自分自身に正直になる。
言葉ではもちろん知っている。
大事なことだとも知っている。
自慢じゃないがこの私、割と自分の心をよく見ている方だから、
正直な方だと思っていた。
ところがどっこい。
その下に隠れていたものがあった。
それは「いや!」と言えないことだった。
女に二言はない。
一度「イエス」と言ってしまえば、
その後「無理です。できません」などもってのほか。
もし言おうものなら、即刻この世界から出て行くべし!とまで思っていた。
スパルタの両親から鞭打たれながら育ったせいなのか、
「巨人の星」や「あしたのジョー」を見ていたせいなのか。
さらに「妖怪人間」を見て、自分と同一化し
「早く人間になりたい~」と、呪いまでかけてしまう始末。
自分で鞭打って血みどろになりながら
「早く人間になろう」としてきた私に、ある日宇宙人が現れた。
「つくしさん、それ、『いやです』って言いましょう」
「へ?。。。言えません!」
町会の年表作りが一年以上かかっている。
ご長老たちに聞き取り調査をし、原稿を書き、手直しをし、
それぞれの意見の食い違いにどっちを立てていいのかわからずオロオロし、
あれはどうなった?これを入れるならあれも必要だろ。
プレッシャーの中、原稿を書き書き。
そしてちょっと見通しができたころ、
お願いされた長老が出来上がりを見ないまま亡くなった。
悔やんでいる暇はない。
大体の原稿が書きあがったら今度はレイアウト。
写真をいただき、文字組みをし、一から版下を作る。
途中から新たな写真が見つかり、レイアウトもやり直し。
参考資料の掲載の仕方、年表の言葉の書き方、
地図の制作等々、ほぼ一人でやっている。
夜中に恐れで起こされる。
コース的なやり方で色々心を癒すことをやってきた。
しかし一向に楽にはならない。
そんななかで、宇宙人に言われたのだ。
「もう限界なんでしょ?
そりゃ、大人なんだから、できません!って放り投げることはまず無理でしょう。
だからこそ言うんです。
『も~~~~嫌になっちゃいました!大変ですう~~~~!』って!
その言葉だけでいいんです。言いましょう、皆さんに。
それが言えるようになったら、つくしさんの中の何かが変わるでしょう」
次の日から、つくしは町会の出会う人出会う人に言いだした。
「もう大変なんですう~~~~~」と。
変な解決法である。
「嫌なんです~~~。大変なんですう~~~~」と言い歩くやつ。
最初は「こんなこと言ったら、絶対嫌われる!」と恐ろしかった。
やっぱり嫌われるのが怖いのだ。だから言えなかった。
でもその怖がっている私を受け入れる。
「怖いよね。いいんだよ、怖いまんまで」
散歩するとたいてい町会の人に会う。
「今度はこの人か!」と、チャレンジを迫られる(笑)
でも思いの外、みんなは優しかった。
「そうだよね~。本当に大変だわ。よくやっているよ」
なんだか嬉しくなっていった。
夜中に恐怖で起きることがなくなった。
だんだん自分にかけていた呪いに気が付き始めていた。
自分自身でいるという言葉もあちこちで聞こえ、
「そうか。自分自身でいるって、いやと言えることであるし、
思っていることを正直に伝えることであるんだ。」
こう言えばきっと相手は不機嫌になるだろうなと思うことは
できるだけ言わないようにしてきたが、
それをいうことも大切だと思った。
ひょっとしたら間違いを言っているかもしれない。
だけど間違ったっていいんだ。
私だけは正しいことを言わねば人間になれないのだ、などという規則はない。
間違っても、心に思ったことは相手に言おう。
それが礼儀ってもんだ。
ってな具合で、なんだか心が楽になってきた。
心に貯めないってこういうことなのかな。
これは自分を大切にするということなんだな。
今まで犠牲の精神だったのか。
それはちっとも自分を大切にしてない。
自分を大切にしてないってことは、
当たり障りのいい言葉で言ったところで、
実は相手も大切になんかしてはいないのだ。
「いや」を押さえ込んだ愛は、本当の愛じゃなかったんだ。
「いや」を「いや」と言えることが、愛に繋がるんだな。
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