2026年1月10日土曜日

一秒の安堵

半磁器「葉っぱ」


夜寝る前、窓を開けて外の空気に触れる。

真っ暗闇の風景を見ていたら、

ほんの一瞬、安堵に落ちた。


それは、この世界のことを一切考えてなくて、

考える必要もなかったということを完全にわかった時のとてつもない安堵だった。


恩寵。


そういうものを時々もらう。

これもまたそのギフトのひとつ。


こっちだよ。

と教えてくれる道しるべ。




私たちは、物理的なものが手に入ったことで喜ぶ。

現象が良いものを見せてくれると喜ぶ。

だから現象を変えようとする。

現象が先にあると思っているからだ。

これは結果。

原因は心。

何を信じているか。



「私は知っている」

という信念を解体していく。



ずっとフリーランスで生きてきた。

これだけ働いたらこれだけのお給料が入るという保証のようなものが一切なかったから、

「どうやったら仕事が手に入るか?」をずっと考え続けてきた。


どうやって営業するか?どうやって人に価値を見つけてもらうか?

どうやって、どうやって。。。


ところが自分が思うやり方でやっても仕事は入ってこなかった。

集中的に営業をかけても

「ああ、いいですねえ」と言われ続けるだけで一向に仕事にならない。

ところが全然思いもしないところから突然仕事が入ってくる。

まるで営業のできない私。


なんで?

これはきっと頑張って営業している私にご褒美をくれたんだろうと思うことにして、

ひたすら空振り営業を続けてきた。

苦あれば楽あり戦法、めくら営業。(枕営業ではない笑)


だんだんわかってきたことがあった。

私は仕事が入る方法やお金が入ってくる方法など、

さっぱりわからないんだと。


それだけ聞くとただのバカだ。

バカで結構。


でもそれがかえって私を自由にした。

こうやったらこうなるという風に成功していたら、人はそれを信じる。

その信じたものを手放さない。

いや、手放せないのかもしれない。

手放すのは難しいとも言える。

だが失敗することで教えてもらっていた。

「そういうことではないから」と。




コースはいう。

あなたは何も知らない。

体の仕組みとか、世界の仕組みとか、知った気になっているが、

そんなものは「無」だ。

知る価値もない。

それが無だということを知れ。





ぐるぐる頭の中が回っている時、

ふと思った。

「私、なんもわかんないんだ。。。

あれ。これって、なんか自由。。。」


世の中を知らなきゃなんない、大人として知ってて当然。

が、いきなり反転して、

知るわきゃない!知らんのがほんと!


その時の安堵感といったら!


この世界を離れて、

世界を垂直の位置から眺めていた。

無を必死で変えようとするその状況を外から見ていた。


そしてその時の心持ちが、本当のものだと確信する。


喜び。


こっちが元々の私だ。

何かを得たから喜ぶわけでもない、

何もしなくても、何も変えなくても。

わからないからこそ、喜びなのだ。


物理的に見えている世界がリアルだと思っていたが、

それよりも喜びの方がリアルになってきている。

見えないし、聴こえないし、触れもできない。

だけどこっちが本当の私。


喜びで世界を見る。

喜びがあたりに散らばっているのが見え始める。

だから喜びでものを作る。

すると喜びが人の手に渡って広がって、さらに喜びになる。

喜びの連鎖が動き出す。




変わることを求めて喜ぶのは得策じゃない。

それはこの世界をよくして喜ぼうとしているから。


現象はほおっておいたらいい。

だってそれがいいか悪いか、

なーんて私たちにはわからないのだから。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです



2026年1月5日月曜日

私はどうありたいのか

「冬の絨毯」和紙、水彩

 

あけましておめでとうございます。


いつもブログを見てくださってありがとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。



このところ、ブログを書いては保留、

書いては保留が続いている。


明け方、半醒半睡の状態で「具体的に書け」と繰り返しメッセージが来る。

わかった、わかったよう~。書くから書くから。


心の状態を書こうとするとなかなか難しい。

起こったことを具体的に書くのは、

ちょっと気恥ずかしくて抵抗があって、

遠回しに書こうとするからなんかよくわからん文章になる。

それを言われている気がした。



スーパーで買い物をする。

ちょっと買いすぎたかな?と恐れが出る。


自我はマイナスのことを訴える。

お金が減るぞ。そんなに使っていいのか?

お金が大切だと。


でもほんの少し意識をずらすと、

スーパーのレジで、笑いがこみ上げてくる。

ふっふっふっ。。

すごい!ここには素敵なものばかりが溢れている。

私は今日美味しいものを手に入れた!

ただそれだけで嬉しい。


前から手ぬぐいが作ってみたかった。

そして染めも生地もうんといいものを使って作った。

すると材料費が高くなった。

販売するとなると高くなる。高い値段設定になった。


すると自我がいう。

高すぎて誰も買わないぞ。

そうだよね。。。売れなかったらどうしようという恐れに巻き込まれる。


一番最初のこれをやってみたい!という喜びが消える。

何が楽しくて作ったのかを忘れてしまって、気分は落ち込む。


これが自我がやってくること。

自我はいつも私を不幸な気分にさせる。


でも私は作りたかったのだ。気に入ったもので。

それだけだった。

あとのことなんて誰もわからない。


喜びの中にいよう。

そう思うようになっていった。



苦あれば楽あり。

この考えは、苦労を美徳としている。

苦労があればこその楽なのだと。


だから私たちは無意識で自分に苦労や不幸を呼び込んでいる。

これだけ苦労したから報われると。


そうじゃなかった。

自分を苦しめることなどいらなかったのだ。




「私はどうありたいか」



コースは、この世界はあなたが作ったという。

この世界はあなたが見たいように見ているという。


「作った」と「見ている」は同じ。


作ったと聞くと、物理的にそれをこしらえたかのようだ。

しかし実際は違う。

そう「見える」のだ。


量子力学だ。

あなたは、あなたが信じたものを見ている。


これ、よく考えたらマジで恐ろしい話。


だからこその、私は何を信じているのかを探る。


苦しむことが人生の習わしだと信じると、苦しむことを求める。

世間は冷たいと信じると、世間は鬼ばかりに見える。

自分はいつも間違えると思うと、間違えた自分を見つける。

自分は弱いと思うと、弱い自分を発見する。


そうやって自分が思った通りの世界を瞬間瞬間に作り上げているのだ。


そう信じてきた自分を心底認めて(赦して)、

そこからおさらばしようと考えた。


それは自分イジメをやめることだった。


私はずっと自分をイジメ続けていた。

恐れさせ、縮こまさせ、間違える弱い生き物だといたぶり続けてきたんだ。


自分を罪深い人間に仕立て上げ、罰を受けるに値する人間としてみてきた。


これって愛だろうか。

苦しみって愛じゃないよね。


自分を愛として見たい。

私は元から罪などない存在なのだ。


そうやって自分を愛の目で見ると、まわりも愛で見え始めた。


苦しみのすぐ横に愛がある。

ふっと意識すると、そこに愛が寄り添ってくれている。

ずっといたのだ、すぐそこに。


これまでと違う見方をしたい。


ただそう意志することで、

世界は移行し始める。


世界は私によって作られているのだから。









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