2023年12月15日金曜日

言葉の向こう側に


 

心の内側を見れば、そこに罪がないことがわかるというが、

私には内側を見ればみるほど罪を見つけてしまう。

ほんの少しのことでもそこに罪を見て、地獄のような苦しみが起こる。


一体これをどう見ればいいのか、どう愛せばいいのか。

苦悩のどん底から助けを求める。



散歩をしているとご近所さんに出会った。

少し会話をする。

そこで心が和む。

また別のご近所さんと出会う。

またそこで心が和む。


そしていつもの原っぱに行き、おひさんを浴びながら感じた。

「これが、、、、奇跡?」


さっきまでの苦痛は消えている。

あの人と会い、会話をし、そしてあの人とも会話をし、、、。

そして今、太陽を浴びながら、ほっこりする。

隣には誰かが落としていった乾いたフン。

それさえも愛おしく、一緒に相席させてもらう喜びがある。


そこには言葉がなかった。


もしもその会話の中で私が自分の罪を見つけていたら、こうはならなかっただろう。

その罪に執着し、どうにかそれを変えようとしたり、消そうとしたりしただろう。


罪には形がある。

その形は言葉で作られる。

形は人と人を分ける。

そこに分離の苦しみがあった。


しかしどういうわけか、さっきの会話で私は一つも罪を見ず、

そして今、フンと一緒にいても、そこに嫌悪は抱けない。


形のないところに愛があった。

言葉のないところに愛があった。

昔私が作った言葉のない絵本3冊。

その視線には愛があった。

きっと私の無意識はそれを知っている。



言葉が消えた時、そこには愛があった。

満ち満ちている愛があった。

これが奇跡?


そしたら、奇跡はそこかしこにある。

あのご近所さん、このご近所さん、この目の前の風景、あの山、このフン。


言葉の向こう側に愛が実在している。

教義の向こう側に愛が実在している。

この形の向こう側に真実がある。




絵:MF新書表紙イラスト



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