2008年10月25日土曜日

ある事件



ある晩、叫び声を聞いた。
そのうちサイレンの音が聞こえたので、ああ、何かあったなとわかった。
表に出てみると人だかりが出来ている。そこで私は生まれてはじめて死体というものを見た。3軒となりのアパートの前で黒人のおじさんはうつぶせになってたおれていた。胸からはどす黒い血がとうとうと流れだし、そこらへんを血の海にしていた。

土曜と日曜の夜は、必ずどこかでパンパンという乾いた銃声の音が聞こえる。流れ弾に当たらないかとおっかなくって、チンタラ街を歩けない。
おじさんは流れ弾にあったのか、恨みを買われて殺されたのかはわからない。その後、ニュースを目を皿のようにして見ていたが、一度もその事件がニュースに流れたことはなかった。

たかが黒人の貧しい地区で起こった殺人事件。ニューヨーカーにとって、それは日常茶飯事。ニュースにもならないというわけか。私はなんだか腹立たしかった。

日本にいた頃もっぱら映画と言えば、アメリカ映画を見ていた。殺人、ドンパチ、流血、爆発、追跡、みんなスリリングでスピード感があって、平々凡々な日々のストレスをどこかスカッとさせてくれる。そんな気軽な気分で見ていた。どこかでそのスクリーンに映される世界は、バーチャルで、あり得ない世界を描いたものだと思っていたものだ。

しかし、実際アメリカという世界に足を踏み入れたとたん、それはバーチャルではないとわかる。あのスクリーンに映し出される世界は、現実なのだ。ドンパチも殺人も日常茶飯事なのだ。
だから私はアメリカでアメリカ映画を見れなくなった。「あまりにもリアル過ぎる...」のだ。日常で展開される悲惨な世界を、わざわざスクリーンでも見る必要もないんじゃない?貴重な時間を2時間もつぶして。

きっと日本人が見るアメリカ映画とアメリカ人が見るアメリカ映画は、見る心持ちが違うんだろうな。
日本人は「こんな世界があったら面白いよね」と見て、アメリカ人は
「ふんふん、この場合、こうやって解決するのか」と生き方のお手本にする....?



さて、よく朝、死体はなくなっていたが、おじさんの流した血はそのままだった。
地下鉄のホームまで行くにはどうしてもその道を通らなくてはいけない。私は出来るだけ踏まないように歩いた。
誰もそれを洗い流してきれいにしたりする人などいなかった。これが日本なら、アパートの住人かその知り合いがその場を清めきれいにし、献花の一つも手向けられていたはずだ。しかしここはアメリカ。血はそのうち乾き、かたまり、雨風にさらされ、やがて無数にある道路のシミの一つとなっていった。(これをドライと言う)

ニューヨークの道路には、そんないろんなイワクがしみ込んだ、無数の模様が描かれているんだろうな。
(そんな模様はいらねーよ)

教訓:アメリカの道路は素手で触っちゃいけません(笑)。

絵:ミステリーハードカバー掲載

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