2023年7月28日金曜日

ここにいていいよね?


 

苦しみの淵に落ちて行った時、私はそこに世界の苦しみを見た。

すべての人が、私とまったく同じ苦しみを抱えている。

そうわかった時、ひとつであるという意味の、ほんの少しさわりが見えた。


それからあまり人が怖くなくなった。

それでも人に怒鳴られたら怖い。

でも昔ほどは恐れなくなった。


近所に何かと意見をいうオヤジがいる。

彼もまた、恐れている。

自分の存在意義を必死で見つけようとしている。


「俺、ここにいていいよね?大丈夫だよね?。。。本当に?。。いて、本当にいい?」

彼の心が懇願している。


私たちは常に「何かをして」ここにいていい理由を見つけようとする。


しかしそれこそが恐れを増幅させている。

もっと何かをやって、もっとどうにかして、、、、、!

その叫びは、「俺を愛してくれ!」という心の叫びだ。


愛されていない。

愛される価値もない。

そう思うがゆえに、何かをやって愛してもらおうとする。

ただそこにいるだけじゃ、愛されないと信じている。

生まれた時は、ただそこにいるだけで、愛されていたというのに。


一体いつからこんなことになったのだろう。

苦しみは物心つく頃にすでに始まっている。

私たちは苦しむためにここにいると言っても過言ではない。


いや。そもそもそれがあるからここにいるのだ。



「いいよ。いていいんだよ。もちろんだよ」

オヤジの懇願に愛おしさを感じる。

心でそっと寄り添う。


私もそうやって生きてきた。

苦しさを紛らわせるために、自分の価値を認めてもらうために、必死だった。

でもそれにはキリがない。


果てしない苦悩への、果てしない解決を続けていくのか。

もうそれをやめるのか。


私は後者を選ぶ。



オヤジは私の一部。


オヤジの手をとって一緒に歩こう。




絵:MF新書表紙イラスちょ






2023年7月21日金曜日

愛を思い出す式典

 


この頃思うんだ。


お葬式って、とても悲しいことだけど、

一方で、愛を思い出す式典なんじゃないかって。



亡くなった人に対して、

あのときもっと優しくしておけばよかった。

もっとありがとうって言っておけばよかった。

もっとはっきりと愛しているよと言っておけばよかった。


そうして自分がそうできなかったことに悔いたり、嘆いたり、

そして自分に怒ったりしているんじゃないだろうか。

後悔で胸が張り裂けそうになる。

そんな思いを抱えている。


でもその思い、それ自身が、

その亡くなった人をどれほど愛しているかを表す証拠なんじゃないだろうか。

その愛の思いがあるからこそ、悔いて、自分を責めて怒るのではないか。


それは私たち自身がとても愛のある存在だということを思い出させてくれる。

そして楽しかったことを思い出し、
亡くなった人がどれだけ自分を愛してくれていたかも思い出す。


兄弟になんの愛も感じてなかったら、泣きも苦しみもしない。



後悔は愛のしるし。

でも後悔はしてもしてもそれが収まるところがない。


あのときもっとああやっていたら、、も、

それが納得できるというところまではいかない。


どれだけやっても悔いが残るのだ。

でもそれが愛のしるし。


そして亡くなった人は、その思いを、

そのまんま受け取ってくれている。


「愛しているよ」

と、その人の横で囁いてくれている。


姿は見えないけれども、その人はちゃんとそこにいる。

愛を持って、そしてその兄弟の愛を、

これ以上わかりようがないくらいはっきりと感じて、そこにいる。



もしそれが霊視できたら、なんと美しい光景なのだろう。


お葬式は、愛を思い出す式典だ。


互いが思いやる、純粋に愛を感じあう、そんな大切な時間なのだ。




絵:「天狗舞」




2023年7月16日日曜日

へえ〜そうなんだ


 先日、占ってもらった。

占いをしてもらいに行ったのは人生で2度目。


1度目は東京に来て間もない頃、

毎日つらい仕事に行く途中にいた辻占いの人。

いつか、ものすごくサイテーの状態になった時に

占ってもらおうと目論んでいた。

そしてその日がついにやってきた。


サイテー最悪の気分の時に、赤いぼんぼりの中で見てもらう。

「あんた。最悪の性格してるね。

男だったらまだマシだったよなー。女だからなあ。。。

あんたほど身勝手でわがままな女はいないよ。」

希望を与えてくれるかと思ったら、さらに追い討ちをかける。

そして確信を持って言う。

「あんた。10歳下の弟がいるでしょ」

「いません」

「ほらあ~。だからそう言う平気で嘘つくところが、最低なんだよ!

いないわけないでしょ!」


私の性格を最悪と連呼した上に、兄弟いないのに、嘘ついたと言って罵られる。

あまりの理不尽さにかえってなんだか元気が出た。


だが怖いのはその後だった。

田舎に帰った時、そんな話を振ったら、

母が「いたのよ。あんたの10歳下の弟が」

唖然とする。

しかも堕胎しただけなのに、なぜ男だとわかる。

かーちゃん、あんたこそ怖いわ。


そこまで見れる占いってなんなのだ?

じゃあ、やっぱし私って最悪の人間なんだな。




さて。奇しくも同じ街にいた(笑)占い師さんは、

とーっても可愛い女の人だった。

なんとなく自分の過去世を見てもらいたかった。


霊感のある友達や知り合いに「あんたの過去はコレ」

と何度か言われた。


正直言って

「それ、私が頭でなんとなく考えていることを読んだだけじゃないの?」

と思うフシがあった。


だから今回は静かに聞いた。

すると想像もしなかったことを話す。

へえ~、そうなんだ。

と、思った。


彼女が言うには、この地球上にはみんな平均して1000回は生まれ変わっていると言う。

そのうちの一個を取り上げてもらったところで、

「So what!?」なのだけれど、


その何百回、何千回という転生を聴くほどに

今この私の人生があまり重要でなくなる、

そんな気持ちになりたかったというのが本音だった。


だから「へえ~、そうなんだ」というのは、

私にとって求めていた感想だったのだ。




私たちは今この人生はものすごく重要だ。

この人生をどうやったら苦しみがないように生きられるか、必死で日々考えている。

でもそういうことを何千回も繰り返しているとしたら。。。


その位置に立ちたかった。


だから私が来世、違う人生を生きていたとして、

ある日占い師さんにこう言われる。


「え~。あなたは過去世、日本人でしたね。

女で、イラストレーターでした」


その時私はどう思うのか。

「へえ~、そうなんだ」

って思うだけじゃないだろうか。



同じことを繰り返している。

そのことに気づきたいと思う。



はっきり言って、私は1000回以上、

同じことで悩み、苦しみ、死んできた。


このことをなぜ繰り返しているのかを知ることは、

その人生を違う視点で見ることになるのではないか。


お金、体、健康、人間関係。

形は違えど、苦しみは全部同じ。


日本人だろうが、イタリア人だろうが、火星人だろうが、

そこにある価値観の中で翻弄されることに変わりはない。


その繰り返しから出よう。


罪という魅力的なオリから出よう。鍵はいつでもあいている。


全く違う心で、世界を見よう。


そう思えた。


ありがとう、可愛い占い師さん!




絵:「COOPけんぽ」表紙イラスト/エアーズロック




2023年7月12日水曜日

海沼武史写真作品展が終わって



高尾駒木野庭園で開催された海沼武史の写真作品展が終わった。


振り返ってみると、都内から千葉から京都から、

実にたくさんの方々が、武史の写真を見に来てくださった。


みなさま、お暑い中時間を作ってきてくださって本当にありがとうございました。


私も自分の展覧会ではないけれど、さも自分の展覧会かのように出向いて楽しみました。

毎日が夏休みのようで楽しかったなあ。


ここ庭園での展示は、ギャラリーのように自由がきかないところがあり、

なかなかハードルが高かったのですが、去年の私の展覧会、そして今回の武史の展覧会と、

全館を使わせてもらっての展示は圧巻でした。


これも庭園側と作家側の互いの歩み寄りにより成功したものだと思われます。


日本家屋自体が醸し出す自然と一体になった空間の中に配置される作品たち。

床の間に盆栽と一緒に置かれた作品たち。

どれもがぴったりハマって、何の違和感もない。

ただ畳に座ってその空気の中で流れる時間を味わっていたいほどの心地よさでした。


一番奥の畳の部屋では、異文化の人たちの交流、

そして盆栽作家さんたちとの深い話も尽きなかった。


盆栽作家さんは、過去写真とのコラボでいい思いをしたことがないということだったが、

今回その成功例を見せていただいて、視野が広がったと喜ばれていた。


すべてがグッドタイミングで、何のきしみもなく淀みもなく流れるように進んでいく。

そういう奇跡を横でみせてもらっていた。


そういう景色を見るにつけ、

ああ、自分では何もしなくていいんだということがますます教えられていく。

私は何の判断もせず、ただ見ていればいいのだ、と。



私たちは物理的なものを得ることによって幸せになれると信じている。

でも幸せは物理的なものによって得られなくても幸せになれる。


それはみんなの思いだ。

「ああ素敵。」「いいねえ~。」「癒される~。」

たくさんの言葉を写真を見ながら語ってくれる。


そこには喜びがある。

武史は、みんなから愛をもらっていると感じていたそうだ。


それこそが何よりのギフト。


庭園いっぱいに、喜びが広がっていた。


みなさま、素晴らしいギフトをありがとうございました!