先日、京都から夜行バスに乗ってくうが訪ねてきてくれた。
その理由は、写真家海沼武史の大量の作品群をどうするかという話し合いのためである。
高級な額に入った作品は、二階の部屋の半分のスペースを占領している。
そのうちの10分の1を箱から出して眺めながら一言、
「もったいない!」
そうなのだ。実にもったいないのだ。
このまま老いさらばえて死んでいけば、この作品群は灰になる。
てか残されたものはどうすればいいのだ?
朝も早よから話し合いが始まった。
どうする?
どうやって広める?
どこで?
誰に?
途中、お昼に蕎麦屋の杜々に行って、久しぶりに会った店主としばし団らん。
くうは約10年前までここ裏高尾に住んでいた。
彼女はその時、裏高尾の森で子供達と一緒に「空と大地の教室『つきのわぐま』」という森冒険の教室と英語教室「Coo's English School」を開いていた。
今はそれをさらに進化させた『カシオペア』という名で今度は京都の森と広々とした教室で、英会話も導入し、子供達に美の感性を磨くべく新しい教えを京都でやっている。
話し合いは午後まで続き、彼女は夕方新幹線で京都に戻っていった。
彼女はまる丸一日かけてわざわざ京都からきてくれて、
そして私たちの未来について真剣に考えてくれている。
美味しいお酒や美味しいものをたくさん持って。
これほどの愛の表現はない。
「海沼武史美術館」を作ろう!という話も出た。
一回や二回の展覧会では出しきれないほどの量と内容。
彼の世界観はもうすでにそこにある。
その空間の中に一歩足を踏み入れれば、その世界観は一目瞭然だ。
だがその打って出ることがまだ彼の中で踏み出せない何かがあった。
彼の過去の営業についてのトラウマだった。
打って出ても結果が出ないという思い。
どうせ何をやってもうまくいかないという信念。
これが彼の足を引っ張っている。
しかし過去はもうここにはない。
ただその信念だけがあるだけだ。
傷ついたという思いがあるだけなのだ。
私たちは心を体と同じように思っている。
体は傷つけることができるから、心も同じように傷つくと。
心のどこに傷がある?
そう思い込んでいるだけなのだ。
過去はここに持ってこれるか?
ただその思いがあるだけなのだ。
実はこれは私にも言い聞かせていること。
現に私も今ギャラリーにガンガン営業をかけている。
断られまくりの日々だ(笑)。
イラストレーターだった頃のあの辛かった営業の日々を嫌でも思い出させられる。
何の反応もない、スルーされる日々。
あの惨めさ、ひとりぼっち感、お前はここにいる価値がない、
無能を宣告される感覚。。。
あの傷が再び。。。。と。
自我が私にささやく。
「お前はここにいる資格はない」
だがもう同じところに行かない。
行かないために、この思いが再びやってきているのだ。
その思いが本当ではないことを知るために。
この世界の中で答えを見つけようとしても見つけられはしない。
それがこの水平線上のならわし。
それを越えたところに心を持っていくことが鍵を握っている。
出来事はすべてそれを教えるためにやってくる。
この小さな弱い体の中に入っている私ではなく、
とてつもなく巨大な何かが本当の私であると完全に知るために。
濃厚な1日だった。
彼女の巨大な愛の思いが私たちを包み込んでいた。
彼女はまさに、私たちの真の自己がなんであるかを
喜びを持って伝えにきてくれたメッセンジャーだったのだ。
くう、ありがとう。


