2024年1月31日水曜日

教えておくれ

 


あなたのその考えは違う。


そう思って私は相手にアイディアを提示した。

もう少しこう考えたらどうだろうと。

だが相手は一向に考えを変えない。


そのうち自分が相手を説得しようとしていることに気がつく。

人を変えることはできない。




そこに分離があった。

あなたと私は考えが違うという前提で、

相手を自分と同じ考えにさせようとしていた。


原因は私にあった。

分離させておいて、融合しようとする試み。




目の前に、みかんとティッシュとプラスティックのゴミがあった。


私はこれらを一つに融合させようとしていたのだ。


この世界の中で融合は不可能。

この三つを一つにするには、燃やすことぐらいしかできない。


しかしこのみかんの中に愛がある。ティッシュとプラスティックの中に愛がある。

その愛だけを見れば、自ずとそれは同じだから一つだ。



この世界で相手を見れば、違いを見る。

あなたはこう考えた。私はこう考える。


ほんのわずかな違いでいい争ううちに、

次第に違いが大きくなって巨大な壁ができる。


みかんも、ティッシュも、プラスティックも、私も、あなたも、みんな被り物だ。

その中身はすべて愛でできている。


この世界の肉眼で違いを見ている限り、心が休まる時はない。


この世界という雲の中から飛び出して、

青空の下で出会えば、

すべては一つだった。





絵:「教えておくれ」




2024年1月21日日曜日

波風を立てる


 

「え?今更そんなこと言われても。

もしやるなら、72ページ全部レイアウトのやり直しだよ。。。!」


心の中でそう叫んでいた。

だがじっさいの私は黙って聞いていた。


1日預けてチェックを入れてもらって翌日受け取ることになった。


帰り道、頭の中がグルグルする。

やばい。来た。とんでもない直しが。

どうやってあのクレームを拒否しようか。

素人はこれだから困る。。。。


さっきまでの喜びが一気に地獄行き。




人から言われたことはそれが絶対的な法律のように思えて、

「はい。やります」と、必死でそれに合わせるようにやってきた。

警察であった父親の影響で、人のいうことは正しく、私は間違っているので、

言われたことは絶対という法則が私の中にあったからだった。


言われたことをやり、波風を立てずに生きる。

これが私の今まで生きてきた防衛法だった。

それは恐れから自分を守っているだけだった。

でもそれももう限界が来ていた。


そして少しづつ辛かったことを人に吐露するようになってきてから、

私の中の何かが変わってきつつあった。


「明日、私がこの仕事をしてきたことが、

どれだけ辛かったかを正直に話そう。」




人にこれを話すと不機嫌になる。

そう思うことは言わないようにしてきた。


それは愛からではない。

人を恐れの対象としてみている。

人と自分は違い、分離しているという見方だ。

愛は人と自分を一つとしてみる。


しかし正直に自分の想いを伝えるということは、愛を求める叫びだ。


これは相手の考えを変えさせるためでもなければ、相手を説得するためでもない。


今まで言われた通りにやってきたけれど、本当は苦しかったんだというのは、

一見バカなもののすることのように見える。

しかしこれこそが自分を解放する。

「自分に正直になる」ということの意味だ。




奇跡のコースは、この世界を投影だとし、

それは自分の心の現れだから、心を変えることが大切だと教える。


私もそれを実践してきた。

自分の見方や考え方を変えること。


だがそこに落とし穴があった。

黙って何もせずに、心を変えさえすれば、

相手が変わってくれるかもしれないとか、

状況が変わってくれるのではないかと、

密かに期待してやっていやしないか?


自分の中で赦しをしさえしていれば、相手は変わると。


これは相手に罪を見ている状況だ。


相手という存在が私を脅かす。

という考えこそが自我のものだ。



罪、罪悪感、恐れ、自我は同じもの。

相手に脅威を持っていること自体がすでに自我のものの見方だ。

それを心を変えることで変えようとすること自体が、

この自我の世界の中でやっていることだ。

呪術で相手を変えることとなんら変わりはない。


そこに相手はいなかった。

恐る脅威は外になく、私自身が恐れている。



翌日、愛の中でいようと心を決めた。


打ち合わせ中、昨日ついたクレームなど一言もなかった。

ただ粛々と、私が納得のいく訂正だけが求められているだけであった。


コトコトとお湯が湧く石油ストーブの暖かい部屋の中には、

愛だけが満たされていた。





絵:「雨のスギ林」



2024年1月13日土曜日

変化から不変へ

 




ある時考えた。

毎日同じことの繰り返しじゃないか。


朝起きて、ご飯食べて、仕事して、お昼食べて、仕事して、

晩御飯食べて、お風呂入って、寝る。

朝起きて、ご飯食べて、、、、。


すると心は変化を求める。

変化とは、突然の病かもしれない、事故かもしれない、、。

変化を求めつつ、そこに恐れがあった。


いやいや。恐ろしい変化だけじゃないぞ、いいことの変化もあるじゃないか。

宝くじ当たるかもしれないし、めっちゃいい話が来るかもしれない。

しかしそれも一時的なものだ。


毎日同じことの繰り返しだとしても、変化には変わりない。

徐々に体は衰えていくという変化。

大きな変化か、小さな変化の違いだけで、変化していくことには変わりない。


変化するものは真実ではない。真実は変化しない。


では私はどこを見ればいいのか。

夜空を見ながら、正しい心(聖霊)に聞く。

「あなたはこの世界をどう見ているのですか?私にあなたの見方を教えてください」


目の前の真っ暗な森を見て思う。

これではないのだ。これは常に変化する。


体は変化を捉える道具。

見て、聞いて、匂って、味わって、体の感覚を味わって、そして今考えている。。。

この五感と思考ではないものに心を凝らした。


変化しないもの。。。それを捉える。

不変なるもの。それが真実だ。


それを掴もうとした。

すでにここにある、もうずっとそこにあるものに。




朝目を覚ますと、し。。。ん。。。としてた。

周りの音ではなく、心の中に静けさがあった。


いつもは目を覚ますと心が騒ぎ始めた。

あれをどうやってこうやって。。。

あれはどうする?これからどうなる?


だが代わりに静けさがそこにあった。


体を動かすと腰が痛い。でも恐れがなかった。ただ痛みがあるだけだった。

痛みの恐れは、私が痛いと信じているからだった。

事実はただ痛みがあるだけだった。


正しい心は感覚を通して教えてくれる。

こういうことだと。


私はヒリヒリとしたこの世界にピントを合わせ続けてた。

その世界の中でどうにかして幸せを手に入れようとしてきた。


60を過ぎて体の衰えを知る。

ここから先は右肩上がりにはいけないのだ。ただ下降するだけなのだ。

ゆっくりか急速にか、そのどちらであっても死に向かっていることには変わりはない。

肉体を持って見るこの世界の限界を体感した。


だからこそ、そこではないものに今目を向けられる。

これが若かったらそこまで切羽詰まって向けられなかっただろう、

まだこの世界に未練タラタラだったから。


今、見えてもいないものの大きさを感じている。そこに心を向ける。

その時、この世界にヒリヒリとしたものを感じない。

ピントがそこに合わされていないからだろう。

ただ大きなものにゆだねている。


大きな静けさの中で、何かが躍動している。

見えている世界は、私に何も影響しない。

そこに安堵がある。






絵:「香り」






2024年1月5日金曜日

祈り

 





今回の能登半島地震で美大時代の友達が災害にあった。

彼女は無事であったが、家屋などが随分壊れて、

今は親類の家に避難しているそうだ。


いったいどれだけの被害なのか見当もつかない。

でも何か力になれることはないかと、

大学時代の友達が「みんなで支援金を送ろう!」と声をかけてくれた。

たくさんの友達が急遽ラインでつながり、

わずかばかりだけれどみんなの気持ちを集めて送ってもらった。


昔、私はそんなことできなかった。

でも今は違った。

これは愛の思いが形に現れたんだと思うと嬉しくなった。



お風呂に入りながら、彼女やご家族のみんなの心が癒されることを願った。

「お風呂に入れることが嬉しい」とラインで話していた彼女。

大きな災害があると、日常がとても大切なことになる。

そのありがたさも、今私がお風呂で味わっているよりもはるかに大きいものなのだろうな。

どうか1日も早く、穏やかな日常が彼女に戻ることを願う。




そして私は私で、こうして彼女に祈る機会を与えてくれたことのありがたさを感じていた。


人のことを思って祈るとき、なんと自分自身も癒されることか。

自分の心が平安に満たされる。


この祈りは彼女に届いているのかどうかわからない。

だけどきっとどこかで誰かに届いている。

それほど祈りとは、通常の意識とは違うことに気づかされた。



その翌日、羽田での飛行機事故。

無事だった男の子が「生きていてよかった」と

嬉しそうに語っていたシーンが印象的だった。




年が明けてすぐの二日間で、

生きていることのありがたさを私たちは伝えられた。


ただ生きている。

それだけで素晴らしいこと。


あなたが生きている。

それだけでありがとう。



絵:「たこ杉」