2024年5月13日月曜日

愛を受け取る勇気

 

「夢のあと」/和紙、水彩

今、新緑がすごい。

高尾山の麓の遊歩道を歩くと、緑がこれでもかと私を迎えてくれる。


喜びがあふれてくる。

葉っぱのざわめき、足元の小さな草、木の幹、何を見ても嬉しい。

何を見ても幸せ。森全体が私を祝福してくれる。


緑に覆われた狭い道で、通りすがりの人が道を譲ってくれる。

お互い譲り合っていて、互いに笑い合う。幸せがあふれる。


これが私の仕事。喜んで幸せであることが私の仕事。


仕事とはお金を稼ぐものだった。

物理的なものを作り、物理的なことをするのが、この世界の営みだと思ってきた。


しかし本当にあるものは、この今見えている世界ではないのかもしれないと思い始めている。

この世界しか知らなかったが、この世界ではないことの方の大きさを感じ始めている。

しかもその大きさたるや、とんでもないものなのかもしれないと。



展覧会の間、私は愛を受け取り続けていた。


それは見に来てくれた人たちが、私の絵にふれ、その喜びを私に与えてくれていたからだ。


この喜びは、一昨年の同じ場所での展覧会の時、初めて感じたものだった。

絵を見て驚く。絵を見て心がわっと広がる人たちを目の前で目撃した。


それは「私の絵」という個人的なものを鑑賞して感動してくれるという、

優越感を刺激するものではなかった。


そこに喜びがある!その人が喜びに満ちている。

それをただ目撃していた。
その喜びを一緒に共有している!

それは本当に幸せな瞬間だった。



これまで多数の個展を開いてきたが、こんな喜びになったのは初めてだった。

「いいですねえ~」「素敵な作品です!」

そんな感嘆の言葉にも、当時は受け取れなかった自分を思い出す。

「わたしは評価に値する人間ではない」という思いが、

もらった愛を密かに跳ね返していたのだ。


しかし自分の中にある罪悪感が徐々に消えていくにつれて、

人の愛を受け取れるようになってきた。



愛を受け取るには勇気がいる。

私たちは謙遜という言葉を用いて、愛を受け取ろうとしない。

いや。愛を恐れているのだ。


心の奥深くに、「私は罪深いから、愛を受け取る資格などない。

むしろ罰を与えて欲しい。それが罪人である自分にぴったりの処遇だ」と。


愛から目を背けていた私が60年近くいたのだった。


それが、愛を受け取れば受け取るほど、

自分には愛があったことを思い出し始めた。


受け取ると、もともと持っていた愛を思い出す。

そして愛を送れば、もともと持っていた愛をさらに思い出すのだ。


愛で見て、愛で受け取り、愛で送り返す。


すべてが、愛に満ちていた。











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