「これまで『世界』だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ」
この言葉が、波打ち際にいる私に日々ひたひたとうちよせる。
世界に私が与えている想念。
それがこの世界を作っている。
世界は、私の考えでできている。
私は世界に対してどう思っていたのか。
「世界は私にいじわるだ。」
いじわる
どこからそんなイメージがついたのか。
私はいじめられっ子だった。
そもそもなんでいじめられっ子になったのか。
想念はその源を離れないのなら、世の中にはいじめがあると信じているからか。
いじめるものと、いじめられるもの。
ある日つくしちゃんはAくんにいじめられました。
さて。そのいじめられたという考えはどこからきたのか?
「いじめ」という考えがあるから、いじめられたと思ったのではなかったか。
ではどこからいじめという考えが出てきたのか。
いじめっ子はなぜいじめっ子になったのか。
親がその子に厳しかったのかもしれない。
その苦しさから、つくしちゃんみたいな自分より弱そうな子を見つけて、
いじめてたのかもしれない。
じつはその親もまたその親に叱られて育っていたのかもしれない。
親と子の関係だけじゃない。
上司と部下、男女、町会、先生と生徒、グループ、国と国、、、。
この世界はいじめっ子といじめられっ子、加害者と被害者、
その役割がぐるぐると日替わりランチみたいに変化しながらあてどもなく続く。
その原因を探っていったら、鶏が先か卵が先か、
みたいなぐるぐる回りになって収拾がつかない。
ここに答えが見出せないのは明白。
別の道を探ろう。
私は世界がいじわるだと思っている。
もしかしたら、そう思っているからいじわるなんじゃないか?
日々、いじわるな世界を見て、
「ほーらやっぱり私が思った通り、世界はいじわるじゃないか!」
と、得意げに言う。
ホントはその一瞬一瞬に「いじわる」をアップデートしているだけなんじゃないか?
想念はその源を離れない。
「いじわる」という考えは、
「世界は私にいじわるだ」という信念から、
ひたすらそう見えているとしたら。。。。?
先にいじわるな世界があって、
そこにひ弱なつくしちゃんが放り込まれたんではなくて、
先につくしちゃんが、この世界はいじわるだと信じたから、
それを見ているだけなんだとしたら。
「ぷ」ではないか?
めちゃネタバレじゃないか?
いや、何やってんねん。
おもろいやないかい!
ってことになる。
高校時代に大事にしていた一冊の絵本がある。
今でもボロボロになって本棚にある。
「よるのきらいなヒルディリド」
ヘクサムの丘の上にヒルディリド婆さんは住んでいる。
彼女は夜が大っ嫌いで、一晩中夜に向かって悪態をつく。
夜に向かって唾を吐いたり、紐でくくろうとしたり、
ハサミでちょん切ってやろうとしたり。
どうにも夜に我慢ができない。
そして疲れ果てて寝ると、朝日が昇って朝になる。
ヒルディリド婆さんは、昼を楽しめばいいものを、
夜に目が覚めて、ひたすら夜と戦うんだ。
「この世界大っ嫌い!だって、この世界は私にいじわるなんだもん!」
といって、いじわるに見える世界とひたすら戦い続ける。
私はヒルディリド婆さんだ。
彼女は闇しか知らない。
まさか自分が寝た後に光があるとは気がつきもしない。
私は「世界はいじわるだ」としか知らない。
まさか自分の考えによってそう見えているだけなのだとは気づきもしない。
本当は世界は光なのに。
つくしばあさんは、「世界のいじわる」と戦い疲れあくびをする。
背中から朝日が昇っているのも知らずに。
ぐっすり休んで元気をつけて、夜が来たら目を覚まし、またけんかが始まる。
おやすみ、つくしばあさん。