「精神的奴隷制から自分を解放しよう
我々の心を解放できるのは、我々だけだ」
と「Redemption Song」で、ボブマーリーは歌う。
「私の咎めだけが、私を傷つける」
と、コースはいう。
自分を地獄に陥れるのは、自分だけだし、
自分を解放するのも、自分だけだと。
私は自分がやってきた行為に対してずっと恐れを抱いてきた。
「やってしまった!」という巨大な後悔と巨大な罪悪感とともに。
その後悔がゆえに、どうにか行為を変えて、
この世界で生きていていいんだと言われようと必死になってきた。
でも違ってたんだ。
行為は問題じゃなかった。
行為で現れてきたものは心の結果だった。
すでに終わった結果を苦しみの原因にして、
その行為(原因と思ってる)をどうにか変えることで、
生きていていいと言われようとしてきたんだ。
行為を悔やむことは、自分への攻撃だった。
自分を攻撃して(それを罪として)、
その行為を違うものに変えて(罰を与えて)、
罪を免れようとしてきたんだ。
そこには明らかに罪悪感がある。
罪悪感を持ったまま、冷静でいられはしない。
その心で正しい判断はできない。
決して静かな心にはなれない。
そして愛を与えることなどできない。
この世界は罪悪感の堂々巡りだ。
罪悪感を持ったもの同士が、
互いの罪悪感を相手になすりつけ合う地獄だ。
それは必ず行為を伴う。
行為することで罪滅ぼしをしようとする。
でも罪があると思い続けている以上、その行為は終わらない。
エンドレスに罪滅ぼしは続く。
だがほんの一瞬、自分自身への攻撃をやめた時、
癒しが起こる。
それには時間がかからない。
ほんの一瞬の出来事だ。
その時、判断が消える。
静かになる。
罪悪感が消える。
行為することの無意味さを知る。
ああすべきこうすべきものが消える。
兄弟への攻撃が消える。
兄弟の罪が見えなくなる。
違いが消える。
癒しが起こり、
愛が帰ってくる。
私たちは、兄弟を攻撃したりされたりしているように見えているが、
ひたすら自分を攻撃しているだけだ。
ボブマーリーのいう「精神的奴隷制」とは
自分が自分を攻撃しているという意味だ。
それを解放するのはただ自分だけだと。
解放は、なんの行為も必要としない。
絵:「ぽんぽこたぬき」
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