ここんところ、不思議な旅をしていた。
いろんな用事が終わってホッとしたのかそのままバタンキュー。熱は微熱のまま上がりもせず。二日ばかり部屋の片隅で寝る。寝込むほどではなく、日常生活をしながらダラダラ過ごす。
ある日、嗅覚がバカになっているのに気づく。そして味覚がへんちくりんになっていることに驚く。部屋に得体の知れない匂いが充満し、コーヒーは、真っ黒な炭を丸々かじっているような味がする。トマトソースも意味不明な味だし、ガーリックオイルのパスタも「これのどこが食べ物なんだ?」という味。いや、これ食べ物じゃないだろう!
それまで私の嗅覚と味覚は絶対的なものだった。大抵のものは匂いで嗅ぎ分ける。味覚が変化することなど私の人生であってはならぬことだった。
消えて初めて気がつく。嗅覚や味覚はなんて曖昧なものだったんだろうと。
そして味というものは、過去の記憶で味わっていることに気がついた。
「あの味をもう一度💚」
その過去を追い求めて人は食べている。ちっとも今を生きてない(笑)。過去過去過去!過去だらけ!香港さん曰く、その味に神を求めているのだろう。神を味に代替えして神を味わっていた。
その奇想天外な味わいは3日ほどして元に戻った。
また神を味わえる〜。
この世界が曖昧なものだということは知識で知ってはいる。
そういえば、ある時私は神に尋ねた。
「この世界が夢であることをはっきり私に教えてください!」と。
その答えでもあったのか。
味覚も嗅覚も不動のものではなく、とても曖昧であるかないかもわからないもの。。。
実はありもしないものを私は味わって嗅いでいたのか。。。
そして決定的なものを見せられる。
それは「世界はない」ということを。
ほんの1秒だった。
世界はなかった。
それはなんとなく、世界はないんだろうな~。。
とは言ってもホコリぐらいは、カスミぐらいはあるだろう~?
とかいう生易しいものではなかった。
ない。
まったく。
かけらも。
微塵も。
容赦なく。
あぜんとした。
肉眼で、世界がないことを見たのではなく、
ただ心がそれを見た。
ただただ、あぜんとした。
それから何だか生きているんだか死んでいるんだか、実感がなくなっている自分に気がつく。
これは自我なのか?聖霊なのか?
どっちを選んでいるんだ?
わからなくなった。
喜怒哀楽があってこその自分という自覚。
それもよくわからなくなった。
昨日不思議な夢を見た。
夢ではいろんなことが起こる。
でもどんなことが起こっていても、心が平らだった。
そして世界はすべて同じだったんだ~と思う。
ここんところ80代の方たちとお付き合いする機会が増えた。
なんで人は生きているんだろう。
世界は平らであり、夢であったことに気づくためなのだろうか。




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