2019年4月16日火曜日

浅い夢とイルカ



浅い夢を見た。

あるビルの屋上に、大きな檻があった。その中に全身一点のしみもない、みごとなホワイトシェパードがいた。
そのビルの屋上が眺められる場所にいた私は、昔飼っていたユタに似たその犬を触りたいと屋上にやってきた。

「おいでダン。あなたを触らせて」
私はその犬の名前も、メスであることも知っていた。

ユタより一回り大きなダンは、私をじっと見るだけで、微動だにしない。檻は所々朽ちていて、ちょっと腕を伸ばすと鉄格子が開き、ダンのからだに触れられた。

やわらかな白い毛がユタを思いださせる。けして媚を売らず、ただ触るままにさせるダンの目は、深い眼差しを私に向けていた。
檻に入っていながら、檻の外にいる私を深い慈愛を込めて見ているようだった。

ベッドひとつない何もない広い檻で、ダンはくつろいでいた。彼女はなぜかその檻を自由に出入りできた。気がむくと檻からでてご主人のそばにそっと座る。ご主人が打つパソコンの横で、まるで一緒に文章を読んでいるかのようにみえた。



目が覚めて、先日高知に帰ったとき出会った、イルカのことを思いだした。
父の一周忌のあと、友人の車で高知から二時間かけて室戸のイルカを触りに連れて行ってもらったときのこと。

直径7、8メートルほどの水色の小さな丸い水槽の中に、イルカが二匹泳いでいた。
顔を近づけて、一匹のイルカと対面した。イルカをこんな近くで見たのは初めてだった。イルカはからだを直立させて、浮きあがったり、沈んだりしながら、じっと私の顔を見続けた。

そこから出て来るトーンは、いったいなんだろう?
この雰囲気、どこかで感じたことがある。。。

答えが見出せないまま、お触りコースが始まった。
インストラクターさんが、イルカの触り方をレクチャーしてくれる。イルカたちは、インストラクターさんが指示するまま、水槽の端で腕を伸ばした私たちに寄り添うように、プールの端っこをゆっくり泳いでくれた。初めて触れるイルカの肌。つるんとしてて、やっぱり哺乳類の肌だった。鯨に振れた記憶はないのに、鯨そっくりだとおもった。

インストラクターさんの指示する通り、ジャンプして、ふしぎな音を発して、私たちに触らせてくれて、そしてときどき海水シャワーを私たちに浴びせて遊んだ。

二匹のイルカは、その奥にあるもうひとつの丸いプールで住んでいた。
小さな二つのプールだけで生きている彼ら。そのプールから出ることは、大型台風のときなどの緊急なとき以外はないらしい。


ここで?ずっと?
あんな大海原にいるはずの彼らが、こんな小さな檻の中で生き続けるんだ。。。
そう思う私の心とは裏腹に、彼らのあの独特のトーンは、私に別の考えを芽生えさせていた。

彼らは、ここにいて、ここにいないのだと。
どんな小さな世界の中にいても、彼らの心は平安と遊び心に満ちていた。

私をじっと見つめる眼差しは、あの夢で見たダンが私を見つめる眼差しにそっくりだった。
檻の外にいる人間の私たちを、慈愛の気持ちを持ってながめていた。

私の視点からすれば、あんな小さなプールに、あんな檻の中にいて自由がなく気の毒に思う。
にもかかわらず、彼らの感覚はその真反対の、檻の外にいる私たちのほうを気の毒がっているように見えた。

檻の内と外が逆転したような。。。
檻の外とは、すなわち檻の中で、
檻の中とはすなわち、檻の外。。。。


インストラクターさんの思いも指示も、彼らにとっては、強制でも仕事でも義務でもない、大きな心の世界の中の一部。どんな小さな檻も、彼らの心を閉じ込める力はなかった。
今もあの小さな水色のプールの中で、心は宇宙にあるのだろう。平安と遊び心の中で。


帰りの車の中で、夕日を見ながら思いだした。
あのトーンはユタだった。
ユタとイルカは、そして夢のダンは、まったく同じトーンを私に向けていた。

人間の世界の中にまぎれて、とっくに忘れていた、別のもの。。。
その目で私を見つめてくれたのだ。

思いだして。思いだして。あなたはそこにいたでしょう?と。