2024年12月27日金曜日

変えられはしない

「喜び」和紙、水彩

 

アメリカから入ってくるはずのお金が入ってこない。

アメリカの銀行が閉められないので、残高が戻ってこない。

あるはずのお金がここにない。


絵は売れるんだろうか?

ただ材料費が出て行くばかりではないか。


膝が痛い、足首が痛い。

どうやったら治るんだろうか?


いい加減にその性格を変えろと言われる。

どうやったら変えられるんだろうか?


不安と恐れの中で翻弄される年末。





「何も変わる必要ないですよ。誰も何も。」


私には何かが不足している。だからそれを埋め合わせなければいけない。

それはお金であり、健康な体であり、正しい行為であり。。。


先日、かおりさんという方のズーム会に参加した。


「あなたはすでに完成されてるのですよ。何を変える必要がある?」


その言葉に私は吸収された。

私は完成された存在。そこに何を足すこともない。そのまんまで満ちている存在。


彼女がいう「全体性」の意味がよくわからなかったが、

こういうことかな?と聞くと、そうだという。

そうして幼い頃や大人になっても時々味わうあの感覚が、

そういうことだったのかと意識され始める。


山を見た時、私は山と溶け込む。

空を見たとき、空と私は一つになる。

(高尾に住むと、山に隔てられて空が狭いが、

イーアス高尾の駐車場の空は広い。そこで私は空を見る笑)

夜、窓を開けて漆黒の山を見る。

巨大になった私はその山を抱きしめていた。

夕暮れの空もまた私を引きつける。

そこに思考はない。細々とした個人のことなど完全に抜けている。

ただただ愛おしく、山と空と、

そして肉眼では見えないけれど、昔ずっと見ていた海と一つになった私がいた。


それが本当の私だ。この世のことなどどこ吹く風。

大きくどこまでも広がってどんどん透明になっていく。

それがこの小さな体の私に浸透してくる。



そうだった。私はそのまんまでよかったんだ。


感動が心に溢れて号泣した。




自我はひたすら言い続ける。

「お前は間違っている。ほら、今も欠けている。

あれもこれも問題だ。どうにかしろ。

今金がないのはお前のせいだ。お前がサボってばかりいるからだ。

その性格がいけないんだ。なんとかしろ。」


それをこの現象世界で見せてくる。

銀行の残高、足腰の痛み、人の指摘。


ほーら。それが事実だ。

お前の欠陥の結果がちゃんとそれを証明しているではないか。






夢を見た。

引越して、私はそこにはいないのだが、

全て捨てたはずのゴミやいらない服がまだ山のように残っていた。

私は慌ててそれらを片付け始めた。

すると後から後からゴミが出てくる。


あれ?おかしいなあ。。これ、きりがないなあと思ったとき、これは夢だと気がついた。

そしてその手を止めた。


夢の中の私は、ひたすら問題に取り組む。

ひとつ解決したかと思うと、また次から次へと問題がやってくる。

それが夢だと気づかない限り。


人がいう言葉に息苦しさを感じるなら、

それは自分が相手に言わせている自我のささやきだ。

お前は間違っている。こう直すべきだ、ああするべきだと。


それを何も変える必要はないとわかったとき、

変えられないともわかる。


変えられると思ってきたから、苦しかったんだ。

だって、そもそも変えられはしないのだ。


見えてくる現象をそのまま受け取る。

「変われ」と聞こえた音をそのままを受け取る。

「か、わ、れ」と言う音。

意味ではなく。


残高がなく、体も痛い。


それがなんだと言うのだ?




山や空である私。

Mini me, 小さな私。


完成されて変わる必要もない私。

欠点だらけで変わらなければならない私。


 

変わらなければ!といって、

泣きながら変えようとするしかなかった私に、


今はもう一つの選択がある。



しかし両方の意識が行ったり来たりする。


香港さん、なかなかにちっこい私です。



そんなときゃあ、「スーダラ節」でも歌って踊っちゃいましょう。

わかっちゃいるけど、やめられね、

アホレ スイスイ スーダララッタ

スラスラ スイスイスイーっと。








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