いつもの散歩コースに、少し高いところから山を見渡せる場所がある。
一個のそびえ立つ山があるのではなく、なだらかな山脈が東から西に流れていく。
山は戦後無造作に植林されたところと、そうでないところに常緑樹と広葉樹が混在してる。
冬から春になる頃、山桜などの広葉樹が、茶色からだんだんと淡い色を帯び出し、
ピンク色に変わり、山が笑い出す。
それはまるで着物の帯の柄のよう。
晴れた日はそれがクリアに見え、また雨の日は水墨画のような幻想の世界へと誘う。
季節ごとに、天候ごとに、刻一刻と変わっていくその山を眺めるのが大好きだ。
今は夏真っ盛りでいちめん緑一色。
だけどそういう時こそ、木々がそれぞれの個性を発揮する。
杉のようにしゅんしゅんと上に向かって鋭利な姿を見せるものもあれば、
モワモワと横にまあるく広がっているものもある。
私は動物の毛を眺めるようにその山肌を眺める。
手を伸ばせば、その触覚を楽しめそうだ。
そっと腕を伸ばして、大きな手で、その木々たちを撫でる。
杉のチクチク、ケヤキのふわふわ、もみの木のゴワゴワ。。。目で見ながら、心はかれら触っている。
木々たちもどこか自分たちが触られているのを楽しんでいるかのよう。。
その時ふと思った。
私はただ目の前の山を見ているのではないのだ。その山と向かい合っているのだ。
私は山を見て、「ああ、お山だ」と思い、
山は私を見て、「ああ、君がいる」と思う。
ここに山と私のコミュニケーションがある。
それは五感でわかるものでなく、思考でもなく、感情でもない。
だけど確かに、胸のあたりでひびきあい、感じあって、交流しあっている何かがある。
そして私の中に、なんとも言えない喜びと、安堵と、平和が膨れてくる。
お山は確かに私を見つめてくれている。
目があるわけでも、顔があるわけでも、脳みそがあるわけでもない。
なのにその存在は私を知っている。
私を受け入れてくれている。
私に答えてくれている。
そして私を愛してくれている!
ひょっとしたら私はその山の背後を感じているのかもしれない。
「これはお山だ」と頭では思う。
しかし本当はその山がたち現れる前の、何かを感じているのだ。
私という仮の姿と、山という仮の姿の背後には、私たちが共有する何かがある。
いわば仮面を通して互いに感応しあっているのだ。
そう思うとゾクゾクした。
(私も愛してるよ!!!)
心の中で、お山に向かって大声で叫んだ。