今回の能登半島地震で美大時代の友達が災害にあった。
彼女は無事であったが、家屋などが随分壊れて、
今は親類の家に避難しているそうだ。
いったいどれだけの被害なのか見当もつかない。
でも何か力になれることはないかと、
大学時代の友達が「みんなで支援金を送ろう!」と声をかけてくれた。
たくさんの友達が急遽ラインでつながり、
わずかばかりだけれどみんなの気持ちを集めて送ってもらった。
昔、私はそんなことできなかった。
でも今は違った。
これは愛の思いが形に現れたんだと思うと嬉しくなった。
お風呂に入りながら、彼女やご家族のみんなの心が癒されることを願った。
「お風呂に入れることが嬉しい」とラインで話していた彼女。
大きな災害があると、日常がとても大切なことになる。
そのありがたさも、今私がお風呂で味わっているよりもはるかに大きいものなのだろうな。
どうか1日も早く、穏やかな日常が彼女に戻ることを願う。
そして私は私で、こうして彼女に祈る機会を与えてくれたことのありがたさを感じていた。
人のことを思って祈るとき、なんと自分自身も癒されることか。
自分の心が平安に満たされる。
この祈りは彼女に届いているのかどうかわからない。
だけどきっとどこかで誰かに届いている。
それほど祈りとは、通常の意識とは違うことに気づかされた。
その翌日、羽田での飛行機事故。
無事だった男の子が「生きていてよかった」と
嬉しそうに語っていたシーンが印象的だった。
年が明けてすぐの二日間で、
生きていることのありがたさを私たちは伝えられた。
ただ生きている。
それだけで素晴らしいこと。
あなたが生きている。
それだけでありがとう。
絵:「たこ杉」
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