スピリチュアルと、非二元がごっちゃになってる感がある。
じつはこの二つは一緒じゃないとおもうんだな。
起こる出来事を、「これはいいこと。それは悪いこと」という風に、二つに分けて、そのうちの悪いことをできるだけ避けようと、あの手この手を使って対処するのが、スピリチュアル。
起こる出来事は、勝手に起こるもんだから、避けるも何もない。いい、悪いという解釈がない。起こるに任せる、消えるに任せる。以上!ってのが、非二元、なんじゃないだろうかと、やまんばはおもう。
起こってくる出来事に、いいことと、悪いこと、という解釈をくわえる事によって、それがドラマ/物語を生み出す。
雨が降る。
これは現象として雨が降っているだけなんだが、そこに状況によっての判断があると、ことは変わってくる。
カラカラ天気のあとの雨はよろこばれるが、盆踊りで雨が降るといやがられる。
しかしこれも人それぞれの状況によって、判断が違う。
カラカラ天気のあとの雨はよろこばれるが、盆踊りで雨が降るといやがられる。
しかしこれも人それぞれの状況によって、判断が違う。
畑をやる人にとっては実りの雨。
盆踊りをする人にとってはやっかいな雨。
どっちもやってるやまんばは、どう解釈すればいーのだ???(笑)
畑をやる人は、雨乞いの祈りをし、盆おどりの人は、雨が上がる祈りをする。
これはスピリチュアルも同じ。来てほしくないことは、暦を読んだり、パワーストーンを持ったり、それを避ける言葉を唱えたり、浄化して避けようとする。
うまくいけばよろこび、思ったようにいかないと、苦しむ。
そういうドラマが繰り広げられる。
もしこれに、何の解釈も入れなかったらどーなる?
雨が降る。
「。。。。。」
以上!
ここには何のドラマもない。
雨が降ることに葛藤がないので、ドラマが始まらない(笑)。
非二元は、この葛藤が人々を苦しませていること、その葛藤にはきりがないこと、いくら満足を得ようと頑張っても、それは永遠には得られないということを教えてくれている。
ここへ視点を移動させていくことは、けっこうむずかしいかもしれない。
だって今まで「問題」を見つけ、「熟考」し、「解決」を見出してくることを教わり続け、それと奮闘することで、ドラマをつくり出し、そのドラマの中でこそ、自分が生きている!という実感を得て来たのだもの。
だがじっくりその現象に取り組んでいると、どこかにほころびをみつけはじめる。
スピリチュアルは、ドラマを続行させてくれる。
非二元は、ドラマの外に出る。
どっちをえらぶかは、あなたしだい。
どっちをえらぶかは、あなたしだい。
「東京消える生き物増える生き物」/MF新書表紙イラスト
タカは新宿の高層ビル群を森として生きる。
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