みなさま、新年あけましておめでとうございます。
と、喪中の人が言っていいのかいけないのかわからん(笑)。
喪中ってことをいいことに、お正月的なことを一切なんもせん!
と決めてさっぱりやらないと、まあ、暇なこと暇なこと。
「暇だなあー」と鼻をほじって暇をもて遊んでいると、
「風呂掃除でもしたろかー」とか、
「冷蔵庫の整理でもするかー」とか言って、なんだか楽しげにやってしもうた。
今までは義務!神様が幸運を運んでくれないからやらねば!とか言って嫌々やっていた。
おせち料理だって、神様が幸運を運んでくれないからやらねば!とか言って、
すごいプレッシャーの中でヒーヒー言いながら嫌々やっていた。
お正月っぽいことはといえば、あんこ屋すずさんで買ったあんこで
おぜんざいを作ったことぐらい。あとはいつもの生活。
暇こいていたら、ふと知り合いが宮司をやっていらっしゃる金比羅さんに行こうと思いついた。
喪中の人がいっていいのか、いけないのかわからんが、
しれっと行ってきて、ついでに玉串を奉納してお祓いまでしてもらう(こらあー)。
空は雲ひとつない快晴。美しい青。
帰りは落ち葉がいっぱいの坂道。滑りそうでオドオドオタオタ降りてきた。
今はお隣さんからもらった干し芋をストーブで焼きながら、これを書いている。
私にとって「お正月」とはものすごく特別な行事だった。
それは母を通じて学んだことの中でも特別に大集結されたもの。
日本人として一番美しい形を生み出す瞬間。
お正月という美しい形はまた、私に恐れも生み出していた。
これをしなければ、福がやってこないという恐れ。
その恐れにがんじがらめになっていた。
それが彼女の死を通して、その「お正月」という呪いにも近い信仰の束縛が、
ふっと解かれた瞬間でもあった。
かーちゃんから、思わぬプレゼントをもらった。
そもそも、人が死ぬって汚れなのか?
死んだ人はあの世で
「お前、なに正月やって楽しんでいるんだ?俺は死んで苦しいのに!」
って、うらみつらみを言うんだろうか?
おばさんは妄想する。
天国のかーちゃんは、
「えー。なんで楽しまんが?楽しみなさい。うんと!」
って、言うんじゃね?と。
あ、干し芋食っちまった。
も一個、焼こうっと。
と言うことで、前置きが長くなりましたが、
本年もよろしくお願いいたします。