2025年9月11日木曜日

人は人を無条件に愛している

左:海沼武史写真集「インスピレーションの庭」
 右:つくし作品集「TSUKUSHI'S WORLD〜絵画の中の物語〜」

 

このところオカシイのだ。

なんだか意味もなくお金を使ってしまう。

スムージーミキサーだの、靴だの。いやいや別に今買わなくてもいいだろう。

今は展覧会の準備金が必要な時期なのに、残高がどんどん減っていく。怖い。。。


夜中またもや恐れが襲ってきて、後悔の嵐。

なんであんなもん買っちゃったんだ。。。

どうしよう、お金が底をついたら、、、、。


苦しさに耐えられない。

もうこうなったらあの手を使うしかない。




布団の中で聖霊さんに訴える。


「聖霊さん、私はお金を使っては後悔し、

それでまた使っては後悔しを繰り返しています。

もうこうやって自分を責め続けるのは苦しいです。

これを別の見方で見せてください!

私はどう見ればいいのですか!

さっぱりわかりません!

教えてください!」


心底訴えたが、相変わらず苦しい。恐ろしい。

私はその恐ろしさも消えていくために出てきてくれてるんだろうな

と思い、その苦しさの中でいつづけた。



朝、あるお悩み相談の動画を聞いていた。

それは義理の父親のことが許せなくて苦しんでいる人の話だった。

義理の父親は母の再婚相手。

その彼に幼い頃暴力を振るわれてきたのだ。そしてその手は母親にまで。

その許せない父親の彼女の話を聞きながらふと思った。


彼女はその義理の父親のことが、本当は大好きなのではないか?

大好きなのに、その思いを持つことが許せない。。。?



ひよっとしたら、

人は人を無条件に愛しているのではないか?

という意味不明な言葉が浮かんだ。



理屈で考えたら、暴力を振るうオヤジは憎んで当然、許せなくて当然。

私も父親の暴力で育ったから彼女の気持ちはわかる。

だけどどこかで私は父を愛していた。

その思いを私は見ないようにしてきたところがあった。

あんな酷いオヤジは嫌って当然。




人は人を無条件に愛している。。。

考えてみればそれは当然のことかもしれない。

それはひとつの心だから。


ひとつの心がひとつの心を嫌う理由がない。

全く同じなのだから。


だがそこに自我が登場する。

引き離せ!と。

ひっぺがせ!こら!一緒に仲良くするんじゃねえ!


なぜならお前、親父に殴られただろう?

ほら、そんな奴を好きになってたまるか!




そこで私に帰ってくる。


私は私を嫌う理由をただ見つけたいだけなんじゃないか?


お金を使ってしまう自分に後悔するのは、

自分を嫌うため。

お金をちゃんと管理して、

ちゃんとコントロールできない自分はダメな人間だ。

だから自分を嫌う。


本当は自分が大好きなのに、

嫌わなきゃいけない。

裁かなきゃいけない。

いじめなきゃいけない。

許せない理由を見つけなきゃいけない。。。


なぜならほっといたらくっついちゃうから。

ひっぺがして、離して、分離させて、苦しめさせとかなきゃ、

勝手に幸せになってしまうから!


だから自我はひたすら訴えるんだ。


お前が悪い!

あいつが悪い!

全部悪い!



部屋を汚くする自分を嫌い、

上手く作品が描けなかった自分を嫌い、

太っている自分を嫌い、、、、。


いくらでも自分を嫌う素材はある。

いくらでも見つけられる。

苦しみよ永遠に。




本当は自分が大好きなのに、それを受け入れることができない。

おいそれと自分を好きになっちゃあいけないよ、お嬢ちゃん。


なぜなら、かっこ悪いから。

なぜなら、罪深いから。

なぜならなぜならなぜなら。。。。


つまり。

本当は私は私が大好きなのだ。

なのに自我の策略によって、引っぺがされ続けている。


元々まったくの一つなのに、ひっぺがせられるわけがない!

自分と自分も、

人と自分も、

神と自分も。



その無理難題の中でひたすら葛藤し続けていたのだ。

それ自体がちょー不自然だったのだ。



〇〇のことを嫌うのは、実は大好きだからなのだ。

大好きを認めたくない。

なぜなら〇〇はああでこうで。。。。


なんでもいいから嫌う理由をつけて、

ひっぺがそうとし続けていた。。。




聖霊からどんな形で答えが返ってくるか、毎回わからない。

でも必ず答えてくれる。

その時私にとってもっとも必要な答えが。



こうやって自分の心の中にいる、別の見方をする存在とやりとりをしていく。






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ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです

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