小さな小人を探すドラマを見ている。
身長15センチくらいの森に住む小さな人。いたら楽しいだろうなあ。
想像してみる。
今そこにある草むらの中にいるのかもしれないし、
あっちの切り株の後ろに隠れていて、不意に現れるかもしれない。
そんな思いでワクワクしたことはないだろうか。
私たちが見たこともない、知らない世界に思いを馳せ、心をほころばせるのだ。
妄想癖のある私には、そんな時間が楽しかった。
今住んでいるこの世界がとても息苦しくて、窮屈で、退屈で、
何か別の場所、別の世界を探し求めていた。
小人を見たことがある人は、あまりいないだろう。
滅多に現れない存在。
だからこそ人はそこにロマンを感じる。
じゃあ、もしこの世に紙袋というものが、滅多に見れないものだとしたら、
紙袋はロマンを感じさせるものになるのかもしれない。
紙袋のある、私たちが知らない別の世界。。。
夢がないって?
もしテーブルの上を、たくさんの小人たちがしょっちゅう跳ね回っていたら、
それにロマンを感じるだろうか。
当たり前すぎて、
「もう、うっとおしいなあ、ちょっとは静かにしてよ!」
ってことになって、ロマンどころか、撃退法まで考え始めちゃうかもしれない。
そのロマンの元になっているものは、小人ではなく、
この世界の窮屈さからきているのではないだろうか。
私たちは滅多にないものをありがたがる傾向がある。
その滅多にないものに、
この世界からの脱出の糸口を無意識に求めているのだ。
私は本当はここの住人ではない、もっと別の世界に住む住人なんじゃないか?と。
その思いが、人を探求の道に進めるのだろう。
この世界がどこかおかしいと思うからこそ、
哲学や宗教が生まれるのだ。
私たちは、本当にこの世界の住人なのかと。
そのドラマのタイトルは「ゴーイングマイホーム」
まさに今の私の心を表していた。