2011年1月31日月曜日

先生、人のマネさせるな!




私らが学生だった頃、校庭のどこかに二宮金次郎の銅像があった。今はどうなっているのかなあ?
あの人は勤勉の象徴みたいにあがめられていた。

「皆さん!金次郎のように一生懸命勉強すれば、彼のように素晴らしい人生がおくれます!」
と先生は言った(か、どうかはおぼえていない。しかしその銅像はどう見ても私たち子供たちに「あのようになれ」と強制、いや半ば脅迫しているように見えた)

考えたら、おかしな話じゃないか。二宮金次郎さんがやったことは、二宮金次郎さんにしかできなかったことだ。薪を背負って本読みながら歩いたら、危ないじゃないか。どぶに落っこちたらどーする。電柱にぶつかったらどーする!(もっと危ないこともあるような気がするが)

そう。私たちは絶えず自分ではない誰かになれ、と言われ続けているのだ。
クラスでいい成績をとったA君。みんなの前で名指しでほめられる。
「みなさん!皆さんもがんばったらA君のように一番になれます!」
んなわけないではないか。みんながA君のようにがんばっても、全員が一番になれるわけない。一番は一人だ。なりたい奴だけなりゃいい。わたしはゆずってあげよう。(ビリじゃダメですか?)

そこんところ、先生ははき違えている。A君も金次郎君も、A君と金次郎君にしかできなかったことで、ほかのB君や銀次郎君にはさっぱりできないことなのだ。なぜか。人が違うから。こんな単純なことがなんでわからないのだ?生まれた腹も家もDNAもなーんにもちがうのだ。考え方からして違う。違う考え方の人がいくら薪しょって本ひらいても、ぐらぐらして字が読めないではないか(そこかい)。
例えば、金次郎君は,B君ができる腹芸ができなかったかもしれないではないか。もしも先生が算数の成績よりも、腹芸の方を評価していたら、金次郎君は今頃学校の校庭にはいない。

この世の最大の不幸は、つねに自分でない誰かのマネをしろと言われ、そうするもんだと思い込まされてることだ。私たちがつねに夢や理想の姿を追い求めるのは、そういった、がっちがちに刷り込まれた評価基準なのだ。(前例主義といってもいい)

カタチだけマネしても、それを自分で開発して始めた人とは違う。せんせーは人をなんだとおもっちょるのか。機械ではないぞ。金太郎あめではないぞ。そんなもんできなくて当たり前なのに、できないことを悔やませられ、お手本になるものに恐れおののかされ、そして結果的に自分自身を嫌うはめになってしまう。なんつー残酷なこと刷り込むんじゃ、われ。

自分の道は自分で作り上げる完全にオリジナルな道なのだ。それをするには、まず自分自身を知らなければいけない。ところが人が何よりも恐れることは、自分自身のありのままの姿を見ることなのだ!


絵「ポピー」表紙/こたつねこ

2011年1月30日日曜日

怒りの快楽





感情的になるということは、実は誘惑でもある。

怒りだろうが、悲しみだろうが、人はその中にいることによって、一種の快楽を味わっているようなのだ。だから人は感情的になることをやめられない。

ほんとは、仏教はそれを知っていて煩悩はやめろ!といっているのかもしれない。
べつにわたしゃそれをやめろとは言わない。肝心なことは、感情とはそういう性質のものだということを知っていることだ。

怒っている時って、何かが燃えない?
人とけんかした時に、じっさいなんだかエネルギー炸裂しない?
そして反対に、悲しくてさめざめ泣いている時も、それがいつまでも持続したりしない?
先日起こった私の恐怖の体験も同じことだ。グわーっと鳥肌が立つ。恐怖のエネルギーが、からだの中を駆け巡る。
これらは全くちがう感情だけど、自分というものをはっきりと意識する。つまり私たちは感情の中に入ることによって、自分であること、自分がここにいるということを強く意識する。別な言い方をすると、生きているという実感を味わっている、とも言えるのだ。

例えばこの時代の政治家をうれうことも楽しい。
だって「ああ、この政治家ってダメよねえ」という心理の奥には、自分は政治について考えている。ちょっと知っている。だからその政治家をアホ呼ばわりできる、というふうに自分を高みに置くことができる。誰かさんの悪口を言う。それも楽しい。だって、自分はあいつよりも頭がいいから、こんなことが言えるのだ、なんておもえるし。自分の人生を嘆くことも楽しい。ああ、なんて不幸なの。。。という時間は小説の主人公になった気分になれる。
感情的になるとは、自分というものを思いっきり実感できる瞬間なのだ。


絵:「どこいくの?ドロップ君の冒険」

2011年1月26日水曜日

恐怖!恐怖!恐怖!

朝起きたら、ダンナの出勤前、車が凍っていた。お湯をもって来て、二人でフロントガラスに掛ける。ドアが開かない。境目にお湯を掛ける。後ろのドアも開かない。ここはほって置いてくれとダンナに言われたが、親切心でお湯を掛ける。すっと開いた。
ところが今度はなんだか心もとないドアのしまり方。やばい。カギかからないかもしれない。。。そう思ったが、いそいでいるのでそのまま出勤。

そのあと私の例の自己嫌悪罪悪感後悔の波が押し寄せる。
走っていてドアが開いたらどうしよう。それで中から荷物が飛んでいってしまったなら。。。それをダンナがあわててしめようとしてハンドルを切り損ない、電信柱に激突。もしくは誰かを跳ねてしまったら。。。。
ああ。それもこれも私が悪い。あのときお湯を描けなければよかった。。。。今頃大事故が起こっているかもしれない。それもこれも私のせい。。。。
止めどもなく溢れてくる心配と後悔。そのとき私の中は恐怖でいっぱいなのに気がつく。その恐怖は要するに自分の恐怖だ。ダンナの心配といいながら、実は自分の恐怖に絶えられなくなるのだ。なんて勝手なんだろう。。。ダンナの心配よりも自分のことでこんなに悩んでいるのだ。
ここで人はその恐怖に絶えられなくなって、何か別のことを探し始める。珈琲入れてみたり、インターネット読んで遊んでみたり。。。それもやめて、じっとその恐怖に中にいることにする。少しだけ楽になった。


そしてコンピューターを立ち上げ、メールの確認をする。。。。
そして、そのさっきの恐怖がふっとぶようなとんでもないことが私の身に降り掛かっているのを知る。身体が震えた。。。

車のドアが閉まらないの次元ではなかった。頭が真っ白になる。次の瞬間恐怖が私を襲った。そしてその手の類いの過去起こった出来事が津波のように押し寄せる。これから先の自分の身を案じる。いったいどんなことになってしまうのか。。。。
私は恐怖への道の入り口に立っていた。ここから先にどんどん進むこともできる。そして動揺と後悔と懺悔と罪悪感と自己嫌悪の絶頂の中に入っていくこともできる。

これは、私に恐怖とは何かということを理解させようとする出来事かもしれない。そう思った。その恐怖の感情をただ眺めていよう。逃げようとしないでその場に踏みとどまろうとした。
さっきまで感情的になって読んでいたメールの内容が、少しずつ把握できるようになっていた。ああ、それを解決するにはこっちの方向にもっていけばいいのだな。。。だが、そこにそれを解決できる保証はない。しかし今私にできることはこの方法しかなく、それが成功するかしないかはその先の問題なのだ。今ここでそれを憂いて嘆いてそうならなかった結果を心配しても始まらないのだ。。。と気がついてくる。

幸運なことにフランスパンとデニッシュをつくり始めていた。忙しい作業にその問題にひたることができない。おまけに偶然近所の友だちも遊びに来た。パンつくって彼女と話をする時間が私にはありがたかった。

夕方、その専門である友人にも連絡がとれ、「とにかく、あんたがやらなければイケナイことは、これとこれとこれよ」と具体的に提示してくれる。それはまさに私があのとき感じた方向性と同じ道だった。


夜寝る前、いきなりのどが痛んだ。石けんなし生活を初めて全くなくなっていた懐かしいあの痛みだった。夜中何度も起きて、うがいしたり、塩水鼻に入れたり、湯気をのどに当てたりマスクをしたり、ゆず湯を飲んだりした。これは昔散々やったことだ。喉の痛みは私のトラウマになっている。その症状が出た途端、何かやらないといけないと思うのだ。それをやりながら、やはり自分が恐怖の中にいることを知る。きのうは恐怖!恐怖!恐怖!の3連発だった。

朝、ふとおもった。
メールの事件は相当私にストレスを生んでいる。恐怖の感情はずいぶんなくなってはいるが、やはりそのショックは大きいようだ。それでいきなり免疫が落ちて喉にきたのだろうな。。。
大病を煩う人は、きっとその頃に大きな問題を抱えていたんだろうな。それで免疫が落ちて、その人の弱い部分に発症する。。。
ひょっとしたら、その大きな問題の恐怖に絶えられなくなって、本能が熊の冬眠のように「寝てしまおう!」と指令を送るのかもしれない。

なんだかそんなふうに感じるのであった。

ところで車のドアは?
案の定、走行中に開いて閉めるのに必死だったそう。。。すんませ〜ん!

2011年1月24日月曜日

凍らない畑





近所で意味もなくうろうろしているおっちゃんがいる。そのおっちゃんは自称畑プロ。そのおっちゃん、私を見つけちゃあ、野菜の育て方のノウハウを押し付ける。
「大根はだなあ〜、首根っこ飛び出しているところに土掛けとくんだ。そうしねえとよお、凍っちまうんだ。土さえ掛けときゃあ、いつまでも食えるってもんよ。今度畑に行ったらやっとけよ」
ほとんど強制的。
しょうがないから、
「はいっ!わっかりましたあ〜」
と、調子のいい相づちをうっておく。

ウチの畑にゃあ、土がみえない。全部草でおおわれて、大根のクビに掛ける土を探すのに一苦労する。畑は草がビッチシとはえ広がって、土の中はいろんなもんが住んでいて、しかも根っこがはびこっているせいなのか、大地は凍ってない。

思い出した。昔ここを開拓した頃に、土を耕して柔らかくしようとしても、大地がガッチガチに凍り付いてスコップが入らなかった。それが今、指を突っ込んでも氷にあたらない。グニーッと中に入っていく。

だからか、首根っこ飛び出した大根も凍っていない。大根ちゃんは、まわりを枯れ草のあったかい毛布に包まれ、葉っぱもうまいこと下にしおれてくれて、ちょうど大根のクビまわりにスカートのようにかぶさり、外の冷気に直接ふれていないようなのだ。

近所の畑の大根さんたちは、むき出しの大地の中でいかにも寒そうに見える。あれじゃ、やっぱり土掛けてあげないといけないだろうな。

昨日の夜、久しぶりにちょっとだけ雨が降った。お湿り程度だったけど、野菜さんたちが嬉しそうに元気になっていた。畑に春のにおいがし始めていた。


絵:「冬の大根」オリジナル

2011年1月20日木曜日

全自動感情洗濯機




心の時代と言われて、もう何年もたつが、そもそも心がどのような性質をしていて、それをどうやって利用するか?なんて問われたことあったっけ。

このやっかいな「心」の解決法は、たいてい『感情的になった心をコントロールする』ということに終始している。だがそもそも感情的になるのはなんで?その過程を理解しないで押さえつけるだけでは、どっかにしわ寄せがきて、ある日ドッカーンと爆発する。

いやもっと手前の、感情的になっている自分にさえも自覚がない。であれば、感情をコントロールするなんて架空の話になるんじゃないか?

私たちは、もっと自分の感情に敏感であるべきだ。あまりにも無自覚に感情を野放図にしている。感情の垂れ流し。
こう言うと、今度は自分の感情に執着し始める。腹が立つ、悔しい、哀しい、寂しい、憎い、許せない、などなど。

そう、私たちはその感情の洗濯機の中でぐるぐる回っているだけなのだ。その感情が起こるのは、その人がもっている価値観から。その人の価値観と、この人の価値観が違えば、衝突が起こる。この人にとっては、これが価値観なのに、その人にとっては全く違う。これは日常茶飯事。こっちが正しいあっちが正しいともめあっているのが、今の社会の人々が生み出す感情。
これは、しゃあないことではないのか。だって生まれた環境が違って親の価値観が違うんだもん。

そういうどっちがどっちの話は一旦どっかにおいておこう。
それよりも、その憤慨している自分の心を見るのだ。その心を見ると、たいていは、
「それはねえ、あたしはこう思ったからそうしたのよ。それはみんなのためをおもってやったことなのよ。それをあいつったら。。。」
と、自分を正当化するための理由付けでいっぱいだ。

なぜか?
それは、ことが起こったことにたいする、ある種の罪悪感でみたされているからなのだ。どこかでひょっとしたら自分も悪いことしたんじゃないか?と思っているのではないのか。その気持ちの中にいる自分がなんとも苦しいから、自分で自分の中で自分に対して言い訳をしているのだ。
「そうでしょ?わたしはまちがっていないわよね!ね!?」
と、繰り返し繰り返し自分で納得しようとしている。

という、自分の感情に気がついていることだ。
ほんとはみんないい人なんじゃないのか。相手の人もきっと同じようにこっちを怒りながらも、自分もどっかで間違ったことしちゃっているんじゃないか?と心の中で右往左往しているのだ。
ただ、そのことを自覚しているかと言うとあまり自覚できていないと思う。それが心の時代といいながらも、全く心とは何なのかということを知らない時代なのだ。

こんなに物質的に豊かになった。にもかかわらず、心はもっと寂しくなっている。ということは、しあわせ感というものは物質では満たされないということだ。そのしあわせ感は、じつは非物質的なところにあるんじゃないだろうか。つまり私たちがもっている自分の心だ。この心がどう動いてどう反応してどうなっていくのかを知ることが、一番大事なことじゃないかと思うのだ。

心の存在を知ることができるのは、感情だ。
感情は一カ所にとどまっていない。つねに動き回り変化しあふれてくる。この強烈な膨大なエネルギーを自覚のないまま垂れ流すのは、私たちにとって相当な損失なのだ。それはうまく使いこなさいともったいないとおもわない?

感情につねにくっついてくるのは二元論だ。いい、悪い。自分がやったこと、人がやったことにいちいちいい悪いと言う判断を下している。それをするのは一旦やめよう。

たとえば怒りがある。
そこにはいいと悪いという判断が起こる。怒る材料を作った誰かさんのことも悪いと思うし、それにいちいち憤慨している自分にもイケナイ、とおもっている。
そのことを一旦外す。何も、誰もジャッジしない。ただ、心の中に起こった怒りだけを見るのだ。するとまた、「アーダ、コーダ」と心が言い訳を始める。それもよろしい。そのまま喋らせておく。そしてその言葉の上に乗っからない。ただジッとそこにとどまってことの成り行きを観察する。逃げない。苦しい。(わかる〜)しかし逃げない。そこに踏みとどまる。
すると何かが起こってくることに気がつく。その怒りはぱたぱたぱた。。。と消え始める。

自分の中にある怒りがなくなっていくこの瞬間をもしとらえられたなら、なんだ、感情ってこんなものだったんか。。。と気がつくはずだ。あんなにも巨大にふくれあがった怒りが何もジャッジなしで見ることによってしぼんでいくのだ。それは以前書いた痛みが消えていくのにも似ている。私たちは心と身体は二つの別のものと思い込んでいるが、本当は全く同じことなのかもしれない。心のうごきや構造を理解できたなら、身体もそれにくっついて反応するのだとしたなら、何よりも先に、自分の心を見ることが、すべての鍵を握っているんではないだろうか。

忙しい中のほんの一瞬でもいい。まず自分の中の感情を見つけて欲しい。


絵:「COOPけんぽ1月号/梅とモズと、のんべの妖精」

2011年1月19日水曜日

おばあちゃん力




近所に70半ばのおばあちゃんがいる。イエローラブを飼っている。そのおばあちゃんが道ばたでうれしそうに言う。
「今日も高尾山の頂上までお散歩行ってきましたのよ」

お、お散歩ってねえ。頂上まで片道1時間半はかかるんじゃなかったっけ?往復3時間かけて登ってかえってくるって。。。それも巨大な犬を連れて。このところの日課のようだ。

まだ子犬だったイエローラブを連れていたそのおばあちゃんと最初にであった時、
「あんた、その犬、ムリ」
と思ったものだった。

一人暮らしが寂しかろうと、息子さんがくれた子犬だった。70代の小さなおばあちゃんにイエローラブ?むちゃだ。しかもそんな犬飼ったこともなかった人のよう。ラブは元気がいい。じっとしている犬種ではない。散歩は彼らの絶対的必需品。アメリカで大型犬の散歩に日々ふりまわされるニューヨーカーを何度見たことか(わたしもだけど)。
きっとえらいことになるぞ。。。とおもっていた。

あれから2年。おばあちゃんは、日々たくましくなっていった。わが家の前に小川を挟んで遊歩道がある。その道をおばあちゃんは毎日ラブとお散歩。大きな声で叱りつけている声もよく聞こえた。しかしこの二人は時間とともにどんどんひとつになっていく。今はもう完全に一心同体になっていた。

「何度この子に転されたかわかりません」笑って答える。
おばあちゃんの顔はいつの間にか、浅黒く健康的で、前より顎がガッチリしていた。あの瞬発力のあるラブを一瞬にして手綱で引き止める力。一日何キロもあるいて山を往復する健脚。イエローラブにありがちな肥満は一切ないシャープな身体。どれだけ散歩させているか一目瞭然。今、この人と綱引きしたら、私絶対負ける。

「冬山は影のところが凍っちゃって滑って怖いのよね~」と軽く言ってくれる。しかも大型犬つれて。山の中、あらゆる野生動物がいる。突然どっち向いて走り出すかわからないのに。
そんなこと人に言っちゃったら、とんでもない。やめてちょうだい!といわれるだろう。今はありとあらゆることを転ばぬ先の杖といって、やめさせてしまうからだ。

先日スーパーで、もうちょっとでぶつかりそうになった別のおばあちゃんに言われた。
「わたしはねえ。転んじゃダメなのよ。お医者さんに言われたの。転んだら最後だって。転んだらいろんなところが壊れるでしょ。するともう寝たきりになるのよ。だから私は絶対転んじゃダメなの」
そういって一歩一歩確認するように歩いていった。

人って不思議だね。


絵:ロクシタンメンバーさん似顔絵

2011年1月18日火曜日

努力はいらない




努力をする。
というのは、当たり前のこととされているが、努力をすることはすなわち、今の状況がいけないと思っているから、そこから脱出するために行われる行為である(めんどくさいいいかただな)。

私たちはたえず、過去の反省から未来を想定して今を努力する。別な言い方をすると、私たちは今を見てはいない。今を見るのは怖い。なぜか。それは今ここにあることが「ダメ」なことだからだ。年をとること、収入の少なさ、不健康なこと、ダンナの不満、等々。「今」はとにかく気に入らないことだらけ。その気に入らないことだらけの今ある現実の自分をまともに見るのはつらい。だから努力をするという行為によって今から逃げている。

努力が逃げることだとは誰も思わないとおもう。努力は美徳で賞賛すべきもの。必死も一所懸命もがんばることも、この世ではいいこと、とされている。なおがんばればえらいし、もっと必死になることもえらい。
「私、がんばりましたあ~」というと、
「えらいっ!」とほめてもらえる。
そうやって人は今ある自分をイケナイことであると思い込まされて来たのだ。

こっこのままでは、私はいけないわ。なんとかしなきゃ。そう、そうよ、まず努力よ。努力していれば何とかなるわ。
と、心で思い込む。
今ある自分を見るという行為が恐ろしいので、「努力する」という行為でもって、見る行為を努力するという行為にすり替えているのだ。これではいつまでたっても自分を見ることができないままだ。


お化けがいる!と思い込んで手で顔を隠し見ないようにする。怖い怖いと思えば思うほど、そのお化けの存在は大きくなる。しかし思い切って手を離し、それを見るという行為をすると、それは消えてなくなる。心が怖い怖いと恐怖を増幅させているだけなのだ。それはお化けは恐いという条件づけからきているからだ。

私たちは小さい時から、それはいけない、これはいけないと教えられて来た。何かやったとき、「こらあ~!」とおこられてきた。だから自分自身を肯定できないのかもしれない。
人はひとりひとり全く違う性質を持っている。なのに世間は「あの人のようになれ!」と誰か別の人を指差してマネしろというのだ。しかし世間でいわれているその「えらい人」は、その人だからできたことで、わたしにゃできないはずだ。なのにそのようになるために努力をしろという。考えたらむちゃくちゃな話じゃないか。
例えば、私が今までやって来たことを、誰かにマネしろというようなもんだ。そんなことできるわけがない。状況も違えば感覚も違う。しかしいたいけな子供たちは、大人がいうままに、あの人のようにならなければいけないと信じ込むのだ。それで今ある自分はダメで、あの人のようになるためには努力しなければいけないとおもわされてきたのだ。

努力する行為は、今の自分を否定するところからはじまる。どうして私たちはいつも他の人にならなければいけないのだろうか。どうして私たちは自分を否定しなければいけないのだろうか。そんな人生の何が楽しいのだろうか。たとえその「えらい人」のマネができたとしても、そのような意識の状態では、また別の「えらい人」を捜し出してそれを目標にする。そうやっていつまでたっても自分自身でいられないのだ。

努力なんかいらない。
自分であるには理想なんていらない。理想の姿の自分なんてこの世にはない。それは誰かの姿を追いかけているだけだ。私ではない。
私になるためには、私自身を見なければいけない。今ここにある自分の姿を真正面から何の非難もせず、ただじっと見るのだ。
お化けのように見たくない自分自身の姿は、それを直視する行為によって消えていく。その後ろにその人本来の無限の可能性が隠れている。


絵:「3秒で場をつかむ技術」表紙イラスト

2011年1月14日金曜日

石けんなし生活ドーダ理論




この乾燥した空気の中で、やまんばは顔に何も塗らない。クリームも化粧水もなーんにもつけない。なのにお肌はつるんつるん。きゃー。なんでか。顔洗わないからだ。げろげろ。お風呂に入って、冷たい水でざばざばして、ハイおわり。ざばとざばで二回顔触って終わりなのだ。ジョーシキの色メガネで見たら、非ジョーシキ。毛穴の中にたっぷりばい菌やら油やらアカがたまってすごいことになっていることになる。
しかし過去に何度も石けんで洗い、化粧水を塗り、クリームを塗って来たやまんばの肌より、格段にきれい。しっとりすべすべになっている。きっと気のせいなのだろう。よいこの皆さんは、まねしないように。

何よりお風呂がきれい。
石けん使わなくなって2年めのお風呂掃除。カビもなければ湯垢もほとんどない。年末に掃除した時気がついた。ガラスにへばりついていた湯垢と言われるものは、あれは石けんとシャンプー垢だったんだなあ。カビはその湿度で出ているか?ともあれ、タオルで壁やガラスをさするだけで風呂掃除は終わった。

この恐るべき乾燥時に、喉が全く痛くなくなっている。のどはいつもやられていた私。のど飴やうがい薬イソジンは離せなかった。ところが今は、ほんのちょっと喉がいがいがするなあとおもったら、口の中につばを作り出し、ごっくんごっくんと飲み込めばそれでいつの間にかいがいがは消えている。いやはや人間の身体はすごい機能を持っている。これも歯磨き粉を使わなくなってから突然始まった現象だ。

むずかしーことはいわん。早い話が、人間さまの身体はそれだけでものすごい能力を持っているということなのだ。問題は心だ。心がいらんことを次々に訴える。
「ばい菌が入ったらどーしよー」「虫歯になったらどーしよー」「喉が痛くなったらどーしよー」「お肌がかさかさになったらどーしよー」「シミができたらどーしよー」
これ全部、外からもらったアイディア。親にいわれ、友だちにいわれ、先生にいわれ、テレビにいわれる。あなた、それでいいんですか?とおどされる。心はその性質上、ほっておいたらどんどんネガティブな方向に向かう。それで「予防策」という商売に乗っかって、ありとあらゆることに踊らせてもらえる。だが「えーらいこっちゃ、えーらいこっちゃ、よいよいよいよい(?)」と踊っていても、最後はつかれるだけで、骨折り損の銭失いになる。おまけにそれで病気になったら、その踊りに価値はあるのか?

人は恐怖によってコントロールされる。恐怖を植え付ければ、それでいとも簡単に操れる。そうやってこの世のシステムは作られて来た。それは本来人間が持っているエネルギーを封鎖するのに役立つ。この長い歴史の中で、いつの間にか人間は自分自身でたがをはめてくれるようになった。こうしてはいけない、ああしてもいけないと、本来の爆発的なエネルギーを、自分自身で封鎖してくれるようになったのだ。あとはますます恐怖をあおるだけでいい。勝手に小さくなってくれる。

だがやまんばはやめた。そんなおどしにゃのらない。
野人さんが教えてくれた石けんを使わないという行為の中で、すごいことを発見した。青い鳥はここにいる。大自然の摂理を自分自身が持っている。ものすごい英知がここにある。なにもしなくていい。そのままであることが、何より美しく生き生きとしている。爆発的なエネルギーはここにある。これからやまんばは、50年のあいだにこびりついたいろんな心の垢を、一枚一枚外していって、マジンガーZになるのだー!
ひゃっほ〜い!


絵:「お笑い式やり直し数学」チョー笑えます。数学できちゃうかも?

2011年1月12日水曜日

カサブランカダンディ




タクシーのラジオから懐かしい曲が流れた。カサブランカダンディ。

「ききわけのない 女のほほを
ひとつふたつ はりたおして
背中を向けて 煙草をすえば
それで何もいうことはない〜」

すげー。
今の時代、こんな歌詞歌っちゃったら、抗議殺到だな。

「ボギーボギー
あんたの時代はよかった
男がピカピカのキザでいられたー」

思いっきり肯定してるし。

それに比べて、今の歌詞は、

「君をまもるから〜」

ってのが多い。
えらい違いじゃ。

でもさ、昔は今DVと言われる行為が多かったかもしれないが、カサブランカダンディ歌っても文句はいわれなかった。どっちかっちゅーと、きゃ〜、かっこいい、ジュリーーーーっ!って、叫んでた方だ。

じっさい、男はそこまで女をはり倒していたのだろうか。むしろ、そうできたらいいなあ〜というあこがれがこの歌を生んだのではないだろうか。
男は「こっ、この、聞き分けのない女め。一発はりたおしてえなあ〜」
でもホントは怖くてできない。そこで
「お、男は女を守るもんだ。そうやすやすと手はだしちゃあいけねえ」と、言い訳しながら、結局何もしない。だからそんな歌が聞こえると、「いいなあ〜」と思っていたのかもしれない。

しかし今の時代は全く反対の「君を守るから〜」と歌う。
聴いてると、なんだか口ばっかりでたよんない(気がするのは私だけだろうか?)。

だからこれもまた、あこがれで「君を守れたらいーなー」という希望的な歌詞なんじゃなかろうか。
男も「君を守りたい」し、女も「守って欲しい」からみんなで歌う。

穿った見方をすると、ほんとは昔よりも殴っているのかもしれない。だからカサブランカダンディなんて口が裂けても歌えないのではないか。あれははりたおしていないから歌える歌なのかもしれない。

だとすると、全然守れないから歌ってしまうんじゃないのか?守りたいのに、守れないから歌っちゃう。
ひょっとしたら、はりたおしながら「君を守りたい」と歌っていたりして。。。それが君を守る行為なのだと言い訳しながら。。。。

今の時代は心が肥大化している。矛盾と混乱の中で膨張した心。それをおさめるすべも方向も見失っている。だからある人は破壊に答えを見出そうとするのかもしれない。


絵「なぜ取り調べにはカツ丼が出るのか」表紙イラスト これおもろいです!

2011年1月10日月曜日

神はどこにでもいる




今日は町内会のご神事。私はこのご神事の時間が大好きだった。村にある小さなほこらに村人が集まる。神主さんがやって来て山の神のほこらの前で祝詞をあげる。時間が時空を超えて現代がなくなる。村人と山の神が一体になったようなしんとした時間。ピンと張りつめた静かな信仰がその中に広がる。

ニューヨークから帰って来て、いきなりこの慣習に入り込んだ時、私はショックを受けた。今の時代、まだこんな時間があったのかと。それから私にとってこのご神事は大事なひとときだった。

だが、今年はいかない。私の中で変化があったからだ。

高さ1メートルにも満たない小さな石のほこらの中にはご神体がある。それは木。山の神さまの化身である。この村は山とは切っても切れない関係。村人は遠い昔から山から恩恵を受けて来た。食材や燃料、家の木材、狩猟、そして清らかな水。そういった生活の諸々、そして山の神は人々の生活を精神的に支えてくれる大事な存在。その神に感謝とこれから一年の安泰をお願いするのだ。

神は畏怖するものである。
山の作業には危険が伴う。いつ何時何が起こるかわからない。死とは隣り合わせ。その恐怖を山の神さまに守っていただく。
私たちは安泰を望む。その望みの後ろにはつねに恐怖がある。いつ何時何が起こるかわからない恐怖。その恐怖の保険に信仰はあるのだとしたら。。。

じっさいほこらの中に神様がいて、拝んだ人を守ってくれるのかもしれないとすると、神様は
「拝んだ人は守ってやるが、拝まなかった人は守ってやらない」
ということになるのか?人もまた、
「拝まないと守ってくれない」
と思っているのかもしれない。

と、いうことはそこには取引がある。こうしないとこうしてくれないという神との取引が。神様はそんなにちっぽけなもんなのだろうか。それはお駄賃やるから、家の掃除しろというのと似てないか?
掃除はきれいになったらうれしいからやるもんで、金もらうからやることとは違う。そんな方法で子供を育てたら、すべての行動を取引でもって動く人間になってしまわないだろうか。

恐怖も神も自分の外にあるものだと思っている私たちがいる。事故は突然外からやってくるもので、それを回避するために外にいる神に祈る。その事件も神様が起こしているとおもうふしがある。だから私たちは神様のご機嫌を伺う。ご神事をちゃんとやらないと、神様が怒るとも信じている。と、いうことは、神様は怖いものである。ご機嫌を取らないと変なことが起こるかもしれない。だから年の初めにはお供物をたんと捧げ、祝詞をあげ、村人の健康を願い、神様の怒りを静める。

私はこの日本人の信仰のカタチが美しいと思う反面、その後ろに恐怖による自分自身の縛り付けを見る。ちゃんとしなきゃ病は人間にはびこっている。ちゃんとしないと何かが起こるという恐怖がべったりと張り付いているのだ。私はこの両面の極端さに翻弄されてしまう。
どっちをとればいいのだ?


私はこう考えた。
ご神事に出なくても、神はちゃんといる。それは畑の中に、空気の中に、私の中に。山で仕事をするにも、心が騒がず意識が澄んでいれば、何か起こるときとっさに気がつくはずだ。もし何かが起こった時は、それはその人にたいするメッセージなのだ。そして自分がやったことをジャッジせず、その事実を静かに受け取ることができれば、それが神なのではないか。

神はこの世のすべての中に浸透している。それはほこらの中だけにはいない。祈る神主さんにも、コウベをたれて祝詞を聴く村人にも、ほこらの上にそびえ立つイチョウの木にも、それを取り囲む空気の中にも神はいる。クラブで懇親会の準備をしている人々にも神はいる。お料理の中にも神はいる。すべてのなかにそれはあるのだ。ただそれにつねに気がついているだけでいいのだ。

そう考えると、神は外に向かって拝むものではないのかもしれない。すべてが生きていることを肌で感じていることが、信仰なのではないか。そんなふうに思ったからだ。今年初めてご神事に出ない。このことが自分に何をもたらすのか、観察してみようと思う。


絵:「働かないアリに意義がある」売れてます!

2011年1月8日土曜日

弥太郎と慎太郎




みなさま。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

久々に高知でお正月を迎えました。
最後はいつだったかおぼえていない。両親も離婚して20年。実家がなくなると、こうも遠くなるもんでせうか。でもそのおかげで、何となく親から精神的に独立はできてきた気がする。物質的に「あのウチに帰れる」とおもうのと、「あのウチはないのだ」とおもうのでは、ちとちがう。

その高知で、父に岩崎弥太郎の生家と中岡慎太郎の生まれたところに連れて行ってもらった。岩崎弥太郎家は、小学校低学年のとき連れていかれた気がする。あれから40年。こんなにちっこいウチやったんか?とおもう。高知弁丸出しのおばちゃんが、ガイドしてくれた。なかなか歯に衣着せぬ本音トーク。
「龍馬伝のときみたいに、あんなに弥太郎さんくはびんぼーじゃなかったきねえ」「龍馬とおうたがは、長崎です。高知じゃあ、いっぺんもおおちょりません」
ことごとくNHKの龍馬伝を否定。
最後は「弥太郎さんはエプロンさん。龍馬さんは革命家」
その言葉の後ろに、「やっぱ、金の亡者より世の中を変える人の方が上」というニュアンスが漂っていたのがおかしかった。弥太郎ガイドしながら龍馬をたてる。

ちなみに弥太郎の生家は復元ではなく、215年経つ弥太郎が生まれたままの姿。その維持のために、茅葺き屋根は、10年か20年に一回ふき替える(どっちか忘れた)。茅の材料費に1000万円。ふき替える職人さんは高知にはひとりもいない。岡山や広島や、いろんな県外の職人さんを何十人も呼んで作業する。その費用も1000万円。屋根だけで2000万円かかる。その他諸々の費用もすべて、県ではなく、三菱財閥が行っている。
「県は、なんちゃあ手を出しちょりません。そんなお金払えません」
彼の遺言によって、その子供たちがまわりの土地を買い、蔵を建てて、領地を広げていった。
あくまでも金にまつわる弥太郎家であった。

その足で、もう少し東に行った奈半利の奥にある山の中の中岡慎太郎の生家にいく。ここは復元であって本物ではない。しかし生まれたその場所に昔の通り復元されていた。
私はここに初めて来た。深い谷底の周辺に、斜面にへばりつくように家が固まっている。さっきの弥太郎家とまるで違い、ひんやりと山の霊気を感じる。
「ここで中岡慎太郎は生まれ育ったのか。。。。」
ちょっと感慨深いものがある。
息を深く吸い、彼の存在を感じようとした。物心ついた頃には室戸にいて、いつも中岡慎太郎の銅像を見ていた。そのせいか私は龍馬よりも中岡慎太郎にひかれる。いやその時代、高知でも「龍馬より慎太郎」というムードがあった。二人の顔写真見てもどう考えても慎太郎の方が男前だ。いたいけな乙女な私は、あの緊張感のある顔にぐっとひかれた。
じっさい、彼の資料館にいっても彼の成した仕事がいかに地元に貢献した努力家であったかが歴然としている。地元の灌漑事業に着手し、飢饉のための知恵をしぼり、あのユズの栽培を始めたのも慎太郎が種を持って来たのだと言う。つねに勉学に励み、その行動には、大きな勇気を感じる。
こんな山奥で、いったいどんな心を持っていたのか。
は~、またほれてまうがな。

ダンナがいう。
「弥太郎と慎太郎は両極端にいるな。おもいっきり商売人と、がっちがちの革命家。龍馬はそのちょうど真ん中に位置する。革命家であり、商売人。だから今の人はその真ん中の龍馬にひかれるのだろう」と。

とーちゃんがいう。
「弥太郎は高知になんちゃあ貢献しちょらん」
たしかに。

目の前は海、後ろは屏風のような山にはさまれて、どこにも行けない遠流の地、土佐。むかしから時の罪人、といってもその時代のお上に抵抗した人々が流されて来た人々の血が脈々と流れている。このDNAで培われて来たパッションが頂点に達した時、ああいう人々を生み出して来たのだろう。

今の時代は、その幕末に似ていると言うが、はて、そんな人材はこの高知からふたたび出てくるのだろうか?

 
絵:「沈没船が教える世界史」メディアファクトリー新書表紙