきから受ける印象をくつがえしてくれるような要素を持っている。
ごっついお顔の人がすごく繊細な手をしていたり、とっても美人な女の人が、ごっつい手をしていたりする。
そのギャップをみるのが楽しい。「この人の内面はどんなだろう?」って。

私はからだ中コンプレックスでいっぱいだが、手の形は気にいっている。どんなかというと、まさに職人の手であーる。女らしさのかけらもない手である。高校の同級生に「つくしのおやゆびの爪、弁当箱みたいだ」と言われた(笑)。まさに言い得て妙である。私の親指の爪は、昔懐かしいアルミの弁当箱のようだ。縦長ではなく、横長。こんな爪にネイルなぞした日にゃ、お正月の重箱のようになってしまう。松竹梅の蒔絵でも描くか。

でもそこがいいのだ。まったくシャープで無駄のない形。ときどき、ほれぼれと自分の手を眺める。ひとりでぼそっとつぶやく。
「かっ...かっこいい...」
飾るためではなく、まさに使うためにある手なのだ。

使うための手と言えば、この世でダントツに好きな手があった。
それは母がたの祖母『ばばあちゃん』の手。
彼女は高知の長浜の大きなお屋敷に嫁いだ。360度見渡す限り、自分の土地という大地主の嫁。浜まで他人の土地に足を踏み入れることもなく行けた。
そこで彼女はものすごく働いた。彼女の指は一本だけ途中で切れていて、その先端が大きく膨らんでいた。人はそんな手を見ると、みにくく思うかもしれない。でもその特殊な形の指が大好きだった。いつでもその指を眺めていた。その手はなんでもする。その手は私に美味しいご飯を作ってくれる。その手は畑を耕し、庭にきれいな花を咲かせる。赤い毛糸もパンツも編んでくれた。大好きなわらび餅もその手で作ってくれた。新聞紙を三角に折って、そのくぼみの中にきな粉をまぶしたわらび餅を入れてもらうのだ。
夜中は夜中で、私はまっ暗くて恐ろしいお屋敷の便所に行けず、前の庭で「シーッ」と言いながら私を抱えておしっこをさせてくれた。
その大きくふくれた指は、機械の中にあやまって指を入れてしまったことでなってしまった。ちょっぴりさびしそうに私に教えてくれたことを覚えている。

おじいちゃんは、村人たちといっしょに戦争に行ったが、彼だけ帰ってこなかった。それからばばあちゃんは、少しづつ土地を切り売りしながら生計を立てた。私が生まれた頃には、屋敷以外はすべて他人の土地になっていた。

今ごろきっと天国で、おじいちゃんと大好きな蘭の花を育てていることだろう。おじいちゃんの亡くなったときと同じ年に若返って。



わが畑のリーダー、棟梁の手も左手が変わった形をしている。やはり機械にやられた。病院に行くと手首から切断するしかないと言われた。その時、彼は大工の弟子入りしたばかり。ここで片手をなくしたら、親に申し訳がつかないと思った。病院の待合室で、ふと他の患者さんが洩らした言葉を、彼は聞き逃さなかった。「温泉なら....」
棟梁はその足で湯河原にある湯治場に行き、一ヶ月こもってケガを直したのだ。
一見、不器用そうに見えるその手はあらゆる仕事をこなして来た。東京タワーの下地も作った。神社も作った。何千軒も家を建てた。その手はなんでもする。ちょいちょいってな感じで、なにげなく、すごいことをやる。畑になかった道もあらよっと一人で作ってしまった。これからその手で何をやってくれるのか。

余談だけど、東京タワーの土台は、地上に出ているのと同じ高さ分、深く掘られて土台が作られているんだそうな。震災があっても、東京タワーだけは立ってるんじゃないかな(笑)。あ、ここ東京だってわかるように。

まったくニンゲンってなんてすごいんだろう。

絵:ハーバードビジネスレビュー掲載

2008年12月16日火曜日

一瞬の無心



畑の仕事をしてると、何気ないことに感動させられる。
そりゃ、はたからみると、なんてことないんだけど。

高い杉の木全体に絡まった葛のツルを引っぱろうとしたときのこと。頑固なツルは杉の枝という枝に絡み付いて、引っぱっても引っぱってもてこでも動かない。

そこで棟梁はみんなを集めた。
「いいか、せーので一気に引っぱるんだぞ。せーの、ふんっ!」
大人五人と子供一人でせーので引っぱった。
ところがみんなそれぞれのペースで引っぱるもんだから、タイミングが合わず、うんともすんとも動かない。
何度か繰り返すうちに、タイミングも、引っぱる力の方向も、カラダがだんだんわかりはじめる。
少しずつ葛が杉の木からはずれ始めた。みんなの気持ちは一気に盛り上がる。
「せーのっ!」「せーのっ、ふんっ!」最後のひと力でズルズルズル〜ッと葛がはずれた。
そのあとのみんなの歓声ったらなかった。大の大人がみんなでおおはしゃぎ。大自然と綱引きしちゃった。

ある時、一人で草の根っ子が網の間に複雑にからみついたのを引っぱっていたが、どんなに馬鹿力出しても取れない。例の葛の綱引きを思い出して、「ねえ、あれやろ」と友達を引っぱって来た。
二人で息を合わせる。
「せーの、ふんっ!」ずるずるずる〜っ。一瞬で根っこが地面からはずれた。

これは単に、その友達に馬鹿力があるのか?
試しにもう一人の友達ともやってみる。やっぱりいとも簡単にはずれる。
おかしい。この二人にかぎってそんなに馬鹿力があるとは思えない。だって、はたで見ていると、二人とも一人でウンウンやっているもの。

ここになんか秘密がありそーな気がする。
二人で息を合わせた瞬間、なにかがおこっている。その引っぱった瞬間にはほとんど力を出した、という感覚がないのだ。
無心になる?
これが無心になるってこと?

引っぱった瞬間は、取ってやろうとか、引き抜いてやろうという欲の意識はなかった。ただ、いっしょに息を合わせることが楽しかった。一秒にもならない一瞬、二人の心とカラダが同じ動きをするのだ。その時、何かが働く......。

冒頭の葛のときもそうだった。最初は気持ちがバラバラ。引っぱる方向も、タイミングもまるで合っていなかった。けれども何度かやるうちに、だんだん息が合ってくる。ひょっとしたら、そのとき6人の力以上のものが出るのではないだろうか。

火事場の馬鹿力っていうのがある。おばあさんがタンス担いで家を飛び出した話とか。
あれは、「あたしゃ、こんな重たいもん、持てるわけないだろ」と思ったら、担げなかったに違いない。
でもおばあさんは、必死だった。ご先祖様から受け継いだ大事なタンスだったのかもしれない。必死が欲を越えた時、無限の力が発揮されるのかも。そして、その必死は無心の入り口なのかもしれない。

きっと、「二人で引っぱったって、抜けないわ」と思っていたら、抜けなかっただろう。
葛も「ああ、ムリだ」と思ったら、取れなかっただろう。

うちの母の背骨もそうだ。「背骨なんて集まるわけないでしょ」と思っていたら、集まらなかったはずだ。でも母はただ無心にイメージした(無心にイメージするって変か)。

911のときに第2ビルにいた私の友達もそうなのかもしれない。あの時、彼女の心に恐怖が走ったら階段を選んでいたかもしれない。だが彼女はあの時無心だった...。

人の心って何なんだろう。

なんだか、心がいろんなことをさえぎっている気さえする。心がいらぬ世話を焼いて、うまくいくことをさえぎっている気さえする。

ムリ。出来ないに決まっている。常識ではこうでしょ。なにやってんのよ、あなた!
まるで口うるさいおせっかいなおばさん。
 
たぶん人はみんな、こんな言葉が頭の中で飛び交っているのだ。だから仏教で教えるのは『無心になれ』なのだろう。

じつは最近私は、自分の中に住んでいる口うるさいおばさんを見つけてしまって、うんざりしている最中だ。

ああ、あの一瞬の無心がずーっと続いてくれたなら、私はきっとスーパーマンになってしまうに違いない。


棟梁は、めんどくさい人物だが、なぜか何かを知っている。
畑や山の作業をしながら、それを実体験で何気なく教えてくれる、不思議な人物なのだ。
本人は、まったく自覚していないのだけれど(笑)。

絵:coopけんぽ表紙『三年寝太郎』

2008年12月14日日曜日

ダークナイト



映画通の友達が『絶対おもしろいから!」というので、『ダークナイト』という映画を見た。単純な私は、暗い夜?まあ、地味なタイトルね。と思っていたが、ホントは『闇の騎士』だそうで(笑)。

アクションヒーローものにありがちな、勧善懲悪ではなく、アメリカ映画にしてはこちょっとこむずかしい深い内容だった。話の結末は、バットマンは光の騎士から闇の騎士に変わっただけで、言い方が変わっただけで、「あいかわらずヒーローはヒーローじゃん!」なのだが、悪のジョーカーと善のバットマンとのかかわり方がおもしろい。

ジョーカーは言う。『おまえを殺しちゃったらオモチャをなくしちゃうから、おもしろくない。だから殺さない』つまり彼は、バットマンと戦うことを楽しんでいるのだ。
彼は善人であるはずの人々にわなをしかける。そしてその善人がだんだん悪の意識に変わっていく。そうやって、ニンゲンは悪人にもなりえることを証明していく。そういう核心的なことをもりこんでいく映画はそうなかった気がする。なかなかやるじゃん。


私は小学校の時、人が残酷な意識に変わる瞬間を見たことがある。
その子はクラスで一番頭のいい子で、だれからも好かれる明るい子だった。口の両脇にくっきりとえくぼを作って笑う、美しい女の子。だが、その子は反面、クラスの子をあやつる権力も持っていた。

ある時、私は何かやっていて、何かの拍子に私の肘が彼女の顔に当たってしまった。意図的にやったことではなかったし、そんなに痛くなるほど当てた記憶もない。しかし彼女のプライドを傷つけてしまったようだった。

私は学校の体育館のウラに連れて行かれた。彼女の後ろには3人の子分がついてきた。
「私にやってくれたことを、あんたにお返しするわ」
彼女は後ろの子分を呼んで来て、
「私の変わりに、あなたがつくしをやってちょうだい」といった。子分が私の顔面を殴ろうとすると、彼女は『きゃあ怖い!』と言って、手で顔をおおい、べつの子分の後ろに隠れた。そして私は一発、顔面にお見舞いされる。
事が終わると、彼女は子分のうしろから顔を出して、こう言った。

「あら?もう終わっちゃったの?私、見ていなかったから、もう一回やって」

その言葉を聞いた瞬間、ニンゲンというものはなんて残酷なんだ、と思った。
私は小さい頃から、学校でいじめられ、殴られ、蹴られ、追いかけられ、家でもしつけとして、殴られ続けて来た。だから、人というものはそんなものかと思っていた。肉体的な痛みはその瞬間で終わる。一瞬意識を飛ばせばいいだけのことだ。そうやって切り抜けて来たが、このときほどニンゲンの局面を見た気がしたことはなかった。

彼女は小学生である。いつもコロコロ笑う美しい女の子だ。その子が自分の手を痛めず、他人を使い、そして自分で見ないようにしていたのに、それを見ていなかったと言って、もう一回殴らせる。
その心の動きにぞっとしたのだ。単純に殴る蹴るということの怖さよりも、その心の恐ろしさを感じてしまい、今だにはっきりと覚えている。しかしこれは彼女だけのことではない。私にもその残酷さはあるのだ。そしてだれにでも。

そこにニンゲンの底知れない恐ろしさとおもしろさを感じる。私は小学校の時その経験をして、ニンゲンの悪と善の両方はいつでもそなわっているものだと直感した。
だからそこを描いた『ダークナイト』は、アメリカ映画をちょっと越えてしまった気がする。

そしてもう一つは、ジョーカーは、バットマンと対になっているということだ。映画の中で「バットマンが出て来たから、世の中に悪がはびこった」というようなセリフがある。理屈ではあり得ないことだ。だがその言葉にはすごい説得力を感じる。『正義』というものがあると『悪』もあらわれるのだ。なぜなら、正義は、どこかに悪いものがない限り存在しようがない。悪なくして、正義はありえないのだ。

ニューヨークに住んでいると、日常の中に「悪だ、敵だ」というキーワードがはびこっているのを感じた。大の大人の大統領でさえ『EVIL(邪悪な)』と、いいまくる。ニンゲンというものは、どこかに敵を作ることによって、結束を固めさせられるようだ。911は、まさにそれを実体験で証明している。あのあとみんながその言葉に賛同して、結局戦争に持ち込んだのだから。

結局ジョーカーは死なない。(実際の役者は死んでしまったが)
心に正義と言うバットマンが住む限り、もう一人のジョーカーを育ててしまうのだ。
正義の意識におだやかさはあるのだろうか。正義を貫こうとすると悪を制する気持ちでいっぱいになるのではないか。そこには、裁きや評価や批判がつきまとう。正しいや間違っているという心でいっぱいになりはしないだろうか。その二元論的な物差しで、世の中や他人を測ろうとしないだろうか。
ニュースで見かける犯罪者は、自分以外の赤の他人のことなのだろうか。彼らは行動で裁きを表したが、私たちは、心の中で人を社会を裁く。あのブラウン管の中に登場する人物は、自分自身の中にも存在するかもしれないということを考えたことはないだろうか。

最近のテレビはとくに『悪者を憎め』といわんばかりにあおってくる。感情たっぷりのニュースのナレーションを聞く度にうんざりするほどだ。しかしそういうものを見て『そうだ、そうだ、あいつが悪い」と同調していていいのだろうか。それこそ、心にバットマンを作ってしまう。自分がバットマンになるのはさぞかし気持ちがいいに違いないもの。

でもジョーカーは、もう一人のバットマンなのだ。
これからの世の中にバットマンはもういらないのではないだろうか。
私はそこにニンゲンがニンゲンであるための答えはないような気がする。

絵:NHKドイツ語テキスト表紙

2008年12月12日金曜日

ふじだなコーヒーのバンダナ



いつもお世話になっている高尾のふもとにある自家焙煎のコーヒー屋さん『ふじだな』のオリジナルバンダナを制作しました。
「ふじだな」というのは、マスターのお家の屋号なのです。何でもその昔、お家の前にりっぱな藤棚があったのだそうです。
そのふじの花と、高尾と言えば天狗。天狗のうちわのモチーフとを組み合わせて絵柄を作りました。
一枚500円です。大きなサイズのバンダナです。
高尾のお土産にぜひどうぞ!

2008年12月7日日曜日

偉大な畑



例によって土日は畑。
痛めた肩をかばうのも忘れてクワをふるう。またやらかしてしまいそうだ...。

ユンボで竹の根っこと、葛の根っこを掘り出す。それをすかさず横からクワでかきあげる。ユンボの扱いがまるで自分の手のように動かせる棟梁の操縦のよこでやっていると、ひっくりかえす、かきだす、ひっくりかえす、かきだすのテンポがものすごく速い。根っこの深い葛は途中で切らないといけないので、かまとクワとをとっかえひっかえで、もう動きがしっちゃかめっちゃかになってくる。
さすがに疲れた。

こんなことを昔の人は全部手でやっていたかと思うと、頭が下がる。

作業の途中でふとお墓に目が行く。ぐちゃぐちゃに倒れていたお墓はみんなで立て直した。10個近い古いお墓がずらっと並んでこっちを見ている。ちょっとした時代劇に出てきそうな雰囲気だ。

ここの畑にはまったくがれきがない。どんなに深く掘っても石が出てこない。どこまで行っても、ほくほくとした真っ黒い土だ。昔の人が、徹底的にがれきをこして、とりのぞいてきたようだ。ここはこの墓の持ち主か子孫たちが大事に作って来た畑だったのかもしれない。
軟弱な私たちの作業を見て、笑っているような気さえする。

民俗学者の宮本常一さんが言っていた。日本の山は、どんな所へ分け入っても、人の手が入っていない所はない。
昔の人々の名も知れぬ偉大な歴史を、畑を耕すという行為を通して今、教えてもらっている気がする。

いつのまにかお墓の前に、水仙が可憐な花をたくさんつけていた。

絵:『T&R』イラスト

2008年12月5日金曜日

母の背骨その3



私は、母ができるんだから、骨というものは集まって出来上がるものだと思っていた。でもどうも一般常識ではありえないらしいのだ。

その看護士さんに言わせると、一般的には彼女のようなケースは、全身麻痺で寝たきり...(!)になるしか道はないというのだ。彼女は一体何をしたのだ?

それからよくよくテレビを見ていると、腰椎がずれただけで、下半身が動かなくなった人とか、首の骨の一がチョットずれただけで、全身が麻痺して動けなくなった人の話とか、ごろごろとでてくる。背骨はいろんな神経や内臓とくっついているから、一個でも損傷があると、とてつもなくからだ中に支障を来すらしい。調べりゃ調べるほど、えらい複雑な仕組みになっていた。それが木っ端みじんに吹っ飛んでいたのだ。ずれる、とかのレベルではない。


彼女は体が弱く、私の小さい時からの記憶は、いつもふとんで寝ていたか、げろを吐いていた。
頭は四六時中割れるように痛く、ノーシン、バッファリン、セデスと頭痛薬を浴びるように飲んでいた。そんな彼女が薬漬けの日々を止めたのは、60代に入ってから。植物の力を借りるようになった。昔の本をひもといて、ありとあらゆる民間療法を勉強した。それからというもの、彼女の体は調子がいい。

今回も昼間はタマネギ、ショウガ、ケール、ニンジン、ゆずやはちみつなどを駆使して、カラダの調整を計っていたのだ。ドクダミのお風呂に入り、そして夜はちょこっと呪文をとなえる。

でもそんなことだけなら、誰でも出来るはずだ。一体何が違うのだ?

私はあの看護士さんのコトバに引っかかる。
母が骨は治るのかと聞いた時、「骨は、ねえ〜....」とだけ言った。
あの先には、「なかなか治らんきねえ〜..」と続いていたはずだ。
ところがその時、なぜかその先は言わなかった。

もし、なかなか治らんきねえ〜と言うコトバを母が聞いていたなら、母の心に骨はなかなか治らない、とインプットされたはずだ。
でもその『知識』は、彼女の耳には入らなかった。だから、勝手に骨は治るもんだと思い込んでいたのだ。

信じるものは救われる...ってこういうことをいうのか?

知識とは武器になるものでもあるが、同時にそれを持つ事によって、自然に治ろうとするモノをさえぎってしまうこともあるんではないだろうか。

最近はテレビでよく「ほんとは怖い.....」とか「これが危ない...」とかいって、肩こり一つでも死に至る病いの印だとかいっている。早く見つけないとたいへんなことになる!とうったえる。そのうちくしゃみ一つでウイルス感染を疑うかもしれない。それを聞いた視聴者はどう思うか。当然、体のあらゆる部分を心配するに違いない。肩こり一つで死ぬかもしれないのだ。きっと不安でいっぱいになるにちがいない。だって、誰でも肩こりやくしゃみの一つくらいあるはずだもの。

知識、知識と言うが、こんな知識は単に不安をあおるだけの単なる情報ではないのか。これは一種の洗脳なのでは?しかもテレビは『早く医者に行け、早く、早く!』という。ところが今は医者不足。ニュースではたらい回しのケースが叫ばれる。そんなものを毎日見させられ、右往左往させられたら、『ああ、この世はひどい!』という気分になるにきまっている。しかも番組の間には、健康保険に入れと言うコマーシャルが目白押し。矛盾だらけじゃないか!
私はこんなテレビを見てだんだん腹が立ってくる。

昔は「テレビを見たらアホになる!」と、母に言われてしぶしぶテレビを消したのに、いつのまにか、「テレビが言うことなら本当だ」ということになってきている。いつからそうなってしまったのだ?
しかもテレビを作っている人が
「おら、みんながテレビを信じていることに信じられなかった。あんなにいい加減なものを...」と言っていたの知っている。
もう一回テレビを疑ってみた方がいい。

は...話がまた飛んじゃった...。


ニンゲンのからだってそんなに軟弱な仕組みなのだろうか。そんな軟弱な仕組みの人類が、こんなに長く地球に繁栄できただろうか。先日見つけた江戸時代のお墓には、『永眠70歳』と彫ってあった。ちゃんと長生きをしていらっしゃったのだ。昔は病院なんてモノはなかったというのに。
昔の人は自然に治る自分のカラダの力を知っていたのではないだろうか。

まず、自分のカラダが自然に治っていくという叡智を知ることなんじゃないだろうか。背骨一本一本にくっついた神経や内臓の細胞一個一個が、それぞれの意志をもって、私たちの及び知らない所で活躍してくれている。臓器の一個一個が私たちの中でものすごいバランスでもって動いてくれているのだ。

母は、その叡智をどこかで感じていた。だから心は余計なことは考えず、ただ純粋に『骨よ、集まれ、集まれ』といったのだ。だから骨は集まって来た。そこにもし『骨なんか集まるわけないじゃないの』という思いがあったなら、何一つ集まってこなかっただろう。



先日、私が全身に痛みが走ったものが一日で治ったのも、そういうもののおかげなのだと思う。
私は生姜湯をたっぷり4回飲んだ。ショウガは炎症を抑えてくれるし、ひえをとってくれる。そしてひたすら寝た。するとカラダは自然にもとの姿に戻ってくれるのだ。これを宇宙の叡智と言わずして何と言おう。それのお手伝いをしてくれるのが植物の力ではないだろうか。
もし私が病院に行っていたら、もう少し治るのに時間がかかったかもしれない。痛み止めや、筋肉弛緩剤やそのための胃薬をもらって......。


ニンゲンはただそこにいるだけで、すでに叡智のかたまりなのではないだろうか。それを母の背骨事件が見事に証明してくれているような気がする。そこにニンゲンのエゴや、不安や、恐怖や、今の時代の知識がフクザツに組み合わさると、せっかく自然に治ろうとする力をさえぎってしまうのではないだろうか。

こんな不安な時代だからこそ、自分の中にある本来の力を見つけていくことが重要なんじゃないだろうか。それにはまず、わあわあとうるさい、テレビを消すことかも(笑)。
 
絵:『T&R』イラスト掲載

2008年12月4日木曜日

母の背骨その2




母はいいアイディアを思いついちゃったもんである。

たしかに粉々になった骨はカラダの外には出ていない。全部彼女の中にある。別に遠くからわざわざ持ってこなくてもいいのである。材料はここにある。だったら、それを集めりゃいいだけのことだ。

素人判断とはそらおそろしいもんである。時には医者の判断の領域を越えている。

母は、夜ふとんの中でこっそりと呪文を唱えた。
「骨よ、集まれ、集まれ.....」

彼女は絵描きだから、イメージ能力はある。一個一個米つぶになった骨のかけらを集めてくる。パズルを合わせるかのように一個の腰椎を作り上げる。
一つ出来たら、また一つ....。
そうやって、下から順番に骨が集まり、背骨になっていくイメージをしたのだ。

「べつに長いことやったわけじゃない。せいぜい5分ぐらいよ。ほんの軽〜い気持ちでやったのよ」と、彼女は後々その時のことを話してくれた。

毎晩5分間だけやって一週間が過ぎた。
コルセットも出来て、また病院でレントゲンを撮る。先生の手が震えた。

彼女の背骨はずらっと並んで写っていた。
「うん。まっすぐきれいに並んじゅう!えい!(いい、の意)」先生は大きな声で言った。
「けど、今度は中身詰めなきゃね」

背骨はまっすぐ見事に出来上がっていたが、よく見ると、骨は輪郭線だけであった。つまり中身がまだ透けているのだ。正常な骨はレントゲンに真っ白く写っている。しかし、母が集めた骨は、まだアウトラインだけが白く浮き上がっているだけで、中が透明になっていた。先生はそれを見て、母に次の課題を出したのだ。
今度は中身を詰めろ、と。

母はコルセットをもらって、また家に戻った。薬も同じものしかもらえない。
その晩から母は呪文を変更した。
「中身よ、詰まれ、詰まれ.....」

一週間が過ぎた。
今度はしっかりと中身の詰まった背骨が出来上がっていた。
レントゲン写真を見ながら先生は、
「えい!」といった。

母はこの次点ではじめて私に電話をくれたのだ。こんなことがあったのよ、と。
気丈な母は、私に迷惑はかけたくなかった。また来てもらっても逆に私に気を使う。その余分な労力も考えた。いざとなったら、姉妹も近くにいるのだし。

母は、事の次第をコロコロと笑いながら話してくれる。私はなんちゅう母親だと思いながらも、骨はそんなふうに、イメージすればくっつくもんか、とも思っていた。

「でもねえ、つくし。なんか背骨どうしがゴロゴロあたる音がするのよ」と母。
私は前に友達が椎間板ヘルニアで苦しんでいたのを思い出して、
「あ、確か骨と骨の間に、軟骨みたいなもんがあったんじゃない?あれがないと骨同士が当たるんじゃない?」
「ああ、そうか!そんなもんがあったか。ほんなら、今晩からそれイメージする」
こんな会話を医者が聞いたら卒倒するかもしれない。素人とはそらおそろしいもんである。

骨がくだけて3週間後、母はリハビリが始まった。
そして1ヶ月半で完治した。
骨密度を計ると、骨がくだける前より、治ったあとの方が密度は増していた。72才にして、40才代の骨密度になっていた。


後日この話をニューヨークに住む医者の私の友人にメールする。
すると彼女は「It's impossible!(不可能!)」とひとこと言って、二度とその話を私にしてくれるなと拒絶された。どうも彼女の長い医者としてのキャリアの中に、あってはいけないケースのようだ。

私はなんかへんなのかな?とふと不安に思い、近所の看護士さんにも確認する。
すると彼女は、
「ありえな〜〜〜〜〜い〜〜〜〜」といった。

つづく...

絵:『T&R』イラスト掲載

2008年12月3日水曜日

母の背骨



日頃、コンピューターのマウスぐらいしか持ったことのない超軟弱な私。
このところの休みの日には畑に通う。先日生まれてはじめて『クワ』というものを手にし、
うれしさのあまり、調子に乗ってふりまわした。

昨日、営業に出かけようと準備をするうちに、カラダがおかしなことになって来た。
右肩の後ろの方が痛い。その痛さはだんだんひどくなる。そのうち息をするのも痛くなった。
そうして立っているのも座っているのにも激痛が。
「ぎえ〜」「いで〜〜〜」「うわ〜ん、おかーちゃ〜ん」
人は痛いと声が出るものらしい。

ダンナにふとんを敷いてもらい、営業に行く格好のまま、痛みで大声をだしながら、ふとんにもぐる。
痛さで泣いたのは、何十年ぶりだろう。
泣く泣く、営業先にドタキャンの電話を入れる。本当に申し訳ない。
あのあと一日中爆睡してしまった。よっぽど疲れていたようだ。


こんなことがあると、母の背骨事件のことを思い出す。
彼女の苦悩に比べたら、私の痛みのなんと軟弱なことか。

思わず書いてしまおう。
あの、フジギな事件のことを。



あれは、2年前の1月15日深夜。
母は寝床から立ち上がってトイレにいこうとした。

寝ぼけていたせいで、カラダはバランスを崩す。よろっとしたところを体制を戻そうとして、まっすぐお尻から床に落ちた。重たい全体重が尾てい骨にかかる。ものすごい激痛がからだ中を巡った。
「ギッ、ギヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
真夜中に雄叫びがアパート中にひびきわたった。

「あの痛さは、生まれてこの方一度も味わったことがない」と彼女。
みぞおちが苦しくて息が出来なくなった。それで座布団を腰の下に引いて、はじめて息が出来るようになったと言う。痛みが地の底から這い上がってくるかのようだったそうだ。
不幸なことに次の日は行きつけの病院がお休みだった。彼女はその日一日痛みをガマンして、2日後に病院に行った。


レントゲンを見ると、腰椎の一番下から上に向って11番目までが消えていた。先生は3枚撮った。3枚とも同じ結果だった。

「ほら、これが下から5つ目の第1腰椎。それだけ残してあとは全部粉々になったんよ」
先生はレントゲン写真を指差してそう説明した。
首から下に向って半分までは背骨があった。でもそこから下はなかった。まん中あたりに一個だけ腰椎がのこっている。それが第1腰椎なのだろう。心細げに宙に浮いていた。

母の背骨は下半分があの晩尻餅をついた衝撃で木っ端みじんになっていた。母は72才。すでに老人だ。尻餅をついただけで、背骨は粉々になってしまうのだろうか。これが老化現象というものなのか。
彼女の背骨は、ひとつぶひとつぶが米つぶのように細かく見事に炸裂していたのだ。ゆいいつのラッキーと言えば、その無数の破片のひとつでさえ、脊髄に触れていなかったことだ。もしひとかけらでも触っていたなら、激痛で失神していたことだろう。

「先生、これ、治るが?」と、母。
「心配せいでも、あたしが治しちゃらあね!」
どこかイライラしたような口調だった。無理もない、母は、先生の母親が現役の医者だった頃からの患者さんなのだ。付き合いは長いし、母の体のことはよく知っている。

コルセットを作るために、べつの部屋に移った。横になって看護士さんに腰のサイズを測ってもらいながら、
「ねえ、骨って治るが?」と心細くなった母が聞く。
すると、看護士さんはため息をつきながら、
「骨は、ねえ〜......」といった。

母は、自分専用のコルセットができるまで、仮のものをもらい、湿布、痛み止めの薬、筋肉弛緩剤、そのための胃薬、そしてカルシウムの吸収をよくするビタミンGをもらって家に戻った。
はっきりいって、気休めの薬たちである。対処療法とは、こんなに心細いものなのか。骨を再生させるための薬などないのか。

母は痛みの中で、一人心でつぶやいた。
「あのバラバラになった骨は全部、今あたしのからだの中にあるがよね。
ほんなら、ただ集めりゃいいだけのことやないの....」

つづく.....


絵:『T&R』掲載イラスト