2010年5月29日土曜日
畑の色
最初ピーマンを種から育てようとした。去年育ったピーマンから採った種だ。
ズボンのポケットに忍ばせて、あっためて芽を出させる「ポケットつっこみ戦法」で行く。しかしうんともすんとも芽がでない。しびれを切らして花屋さんでピーマンとナスの苗を買う。一個157円。(高いの?安いの?)
試しにそれぞれ3個の苗を買う。この荒くれブロンクス畑で無事育ってくれるだろうか。草ぼうぼうの中にお坊ちゃん育ちの苗をおろした。根元にあったボールのようなもの(おそらく化学肥料)を畑の外に捨てる。裏の山でとれた腐葉土を土に混ぜ、その中に投入。その後順調に育つ。気を良くしてもう3個追加で買う。同じように入れたがなんだか新たな2個の苗が元気がない。水をかけながら様子を見ていると、葉の色の違いに気がついた。
最初に入れた苗の葉っぱの色がなんだか黄色っぽい。アレ?枯れたのかなあ?しな〜っと元気のない苗に眼をやると青々とした濃い緑色。ぴんぴんに元気な薄い緑の苗と、しな〜っと元気のない濃い緑の苗。。。ふつー「青々とした濃い緑の葉っぱ」というのがげんきがいい証拠と相場が決まっている。これって逆だろ。
しばらく様子を見た。
アレから一週間。6つの苗は完全に根付いた。今のピーマンの葉っぱの色は、みんな薄い緑色に変化した。ちょうどまわりの草のように若葉色に。
聞く所によると、濃い緑色と言うのはチッ素を多く吸収しているからだという。自然の野山で勝手に育つ草はだいたい若葉色をしていてあまり濃い色の草はない。オオバコとか特定のものだけだ。わしらの畑には有機肥料も化学肥料も入れていないそこらの野山の状態とおんなじだから、草と同じ色になっちまうわけだ。だから農家の人がこの畑を見ると、「あん?どこに野菜があるんだあ?」としかめっつらをする。あの見慣れた野菜の色ではないからだ。
元気のない苗がいてくれたおかげで、外からやって来た苗の色が変化していくのを目の当たりに見る事が出来た。
坊ちゃん育ちの苗は、栄養をタッブリもらって青々していたが、ムリヤリブロンクス地区に編入させられ、切磋琢磨し自分で栄養を取り込む、立派なブロンクス色に染まった。これから荒くれの道を突き進む野菜になることを決意したわけだなあ。
「悪いねえ〜、ピーマンさん。これからウ〜んと根っこをのばしてわしらのためにう〜んと美味しくなっておくれよ〜」
同じく若葉色をしたピカピカした絹さやがダイヤモンドのイヤリングのようにたわわに実って来た。これがまた、とろけるように甘い。
「イヤイヤ、わるいね、わるいねえ〜。」
そういいながら、採った先から絹さやをつぎつぎほおばるやまんばであった。
絵:けんぽ表紙/庭園
2010年5月25日火曜日
ちゅぱちゅぱふんふん
東京駅へ向かう途中の車内での事だった。私の左となりの席に若い男性が座った。
座ったと同時に何やら音がする。「ちゅぱちゅぱ。ふんふん。」「ちゅぱちゅぱ、ふんふん。ちゅぱちゅぱ、ふんふん」
横目で見ると、爪を噛んでいる様子。ちゅぱちゅぱはその音。ふんふんは、常に鼻を鳴らしている音。私も蓄膿症気味だから彼の仕草はよくわかる。つまりがちになる鼻を常に意識している様子。
小さい音だから電車の音にかき消されるかとおもいきや、そのちいさな音は私の頭の中にどんどん入ってくる。
このまま東京駅までこの音を聞き続けるのかあ?
そう思うと、ちょっとゆううつになる。本を読んで本に集中してみた。なぜか頭に文字が入って来ない。無理矢理読んでみる。単に字を追っかけているだけだ。耳にはあの音が鳴り響く。あきらめて、寝の体制に入る。眼をつぶれば寝るかと思いきや、ますます聞こえてくる。眠気なんて吹っ飛んでしまった。
ちゅぱちゅぱ、ふんふん。ちゅぱちゅぱ、ふんふん。
ええい。こうなりゃ、とことんその音を聞いてやれ。
で、私は彼の出す音に耳を傾けた。ちゅぱちゅぱ、ふんふん。ちゅぱちゅぱ、ふん。ちゅぱちゅぱふんふん、ちゅぱちゅぱ、ふん。
ふんふん、なるほど。彼はこんな大人になっても爪を噛んでいるのか。どっかが心細いんだろうなあ。鼻を絶えずならすのも、息するのがしんどいんだろうなあ。わかるわかる、あたしもそうだもん。鼻って一度意識するとあんがいくせ者よねえ。息する事を意識するってつらいのよお。
そう考えながら聞いていると、カラダが彼の方向に傾いているような気がする。私は彼の音を全身で聞いていた。
と、とつぜん彼が静かになった。あれ?やらないの?じっと耳を澄ましてみる。やっぱり聞こえない。やがて電車はすーっと駅に入った。彼はすっと立ち上がって降りていった。
不思議な瞬間だった。
あれほど抵抗していた彼が出す音を、聞き耳を立てるほどに消えていくこの現象はなに?現実的に考えるなら、彼が降りる駅が近づいたから、ならすのをやめたのだ、と言えるのかもしれない。しかし私があのとき体験したのは、なんとも形容しがたい静かな時間だった。私が彼を好きになった瞬間だった気もする。その瞬間彼は穏やかになった。二人だけの時間が流れた。
抵抗。。。。私たちはなんといろんな事に抵抗しているのだろうか。あの音が気に入らない、この時間がいやだ、この仕事がいやだ、あの人が嫌いだ。。。
あの電車での出来事は「抵抗する」ことの結果を教えてくれた。抵抗すればするほどその存在は大きくなり、それをそのままにしておくと存在しなくなる。
「痛みは観念である」という。これも同じ事なのかもしれない。痛みに抵抗すればするほどそれは激しさを増すのかもしれない。
先日、生理痛が激しかった。そこで実験してみる。じっと座って痛さを感じてみるのだ。どこが痛い?どのように痛い?カラダ全部にチェックを入れる。おなかが痛い、腰も痛い。足も重い。それをカラダが感じるままにする、するとほどなく、痛みが漠然としてくる。どこがどのように痛いというものではなく、どこが痛いのかさえ分らなくなってくる。ところが立ち上がって他の事をしていると、また痛さがやってくる。それでまたジッとその痛さを観察していると、ほどなく痛みは漠然として、消えていくのだ。
こういう事だろうか。人は無意識の奥まで痛さに対して抵抗をしている。ほんの少し痛みをカラダが感じると、無意識がそれに抵抗をはじめるのだ。それはずっと小さい時から教わって来た「痛いのはイケナイこと」という条件づけからきている。だがその条件づけを意識してほどいていくと、ほどなくしてその痛さは消えていくのではないだろうか。
ちゅぱふんにいちゃんに、私は最初抵抗していた。本を読んだり寝たふりしたり。しかしそれはその音を増幅させるだけだった。しかしその抵抗をやめ、その音を聞く体制になると消えていったのだ。それは別な言い方をすると、「お兄ちゃんと私」という分裂をやめた瞬間だったのかもしれない。痛みを「痛みと私」と分裂させて扱うのではなく、痛みとともにある、そしてお兄ちゃんとともにある、という行為が、何かの摩擦を取り除いていくのかもしれない。
絵:「COOPけんぽ」表紙
2010年5月20日木曜日
キクイモ天国
ひい、ふう、みい、よお。。。。
げ。いつのまにこんなに?
アレは確か去年の11月頃、恐ろしいくらい採れたキクイモ。畝の外まで広がったキクイモをテッテエ的にほじくり返して、見事に取り去ったはず。新たに北海道の田中さんからもらったキクイモの種も順調に育っている矢先だった。去年の畝のまわりから、次々にキクイモの芽が出始めたのだ。畝なんか無視。あっちゃこっちゃから、ざっと数えて20個(!)人知れず残っていたのだ。恐るべしキクイモの生命力!
わちゃ〜、これをそのまま野放しにすると、とんでもなく広がっていくぞ。わしらの畑はキクイモ天国になっちまうかもしれん。。。しかし糖尿病予防にもいいこのキクイモ、これからうんとはやかして、高尾名産にしてしまうというタヌキの皮算用も走る。。。欲は広がるどこまでも〜っ。(それをいうなら夢は広がるだろ)
と、そんなお元気なキクイモさんをよそに、他の野菜さんがなんだか元気がない。。。というより私のヘタッピイさが全面に押し出されている今日この頃。
カブ、ラディッシュ、チンゲンサイ、水菜、ホウレンソウ、大根、レタス、小松菜、シュンキク、ルッコラ。。。。みんなどこいっちゃったのだあ〜?3月の終わり頃蒔いたたくさんの種さん、いつの間にか消えてなくなってるよ〜ん。え〜ん。
ここが自然農のむずかしいところなのか。草を生やしてその中に育てる、まではいいが、その草の調節が今ひとつ分らない私。
全面的に草を刈って、その中にばらまきやすじ蒔きをする。その上に刈った草をかぶせておく、まではいい。上の草は枯れて、いつの間にか土がからからになる。その砂漠のような土の中から双葉が顔を出す。それを見て小躍りするのもつかの間、その柔らかい双葉さんは、あらわになったことであらゆる昆虫たちに襲撃されるのだ。
一方、草におおわれて育つ点蒔きの種は、双葉が出る後、太陽の光が当たらないので、徒長をはじめたり、成長が止まってしまったり。
難しい問題だー。太陽が当たらないと成長しないが、下手に草を刈るとそのやわなカラダが外にさらされて虫たちが見つけてしまう。
どーすりゃいーのよー。
ああっ。。。
思わず畑の真ん中で頭を抱えるやまんば。
自然農の川口さんいわく、
「こまったらそのままにしておけ」
教えどおり、そのままにしておいたら消えてなくなっちゃった(苦笑)。
だがこれも学びのひとつなのだ。種さんごめ〜〜〜ん。
まだまだちっこいトマトやナスの苗にちょびちょびと水をやりながらふと地面に目をやる。するとまたキクイモの芽が。。。ここはキクイモの畝から遠く離れた場所。
な、なんであんたがここにも。。。。?
わしらの畑はホントにキクイモ天国になってしまうのかもしれん。
絵:COOPけんぽ/あやめの妖精
2010年5月16日日曜日
コゲラとヘビ、どっちをひいきする?
「ぎーぎー」
コゲラが庭の木を物色している。また巣を作るらしい。ああ、思い起こせば、コゲラちゃん、庭の梅の木に巣を作ってくれたあの日からちょうど一年になるんだなあ。ウチの木に巣を作るなよ。またヘビに食われるぞ。あ、そこのもみの木もやばいぞ。鳩の卵も食われたぞ。
我が家の庭も畑と同じで荒くれどもが徘徊するブロンクス庭なのだ。
でもさ、考えてみると、私はコゲラちゃんをひいき目にみているのだ。視点を変えてヘビをひいき目にみたら、「あ、おいしいえさにありつけたなあ。よかったよかった」となる。
どっちに立てばいいのだ?かわいいほうか?じゃあかわいいのはどっちだ?
どっちかに立つから感情がうずく。あるのは事実だけだ。コゲラが巣を作った。ヘビがコゲラのヒナを食べた。それだけだ。それだけなのにそこに感情移入するのは、そこに自分が投影されてしまうからなのかもしれない。かわゆいコゲラちゃんは私で(どこがや)、ヘビは悪党。
ああ、なんということでしょう〜、コゲラのヒナちゃんは悪党のヘビにまんまと食べられてしまいました。お母さんコゲラはただただ巣のまわりで泣き叫んでいるのでした。となる。
ところが、ヘビの立場に立つと、なんという事でしょう!おいしいえさにありつけました。ヘビちゃんは何日も何も食べていなかったのです。ほとんど死んでしまいそうでした。しかしおいしいえさにありつけて、元気を取り戻しました。となる。
たぶんヘビの立場に立つ人はあんまりいないだろう。しかし一方に立つから感情がうずく。この両方の立場を理解すると、感情はうずかなくなる。これを冷淡な人といえるのだろうか。むしろ両方の気持ちがわかっている人なのだ。片方の気持ちだけよりも愛情は深くなる。
どっちにも立たなくていいのだ。そしてどっちの立場も気持ちも分っている。それがクリシュナムルティのいう全的行為なのかもしれない。
それは決して「君には君の考えがあるね。僕には僕の考えがある。だから君は君の考えを優先してくれたまえ、僕は僕で好きにするから」というものではない。それは一方の側に立つだけで、もう一方に踏み込んで理解しようとしてはいない。なぜか。君の立場を理解する事は、自分が傷つくから。傷つかない位置に立って君はそっち、僕はこっち、と分けているだけだからだ。一見、相手を理解しているようなふうに見えるが、立場を理解しているだけであって、その人の気持ちまで理解していない。その人がなぜその位置に立っているかを理解しようとすれば、必ず自分の事に関係してくる。無意識に自分をジャッジされる事を恐れているからだ。だからもっとうんと手前で線引きをする。お互いの立場を尊重するというようなふりをして、ようはこう言っているのだ。「こっちからこっちは僕の領域。だから君も入って来ないでね」と。
コゲラを理解する事は簡単だ。でもヘビを理解するには勇気がいる。ヒナを食べられているという瞬間を、食べているよろこびとしてもとらえなければいかないからだ。その一歩踏み込む事が相手の理解へと繋がっている。自分が傷つく事にとらわれていると、その一歩が踏み越えられない。いいとか悪いとか判断をしているから踏み越えられないのだ。
この世は、これは良い事、これは悪い事、という考えが多すぎる。その基準で無意識に自分や他人をジャッジしているのだ。
大自然は、良い悪いで動いてはいない。
絵:「あめがくる」オリジナル絵本より
2010年5月15日土曜日
人気もん畑
わしらの畑は人気もんである。やたらめったら人がやってくる。たぶん畑に入る道を立派に造ってしまったもんだから、公道と間違えて入って来てしまうらしい。それと下から見上げると、空がそこだけ開けているから、なんとな~く心引かれてしまうのかもしれない。
今日も草刈りをしていると、人の存在にはっとした。ちょっと小太りなおじさんが、大きな白い網を持って空中をふりまわしている。はは~ん、これが噂に聞く昆虫採集オヤジだな。と、離れた所にまた別のひょろっとしたオヤジがいるではないか。いつの間にこのふたりは入って来たのだ?こっちはカメラを持って蝶を追いかけている。
二人とも私の立っている畑の中をうらやましげにながめている。わしらの畑はそんじょそこらの畑と違って花盛りなのだ。菜の花はもちろん、今は自慢じゃないが雑草の代名詞ハルジオンが真っ盛り。ここまでハルジオンにかこまれた場所はどの野山みたってないぞ。ぶーんぶーんと花アブも飛び交う、昆虫の極楽天国なのである。
畑には花のにおいに誘われてなんだか知らないチョウチョが飛び交っている。かたやそのチョウチョを写真に収めようとよだれをたらし、かたやそのチョウチョを捕まえて自分のコレクションにしようと身構えている。完全に二人は敵対する関係だ。その間に私という存在がある。この畑に入るには私という存在がうっとおしい。しかし彼女にお伺いを立てないと畑には入れない。そこに奇妙な三角関係があった。
「こんにちわ〜」
最初に声をかけたのは私だ。太っちょのおじさんは、無愛想に返事をした。たぶん野山で白い眼で見られているはずだ。このあいだもチョウチョとらせて38年のオヤジがなげく。
「なあ、つくしちゃん、わし、どうしたらいいんかねえ」
なんでもさっき山に入ったら、昆虫採集する輩がいて、彼が珍しいチョウチョを見つけて写真を撮ろうとすると、例の白い大きな網でかさらっていってしまうんだと。ほんで彼の目の前でぎゅっとつぶし殺して採集箱にポイッと入れてしまうんだそうな。頭に来た彼は
「おいっ、自然破壊するな!ただでさえチョウチョが少ないんだ。そんなにとったら、いなくなっちまうじゃないか。とっとと失せろ!」
とけんかしたんだと。
「おれ、大人げないよなあ。でもさあ、頭に来るよな。人にやさしくしたいんだけど、どうしてもあんな連中はゆるせねえんだ」
私から小林正観さんの本を借りて読んでから、妙に仏教っぽくなったオヤジ。自分の暴力性と理想の姿とのギャップに苦しむ姿がかわいらしい。
「でもさ、それは部分的な話じゃない?チョウチョ殺す人を怒ったら、肉食べる自分の事も怒らなきゃいけなくなるじゃん」
「おれ、肉食べないもん」
「じゃ、野菜は?野菜も殺して食べてんだよ」
「うん。。。そうなんだけど。。でも倫理の問題だろう」
「じゃあ、ガはいいけど、チョウチョはダメっていうの?そのちがいはなに?これは難しい問題だよ。
だけど、いつもそういう人とであって怒ってるよ、おやっさん。そうやって昆虫採集する人を怒ってばかりいたら、その人たちはなぜかいつも決まってオヤジさんところにやってくるみたい。逆に心がそんな彼等を呼んでいるじゃないの?」
太っちょオヤジはそんなやり取りを味わってきたに違いない。どこかぴりぴりしたその反応で分る。もしかしたら、そのケンカした彼なのかもしれない。
私は何も言わず、好きにほっておいた。それから野良仕事をやめて大根の莢を食べながら、オヤジさんの仕事っぷりを眺めた。チョウチョがひらひら飛んでいる。彼は網をかまえる。じっと近くまでいき、さあ〜っと網が宙を舞った。
ひら〜っ。。。
チョウチョはどこ吹く風とあちらに飛んでいった。私は思わず笑ってしまった。
「あっちに飛んでいったよ〜」というと、太っちょオヤジは
「あっ、ありがとうございます!」といった。失敗したところを観られたはずなのに、なんだか嬉しげに答えた。そしてしばらくして、
「どうもお邪魔しました!」と深々と挨拶して出て行った。ホントは彼はいい人なのだ。人は受け入れられると素直になるのだ。
もう一人はまだ畑のそばにいた。
「あのう〜〜〜〜。そこにいるチョウチョ撮らせてもらっていいでしょうかあ〜〜〜」あーあ、やっぱりそう来たか。
「ここ畑なんで。ちょこっとだけですよ」
「ありがとうございます〜」ヒョロ〜っと入って来た。
おっかなびっくりチョウチョを写している。その腰つきがおかしい。まだ素人さんとみた。しばらくほってあったが、きりのいいところで近寄って「いいの撮れました?」と聞いた。
「ええ、ええ、今さっき撮りました。動画で撮ったんですけど、あっ、、あれえ?こっこれ。。。ああ、再生できない。。。」
やっぱり。
「ナントカカントカ蝶がいるんです。これはまだナントカと言う木が生えてるからなんですね。このチョウチョはその木の葉っぱしか食べないんです。だからこの辺りにその木が生えているという事なんです」
「へえ、お詳しいんですね。それでその木はどの木ですか?」
「はあ、それがよく知りません」(なんじゃそりゃ。)
二人で山の方をみながら、しばし木の事についておしゃべりをした。
帰りがけ、彼は独り言のようにいった。
「ああ、まだこの蝶がいるんだ。じゃ、まだ大丈夫だ。。。。」
何かを安堵するような言葉だった。
この辺りにはまだ自然が残っている。。。そういって彼らは彼らなりのやり方で味わっていった。
どこにどっちが悪いといえるだろうか。昆虫採集が高じれば、絶滅するのだろうか。自然破壊はもっと大きなカタチで行われているんではないだろうか。たとえば農薬や化学肥料を使われた土壌が自然に変化を与えるように。そしてそれが昆虫たちに影響を。。。?いやいや、そんな部分的な話ではないような気がする。昆虫がいなくなったのも、山の木が変わり始めたのももっと大きな摂理が動いているような気がするのだ。
だから山であった人たちが小競り合いをするのは意味がないように見える。太っちょおじさんもひょろ長おじさんもこっちが心を開いたら、何の事はない、いい人たちだった。むしろその事のふれあいの方が今のこの時代は最も大事な事のように思えてくる。
傷つきたくない。自分の存在を受け入れて欲しい。今の日本はその思いで溢れている。それがニューヨークから日本に戻って一番最初に感じた今の日本人の心だった。
大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんもみんな恐れている。何かに震えている。かえって早々、閉じているとか開いているとかいう変なコマーシャルのコピーもあった。そんなものに知らず知らずの間に心が影響されてしまうのかもしれない。相手が何を考えているのかさぐってさぐってあげくの果てに無視を決め込む。そんな悪循環が繰り返されている。
自然破壊よりもっと早急なとりくまなけれなならない問題がある。ホントは人はみんないい人なのだ。やさしいのだ。お互いを受け入れあってこそ、自然破壊は終わっていくのではないのか。
絵:コージーミステリー表紙
レントゲン14枚
「あたし、ヒバクしたみたい」
母の電話の第一声。
いつもの不安グセが一人暮らしの彼女を襲う。歩けない。うごけない。これは何か病気か、どこかがおかしいに違いない。そう考えた彼女は
「これはもう、徹底的に病院で検査してもらうしかないちや」
そう決めた。これでもう何回目だ?
意を決した彼女は高知で一番でっかい病院にいく。あらゆる検査の後、レントゲンを徹底的にとる。彼女はX線を14回浴びた。その結果。。。
「どこっちゃあ悪いとこないって~」
ああ、かみさま。
歩けない、動けないのに病院に一人で行って、あらゆる検査をし、放射能を14回浴び、家に帰ったとたん、おなかの中で雷が鳴りだした。
「下痢ってねえ~。まにあわんことがるがやねえ~」(つまりなにかい。おもらしってこと?)と、けたけたと笑う。
「まっくろいうんこがいーっぱいでたよー。それってヒバクしたからかなあ?悪いもんが出てくれたがかもしれんねえ」
その夜、おそくまでおなかのなかがうるさかったらしい。ものすごい音がおなかの中で鳴り響き、「うるさくって、寝れんかったがよ」それは午前2時までつづき、その後彼女は寝た。そして翌朝にはもうけろっと治っている。
彼女曰く「普通やったら、救急車呼んでたとおもうよ。」とのこと。
じゃなぜ呼ばなかったかと言うと、別に痛くなかったからだそうな。
これは私が思うに、母は、胃腸に関しては興味の対象にないからだ。彼女の中で「胃腸?丈夫だもん」というぐらいにしか認識していない。だから下痢しようが、おなかがうるさかろうが「胃腸?丈夫だもん」で終わりなのである。
ところがこれが「頭が痛い」という事になると自体は急変する。
「あっ!頭が痛い!」
ほんのちょっとの痛みでもすぐに反応する。動揺した心はどうやったら治るか、必死で探り始める。なぜ痛くなったかと原因を探り始める。さあ、これからたいへんだ。ソファで寝たのがいけなかったのか?外を歩いたからいけなかったのか?寝る前に牛乳飲んで冷えちゃったんだろうか?と、めまぐるしく心が動く。そしてどうやったら治るか悪戦苦闘する。風呂に浸かってみる、ケールを飲んでみる、タマネギジュースを飲んでみる、頭をもんでみる。。。。そうする間に痛みはどんどん増してくる。割れんばかりに痛くなる。
彼女に聞いてみる。
「最初どんな痛みだった?」
「ほんのちょこっと。爪楊枝の先みたいな痛さだった。なのにどんどん痛くなって最後は頭が割れそうになった」
彼女は病院にしょっちゅう行く。いつも決まって言われる言葉は「まったくドコモ異常はありません。そのお年の割に何もかもがきれいなカラダです」血圧も正常、血液さらさら、骨も丈夫、胃腸、もちろん元気。となると、彼女の頭痛は病気ではないようだ。
友だちによくゲリピーする子がいる。気の毒な事に彼は「東京中の駅のトイレはどこにあるか全部頭の中にインプットしてある」そうだ。電車に乗っていて、おなかが鳴りだすと、間に合わない。だから次の駅のトイレは最後尾に近いから電車の後ろの方に行って。。。となる。目下の彼の関心事は「おなか」なのである。だからウチの母のように、ヒバクして(?)、下痢になって夜中おなかが鳴り響いていたら、パニックになるに違いない。
じゃあ例えば彼が電車の中で爪楊枝の先ほどの頭痛がしたとしたらどうなるか?「なんや?ほっぽっとこか」
となるに違いない。つまり彼は頭痛には興味がないのだ。
つまり人はそのひとそれぞれに関心がある事にしか興味がないのだ。それはその人の生まれて来た間に培われて来たバックボーンにことごとく影響されている。
母は、小さい時から「あんたは身体が弱いきねえ、弱いきねえ」と言われ続けて来た。だから「私は身体が弱い」と信じている。ところがそれも部分的にだ。胃腸に関しては丈夫とも思っていない。意識の上にあがっても来ない。たぶん、過去に一度もそれで辛い思いをした事がないのだ。だから彼女にとっては胃腸は存在感がないのだ。かわいそうな胃腸さん。
彼女の75年間の関心事は「頭痛」と「歩く事」だ。
母は「私は歩けない」と信じている。いちいち歩く事を意識している。「右、左、右、左。。」といながら歩く。そんな事を言いながら歩いているやつはいない。そんな事言ってたら、言葉に振り回されてうまく歩けない。たぶん、彼女は急いでいるとき、そんな言葉はいっていないはず。おしっこにいきたくなったとき、電話が鳴ったとき、彼女は意識しないでさささっと歩いているはずだ。
「歩かなきゃイケナイ」とおもって無理矢理散歩に出た時「右、左、1、2、1、2、」と言っている。そしてよたよたとのろのろと歩く。そりゃそーだ。頭の中の言葉にあわせて歩いているからだ。
精神は何かを増幅させる役目をしているのではないだろうか。彼女の頭痛は、最初ツマヨウジの先ほどの痛みだった。そこに意識が集中する。「あ、痛い。。。」するとその意識や言葉をきっかけにあらゆる過去の出来事がよみがえる。あの時はひどい痛みになった、この時はもっとひどい痛さだった、ああっ、もしかしたら私はものすごい病気にかかっているのではないか?その心配に同調するかのように痛みは激しさを増してくる。そしてついにツマヨウジの先ほどのちっこかった頭痛は、全身がお寺の鐘になったように大きな音を立て始める!ガ〜ン、ゴオ〜ン!ガ~ン、ゴオ~ン!!
あるとき私は彼女に、「その痛みが襲ったとき、それに集中するのをやめてみたら?」といった。
しかし痛い事を忘れる事はなかなか難しい。そこで
「その痛みを観察してみたら?」
観察と集中は違う。集中はそれにとらわれる。そしてそれにとりこまれる。しかし観察は一歩出て外からそれを「観る」のだ。
痛みは過去のトラウマをよみがえらせ感情を高ぶらせる。しかし意識してその感情からはなれると、それはそれとしてみる事が出来るのだ。
後日彼女は電話して来た。
「あんたが言ったあの方法やってみたよ。ほいたら、痛みが消えていた」
最初に痛みがやってくる。
「ふんふん、その痛みはそれでどうなるの?」と様子を見る。
すると痛みは
「ほ〜っほっほ、やってきたわよ〜、大きくしてやるわよ〜」
とちょっと大きくなる。すると彼女は、
「それでそこからどの位大きくなるの?」とちょっとぱっぱをかけてみた。
痛みは
「ほれ!このように大きく。。。。アレ?大きくなれない。。」
「だからほんでどうするの?」と母。
「。。。。え〜ん、大きくなれないじゃないの。あんたが私を大きくしてくれるエネルギーをくれないから。。。」
「あ、そんなもんだったのね」
痛みはその場で消えていた。
彼女はレントゲンとってから「なんか元気になったみたい」とのこと。
ヒバクして元気になるんか?けど聞くところによるとラドン温泉のように微量の放射能はカラダにいいとの話もある。ま、ともあれ、医者にもお墨付きをもらい、気分が良くなっただけなのではないかと私はおもっている。
結局、苦しみも哀しみもそこに集中するから増幅するのではないのか?これはカラダという物質にも同じように働きかけるのではないだろうか。
人はそのあるがままの自分の状態を「なんとかしなくてはイケナイ」とおもう事から苦悩がはじまっているように見える。
母の痛みも、歩くのが下手なのも、「こうあるべき」という願望がよりその下手さを強調し、痛みを増幅させているようだ。
善悪。
これがすべてを見えなくさせている。痛みはイケナイこと、とおもっている私たちがいる。だから痛いと「なんとかしなくては!」とおもう。その痛さを取り除かなくては!とおもう。そしてあの方法この方法、あの情報、この情報とフンソウし、より複雑な状態に持っていき、どつぼにはまる。
しかしその痛さは、実はもっとカラダ自身の知恵があって
「そこにじっとしていて、今治すからね」
というカラダからのメッセージなのかもしれない。だから私たちはそれを素直に聞き、
「はい、わかりました。じゃあ、じっとしています」
といって安心して心を精神ををカラダに任す。
それが一番の回復の早道なんではないだろうか。
絵:コージーミステリー/ペーパーバック
2010年5月12日水曜日
所有欲
近頃よくおばさんがやってくる。どうもウチの畑が気になるらしい。
この間も花の種をもってやってきた。
「いっぱい人からもらっちゃったのよ~。ウチの畑じゃとても蒔けないから、オタクで蒔いてくれる?」
「いやいや、そんな花なんか。。このへたくそな私が育てられませんよ」
「いーのいーの。こーんなに広いんだから蒔いちゃって」
ウチの畑は狭いけど、オタクは広いからこのくらい蒔けるだろうといわんばかりである。年末にも彼女から冬瓜の種をもらった。
「どう?冬瓜の芽でてる?」と、最近聞きにやってくる。
まいったなあ。これで花の種なんか蒔いちゃったら「どう?出た?」「あら、全然出てないわねえ」などと言ってくるんだろうな。
おまけにジャガイモの畝に草が生えているのをみて、
「ああっ、もう我慢できない。私ってこういうの気になっちゃうのよね」
といって、ぶちっと草を根こそぎ引き抜いた。
思わずカチンと来る。
「ああ、どうかそのままにしておいてください。もうお気づきだと思いますが、この畑は草をわざと生やしています。草の根に微生物がいてそれがいろいろと働いてくれてこの土地に栄養を与えてくれるんです。」
「あら。じゃ、上の草は刈っちゃっていいのね」
どうしても草を取りたいらしい。
「いやいや。草が生えているところはなぜか野菜も大きいのです。野菜の生長を見極めながら刈ったり刈らなかったりするんです」
しばらく黙っていた彼女は、ふいに梅の木の下は草を生やすとか、なしの木の下はムシロを置くと草も生えないし、虫も来ないからいいとか、彼女の知っている事を話し始めた。
近所でいくつか畑がある。人々はお互い軽い情報交換はしているようだが、あまり付き合いは深くなさそうだ。それぞれにちがう考えがあって自身の哲学のもと、野菜作りに励んでいるようす。しかしわが畑はそこから逸脱している。
草はやすだとお?
虫とらないだとお?
うざけんじゃあねえよ。
ってなかんじでみてんでしょうなあ。
みんな遠巻きに静観している感じだが、彼女は果敢にいどんでくる。私はこの今の状態を保とうと必死になる。けれどもそれは単なる私の所有欲にすぎない。ここは借りた土地。返せと言われればいつでもすぐ返さなくてはいけない。いつでもその覚悟はあると思っているのに、種をまき、芽がでて膨らんで~は~なが咲いて実がついて~、なんてえのを味わっていると、どんどん所有欲があふれてくる。
そしてどこかでこのやり方でうまく育つところを近所のおじさんたちに見せてやりたい!という虚栄心まで育ってくる。
近頃うまく育たない若葉を嘆く自分がいる。去年はなーんにも知らずに、ただ芽がでてくる事がうれしかった。でも今年はすでにこうやったらこうなるはず、という知恵がついてしまった。そうすると何かにつけて過去の経験と比較する。比較がはじまると苦悩がはじまる。「こんなはずじゃなかった」と。
だがその心の正直なところは一緒にやっている友だちに「すっご〜い!」ってよろこんでもらいたいという単なる見栄だ。
畑の中は欲でいっぱいだ。物質欲、支配欲、虚栄心、自尊心。いつのまにか自然を味わうのではなく、コントロールしてやろうという意識が持ち上がってくる。こうなってくると「自然と私」ではなく、「他人対私」という葛藤が生まれ始める。
これは本来の自然農のありかたではない。ただ自然を観察し、学ぶというあり方から遠くはなれてしまっているのだ。
北海道に住む田中さんから頂いた種が次々に芽を出しはじめた。
白エゴマ、タイサイ、モロッコインゲン。
もろもろの事に心を奪われず、野菜たちを心静かに観察したい。
絵:けんぽ表紙/あやめ
2010年5月8日土曜日
地のもの
「あたしはね、この土地にお嫁に来て40年経つんだけど、まだ地のものじゃないのよ」
近所で畑をやっているおばちゃんは言った。
彼女に言わせれば、自分はまだ地のものじゃないから、この土地では一人前に扱ってもらえないのだそうだ。ではいったいあと何年いたら、地のものになるのか。おばちゃんは答えられなかった。
地のものになったら一人前。そんな法則がこの日本にはある。京都にいた時もそんな言葉はたびたび聞かされた。
「よそさんはよそさん」
何十年住んでもずっとそういわれると友だちは言う。
地のものがそんなにえらいんか。そこで生まれて、育って、ずっとそこにいる。それがそんなにえらいんかい?それはそこの土地の法則を知っているということだ。逆にいえば、他の土地の事は知らないということにもなる。地のものの反対語は、よそもん、風来坊、素浪人、流れ者、ということになろうか。しかしそれをよしとする言葉もある。世間師。世間を多く渡り歩いて来た事でいろんな事を知っている。世の渡り方も知っている。世の人々も知っている。いろんな土地も知っている。
昔の人々はそういった旅の途中の旅人を迎え入れて、自分たちの知らない土地の事、風習の事、技術の事などいっぱい話してもらったという。それをヒントに風習や習慣を変化させていったとも。またある説によると、女衆はときどきダンナをほっぽっといて2、3ヶ月旅に出かけるそうな。その長旅の間によそを知り、どこかの子をはらみ、もどってくる。そのときに身につけたよその知恵や習慣を村にもって帰り、村の知恵を育てていったとも。
昔の話をひもとけば、日本の昔は今思うように保守的だけではなかった。じつはおおいにおおらかに、したたかに生きて来た形跡が残っている。男女平等や伝統という言葉はきっと昔にはなかったろう。むしろそれがなくなったとき、その言葉が生まれてくるのではないだろうか。そしてあえて、男女平等をうったえ、伝統を重視する。そうやって人は自ら自分に手かせ足かせをはめていくのだ。
私も流れ者の一人だ。生まれてから引っ越した数、ざっと数えて15回。これから地のものになろうとしても、40年以上かかるわけで、その頃には私は89歳。そんな年寄りになっても地のものにはなれない。この地で死に絶えてやっと地のもの(つまり地面にしみ込む)になるわけだな(笑)。
おばちゃんは、そうやってずっとこれからも「私は地のものではない」と思い続けていくのだろうな。
「きゃらぶきはねえ、お水を入れちゃダメなのよ。お酒とだしとお醤油だけで煮るの。お箸も中に突っ込んじゃダメ。お鍋をもってゆするのよ。あたしはそうやってここで教わって来たの」
畑の中でおばちゃんはうれしそうに話してくれた。
絵:coopけんぽ/サントリーニ島
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