2008年10月31日金曜日

ニッポンってすごい!





ニューヨークに住んで1年め。
「ニッポンってすごいっ!」って気がついた。
経済大国だの技術大国だの、そんなこむずかしいことはようわからん。
だけど単純に、スーパーマーケットに行くだけで、全然ニッポンの方がすごいっておもう。種類も豊富で、そして美しいのだ。

日本の野菜売り場にいけば、みずみずしい野菜がていねいにビニール袋に収められている。(英会話のおばちゃんが、生まれてはじめて日本のスーパー「ヤオハン」に行き、野菜が一つ一つビニールに入っていてとってもきれいだった!とコーフンしていた)アメリカはビニールには入らない。そのままだから乾燥してヨレヨレ。だいたい野菜を買う人が少ない。ほとんどの人は洗う手間もない四角い箱に入った料理済み冷凍野菜を買う。そんなもんだから、野菜売り場の野菜はいつのかわからない。キュウリにいたっては、てかてかのワックスがかかっていて、年中『放置』されたままだ。

山のように積み上げられたフルーツは、傷んだものもごちゃ混ぜだから「自分で新鮮なのもを選ぶ」という自己責任。

肉売り場はものすごい巨大なスペースを使うが、サカナ売り場は、ネコの額くらい。ネコがかっさらっていったらなくなってしまうほど。
魚の宝庫、高知生まれの私にとって、この現実は屈辱的でもあった。

日本のお菓子売り場は種類が豊富。棚に置かれた一列一列に違うお菓子が並ぶ。そんなのあたりまえだとおもっているでしょ、そこのあなた。
アメリカはすごいぞ。お菓子売り場は巨大で、さぞかしたくさんの種類のお菓子があると思いきや、オレオクッキーやナビスコリッツなど、同じものがヨコにずら〜ッと並んでいるだけ。
「そんなにいっぱい置いてどーする!」と、突っ込みたくなる。

私が仕事で、お菓子のパッケージのデザインをしていたころ、毎週毎週お菓子の新製品が開発されていた。日本の商品は、毎日凄まじく新発売されているのだ。
これがアメリカはといえば、M&M's のいろんな色のチョコレートに、ピンク色ができました!というだけで、おおさわぎだ。
たぶん40年前のお菓子の種類と比べても、ほとんど変わってないんじゃないか?と勘ぐってしまう。超保守である。

賞味期限ももちろん自己責任だ。うっかりしていると、腐って糸引いた商品を買ってしまう。私なんか、賞味期限を確認したものでさえ、カビだらけのヨーグルトをつかまされた。
レジのおねーちゃんは、ガムを噛みながら、あごで私をあしらった。
「べつの、とってきな」


昨今、食品業界でいろんな問題が起こっている。
でも発展途上国アメリカ(?)から戻って来た私にとって「そんなこと十分あり得るだろうな」とおもう。大量にモノを作って大量に消費する。手が行き届かなかったり、ごまかしたり、バンバン保存料を使ったりするのは、私がその立場だったらやってしまいかねない。ましてや今の時代、何かあったらすぐ訴えられるんだもの。

悪いとこばっかり見つけてはおおさわぎするメディア。視聴者もそれにつられて、おおさわぎをしたり、怒ったり、過剰に心配をする。

でもよく他のお国様を見てみたら、比べちゃ悪いのかもしれないが、ダントツにニッポンは良心的。アメリカのマックバーガーは、何日も腐らないというが、きっと日本のマックバーガーは、腐ることが出来るはずだ(笑)。

ちなみにアメリカで5年間住めば、人の一生のうちに摂取する保存料の、半分を摂取してしまうという。そこで7年半住んでしまった私の体は、もう腐らないのかもしれない。
アメリカは保存料大国なのだ。

グローバリゼーションというカッコイイ言葉があるけど、何も世界にみならえって言う意味だけじゃなくて、世界の現状を公平に見ろっていう意味なんじゃないかなあ。

悪いとこばっかり探したら、きりがない。
「ニッポンっていいよ」と私がいうと、
「そんなことないよ。あそこが悪いし、ここも悪い...」と、友達はいう。
そんな言葉をくり返して、その人にどんな得なことがあるんだろう。
つまるところは「ああ、こんな世の中なんか捨てちまえ」という心になるぐらいがオチじゃないか?
世界はもっと悲惨な状態でも、明るく生きる人々がいる。それはすばらしい知恵なんじゃないだろうか。

その知恵の宝庫が、この国にはいっぱい埋もれている。

絵:絵本『The Drums of Noto Hanto』より

2008年10月25日土曜日

ある事件



ある晩、叫び声を聞いた。
そのうちサイレンの音が聞こえたので、ああ、何かあったなとわかった。
表に出てみると人だかりが出来ている。そこで私は生まれてはじめて死体というものを見た。3軒となりのアパートの前で黒人のおじさんはうつぶせになってたおれていた。胸からはどす黒い血がとうとうと流れだし、そこらへんを血の海にしていた。

土曜と日曜の夜は、必ずどこかでパンパンという乾いた銃声の音が聞こえる。流れ弾に当たらないかとおっかなくって、チンタラ街を歩けない。
おじさんは流れ弾にあったのか、恨みを買われて殺されたのかはわからない。その後、ニュースを目を皿のようにして見ていたが、一度もその事件がニュースに流れたことはなかった。

たかが黒人の貧しい地区で起こった殺人事件。ニューヨーカーにとって、それは日常茶飯事。ニュースにもならないというわけか。私はなんだか腹立たしかった。

日本にいた頃もっぱら映画と言えば、アメリカ映画を見ていた。殺人、ドンパチ、流血、爆発、追跡、みんなスリリングでスピード感があって、平々凡々な日々のストレスをどこかスカッとさせてくれる。そんな気軽な気分で見ていた。どこかでそのスクリーンに映される世界は、バーチャルで、あり得ない世界を描いたものだと思っていたものだ。

しかし、実際アメリカという世界に足を踏み入れたとたん、それはバーチャルではないとわかる。あのスクリーンに映し出される世界は、現実なのだ。ドンパチも殺人も日常茶飯事なのだ。
だから私はアメリカでアメリカ映画を見れなくなった。「あまりにもリアル過ぎる...」のだ。日常で展開される悲惨な世界を、わざわざスクリーンでも見る必要もないんじゃない?貴重な時間を2時間もつぶして。

きっと日本人が見るアメリカ映画とアメリカ人が見るアメリカ映画は、見る心持ちが違うんだろうな。
日本人は「こんな世界があったら面白いよね」と見て、アメリカ人は
「ふんふん、この場合、こうやって解決するのか」と生き方のお手本にする....?



さて、よく朝、死体はなくなっていたが、おじさんの流した血はそのままだった。
地下鉄のホームまで行くにはどうしてもその道を通らなくてはいけない。私は出来るだけ踏まないように歩いた。
誰もそれを洗い流してきれいにしたりする人などいなかった。これが日本なら、アパートの住人かその知り合いがその場を清めきれいにし、献花の一つも手向けられていたはずだ。しかしここはアメリカ。血はそのうち乾き、かたまり、雨風にさらされ、やがて無数にある道路のシミの一つとなっていった。(これをドライと言う)

ニューヨークの道路には、そんないろんなイワクがしみ込んだ、無数の模様が描かれているんだろうな。
(そんな模様はいらねーよ)

教訓:アメリカの道路は素手で触っちゃいけません(笑)。

絵:ミステリーハードカバー掲載

2008年10月24日金曜日

ゴミの街〜




私がNY最初の年に住んでいた街はブルックリンにある黒人地区だった。

最初はオランダ人が作ったというヨーロッパ調の美しい街並にうっとりして気がつかなかったが、住んでみて足元に気づく。
汚い。
よくみたら街中ゴミだらけだった。

ダンナがタバコを道路にポイする。もう、どこに捨てたかわからない。そこらじゅう吸い殻だらけ(笑)。
道路の隅には、粗大ゴミが放置されっぱなし。
これがまた、どこをどうやったら、ここまで使いこなせるのか?というくらい、原形をとどめていない。ソファのファブリックはちぎれ放題、下のスプリングはスポンジを突き抜けて全部ビヨ〜ンと飛び出している。アンティークのテーブルは天板を思いっきり突き破られていた。
思わず「みなさん、長い間ご苦労様」と、声をかけたくなる。とてもじゃないが、「これを拾ってリサイクル〜」なんて発想も浮かばない。ニューヨーカーは、リサイクル上手なんていわれているが、それはマンハッタンのオシャレな場所だけの話。ここ黒人地区にリサイクルする(できる)粗大ゴミはないとみた。

緑の多い暖かな季節は、まだ心がなごむ。道路に決して目をやらず、目線から上だけなら、まだヨーロッパ調の街並に緑がいっぱいで「見られる」風景だ。
ところが、木枯らし吹きすさぶ冬に突入すると、風景は一変する。NYの木はほとんどが広葉樹なので、冬は街路樹がハダカになる。すると出てくる出てくる、樹々の下に隠れひそんでいたゴミ、タンス、冷蔵庫、原形をとどめていないバイク、わけのわからないモノがいっぱい詰まったビニール袋、得体の知れない塊....。ロココ調のビルとビルの間にいっぱいひしめいていたのだ。

ようは、緑に隠されていただけなのだ。ずっとそこにあったのだ。でも一体どうしてそこにいつまでも置いておくんだ!

人の心は目に見えるものに影響を受けるものではないだろうか。そうやって四六時中ゴミを目にしていて、美しい優しい気持ちを保っていられるもんなんだろうか。ふつー、心がすさむもんじゃないのか?
いや、ひょっとしたら、そこにゴミがある事に気がついていないのかもしれない。いやひょっとしたら、彼らにとってゴミは「存在していない」のかもしれない。でなきゃ、あんな街の状態を平気で生活できるはずがない..!と、思うのは、日本人の私だからなのかもしれない。

あ”〜、頭がぐるぐるしてきた。

絵:『Jill Chuchill』ミステリー・ハードカバー

2008年10月23日木曜日

ゴミがあるワケ



きのうの『ニューヨークのゴミ』のつづきです。
ちょっと重たいけど、まあ、読んでやってくださいまし。


2:『ゴミの理由』

 どうしてこれほどまでに街にゴミがあるのか、最初私には理解できなかった。しかしだんだんアメリカ人の考え方を探っていくと、ある事が判明してくる。
『ゴミを捨ててやっているから、それを拾うという行為が出来る。だからゴミを拾うという仕事を作ってやっているのだ』という考え方.....。

 これって、メイドという仕事に似てないだろうか。それはタクシーやレストランのチップに共通する上下関係にも似ている気がする。なんとなく奴隷制度のにおいがしないてこない....?
 
 アメリカ人の中流クラスには、どこでもメイドさんがいる。私の英会話の先生のお宅にも、いつもメイドさんがいた。だから部屋中ピカピカ。いつも授業はキッチンでやっていたので、その家の流しの様子がよくわかる。お鍋におこげ一つついていない。 

 私にとって、他人さまが自分の家でそうじをしてくれていると思っただけで、なんだか居心地が悪い。手抜きをしているような罪悪感に陥って、さっさと自らそうじをしてしまう。何より自分で汚したものを人様に洗ってもらう....ということへの抵抗もある...。しかし彼らにとって寝室でハダカでいて、そこにメイドさんが用事で入って来ようが全く気にしないのである。これはメイドさんを人間としてみていないのではないか?とまで思ってしまうのである。ちなみにそれら仕事につく人々は、決ってcolorsだ。黒人や中南米人。ブルーカラーの仕事についた白人はほとんどみたことがない。
 
 だが日本人にとって、そうじをするという行為は、たんに部屋をきれいにするという物理的なものだけではなく、心をきれいにするという精神的なおそうじにもつながってくる。 その根底には、『清め』という日本独自の美しい文化がみえてくるのだ。
 
 日本人の私たちがはじめて公の場でそうじをするのは、学校の教室。授業が終わると、最後に必ず席をうしろによせて全員でそうじをする。自分たちが汚したものは、自分たちできれいにする。はっきり言って、その頃は面倒くさかったけれど、今になって思えば、そうじが終わったあとのなんともいえない開放感は、喜びにまで変わる。こういう行為が、日本人ののちのちの行動や、思いやりという形で影響を与えている気がする。


 ところで、アメリカ人は授業が終わってそうじをするのか?
 答えは、「ノー。」

 英会話の先生に聞いた話。彼女はその道30年のベテラン国語教師。
「先生、日本では子ども達が授業が終わった後、自分たちで教室のそうじをするのよ」
「そうなの!? アメリカじゃ、そうじは清掃員がするものよ。でもそれを子ども達にさせるってのも、いいアイディアね」 だそうだ。
はなっから『自ら、そうじをする』という発想はない。アイディアの一つにされてしまった。


 こんな小さなところからも文化の違いというのは見えてくる。欧米を讃歌する授業もいいけれど、そんな日本の何気ない行為について誇れる英会話が出来るようになってくれたら、もっと世界を公平な目で見る事が出来るのではないだろうか?

エッセイ:東京書籍『教室の窓』掲載

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカは平等の国といわれているが、住んでみると、まったく逆。
日本のあり方の方がよっぽど『平等』と言われるものに近い。
じつは『平等』という言葉は、そこにはホントに平等というものがないから「平等!平等!」とうったえていいるんだけなんじゃないか?ともおもえてくる。
平等なら、白人がメイドになってもいいはずではないか。見た事がないもん。

ゴミから、こんな話にまでいってしまった。


絵:女性誌『Grace』掲載

2008年10月22日水曜日

ニューヨークのゴミ




『ニューヨークのゴミ』

 ニューヨークの街はきたない。どこもかしこもゴミだらけ。
 いきなりこんな現実的なお話をしてしまって、もうしわけない。もしお時間を許すなら、私のニューヨーク生活7年半の『現実』を、ちょっとのぞいてみてください。

1:『地下鉄のゴミ』

 さてニューヨークに観光客としてやって来ると、エンパイヤステイトビルや自由の女神に眼を奪われていそがしいので、ゴミを見るどころの騒ぎじゃないかもしれないけれども、ちょっとひと呼吸ついてベンチにでも座り、落ちついてまわりを見回してみれば、客観的にこの街がみえてくる。

 ニューヨークは、昔よりは治安がよくなり、街もずいぶんきれいになったという。なったというが『先進国』ニッポンからやってきた私には、お世辞にもきれいとは言えない。マシになったというだけかな?
 
 57th Columbus Circleの地下鉄ホームのレールには、汚水が満ち満ち、ネズミが走り回る。新聞、紙くず、ビニール袋、フライドチキンの食べ残し。色とりどりのお菓子の袋が、モノトーンのレールの上のゴミをよけいに際立たせる。

 「なんでー?」と思って上から覗いていると、見ている先からみんな平気でポイポイ捨てる。親が捨てると、その後ろで子も一緒になって捨てる。まるでレールの上はゴミ捨てるところとでも思っているかのよう。おまけに日本のようにそこかしこに冷房があるわけでもないので、駅のホームは蒸し暑い。そのため夏の地下鉄は生ゴミや汚水の匂いで臭くていられない。
 
 日本から観光にやって来た友人は、「ココ、工事中なの?」という。
 Times Square 42nd st.の地下鉄のホーム。工事などやってはいない通常の状態だったのだが、労働者のニューヨーカーは、なにもかもがやっつけ仕事だから、壁も床もタイルもつぎはぎだらけ。日本のきれいな地下鉄が、基準となっている彼女の目には、それが工事中と映ってしまった。
 
 ストリートでは、紙ナプキンが風に舞う。据え置かれたゴミ箱はいつも満杯。そのまわりはコーラやジュースの残り水があたりをべとべとにする。

 一体誰が清掃するのかというと、真夜中に巨大な掃除機がやって来て、ごう音を立てながら、散らかったゴミを、大きなモップで水といっしょにかき回し、吸い上げていくのだ。
 マンハッタンの夜はうるさい。救急車の音が絶え間なく、そのピークを過ぎると、明け方にゴミ清掃車とその巨大な掃除機が街中をかけめぐる。
慣れない私は、毎夜その音で飛び起きた。

エッセイ:東京書籍『教室の窓』掲載


ーーーーーーーーーーーーーーーー
2年前に書いたんだけど、今あらためて読むと暗いなあ〜。
そのころまでは、よっぽどニューヨークに頭にきていたらしい(ニガワライ)。

今は高尾にやってきて心落ち着いてトラウマも消えて来ている。人って厄介なもんだね。
これには続きがあるが、のっけるかどうかは考え中。
それにしてもNY生活でトラウマ作った人は、他の日本人にはいないんかね。
軟弱なのはわたしだけかあ〜。

絵:『ニューヨークのゴミ箱』

2008年10月19日日曜日

ニューヨークのお化け



日本なら、夏と言えば怪談もの。
だけどなぜかアメリカは冬が本番。とくにハローウィンのこの時期は、その手の話にあふれている。
今日は、別の場所で掲載された私のエッセイをのっけます。


『ニューヨークのトワイライトゾーン』

 夏なので、ニューヨークのちょこっとだけ恐い話を。
 私の友人が、ニューヨークに遊びに来た時、ミッドタウンのあるホテルに泊まった。寝苦しい夜を過ごすうち、夜中にふと目をさます。真っ暗闇、部屋の中を人が歩いている。それも一人ではなかった。ビックリした彼は、目を凝らして暗闇をみつめた。
すると、ベッドから見ると右側の壁から、たくさんの人がわさわさとあらわれでてくる。と、おもうとそのまままっすぐ反対側の壁に消えていくのだ。その数、十人やそこらではない。
「そんなもん、数えられしまへんがな。何十人、へたすりゃ、百人単位ですがな」と、興奮している。彼らはみんな泥にまみれ、疲れた顔をした労働者だった。そして友人には、はっきりとアジアのどこの国の人たちかがわかったという。
「そんなの、なんでわかるのよ」と私。
「いや、ほんまでんがな。なんでか知らんけど、はっきりわかるんやて」
 その後、何日か同じシーンを見続け、最後にメイドらしきおばあさんが出て来た。そして彼のベッドのところに来て、ポン!っとふとんの上から彼の足を叩き、にやっと笑ったらしい。それから一切出なくなったという。
 何年かたって、別の友人との対話の中で、そのホテルの名前が出た。
「知ってる?あそこは強制的に連れてこられた人たちに、無理矢理作らせたホテルなのよ。そのせいで、出るらしいわよ〜」
 私はぞっとした。まさにあの友人が言っていた、あの国の人たちだったのだ...。

 ニューヨークに長いこと住む知り合いは、「そんなの常よ」と、こともなげにいう。
 あるカップルが引っ越しをしたその日、大量の本を本棚に収めて一息ついた。「さあ、お昼でも食べにいきましょうか」と、後ろを向いたとたん、大きな音がした。振り返ると、棚に収まっていたはずの大量の本が、全部床に落ちていた。地震でもなく、ゆらしたわけでもないのに...、と思いながら、また本を棚に収める。「さて...」と向きを変えたとたん、また音がする。振り返ると、もとのもくあみ...。「なんでー!?」といいながら、意地になって本を入れていく。入れ終わって後ろを向く...と見せかけて、ばっと本棚を振り返った...。
「本が、宙を飛んでいたのよ...」
 大量の本が鳥のように飛んだと言う。彼らがその日のうちに、アパートを逃げ出したはいうまでもない。

 たしかにニューヨークの建物は古い。そこにはいったい何人の人たちが、何を思って、どういう暮らしをして来たのか、知るよしもない。ましてや日本のように「お祓い」なんて習慣もない。暗い事件は、暗い事件のまま放置されるのだ。それでも全然オッケーな人たちが、そこに長々と住むことが出来るという寸法だ。

 ニューヨークには、そんな歴史がごまんと埋もれているに違いない。現に最近のタイムズスクエアーの新開発にともなって、地面を掘りおこしたら、おびただしい数の人骨が出て来た。黒人のものだったという。そんな悲しい事件の闇の部分を明るく照らす意味でも、あの場所はいつまでも明るく華やかであって欲しいものだ。

 ところで、そのホテルの名前を知りたい?でも言わぬが花ってところでしょうか。

絵:ミステリーブックカバー掲載
エッセイ:東京書籍e−net掲載

2008年10月17日金曜日

花咲か爺さん



父は、警察署に出勤する時、わざと真っ赤なアロハシャツを着ていくような、ちょっとすっとぼけたところがある。

私に話す警察の話と言えば、白バイで暴走族を全速力で追っかけていて、カーブを曲がりきれず、白バイをハデにひっくり返しちゃったこととか、海から引き上げられた車の中に、巨大なカニが2匹住んでいて、それを部下が美味しそうに食べていた話など、どれもへんな話ばかりである。その車の中には白骨化した死体が2体いたそうだ。その丸々と太ったカニの主食が何だったかは一目瞭然である。
「部長!これどうですか。めちゃくちゃうまいですよ」
「おまえ、よくそんなもの食えるなあ」といってやったという。

ウチにやってくる警察官はみんな面白い人ばかりで、いつもおかしなことを言って、私を笑わせる。『ピャッピャッ』とかいうあやしげなトランプ遊びも教えてもらった。お酒を飲んでバカ話をする彼らを見ていて、子供心に警察の人って変わっているなあ...と心のどこかで思っていた。今から思えば、日々のプレッシャーを切り抜けるための、彼らの知恵だったのだろうな。

そうかとおもうと、お中元やお歳暮の頃にウチにやってくる美味しそうな箱は、一度も開けられた事がない。「全部返すからそのままにしておけ」と厳しい。私へのしつけも相当厳しかった。

ある日、小学校で、「大きくなったらお家を継ぐ」という話しを聞いた。同級生のほとんどの家はお百姓さんか漁師だった。先生は「いいですか、みなさん。あなたたちが大きくなったら、お父さんのお仕事を継ぐんですよ」と言われた。私はその頃看護士になりたいと思っていたから、寝耳に水である。世の中にそんな決まり事があるのかとビックリした。
学校からの帰り、田んぼのあぜ道を辿りながら、私はじっと考えた。
「よし、お父さんの仕事を継ごう」

家に帰ってみんなで夕食を食べ終わってから、私は意を決して切り出した。
「お父さん。今日学校で教わったの。先生が言うには、みんな、大きくなったらお家を継がないといけないんだって。それで、私もお父さんのお仕事を継がないといけないんで、私、婦人警官になります」
一瞬、みんなの顔がかたまった。そして次の瞬間、吹き出すような笑い声が。
「アホか、おまえ。お父さんの仕事は稼業じゃないから、おまえ、べつに警察官にならんでもいいんだぞ。好きにしていいんだぞ」
母と父は、私の決死の覚悟を、あろうことか大声で笑い飛ばしてくれたのであった。

今思えば、父はあのとき、よくそういってくれたもんである。
あのとき、「よし、継げ」なんていわれてたら、このニッポンはアヤウイことになっていたかもしれん。私はこの世で最も警察という仕事に向かない、とてつもなくいいかげんな性格だったからだ。父と母は、私の特性をよく知っていたに違いない。


そんな父は今年の秋、叙勲をもらうこととなった。
私には何も言わない、彼だけのいろんな苦労があったに違いない。これはきっと神様からもらった彼への大きなプレゼントなのだ。

親孝行のちっとも出来ない私は、密かに心からお祝いするだけである。

「おめでとう。おとうさん」

絵:『花咲か爺さん』COOPけんぽ表紙掲載

2008年10月16日木曜日

カメムシとのおつきあい


 
ニューヨークから引っ越して来たその日、なにげなく部屋の隅を見た。
カメムシがいた。ずら〜っと。
「....!」
よく見ると部屋の隅という隅に、軍団を作って仲よく並んでいるではないか.....!

そういえば最初から、そこはかとなくあのニオイはしていた。
しかし「ここは山のすぐ近くだから、まあ、カメちゃんの1匹や2匹いたって、ふしぎじゃあないわよねえ〜。ふはははは〜」と、平静をよそおっていた私。だが、ほどなく「それは数えきれない」という現実を知る。
「こっ.....ここはカメムシ館だ!」

ニューヨークにカメムシという昆虫はいなかった。7年間あのニオイの事はすっかり忘れていた。あのカメムシ旅館事件も。トラウマが一気に浮上。

この家は私たちがやってくるまでの7ヶ月間、人が住んでいなかった。その間にカメちゃんは暖かい場所を求めてやって来ていた。天敵のニンゲンもいないし、天国だったに違いない。「ここは人間様の住むお屋敷であるぞ。この無礼者!」とはいってはみても、高尾山にへばりついている家。彼らにとって、家も山もおなじである。人が住まなくなった家は荒れるというのはこういうことなのか。


その頃は3月。100匹くらいはすでに死んでいたが、まだごぞごぞうごめいているものもいた。私は震える手で、1匹1匹処分していった。さすがに生きていたカメちゃんは殺すには忍びない。殺さずに
「はい、あんたの住む場所はそっち」といいながら、外にポイポイした。

それからカメムシの季節がやってきた。
窓を大きく開けているとぶーんと飛んでくる。私は「ハイ。あんたのお家はあっち」と外にポイッと出す。そうやって、他の虫たちも外に出す。ゴキブリも、アリも、ハエも、ハチも、カナブンも、コオロギも。さすがに蚊だけは外に出せないけれど。
そうすると不思議なことに、ほとんどウチの中に虫は来ないのだ。こんなにまわりを自然に囲まれていて、庭ではブンブンと元気よく飛んでいるというのに。あの引っ越した当初のカメムシ館状態は跡形もなく消えていた。
「お宅、虫いないわねえ」と近所の人にもいわれた。

じゃあ、高尾にカメムシはいないのか?と思いきや、近所の人はカメムシの多さに悩んでいる。「殺しても殺しても入ってくるんだ」と文句をいう。

この違いは何だ?

ひょっとしたら、殺さずに「お宅のお家はそっち」と外に出したのが良かったのか?
虫さんは「あ、そ。うちはこっちね。ハイハイ」と納得したんだろうか。
でも殺しちゃったら「このヤロー」と、また入ってくるというのか?
んなアホな、ともおもう。しかしこの現実は何をいわんとしているのか。
私は、犬は言って聞かせれば分かると信じているが、まさか虫もそうなのか?まてよ、母の栗の一件がある。ひょっとしたら、聞いてるのかも....。

人と虫は「住み分け」が出来るのかもしれない....?

絵;「山辺の道」けんぽ表紙掲載

2008年10月13日月曜日

カメムシの失神




カメムシの失神は、ニンゲンにも言えそーな気がする。
人って、けっこう心の中で毒舌していない?

たとえば、
街で見かけた人の行動をいちいちチェックして
「なんて行儀の悪い子。電車の中でお化粧なんかしちゃって」とか、
せんべい食べながら、テレビに向って
「そうよ、政府が悪いのよ。こんな食糧難の世の中にして」とか
「ああもう、うちのダンナったら。この粗大ゴミ!」とか。

気がついたら、心はブーたれオンパレード。一つ気に入らない事を見つけると、それに意識は集中する。
集中すると、心はもっとネガティブな事を見つける事に忙しい。これはどう?あれはどう?
あっ、あっ、そうそう、あれあれ、あれなのよ〜、ととめどもない。

オモテじゃ見えないから、何言ってもバレないし。言っている本人は『自分は正義の味方』な気分。世の中の悪を見つけて指摘するエライ人。(これは、じつは快感だったりして....)
でも、べつになにをするわけでもなし。
だから、何も解決しない。かくしてそのブータレは、延々と言い続ける事になる。

ところがその毒は、どこかに噴出するわけではないので、密閉された体の中でたまることになる。
ちょうど、カメムシさんの密閉容器実験と同じ状態。自分で自分の毒にやられる....。

最近は結構イライラした人が多いのも、そういう言葉を心の中で噴出しまくっているからなのかもしれない。
で、自分の毒に当てられて、具合が悪くなる。わちゃ〜。

そういう私も自分の毒に当てられて、失神状態になった(笑)。
カメムシさんを見て、我ふり直す、だな。


もし、カメムシさんが噴出するものが、しあわせ攻撃だったら、密閉容器の中でしあわせにあふれた空気の中で、恍惚状態になったんだろうな。


絵:『雪女』ECC英語絵本教材掲載

2008年10月11日土曜日

カメムシのやど



私はカメは大好きだが、カメムシは苦手である。
キンモクセイが街じゅうに匂いたつこの季節は、ついでにカメちゃんのニオイも登場する。

私は人より鼻の穴がでかい。鼻の穴がでかい人は許容量があると言われているが、私のばあいは、鼻くそをほじりすぎて大きくなった。鼻くそをほじり過ぎると、結果的に許容量が大きくなるんだろうか。そうなりたい方には、ぜひ鼻ほじりをお勧めする。

おかげさまで、からだの中で一番嗅覚が敏感になってしまった。そんなわけであのニオイは私の弁慶(?)の泣き所なのだ。

昔、意図せずしてカメムシ旅館に泊まってしまった。そこは山深い自然の中に、すっぽりと埋もれるように建てられたひしなびた(『ひなびた』ではない)温泉旅館。部屋に入ってがくぜんとする。何百匹というカメムシが、部屋中で暴れ回っていたのだ。
「こっ.....ここで、寝るんですか...?」やっとの事で口を開く私。
「はい。この時期はしかたないですね。カメムシさんたちは昔っからここに住んでおられるんです。私たちはあとから来た、いわば新参者ですから」若いお兄さんは、ニコニコしながら、こともなげにそう言った。

ブーンブーンとカメムシさんが飛び交う中で、夕食をする。煮物の上にとまったカメムシをあやうく口に入れそうになる。コントロールを失ったカメさんが私のほっぺたに激突する。「ビシッ!」

「こっ...このヤロ...!」思わず手が出そうになる。しかしつぶせば思いっきり例のニオイで猛反撃を食らう....。理性がそれを押さえる。天井という天井、縁という縁にびっちりとうずくまっているのだ。こやつらがいっせいにブーイングをすれば、私の無敵の嗅覚がどういうことになるのか、目に見えてあきらかだ。
 
恐る恐るこっそりとふとんを敷き、足元に注意をしながら、誰にも粗相のないよう床につく。(温泉旅館とはくつろぎにくるところじゃないのか!)しかし、それでもどこかで私たちを気に入らないやつがいるらしい。ニオイは一晩中続いた。
次の日泣きながら帰ったのは言うまでもない。

しかしカメムシは、あのニオイは自分で平気なんだろうか。じつは一度テレビで実験を見た事がある。同じことを考える人はいるもんだ。
カメムシを密閉された容器の中に入れておいて、上から突っついてわざと怒らす。すると見えない敵に向かってニオイ攻撃を発射!が、その秘密兵器はどこにも行けず、狭い容器の中で充満。
カメムシさんは、自分のニオイで失神した。

これは、自分の武器は諸刃の剣というふかーい教えでもあった。(ちっとも深かーねーよ)
スカンクでもやってみたいなあ。

絵:サルのいる温泉宿 『けんぽ』表紙掲載

2008年10月10日金曜日

正しいって何?



誰かとケンカしたら、「私は正しい。そうだ。あいつはまちがっている」という思いが、ぐるぐるとかけめぐる。けど、その”あいつ”にしたら、「私は正しい。つくしはまちがっている」となる。

その様子を、心の中が読める宇宙人がはたから見てたとしたら、さぞかしおかしいだろう。二人とも同じように自分が正しいといいはっているんだから。

「チキュー人とは、へんな生き物だな....」とあきれているかもしれない。
その宇宙人の視点から見ると、どっちも正しいのだ。それぞれの言い分があるのを知っているから。

人は生まれてくる場所も、環境も、親の考え方も、ぜーんぶ違う。そのバックボーンから生み出された考え方は、太陽一つとってもどう感じるのか、考え方が違うのだ。兄妹でさえも違っている(むしろ、親兄弟の方がケンカする)。それなのに、他人が同じ考えを持っている(はずだ)と思う事自体、ムリがある。

だから何かが起こった時、単にそれぞれの反応をしただけなのだ。その反応がたまたまいっしょだったら、ケンカはしないけど、たまたま違っていたからケンカになった。

人との間で、ケンカや心に動揺が走ったときは、ことの発端となる相手に問題があるんではなくて、むしろ逆で、今自分自身の中にある問題点を見せられているんではないだろうか。

気に入らない『あいつ』は、実は自分のいやな部分を見せてくれている「親切な人」なんじゃなかろうか。わざわざいやな部分を私に成り代わって、目の前で演技してくれている。
「ほらほら、あなたの今度の課題はここよ〜っ」て。

よく考えたら、そうでもしないと自分の問題点は気がつかないんじゃないか?もし、私にもあなたにも何も問題なくて、ホトケサマみたいだったら、きっと地球はおだやかな星に違いない。
でもどっかで「わたしはだいじょーぶ」って高をくくっているから、
「あーあ、しゃーないなあ、誰かに演技でもしてもらうか」
と、近くにいる知り合いが、その大役をまかされる。かくしてチャンチャンバラバラの始まり始まり〜。


世の中の、これは正しい、これは正しくないは、時代によってもコロコロ変わる。
それまでご飯しか食べてこなかった民族が、戦後いきなり「ご飯食べたらバカになる。パンを食べたら賢くなる」とおどされた。でも今じゃ「パンを食べるより、ご飯を食べる方が賢くなる」と言われてる(笑)。

地球人の視点に立つから、あっちゃこっちゃにふりまわされる。
このさい、宇宙人の視点に立ちましょう。宇宙にはいっぱい違った考え方があります(ホントか?)。
そーすると、「どっちも正しい」のだ。
え?早い話しが「どっちでもえーやんか」というコト?
そうそう、二元論にたつと「あちらがたてば、こちらがたたず」で、けっきょく結論は出ない。

おかげさまで、ずいぶん自分の問題点を発見しちゃった。

絵:志士 『幕末テロ』扉イラスト

2008年10月8日水曜日

心の暴走




私はよく心の中で、これは正しいんだろうか、それとも間違っているんだろうか?と考える。心は忙しくいったりきたり。

先日まである知り合いのことで、心は千々にみだれていた。あれは正しかった、これは正しくなかったと心の中は大にぎわい。一大カーニバルを大開催中だった。
でも、そういうことをやっている自分にほとほと疲れる。1日24時間のうちの、ほとんどがそのことについやされている。
はたと気がつく。
「わしゃ、ヒマなんか?」

人の心とは面白いもので、仕事をやっていても、同時に別のことを考えられる。絵はとくに、いったん方向性が決まると、あとは流れ作業になる。手は忙しく動いていても、心は自由時間に入る。
すると、今一番の感心ごと「マイブーム」に、思考は突入するのだ。いったん考え始めると、点から始まったものが、水面になげられた石の波紋のようにどんどん広がって行く。妄想族の私は爆走し、宇宙の果てまで行ってQ。
「止めて止めて、キャー誰か私を止めて〜」と、自分が気がつくまで止めないのだ。
思考でへとへとになった頃に、夕飯の支度が待っている。晩ご飯は、さぞかし妄想の味がするのだろう。

さて、そうやってマイブームを徹底したところで、はたして解決はするのか。これがちっともしない。むしろ、悲観的になる。世界は私に対して背を向けているような気さえする。
私の場合、いいアイディアは、眉間にシワをよせて、うんうんうなりながら考えても、ちっとも浮かばない。むしろ、ぽけっとお風呂に入っているときに「あれっ?」と浮かぶ。かのアインシュタインも言っている。「なんでシャワーを浴びている時に限っていいアイディアが浮かぶんだ!」

ひょっとしたら思考の暴走は何の役にも立たないのかもしれない。
だからお寺で座禅をくんだ時、しつこいくらいに「何も考えるな!」と言われたのか。考えたところでたかがあんたの脳みそ、知れてる知れてると。

でも考えないとアホになるという恐怖心もおこる。だから、ひたすら考えることに没頭する。それは裏を返せば「私、アホじゃないもんね」と、自分に納得するためじゃないのか。
『無心になる』とは、雑念を飛ばすことだ。立派な選手がよくいう『自分を信じること』と、無心になることは同じことを言っているのじゃないだろうか。
ところが私のような凡人は、自分が徹底的に信じられないから、「私、考えているからアホじゃないもんね〜」と自分に説得をしている。これこそが雑念かもしれない。

人間って無意識が同じ言葉をくり返して心の中でしゃべっているんじゃないだろうか。「私は体が弱い。ああ、またこうなった。ああ、やっぱり体が弱いからだわ」と常に同じことを考え、自分はこうなんだ、こういう人間なんだと言い続けていないだろうか。それは無意識に自分に『説得』をしている行為かもしれない。
そういうことをやめろよと、あえて言ってくれたのが、お釈迦様だったのではないだろうか。
まあ、そんなふうに心が暴走しているのは、私だけかもしれない(きゃー、はずかしー)。

絵:「梨の木」ECC英語教材絵本掲載

2008年10月5日日曜日

Double Fantasy



アイヌと現代音楽が融合したユニット「リウカカント」の第2弾『Double Fantasy』のジャケットを制作しました。

試聴できますので、ぜひ聞いてください。
http://takeshikainuma.com/music/index.htm



イメージはアッシリア時代に出てくる巨大な人頭有翼牡牛像。私はこれにもう一つ、神社の入り口にいる獅子も合体させました。
人、鳥、牛そして獅子。この4つが融合した存在です。まるでこの陰陽二つの存在が守護しているかのように。


それにしてもなぜ古代の彫刻や神話には、ニンゲンと牛が合体したものがあるのだろうか。
エジプトにもハトホル神という牛と人が合体した神がいる。それにミノタウロスや牛頭天王.....探せばもっと出て来そうなけはい。

先日ふとみたテレビで『件(くだん)』という名の妖怪がいるのを知った。それは未来のことを知っていて人々にふれ回るもののけだという。この漢字(ニンベンに牛)にある通り、やはり顔が人で体が牛なのだそうだ。

くだんといい、アッシリアの像といい、この種類のものたちは、なにか尋常ではない能力をもっているようにみえる。
単にこれとこれをくっつけちゃいましたー、とは言い切れない深い意味があるのかもしれない。

と、丑年の私は思わずひいき目に見てしまいました。

2008年10月4日土曜日

栗は聞いていた



昨日、母からの電話。
「お友達から栗をもらったの。
でも『一週間も手元においてあったから、大丈夫かどうかわからないけど、いる?』と聞かれて、せっかくのご好意を受け取らないのはいけない。
『いいわよ。一週間くらいだったら大丈夫。栗は大好きだから」
と、もらったそう。

開けてみると、やっぱりひからびていた。振ってみると、からからと音がする。中で乾燥してしまったようだ。
しかしせっかくもらったもの、捨てるのもしのびなくて、彼女はボールに一杯水をはり、栗をつけておいた。栗は全部水の上に浮き上がっていて、中に空気が入っているのがわかる。
「一晩置いたらなんとかなるかな?」
と、母はかすかな望みを持った。

翌日。試しに一個よさそうなものをはいでみる。中はほとんど真っ黒。食べられた状態ではない。もう一個開けてみる。やっぱり同じ。
普通なら、ここで人は栗を捨てる。
だが、私に似ていやしい母は(反対だろ)、もう一晩つけておいた。

朝、懲りない母は、また一個はいでみる。やっぱり黒い。
母はそこで、ちょっとイラッとした。(イラッとする方がおかしい)
水に入った栗をぐるぐると手で混ぜながら、
「あんた。ちょっといいかげんにしなさいよ!今度こんなに真っ黒かったら、捨てるぞね!」
と、大きな声で、栗に向って真剣に怒った。
この光景を外から見たら、さぞかしあやしげにちがいない。

そしてその日の夕方4時頃、彼女は捨てるつもりで、栗を一個持ち上げた。
「あれ?」
今までと違って、ずっしりと重い。
はいでみると、まっ黄色いきれいな栗の肌が見えた。それはほくほくの栗だった。
おかしいな...と思いながら、別のをはいでみる。やっぱりほくほくの栗。じゃあ、これは?やっぱり黄色いカワイイ栗。
これは?これは?といいながら、生栗をはぐこと30分。気がついたら、全部の栗をむき終えていた。

彼女はそれを甘く煮て、美味しい甘露煮をつくった。

「ねえ。こんなことってある?」と私に聞く。
最初の3個だけが真っ黒ということは、わざわざ腐っていたのを取り上げただけなのか?そうとはいえない。「ひからびた栗の中でも、一番良さそうなものを選んだんだよ!」と彼女。

では、栗は聞いていたのか?
きっとそうにちがいない。
彼女に脅されて、捨てられちゃかなわんと、必死で元の姿に戻ろうとしたにちがいない。せっかく頑張って栗の実として成長し、この世に出て来たのだから、腐って捨てられるのは、彼らの本望ではないのかもしれない。
なんてけなげなんだ。

母は、この現実をそのまま受け入れることに不安があって、
「甘露煮にしたよく朝、4時頃ふいに目がさめて、ひょっとしたらあの栗はいなくなっているかもしれないと思って、お鍋のふたを開けて確認したのよ」そしたら、ちゃんとお鍋に甘露煮はおさまっていたそうな。

後日そのお友達から「ごめんなさ〜い。あんなのあげちゃって!」と、おわびの電話があった。でも母の栗とのいきさつを聞いて
「ああ〜よかった〜。これで今夜は眠れる」といったそうな。
不思議な友人関係である。(ふつー、信じないだろーっ!)

今日も電話があって「お茶といっしょに美味しく食べた〜」と、喜んでいた。

いやしい心は、山をも動かすに違いない。

絵:ききょう けんぽ表紙掲載

2008年10月2日木曜日

地球のため



今朝の分別ゴミは、ビン類とアルミ缶。
今は八王子市は、各家庭の家の前に燃えるゴミと燃えないゴミを出しているが、一カ所に収集していたとき、近所の人たちがちょっとしたいさかいをしているのを見たことがある。
ビニール袋とペットボトルは、燃えないゴミにまとめて出していいのか、それともリサイクルに出すのか。燃えるゴミを入れるビニール袋は燃えないゴミじゃないのか。新聞紙と雑誌はまとめていいのか悪いのか。それぞれの意見が対立する。一人は元お役所の人、もう一人は色々リサイクルについて考えている人。どっちも「地球のため」に戦っている。

その頃、私はニューヨークから戻って来たばかりだったから、ちんぷんかんぶん。日本を越境した96年とはリサイクルの事情が変わっていた。

しかもアメリカからときている。もっとちがっていた。
NYもリサイクルについて法律が色々二転三転したが、私が帰る頃には、ビン類も子供用のプラスチックの自転車も、ほとんどが燃えるゴミに「おさまって」いた。アルミ缶以外だったら、プラスティックも、ワインのビンも、生ゴミも、紙もどんどん50センチ角の広さのダストシューターに放り投げていたのを覚えている。今はどうなっているのかは、わからないが。

そんなお国柄から戻ったものだから、長野の義理の姉に「タバコの紙とビニール袋まで分けるのよ」と聞いた時には、びっくらこいた。それをやっているか、やっていないかちゃんとチェックまでされるという。
これで冒頭のご近所さんの戦いもわかろうというものだ。

あれから八王子のリサイクルの条件をいろいろ勉強して、とりあえずはいさかいにはならないように出しているつもり。でも本当のところは、あっているかあっていないかわからない。その条件は地域によってちがう。そんなことでいいのかどうかは知らない。

でもなんだなあ。こんな小さな国の中で、このビニールがあの紙類が、って言って口やかましく言われて細かく種分けをしている一方で、巨大な国でビニールでもプラスティックでもビンでもゴミをガンガン燃やして、訳のわからない気体を出してもらって、ついでに燃えないものはガンガン地面に埋めて、妙なものを地面に流してもらっている。
いくら小さなことからコツコツと、地球のためにと思ってタバコも紙と、ビニールを分けていても、横でボンボンゴミの山が出来てたら、あんまりおもしろくはない。
おまけにそのことで、近所の人がケンカをする。いったいなんのこっちゃ。

国によっても県によっても、そして時代によっても色々変わってしまうリサイクル条件。そんなあいまいなものに人々は振り回されている。これって無駄な心労してない?なんだかそれだけいいかげんなものにケンカなんかするのはもったいない気がする。だから私は臨機応変にそのつど「ハイハイ。こうですか。ではそのように」と、てきとーに(聞こえが悪いなあ、いや、それなりにです)対処することにしている。だって世界はまったく違う考え方、生き方をしているのだから。

地球のためって何だろう?
ゴミを出さない、妙な液体を出さない、という物質的なことだけやってればいいんだろうか。その事でケンカして、争いになって、憎しみあう。そういや土地や宗教やものの考え方の違いでいざこざが起き、果ては戦争になるのが、歴史のつねじゃなかったっけ?
戦争は、じつはこんな何でもない些細なことからはじまるのかもしれない。こっちの方が、地球さんのためにはよくないことじゃないんだろうか。
そう思ったら、地球のためになるのは、ほんとうはみんながお互いを理解して仲良くすることなのかもしれない。

なあんて、ゴミ捨てながら、えらい飛躍してしまった。

絵;coopけんぽ表紙「ピクニック」