あることが急に怖くなった。
事あるごとにそのことが思い出されて、頭はずっとそれに囚われていた。
どうしようどうしよう~。
どうやったら、この恐れを払拭することができるのか?
色々理屈を考えてみるが、ちっとも心が晴れない。
もうその場的な代替え治療では、心が納得できなくなっている。
あ、そうだ、聖霊に聞くのを忘れてた。
「聖霊さん聖霊さん、私は今、これについてめっちゃ恐れています。
私はこれをどう見ればいいのですか?
あなたの視点でこれをどうみるのか教えてください!」
一瞬、必死で、心底聞いた。
相変わらず、何も言ってくれない(笑)。
でもきっと聞いてくれているだろう。
そう思って放っておいた。
2、3日後。
その答えがまったく想像だにしなかった方向からやってきた。
「こっ、、、これか。。。」
聖霊の見方はいつも心が広がる。
やってくるとすぐわかる。
ブワッと広がって、それまでの恐れが消えるのだ。
私にとって聖霊は、何をするかを教えてはくれない。
「こういう見方でありなさい。」
その見方でいいというときもあれば、
こういう考え方をしなさいというときもある。
どっちにしろ、嬉しくなる。
この世界の見方、「こうしなさい」とか「こうあるべき」は、
ぎゅっと心が縮こまる。
「する」ことに終始させる。
その声に、「ああ~、やっぱそうしないといけないのか~~」と、気が滅入る。
そして無理やりその声に従うのだ。
そのとき、自分じゃないものに、自分を押し込む感覚になる。
だが聖霊の見方は、することを言ってこない。
こう見なさいというだけだ。
その見方はこれまでと方向が違うので、びっくりする。
そのびっくりは心がウキウキする。
「え!それでいいの!?本当に!ヤッタア~!」
自分を違うものの中に押し込むものではなく、
あなたがもっとあなたらしくなっていくんだよ!と、
全肯定をしてくれるものなのだ。
だから見方が変わると、自動的にそれにあった行動をし始める。
それは強制じゃない。喜んでそれをやる。
外からではなく、自発的にウキウキと。
一人では何もできないことを知る。
そして一人ではないことを知らされる。
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