2008年10月8日水曜日

心の暴走




私はよく心の中で、これは正しいんだろうか、それとも間違っているんだろうか?と考える。心は忙しくいったりきたり。

先日まである知り合いのことで、心は千々にみだれていた。あれは正しかった、これは正しくなかったと心の中は大にぎわい。一大カーニバルを大開催中だった。
でも、そういうことをやっている自分にほとほと疲れる。1日24時間のうちの、ほとんどがそのことについやされている。
はたと気がつく。
「わしゃ、ヒマなんか?」

人の心とは面白いもので、仕事をやっていても、同時に別のことを考えられる。絵はとくに、いったん方向性が決まると、あとは流れ作業になる。手は忙しく動いていても、心は自由時間に入る。
すると、今一番の感心ごと「マイブーム」に、思考は突入するのだ。いったん考え始めると、点から始まったものが、水面になげられた石の波紋のようにどんどん広がって行く。妄想族の私は爆走し、宇宙の果てまで行ってQ。
「止めて止めて、キャー誰か私を止めて〜」と、自分が気がつくまで止めないのだ。
思考でへとへとになった頃に、夕飯の支度が待っている。晩ご飯は、さぞかし妄想の味がするのだろう。

さて、そうやってマイブームを徹底したところで、はたして解決はするのか。これがちっともしない。むしろ、悲観的になる。世界は私に対して背を向けているような気さえする。
私の場合、いいアイディアは、眉間にシワをよせて、うんうんうなりながら考えても、ちっとも浮かばない。むしろ、ぽけっとお風呂に入っているときに「あれっ?」と浮かぶ。かのアインシュタインも言っている。「なんでシャワーを浴びている時に限っていいアイディアが浮かぶんだ!」

ひょっとしたら思考の暴走は何の役にも立たないのかもしれない。
だからお寺で座禅をくんだ時、しつこいくらいに「何も考えるな!」と言われたのか。考えたところでたかがあんたの脳みそ、知れてる知れてると。

でも考えないとアホになるという恐怖心もおこる。だから、ひたすら考えることに没頭する。それは裏を返せば「私、アホじゃないもんね」と、自分に納得するためじゃないのか。
『無心になる』とは、雑念を飛ばすことだ。立派な選手がよくいう『自分を信じること』と、無心になることは同じことを言っているのじゃないだろうか。
ところが私のような凡人は、自分が徹底的に信じられないから、「私、考えているからアホじゃないもんね〜」と自分に説得をしている。これこそが雑念かもしれない。

人間って無意識が同じ言葉をくり返して心の中でしゃべっているんじゃないだろうか。「私は体が弱い。ああ、またこうなった。ああ、やっぱり体が弱いからだわ」と常に同じことを考え、自分はこうなんだ、こういう人間なんだと言い続けていないだろうか。それは無意識に自分に『説得』をしている行為かもしれない。
そういうことをやめろよと、あえて言ってくれたのが、お釈迦様だったのではないだろうか。
まあ、そんなふうに心が暴走しているのは、私だけかもしれない(きゃー、はずかしー)。

絵:「梨の木」ECC英語教材絵本掲載

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