コースの難しさは、自分の心を見るということだろう。
私たちには罪悪感がある。
だがその罪は存在しない。
私たちに罪などないのだ。
そのことを思い出すために学ぶ。
ざっくりいうとこんな感じ。
だがそれにはプロセスがある。
私たちには罪悪感というものがあると言われても、まずピンとこない。
罪と聞くと、人殺しとか物を盗んだとか、
明らかに「犯罪」と言われるものを想像する。
でも心の片隅に「ひょっとして人を傷つけてしまったことも入る?」
という思いもちらっとはよぎるが、
「そんなことは私はしていない!」と蓋をする。
ところが人生を生きていくうちにどうしても解決しない問題がやってくる。
解決できるはずだ、解決できて当たり前であったはずなのに、
解決できないところに行き着く。
自分が無能であると証明されたような気分になる。
人はそんな時相当落ち込む。鬱になったりする。
外にあるものを解決さえできれば、この苦しみは消えるはずなのに、
その外のものをどうやっても解決できないところに来る。
または解決できたはずなのに、ちっとも心が晴れない。
そこで「どうしてだ!?」と、内側に向かい始める。
その時が心を見るきっかけになる。
そしてある時から、自分の中に罪悪感がある、
またはどうしようもなく自己嫌悪や自己否定してしまう自分がいることに気付く。
それを意識し始めると、息するように自分を責めている自分を知る。
自己嫌悪や自己否定は自分に罪があるという思いからくる。
罪を感じていないものが自分を否定するだろうか。
自分は何かわからないけれど、いたっていないものがある、
許されざるものがある!という強い思いが自分を痛めつけようとする。
そんな自分に気がつくと苦しさが増す。
自己否定をやめようとすればするほど、
責めることがやめられない自分をさらに責める。
この責め苦に耐えられなくなってから、
自分には罪はないということを本気で欲するようになる。
「自分には罪はないんだよな?マジでそうなんだよな?
それなら救われる。ああ、本当にそうであってほしい!」
それまでは罪はないと言われても、
もともと罪なんか感じてないから、
ないって言われれば、そういうことじゃん。
もともとないんだから、なぜそれをわざわざ知る必要ある?
だってないんだから。
とたかをくくっていた。
ところが心を深く見れば見るほど、罪を隠し持っていたことに気付き、
その罪がゆえに恐れ、怒り、人をさばき、
そして自分をさばき続けていたことがわかってくる。
そしてこの時真摯に神を求める。
今までの考え方ではない、別の道があるのかもしれない。
そこに解放があるのかもしれないと。
そして罪ではない、もう一つの道、無罪の道へと心が向かい始める。
これは意欲の問題だ。
そっちに向かうという意思を持つ。
今まではそんなこと考えもしないで、
心がいうことをそのまま鵜呑みにしてきたから、
道には深いワダチが出来ている。
放っておいたらいつもの方向へスーッと進んでいく。
嘆き、悲しみ、怒り、惨めになり、ガタガタ震え。。。
でも途中で気がつく。
ああ、こっちじゃなかった。
もう一つの道だ。
そっちじゃない!こっちだ!
そのワダチがある道から外れる意志を持つ。
心は形にとらわれて判断し、恐れの中に埋没する。
形にとらわれ、形の中で判断し、変えようとしていた形の世界。
その世界から飛ぶ。
それは形のない世界。
ワダチに引き込まれては戻り、また引き込まれてはまた戻る。
行きつ戻りつが繰り返される。
ちっとも進んでいないように感じる。
また前と同じ状態だ。。。
何も学んでいない。。。
それを責める自分をまた見つけ、また責める。。。
だが心は確実にもう一つの道に向かって進んでいる。
誰かが、何かが近くにいる。
すぐ近くで見守っている。
そこだ。そうだ。そのまま進んでいいよ。
最初は知識として知り、訓練して次第に自分のものにしていく。
それは一人ではやっていない。
何かわからないものと一緒に歩んでいる。
時々静けさがやってくる。
ふいに喜びがやってくる。
罪などなかったことに、だんだん気がつき始める。
安堵の思いが心を満たす。
形の世界ではないもう一つの世界が、
心の中に広がり始める。
2 件のコメント:
さきほど仕事でトラブル、立て続けに起きて打ちのめされてます。被害者面醜いと普段意識してるのに、いざ追い詰められると怒りが湧いて仕方がありません。当たり散らしさらなる面倒ごと発生。何百回やってんだこの流れ。自分の中に罪悪感か、普段ふたをしている沈殿物をかき回されて濁った泥水のような状態です、いま。職場に居るまさにたったいま。昨日つくしさんの文を読んだときよりも平常心半分しかないいまの方が深いところに沁み入ってきてます。
結城さん、お辛いですよね。
わかっちゃいるのにって思うと、さらに打ちひしがれてしまいます。
そんな時こそ、思いっきりその感情を味わってやってください。
それが今、出たがっているのです。消えて行くために。
小さな子供は泣いてわめいて、そしてけろっとする。
大人はそれをやってはいけないと思い込んで、それを沈殿させてしまう。
でも出していいんだよ。味わってやってください。
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