夜明け前、サンドイッチ作っている夢を見た。
いちごのサンドイッチと、ベーコンのサンドイッチ。
どちらも具沢山で、口に入らないぐらい高くそびえてる。。。
という夢を見ながら、あるインスピレーションが来ていた。
私の人生に現れてくる登場人物は、ぜんぶ私が作ったものだと。
両親の性格、くせ、趣味嗜好から職業に至るまで、全て私が設定したものだと。そしてこの私さえ、この肉体から性格に至るまで設定していると。
知識では知っている。
けれどもそれを直接言われると、びびった。
じゃあじゃあ、母のあの病気も?あの環境も!?すべて私が!?
。。。そのようだ。
がーん。。。。
でも心のどこかがそれを受け入れていた。
心のどこかがそれを聞いてホッとしていた。
私の中で、それを罪と見なくなっていたからなのかもしれない。
いやむしろ、罪と見なくなったから、それが教えられたのかもしれない。
あれほど自分に罪を見て罪悪感の塊だった私が、だんだん自分に罪を見なくなっていっている。
だから全てを設定したと言われても、それを罪とは感じていない。
たとえ母の病気を私が設定したとしても、それは実在しないのかもしれないと思う。
確かに高知に戻って母を見るなら、そこに見るだろう。
だけどそれはそう見えるだけだ。
見えるものは事実だと思ってきた。
だけどそれは事実とは言い切れないとも思い始めている。
もう一つのものがある。
そちらが真実だとしたら。
目に見えるものは、私が設定したもの。
この肉体を持って、この肉体で見ることをしているもの。
単にこの肉体の目が掴んでいるものだけを信じていただけなのだ。
もう一つのもの。
それは肉眼では見えない。
自我の私が作り上げた肉体から見えるものほど不確かなものはない。
それはありもしないものを見ているだけなのだから。
例えば、冷蔵庫に入れっぱなしのオリーブがカビだらけだった。
なぜか笑って観れる。
今まではそれを罪に感じていた。
この違いが一体なんなのかわからない。
でも見えるものを信じる必要はないと思えるのは、
今の私に見える限界ではそれは光として映るもう一つのものが、
どんどんリアルに感じ始めているからなのかもしれない。
私の設定すべては過去だ。
過去という具材を山のように積み上げてパンに挟み、
マヨネーズをいっぱいかけて、
ガブッと食べてしまおう。
『過去を赦し、それを手放しなさい。それは確かに過ぎ去っているからである』
by奇跡講座テキスト26章V.14.1
私はこの設定をぜんぶ赦そう。
もちろんその感覚は行きつ戻りつすることだろう。
罪も見てしまうだろうし、罪悪感もまた感じることだろう。
それもまた赦そう。どこまでも。
イラスト/「健康と生活」表紙イラスト/フラダンス