ずーっと自分をいじめてきた。
なんでこんなに苦しいんだろう?
いつも身近な人に「お前は間違っている」「お前が悪い」と言われてきた。
それは子供の頃から。
父に、母に、旦那に。
だから必死で間違えないように頑張ってきたんだ。
だけどまた間違ってしまう。
その度に自分にダメ出しをし、
「こんなやつ、いなくなってしまえばいい!」
と本当に呪いつくしてきた。
その苦しさは言われた相手に飛び火し、
そいつまで呪い殺さんばかりになった。
やばい!どうにかしないと!
必死でこの世界にはいない存在に聞き続けた。
毎晩泣いてすがった。
教えてくれ!本当に!私には何もわからない。。。!
ある時、自分が人に「お前は間違っている」
と言わせているんじゃないか?と思った。
人が自分に言ってるんではなく、
自分が、人に言わせているんではないか?と。
なんで?
指摘された時、ドキッとする。やばい!またやっちまった!と。
その時、自分というものを強く意識するんだ。
固形化した独立した一個の人間という形に収まっているのを強く感じる。
自分と他人という境界線がはっきりある。
これが分離だ。
それを感じる時、恐れもくっついてくる。
自分は間違っていて、相手は正しい。
突き放された感じ。見放され感。
どーしようーという惨めで半泣きな気持ち。
この一連の思いが、自分に与えた罰なのだ。
なぜだか知らんが、私は小さい時から罪意識を持っていた。
生まれながらにして罪びと。
罪びとは、刑に処せねばならない。
だから苦しみという罰を与える。
私が一番苦しくなる言葉は「お前は間違っている」だ。
だからその言葉を外の誰かに言わせて、ゾワっとし、
孤立感を味わい、罪悪感の淵に自分を陥れるという、
せせこましい、ちっこい罰を与え続けてきたのだ。
罪悪感を感じるということ自体が、刑なのだ。
なぜそんなことを自分にさせたいのだ?と考える。
私は愛されてはいけない存在なのだという。
なぜ?
罪びとだから。
だからなぜ罪びと?
なんでか知らん。
と、同じところをぐるぐるする。
じゃあ、質問を変えよう。。。
いや、ちょっと待てよ。
愛されてはいけないとはどういう意味だ?
だから罪びとだから愛されてはいけないのだよ。
、、、ってことはよ?
その前提に、愛されているってことがあるんじゃね?
え?
愛されているってことがなければ、
愛されてはいけない、なんて発想出てこないよね?
あ、、、、。
ひょっとしたら、知ってるんじゃね?
とっくに愛されているってことを。
あ、あーーーー。
これ、立ち位置の問題じゃね?
罪びとでいたいのか、
神の子でいたいのか、
どっちに立ちたいの?っていう。
コースは言ってんじゃん。
あなたに罪はないよと。
それを受け入れるだけなんじゃね?
謎の罰ゲーム終わらせて、
もうさっさと自分に罪がないことを認めて、
愛されてしまいなさい。
追記:先月の展覧会の作品が、オンラインショップにて販売されています。
ご興味のある方は覗いてやってください。