2018年1月31日水曜日

はーるよこい。


大雪ふってから、畑にはしばらく顔出してなかった(飲み屋か)。

畑に向かう北の斜面がいつも吹きだまりになってて残り雪もすごいので、シャベルをもって出かける。

「どこいくんでい」
「畑」
「雪残ってるんかあ?」
「わからん」

道すがら、隣の町会長さんや、宅急便のお兄さんから声をかけられる。
おばさんがショベルをもって、道を歩いてるのが不思議なんか。

それにしても、シャベルなんか、ショベルなんか、よおわからん。スコップとも言うらしい。
名前ってのはほんとに面倒くさい。

まあいいや。
んで、畑に行くと、思ったほど雪は残っていなかった。

ウチの農法は、この時期何もすることがない(と、勝ってに思っているだけだが)。普通は石灰をまいたり、耕したり、春の種蒔きのためにあらかじめ肥料を仕込んで準備をするらしい。

そういう作業は全部すっとばかすのが、やまんば流。
これからろーじん大国突入。何事も楽にできる方法を探すに限る。

やまんば流は、種蒔きする時にちょこっとホックリ返して、種ぱらぱら、ハイおしまい。追肥などもしない、成長途中で手をかけたりもしない。あとは種さんが勝手に気のむくまま芽を出し、気のむくまま大きくなったりならなかったり(笑)してくれる「種さんの気分次第」な農法なのであーる。

もっともやまんばは、最初はそれなりに計画性をもって望んでいたのであった。しかし、長年この畑と関わるうちに、計画性とは、とても人間的なものなのだなとおもいはじめる。

というのも、人の計画無視して野生動物は季節構わずやって来て畑を襲撃していくわ、季節は毎年同じようにやさしくやって来ないわ、植物は毎年同じように生えて来ないわで、とてもじゃないが人間様の計画通りには事は進んでくれぬと言うことをいろいろ痛感したのであった。

そもそも、毎年同じように事が進んでくれる上での計画ではないか。それこそ人間の机上の計画。。。。
こうあるべきをいつも裏切ってくれるのが人生。こうじゃないとこまる~~!というのを、スコーンと裏切ってくれるのが畑だった。

だったらこっちも無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。
人生の方も、もう無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。



菊芋を掘り起こしてると、枯れ草の中から去年仕込んでおいたオブジェがみえた。

ゴボウをラクチンに掘り起こせるナイスなシステム。
米10キロ用のビニール袋の上下に穴を開け、4本の支柱でそれを立たせ、その中に土を入れる。土が入った筒状のオブジェのてっぺんにゴボウの種を仕込み、ゴボウの根が出来た暁には、そのビニールをタテにシャーーーッと裂いて、土の下に埋もれたゴボウを根こそぎゲットするという画期的なシステムだった。

しかし種を間違えて、去年はうんともすんとも芽が出なかったのだ。それでそのオブジェはそのまんま放置されたまんまだった。

やまんばは、ビニール袋のてっぺんに生えた草をとりのぞき、去年そこらに勝手に生えて来たゴボウの種を新たに仕込んだ。
今ゴボウの種蒔きする時期ではないが、蒔いてはいけない法律はない。自然界は勝手に好きな時に芽を出す。その力にまかせた。
ゴボウさんも気がむきゃ、育ってくれるだろう。

作業のあと、畑で大の字になって寝る。
もちろん長靴はぬいでアーシング。
青い空が春がくるのを告げていた。


2018年1月27日土曜日

勝手に浮かぶもの


人生は、自分の思うようにいかない。
ホントに。

こうあってほしいのに、そうならないことがおお過ぎる。
てか、それしかないんちゃうか?ってなぐらい、裏切ってくれる。

それで疲れていると、そもそもの、なんでこうあってほしいのかな?っておもう。
それ、考えたことでしょ?

考えって、自分で考えた?
自分で考えたっておもってるから、そうなってほしがっている。

しかしほんとに「自分」で考えたんなら、その考えをコントロールできるはずだ。自分で考え出したんだもの。

だけどじーっとその考えの様子を見ていると、どうも「自分」で「考え出した」んじゃないな。。。。と、気がつきはじめる。

勝手に浮かんでいる。。。
が、正解なような気がしてくる。

だって、考えを消そう!としても、ものの5秒ももたないんだもん。

わしらは、「勝手に浮かんでくる考え(言葉)」に、ふりまわされている。




目の前を飛んでいく鳥をみる。
ただ鳥が飛んだだけだ。気にもしない。
だけどカラスが飛んだら、どっかがざわつく。
目の前を天狗が飛んだら、ざわつくどころじゃない。おおさわぎだ。

これがわしらが頭の中でやっていることかもしれない。

布団の中で、
「ちゅうちゅうたこかいな」
って浮かんでも、気にしない。(別な意味で気にするかw)

けど、「このままでいいのか?」
ってことばがうかぶと、いきなりがばっとおきあがり、
「そうだ!そうだ!このままじゃいけない!」
と、あせりだす。

単なる言葉だ。
単なる音だ。

だけど、ものすごく反応する。
これ、コントロールしてる?
どっちかっちゅーと、コントロールされてね?

ちゅうちゅうたこかいなって、音も、
このままでいいのか?って音も、
どこからともなくやって来る。

どこからともなくやってくる音に、ふりまわされてんのは、あんただよ(笑)。

まいどまいどやってくる同じフレーズの言葉を間に受けて苦しんでいるだけなのかもしれない。

一度、頭に浮かぶものを疑ってみるてはある。

そして疑っていくうちに、鳥も天狗も、目の前を通り過ぎるだけになってくる。


心に浮かぶものも、外にあるものになってくる。
それにともなう感情も、外を流れる雲になってくる。









2018年1月21日日曜日

認めてもらうこと


私たちは、私たち自身をなかなか受け入れることが出来ない。

自分を受け入れるというのは、どこか傲慢でおごり高ぶった人間、というふうな印象がある。
だから自分を認めるなんて、お尻がむずむずするような居心地の悪さを感じてしまう。

そして他人に「いいね」とほめられると、
「いやいや。わたしなんかまだまだ。。。」
と答えるというのが謙遜、美徳とされる。

そういうものが土台にあるので、他人から認められる、ほめられることがよいとされている。


ところがこれには落とし穴がある。
自分自身の評価を、他人にゆだねるのだ。

ここにいていいと、自分で自分を認めるのではなく、他人に、そこにいていいよと言われたがっている。(だから「いいね!」があるのか)

人に認められることで培って来た習慣のために、自分自身で自分を認められない。そして人に認めてもらうことを無意識に常にもとめる。


人はそれぞれ独自のものがそなわっている。
そのオリジナルな自分が、いつのまにか他人視線の自分にすり替わっていく。
こうすれば認めてくれるだろう、こうすればほめてもらえるはずだ。。。そうやって、だんだん人が認めてくれるであろうやり方に変わっていくのだ。

小さい時に、親のいうことを聞いた、お手伝いをした、よいことをした。そしてほめられた。
そういう記憶が少なからず入っている。
もちろんよいことをするのも親の言うことを聞くことも素晴らしい行為だ。そうやってこの世で生きていくルールを身につける。

だがたいていは、そのまま横滑りして大人になっても「人にほめてもらえるように生きる」ようになる。
こうすれば認められるはずだという期待をもとに。


ところが現実はそうは簡単にいかない。その期待通りには答えてもらえないのが大人の社会だ。
他人目線にあわせて行為したはずが、答えてもらえない葛藤。自分がここにいていいと言われないことへの焦燥感。そうやって苦しみが生まれる。

「こんなはずじゃないのに。。」
「なんだよ、ムシかよー。」
「君がよろこぶと思ってやったんだぜ。。。」

期待に答えてくれない相手にいかり始める。

もともとの行為が、自分がここにいていいと言われたいがための行為だった。それが受け入れられないとなると、やった意味がない!と怒り出す。

それは純粋にやりたかった行為なのか?
いいと言われたいがための「条件付き」の行為だったのではないか?


子供の頃、いいことをしてほめられた。
またほめられようと、いいことをしてみせたが、おかあさんはそのときほめてくれなかった。
その時の挫折感や悲しみが、記憶の中からよみがえる。
「いい子でいたのに!どうして!?」

その感情が大人になっても同じ条件下で浮上してくる。
それが怒りになって相手を射抜く。


これは自分が自分を認めていないからだ。意識しない限り、ずっと人に認められることでしか、自分が自分を認められないまんまだ。


現代人のほとんどがその状態といえる。
そんなことしゃべっている私も、その典型だった。
ほめられることで、一瞬ここにいていいんだ~という安堵感がおこるが、また次の瞬間から次にほめてもらうことを探しはじめる。その繰り返し。



それは他人に自分のパワーをあずけていることだった。
他人とは、架空の他人だ。架空の他人に「こうすれば認めてくれるはずだ」と信じて行為をしてきたが、ちっとも認めてくれない事実に葛藤を起こして来た。

怒り、悲しみ、挫折し、嫉妬し、ねたみ、孤独を感じ、悪口をいい、
最後には自分を消し去りたかった。

あるとき、これは自分のパワーを人にわたしていたんだ。。。と気がついた。わたされた相手が、強くなるのではない。強そうに見えていただけだった。


認められたいほめられたいということの、マイナスの要因がクリアに見えてくると、それをしている自分に気がつきはじめる。生活のいろんなシーンで、他人にパワーを与えている自分に気がつきはじめた。
ほめられたいという思いは、ほめてくれる他人に自分のパワーを与えてるのだ。


そうして私はすこしづつ、そのパワーを取り戻していった。
ほめられたい、認められたいという衝動に気がつき、そしてその衝動をそのまま受け取るということをした。

「ほめられたがっているんだね。そうなんだね。それでいいよ」と。

その衝動は、一瞬燃え盛るように起こるが、その感覚をとらえたままでいると、間もなく消えていった。


自分の内側で起こるあらゆる感情を見、それをそのまま受け取ることをしていくあいだに、だんだん自分にパワーが戻って来た。そして他人に認められることを必要としなくなってくる自分にも気がつきはじめた。

自分のありのままを受け取ることは、本当にありのままを受け取ることだ。いいことだけでなく、いやな部分、汚い部分、否定したくなるような部分、全部。そのまんま、受け取ること。
それが結果的に、自分自身を認めることになっていた。


自分のえげつない部分に気がついたとき呟いてみる。
「ほ~、そうきたかー。ええんだよ。それで」

その感情のまんまにほっておくと、やがて消えていく。
どうも宇宙はそうなっているようだ。
おためしあれ。












2018年1月18日木曜日

言葉がなかった頃


過去をまったく忘れると、ついでに未来も消える。

私と思っていることも、じつは過去の記憶から来る。
私は誰それ、こういう職業をもって、、、という記憶。

それさえも頭から消したら、そこには目の前の世界だけが広がる。

電車の音、ストーブの上で湧いているヤカンの声、カチャカチャというキーボードの音、それに触れる感触、、、、
いやいや。キーボードという名前さえも過去の記憶から来る。
すべての名前は過去の記憶。

それが消えたら、名前のない「これ」がある。

今という所にいると、「これ」しかなくなる。
自分さえも消える。
目に見えている自分の指さえ、風景の一部になる。

すこし立つと、あたまの中に音が聞こえる。
それもじつは外にある。
考えていると言うが、はたして「考えている」んだろうか。それはただ聞こえてくる音ではないか?そう、外から聞こえてくる音。。
そして感覚も外。匂いも外。わき上がってくる感情も外。

今あるすべてが外にあり、そしてこれ全部をひっくるめて、「これ」が、わたしそのものだ。目の前の風景、音、匂い、感触、浮かんでくる考え、わき上がってくる感情、すべてが私。

人と言う形をしたものはいない。「私」は人間の形をしているものではない。目の前にある風景、山も、空も、手も、すべてが私なのだ。



小さい頃はそう感じていた。
目の前に広がるすべてのものと自分という境目もない。

自分という個別になっていったのは、他者からそう教わったからだ。もしこの世に一人だけ存在していたら、山と私の境などなかったろう。山と私という言葉によって、区別が生まれただけだ。

そういう言葉遊びによって、この文明は生まれた。
そこにはよろこびというものと一緒に悲しみも生み出した。

自分にはなにか欠けているものがあって、それをなにかで埋めようとする。
もので埋めようとする。しかしものでは埋まり切らない。
科学で埋めようとする。しかし科学でも埋まり切らない。
こんどは精神で埋めようとする。宗教だったり哲学だったり。
しかし精神でも埋まらない。

言葉によって分離が生まれたのだもの。
言葉をつくしても、そのなにかが欠けているものは埋まらない。

言葉がなかった頃。その頃を思いだす。
感覚の中にいた。名付ける前の感覚。
その感覚を意識する。
忘れていた何かが動き始める。



2018年1月17日水曜日

「盗む」



小さかった時のある記憶がよみがえった。

「あ、私はあのときほんとうは知ってたんだ。。。。」
それは自分にあるレッテルを貼ったときの記憶だった。



その頃、私はりかちゃん人形のセットをいっぱいもっていた。父は貧乏だったが、母の実家がお金持ちだったので、いろんなものを買ってもらっていたのだ。
そこによく遊びにくる女の子がいた。学校の帰り、うちに寄ってひとしきりいっしょに遊んでは帰っていく。私はその時間がとても楽しかった。

あるとき、その子が泣きながらウチに来た。手にはいっぱい見覚えのあるものを持って。
母は彼女に言ったようだ。
「ウチのものを全部返しなさい」と。

彼女の家はすこし貧しかった。私がもっているお人形が欲しかったのだろう。彼女はウチで遊ぶたびに、少しずつ盗んでいったようだ。母はそれに気がついていた。

そのときの私は驚きと同時に、自分にレッテルをはった。
自分のものが盗まれているのに、気がつきもしない、ぼーっとしたおバカな私。
それ以来、私は自分のことをそうおもいつづけていた。



そしてほんの最近、いきなり気がついた。
「私はそのことを知っていたのだ」と。
ただ、母とはすこしちがっていた。

彼女が遊びにくると、ものがへっていく。
彼女がもっていった。
ただそれだけだった。

そこには彼女への責める気持ちがなにもなかった。
そこにはまだこの世にあるいろんな解釈がなかったからだ。


その出来事から、私ははじめて「盗む」という言葉を知った。
そして「盗む」ことは「いけないこと」という解釈があるのを知った。
いけないことをする人は、悪い人というレッテルが彼女に貼られた。

わたしはというと、
自分のものが盗まれていることにも気がつかない、悪いことがなされているのにかかわらず、気がつかないおバカな私というレッテルが貼られた。

盗むと言うことは前提に、自分のもの、他人のもの、という区別がある。
減って行くことに気がついていた私は、自分のものがへっていくという自覚がなかった。
あの頃私には自分のもの他人のものという区別があまりなかったのかもしれない。それはひとりっ子だったせいもあるのか。兄弟と取り合うと言うことがなかったから、それが芽生えなかったのかもしれない。


それを思いだしたとき、なぜか心が嬉しくなった。
彼女を悪ものにしない、おおらかな自分が、たのもしく思えたのだ。
それは決して「おバカな私」ではなかった。



私たちは言葉を知る。
「盗む」という言葉は、「悪いこと」という解釈を生み、それをする人は悪い人という新しい恐怖を生む。
自分のもの、他人のものと区別をすれば、そこにとるとられる、盗む盗まれるという二元があらわれる。
おまけにそれに気がつかない私はおバカ。というレッテルまで貼れる。
そこにはよろこびはなく、怖れと怒りと嫉妬と不安が立ち上がる。

なんというややこしさ。
なんという物語性。
なんという悲劇性。

彼女はその後ウチに遊びにくることはなかった。


本当は、彼女と一緒に人形あそびをして楽しかった。以上!だったのだ。
何のレッテルも、何の解釈もなかった。
そういう自由さがあったのを、言葉という解釈によって、制限をかけていた。
そして深い所で否定していた。
それが50年ぶりにとつぜん浮上してくる不思議さ。

また戻ろうとしている。
何も知らなかった頃に。

ただ今にあって、それだけで充足していた頃に。


2018年1月14日日曜日

高知の旅


年明けに高知に帰って来た。
父の容態も悪く、母もいよいよよいよいで、楽しくもない帰郷だった。

だけどふたを開けてみれば、自分にとっていろんなことを思いださせる濃厚な時間だった。

このごろの帰郷は深い。
自分のお国=高知=大好き♥という法則から、だんだんと親の老いの問題、自分の老後という重々しさゆえ、高知=気が重いという法則に変わっていった。(笑)


父の車を借りて、制作に使う土佐和紙を買いに、伊野に向かう。足を伸ばして仁淀川に。ここは父の故郷。山の中腹にご先祖様の墓があって、狭い山道を墓参りに出かけたものだ。いつもコウゾの香りがあたり一面漂っていた和紙の村だった。

私が絵の具でなく、紙を扱うようになったのも、そんな記憶があったからかもしれない。紙は私のからだのどこかを刺激して郷愁を誘っていたようだ。


仁淀川におりてみる。河川敷が広い。最近は「仁淀ブルー」と言って、蒼い川の色で有名になった川。四万十よりも清流と言われている。和紙と水は切っても切り離せない関係。土佐和紙が発達したのはこの仁淀川のおかげなのだろう。

高知にしてはいつになく冷たい雨が降っている。蒼い川は静かに流れていた。雨のおかげで、河川敷のゴロゴロした石が濡れて、かれら独自の色をくっきり際立たせていた。桂浜の五色の石と同じ色をしている。ここから下流に流れていったのだろうか。美しい色とりどりの石に見ほれて写真を撮る。
石の一個一個が抽象絵画のようにうつくしかった。





もう少し車を走らせて、沈下橋を見る。
台風で水かさが増えたとき、流木が橋の欄干にひかっかからないように、手すりがない。おっかなびっくり歩いていると、地元の車がすごいいきおいで通り抜けていった。なれている人々には、なんてことない橋なのだ。


顔がビビってます



今度は車を東に向けて走らせた。
「今回で、そこにいくのは最後だぞ」
仁淀川のほとりのカフェでカプチーノとモンブランを食べながらだんなが言う。
その言葉を聞いたとたん、予期せず涙があふれた。

そこは私にとって特別な場所だった。父の仕事の関係で、高知の田舎を転々とした。
その中でも、幼稚園から小学校3年生までいたその場所は、私の人生にあらゆることを教えてくれた。人が生きていくあいだに味わう数々の感情、この世のルール。そしてこの世ではないような不思議な体験。私の考えの基本を作りあげてくれたところだった。恐怖とよろこびと興味が入り交じった所。。。

これが最後。。。。そう思ったときあふれて来た涙に、
「ああ、私はここを愛していたんだ。。」と知った。


いまはない私たちが住んでいた場所にたつ。
井戸の跡が、かつてそこに家があったことをかすかに教えてくれるのみ。まわりはおびただしい墓に囲まれていた。

私はその墓たちのなかでひとり遊んでいたのだ。



「あ、そこ踏んじゃダメ。お墓あるから」
だんなにうながす。

枯れ草の間からかすかに石らしきものが覗いている。それは墓の頭だった。
よく見ると、墓として存在している場所は、すこしくぼんでいる。ここは砂地。長い年月のあいだに、墓石はじょじょに沈んでいったのだ。まだここらにご子息がおられる墓は、掘り起こしているのだろう。
私がここにいた時は、まだ草も生えておらず、お墓は至る所にあった。今は枯れ草の草原が広がっているが、その下にはおびただしい墓石が眠っているのだ。

人に踏むなと言いつつ、踏んでいたらごめんなさい

その墓たちの中でも、ひときわおおきな墓があった。私はそこで秘密の基地を作って遊んでいた。今もその姿が残っていた。きっと土台からガッチリ作られているからなのだろう。昔は小さな植木しかなかったのが、今は巨大な木になっていた。そしてあれ放題だった。

人様のお墓の前で嬉しそーな私



神社にも向かった。
ここはお祭りのとき、参道に灯籠がずらっとならんだ。その灯籠一個一個が恐ろしい絵が描かれており、闇夜に浮かんだその絵を見たとき凍りついた思い出がある。
しかし子供の記憶は曖昧なもので、それが本当に恐ろしい絵だったか、さだかではない。





母のアパートに戻って、そこに行ったことを伝えると、母は一枚の写真を見せてくれた。
それはまさにあの場所で、あの墓の横で、母と幼い私が嬉しそうに立っている写真だった。


うしろには今はないあの家が。
父はカメラをもっていて、家で現像していた。あの当時カラー写真は珍しいので、どこかで現像してもらったのだろう。

父と、母と、私。
それぞれの思惑が交叉する時間をとらえた写真。

けれどもシャッターを切ったその瞬間だけは、私たち親子は幸せだったに違いない。






2018年1月13日土曜日

なにもしなくていい



なにもしなくていい。

わたしはどうしようとか、あいつをこうしようとか、なにかすることをあくせく考えず、ただおこるままにさせる。

その苦しんでいたり、悩んでいたり、イラだったりしている自分に、ただ気づく。
そしてただ気づくままに、そっとしておく。


ネガティブな意識が出て来ると、そくざに、悩んではいけない、不安がってはいけない、怒ってはいけない、そんなおもいが出て来るだろう。
でもそんな思いも、そっとしておこう。


そんなふうに思っているんだね。
それでいいよ。

そうつぶやこう。



相手を説き伏せようとしたり、それはちがうよ!と言いたがっている自分に、気がついていよう。
口から出て来ようとする言葉も、ただ心の中で聴いていよう。
なにかしたくなるカラダの衝動も、ただ感じていよう。


どのみち、言葉で相手は説き伏せられない。
防御という攻撃を出せば、向こうだって、自分を守るために防御という攻撃を出してくる。するとあなたもまた防御という攻撃を仕掛ける。
堂々巡りではないか?
一時的なうっぷんばらしなだけではないか?


態度で示す?
それもまた同じこと。
相手が悪いとおもいつづけている。
相手を態度で変えようとしている。
変わるわけがない。言葉でも変わらないのだもの。


そのなかでずっと居続けて、心地いい?
それが習慣になっているなら、それもいい。
それさえも、おっけーだ。

そうおもっているんだね。
それでいいよ。


自分を深く許す。
どんな言葉が出てきても、それも許す。全部ゆるす。
なにもしないで、そのままにいる。


しだいに深い安堵が浮上してくる。


2018年1月8日月曜日

詰め込む知識と理解のちがい



「死ぬまで勉強」という。
年がいっても精力的に学んでいる人は多い。
だが「学び」のほとんどは、「知識としていれる」ということになっている気がする。

だから、勉強する、学ぶ、わかる、というものが、情報として入れていくことというふうにすり替わっている。

聞いて、見て、読んで、それを納得して、ああ、そうか。わかったぞ!といって、情報としていれていく。
そんなことが学びになっている気がする。

だから学んだことを、即実行することが出来る。
「ああ、これはきのうテレビで言ったことだから、こうするべきなんだ」というふうに。
そうやって知識がどんどん増えていき、人はその情報の中で生きる。



だが本当に「理解」することは、知識を入れることじゃない。
それは、はっとするほど「わかる」ことだ。

今まで「ああ、そうそう。それはそういうことなのよ」というある種余裕の、
それ、知ってるわよ的な次元ではなく、
「あ。。。!」
という、言葉にならない理解なのだ。

それはズシンとくるものであったり、
ぱーっと、広がるものであったり、
時には、ぞっとするものであったり、
何かしらんが、カラダに反応が起こる。

あの本で言ってたことは、あの人が言ってたことは、「このことだったんか!」と、ショックを受けるほどの「理解」なのだ。

その時、いくつもの謎が解ける。
あれは、、、ああ、これのせいだったのか、、、
あれも、、、ああそうか。どおりで、、、!
え~~~っ!そしたら、これも?それも?うん。まさにそうだ。。。。!

これは冒頭の「知識としていれる」次元ではない。
たった1つのキーワードの理解をきっかけに、いろんなものがぱたぱたと解体しはじめる。

前者は、知識と言う情報を詰め込んで、より重荷を背負っていくのに対して、後者は理解によって、人生の重荷をときはじめる。

前者はいつでも入れて利用できる。だが基本的に恐怖を植え付けていく。こうしなければいけない、こうするべきだと。

後者は、いつでも入れることは出来ない。入れるというものでもない。勝手に「起こる」ことだ。
それでもそれが「起こる」ためには、そこに向かう姿勢がいる。
自分の内側で起こっていることに目を向けていくという姿勢。

これがなかなかできない。人は救いを外に求める。外に私を解決してくれるものがあるはずだと信じてやまない。そして内側を観ることなど、恐ろしくてできない。



だから非二元の言葉は魅力的だった。
「私はいない」「それがあるだけ」「すべては幻」「起こることが起こっている」
これらの強烈な言葉は、最初はビックリするが、どこかほっとさせた。

この言葉にたどり着くまでに、どれだけの洞察が必要かわからないほど、難しい言葉なのだが、この情報の渦の中、その知識を今までと同じように詰め込んで、翌日から利用することが出来たのだ。

「だって、、、この世は幻なんだもん」
「怒っちゃいけない?でもすべては起こることが起こっているだけなのよ」
「あなたは私に皿を洗えと言うが、その私はいないのだ」と(笑)。

前者の詰め込み型理解では、到底たどり着けない非二元の言葉。コンビニエントに利用していても、やがて苦しさに気がつくだろう。

後者の「このことだったのか。。。!」という理解が、最初の突破口になり、それはどんどん洞察を深めていく。行きつ戻りつしながらも、その理解は加速度をまし、頭では到底理解しきれない何かを触りはじめる。

ほんとうに知りたいことは、自分の内部の深い海の中にある。


2018年1月1日月曜日

ぜんぶひっくるめたなにか


ともかく、ぜんぶおっけーなのである。
何でこんな単純なことがわからんかった?

いや、えらーい時間かかって、よーやくここ。
こっから、どないになるかは、未来さんにお任せしましょー。

じっと座っていても、出来事は起こり続ける。すべては動き続けている。
どっかから、音が聞こえる。
心臓はどくどく。
皮膚の感覚はぴりぴり。

そして、なぜかじっとしてても頭の声はしゃべる。

これは心地よい。おっけー。
これは心地悪い。排除。
これはいるけど、それいらない。


頭の声も「起こっている動き」でしかないのに、いつのまにかそれをしゃべっているのは「私」と勘違いをした。
「私」がいて、声を発していると。
そして「私」がかんがえているんだと。
そしてその声が言う、イエスとノーという判断に耳を傾けた。

そしてノーという言葉に反応した。
それはノーだから、排除しなければならないと。

ノーと判断したものが、排除できないと苦しい。
「おまえ、あっちいけ!」
っていうのに、なぜかじーっと居座る。
「だから、おまえ、いらないってば!」
って、怒ってみる。
気のせいか、さっきよりも存在感が増したよーな気がする。
「だーかーらあーーー!」
っていえばいうほど、是が非でも居座り続け、
気がついたら、もの凄く巨大になっている排除しなければいけないもの!

あれ?これ、排除しよーとすればするほど、でかくなってね?
と、気がつく。


ほおっておいても、動きが流れていく。
だが、その流れの一部を受け取り、一部を排除する私たち。
するとその流れは滞りはじめる。
それはもがけばもがくほど、ますます滞っていく。


頭がノーと言ったものを、じーっと見てみる。
今まで「私」とおもっているものが、「これはノー!」というからには、きっとノーなものにちがいない!と、信じ込んでいたんだが、
その言い分をほっといて、それそのものを見る。
排除もせず、判断もせず、それそのものと向かい合ってみる。

すると、それはしだいに消えていった。

そーゆーことを繰り返すうちに、
なんだ。全部イエスでいいんじゃんか。と、気がついた。

現れてくる動きを、判断する頭の声。それに合わせて表れてくる不快な感情。それさえも、うけとめる。どんな醜い感情であっても。

どんな出来事も、思いも、感覚も、感情も、すべてがダイナミックな動きの中にある。
私たちは、それをそのまんまぜんぶひっくるめた、なにか、だ。