じつは展覧会期中、ずっと頭を悩ませていたことがあった。
絵を見て感動してくれている人々を見ながら、
「ひょっとして、、、買ってくれないかな、、、?」
という思いがチラチラと湧き上がってきて、
その思いのせいで、純粋に絵を楽しんでくれていることを
100%私も楽しめきれなかったことだ。
心の中を逐一見ていく訓練をすると、どんな小さな思いも見逃せなくなる。
あ、、、今、私、こう思っている。
くっ、、、、。なんてセコイんだ、私。
ちっけえな~~。。。
この思いさえなければ、私も一緒に本当に喜べるはずなのに、、、!と。
お金の問題。
これはずっと私の心を悩ませ続ける。
毎晩家に帰ってからずっとそのことを考え続けた。
お金を得るということは安心を買うということだ。
そして絵が売れるということは、
その絵に対して価値を置いてくれているということだ。
だから絵が売れる作家は評価されて、
絵が売れない作家は評価に値しない。
だいたい世の中は、、いや少なくとも作家自身が、
そういうモノサシで自分自身や、他の作家たちを図っている。
ではバンバン絵が売れる作家に対して評価しているのかといえば、
実は逆にケーベツしていたりする(どっちやねん)。
ではどういう作家がいいのか。
ほどよい売れ方をする作家。。。。
おい。その「ほどよい」って、どこらへんに基準があるねん!(笑)
というぐるぐる回りの結果にしかたどり着けなかった。
で、こっからはコース的な話。
お金で安心するということは、ずっと恐れの中でいることを選択しているということだ。
絵が売れて安心するということは、ずっと恐れの中での安心を欲しているということだ。
恐れの中で安心?そんなものあるのだろうか。
他人とは分離した自分という肉体を維持するためのお金、
そして個のアイデンティティを主張するための絵。
絵とお金はそういう分離を象徴し、魅了する世界。
絵が売れて欲しいとは、自分で誤って創造した世界(幻想)を重要視している。
私は自分で作った恐れ、幻想を選び、それを握り続けている。
「あなたはそれをこれからも握り続けていたいのか?」
そう問われていることに気づき、ハッとした。
いかに自分がこの世界を重要に思い、深刻になり、
リアルにしているのかをお金問題でもはっきりと見せてくれていた。
じゃあ、深刻にならずに、ハッピーハッピーでワクワクしてたらいいんだという風に、
切り替え、、、られるわけがない!
そんなふうに自分の心を隠ぺいしたくない。正直でありたい。
絵が売れて欲しいという恐れがベースの思いを私は持っていることを正直に見、
それを光のもとに渡す。
そういうリトリートであった。
愛で描く。
それで私の仕事は終わっている。
そのあとのことは、私のおよび知らないところで、
ちゃんと回っているようだった。
そんな現象にあぜんとする。
一つ一つ、ひとりではないことを教えられる。
絵を買ってくださった方々、
買おうか買うまいかと、何度も足しげく通ってくださった方々、
本当にありがとうございました。
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