2025年9月5日金曜日

微塵もない

 





ここんところ、不思議な旅をしていた。


いろんな用事が終わってホッとしたのかそのままバタンキュー。熱は微熱のまま上がりもせず。二日ばかり部屋の片隅で寝る。寝込むほどではなく、日常生活をしながらダラダラ過ごす。


ある日、嗅覚がバカになっているのに気づく。そして味覚がへんちくりんになっていることに驚く。部屋に得体の知れない匂いが充満し、コーヒーは、真っ黒な炭を丸々かじっているような味がする。トマトソースも意味不明な味だし、ガーリックオイルのパスタも「これのどこが食べ物なんだ?」という味。いや、これ食べ物じゃないだろう!




それまで私の嗅覚と味覚は絶対的なものだった。大抵のものは匂いで嗅ぎ分ける。味覚が変化することなど私の人生であってはならぬことだった。

消えて初めて気がつく。嗅覚や味覚はなんて曖昧なものだったんだろうと。


そして味というものは、過去の記憶で味わっていることに気がついた。

「あの味をもう一度💚

その過去を追い求めて人は食べている。ちっとも今を生きてない(笑)。過去過去過去!過去だらけ!香港さん曰く、その味に神を求めているのだろう。神を味に代替えして神を味わっていた。


その奇想天外な味わいは3日ほどして元に戻った。
また神を味わえる〜。




この世界が曖昧なものだということは知識で知ってはいる。


そういえば、ある時私は神に尋ねた。

「この世界が夢であることをはっきり私に教えてください!」と。


その答えでもあったのか。

味覚も嗅覚も不動のものではなく、とても曖昧であるかないかもわからないもの。。。

実はありもしないものを私は味わって嗅いでいたのか。。。


そして決定的なものを見せられる。

それは「世界はない」ということを。

ほんの1秒だった。

世界はなかった。


それはなんとなく、世界はないんだろうな~。。

とは言ってもホコリぐらいは、カスミぐらいはあるだろう~?

とかいう生易しいものではなかった。


ない。


まったく。


かけらも。


微塵も。


容赦なく。


あぜんとした。


肉眼で、世界がないことを見たのではなく、

ただ心がそれを見た。


ただただ、あぜんとした。


それから何だか生きているんだか死んでいるんだか、実感がなくなっている自分に気がつく。

これは自我なのか?聖霊なのか?

どっちを選んでいるんだ?

わからなくなった。


喜怒哀楽があってこその自分という自覚。

それもよくわからなくなった。



昨日不思議な夢を見た。

夢ではいろんなことが起こる。

でもどんなことが起こっていても、心が平らだった。

そして世界はすべて同じだったんだ~と思う。



ここんところ80代の方たちとお付き合いする機会が増えた。

なんで人は生きているんだろう。

世界は平らであり、夢であったことに気づくためなのだろうか。






和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです




0 件のコメント: