2008年10月2日木曜日
地球のため
今朝の分別ゴミは、ビン類とアルミ缶。
今は八王子市は、各家庭の家の前に燃えるゴミと燃えないゴミを出しているが、一カ所に収集していたとき、近所の人たちがちょっとしたいさかいをしているのを見たことがある。
ビニール袋とペットボトルは、燃えないゴミにまとめて出していいのか、それともリサイクルに出すのか。燃えるゴミを入れるビニール袋は燃えないゴミじゃないのか。新聞紙と雑誌はまとめていいのか悪いのか。それぞれの意見が対立する。一人は元お役所の人、もう一人は色々リサイクルについて考えている人。どっちも「地球のため」に戦っている。
その頃、私はニューヨークから戻って来たばかりだったから、ちんぷんかんぶん。日本を越境した96年とはリサイクルの事情が変わっていた。
しかもアメリカからときている。もっとちがっていた。
NYもリサイクルについて法律が色々二転三転したが、私が帰る頃には、ビン類も子供用のプラスチックの自転車も、ほとんどが燃えるゴミに「おさまって」いた。アルミ缶以外だったら、プラスティックも、ワインのビンも、生ゴミも、紙もどんどん50センチ角の広さのダストシューターに放り投げていたのを覚えている。今はどうなっているのかは、わからないが。
そんなお国柄から戻ったものだから、長野の義理の姉に「タバコの紙とビニール袋まで分けるのよ」と聞いた時には、びっくらこいた。それをやっているか、やっていないかちゃんとチェックまでされるという。
これで冒頭のご近所さんの戦いもわかろうというものだ。
あれから八王子のリサイクルの条件をいろいろ勉強して、とりあえずはいさかいにはならないように出しているつもり。でも本当のところは、あっているかあっていないかわからない。その条件は地域によってちがう。そんなことでいいのかどうかは知らない。
でもなんだなあ。こんな小さな国の中で、このビニールがあの紙類が、って言って口やかましく言われて細かく種分けをしている一方で、巨大な国でビニールでもプラスティックでもビンでもゴミをガンガン燃やして、訳のわからない気体を出してもらって、ついでに燃えないものはガンガン地面に埋めて、妙なものを地面に流してもらっている。
いくら小さなことからコツコツと、地球のためにと思ってタバコも紙と、ビニールを分けていても、横でボンボンゴミの山が出来てたら、あんまりおもしろくはない。
おまけにそのことで、近所の人がケンカをする。いったいなんのこっちゃ。
国によっても県によっても、そして時代によっても色々変わってしまうリサイクル条件。そんなあいまいなものに人々は振り回されている。これって無駄な心労してない?なんだかそれだけいいかげんなものにケンカなんかするのはもったいない気がする。だから私は臨機応変にそのつど「ハイハイ。こうですか。ではそのように」と、てきとーに(聞こえが悪いなあ、いや、それなりにです)対処することにしている。だって世界はまったく違う考え方、生き方をしているのだから。
地球のためって何だろう?
ゴミを出さない、妙な液体を出さない、という物質的なことだけやってればいいんだろうか。その事でケンカして、争いになって、憎しみあう。そういや土地や宗教やものの考え方の違いでいざこざが起き、果ては戦争になるのが、歴史のつねじゃなかったっけ?
戦争は、じつはこんな何でもない些細なことからはじまるのかもしれない。こっちの方が、地球さんのためにはよくないことじゃないんだろうか。
そう思ったら、地球のためになるのは、ほんとうはみんながお互いを理解して仲良くすることなのかもしれない。
なあんて、ゴミ捨てながら、えらい飛躍してしまった。
絵;coopけんぽ表紙「ピクニック」
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