雨に濡れた木々の緑が美しい。
なんか心がザワザワする。
え?なんかあった?
ない。
でもなんかザワザワする。。。
じーっと心の中を探す。
ザワザワするってことはなんか怖いこととか、問題があるってことじゃないの?
思い出せ。つくし!
必死で心の中を探す。仕事のことを考える。体のことを考える。
。。。ない。。。。
ないの?
うん。ない。。。
そこに恐れはなかった。
それなのに心は落ち着かない。
ふと、変な考えが浮かんだ。
心はそこに問題がないと困るんじゃないか?
ひょっとしたら怖いことがないと、怖いんじゃないか?(笑)
怖いことがないと、怖い。
なんじゃそりゃ、と。
私は、恐れがないことに慣れていないんだ。
それはいつも恐れがそこにあったからだ。
恐れ(問題)を見つけては、それに取り組む、ということをずっとやり続けていたから。
だからそこに何も問題がないと困るのだ。
これって、テストが作れない先生みたいじゃないか!(どんな例え?)
問題がないことが問題だ!
恐れがないことが怖い!
なんて私たちは恐れの中にいることが日常化しているのだー!
恐れというオブラートが剥がれたように思えた。
嬉しくなった。
平安がそこにあった。
朝、整骨院に向かう途中、
「今、ここに恐れはある?」
と心に聞いてみる。
「んー。。。ない」
恐れというオブラートが、
雨で濡れたTシャツみたいに、べとっと常に張り付いている。
それに引っ張られて、無条件に恐れている自分。
そしてその問題や恐れをどこからか見つけ出してきて、
やっぱこれが怖いんだー!と発見するたびに、
「でかした。つくし。褒美を使わす」
と、さらに恐れるようにご褒美をくれる自我は、
クックックとほくそ笑んでいたのだろう。
駄菓子菓子!
今まで無意味に恐れていた自分に、今度は私が微笑む番だぜ。
雨に濡れた道端の草が美しく見える。