2009年3月29日日曜日
ニューヨークに地震ってあるの?
ニューヨークの地面が、今ゆれている。
先日、ニューヨーク州で1回、先月はニュージャージーで3回も!
東京にいるといつも揺れているから「それがどーした」と思ってしまうが、これはたいへんなことなのである。
私が7年間住んでいて、地震があったのは1回か2回だけ。そんだけぴくりともしないガンコな地面なのだ。おまけにかったいかったい岩盤なので、マンハッタン島の最南端みたいに、海の中からそびえ立ったようなビル群が作られる。ニューヨーカーは地面が揺れないと信じて疑わない!
で、あるから「耐震構造」という発想もないらしい。一個の細長いビルが自力で建っているのは最近になってからのよう。それ以外はヨーロッパから来た職人さんたちが作った古〜いビルたちが、お互い「寄り添いあって」生きている。落語の長屋みたいなもんだ。お醤油を切らしたら、お隣さんに借りてくるような仲睦まじい関係。
だから、お隣さんが、不況かなにかで突然いなくなって、寄り添えなくなってしまったらたいへんだ。だんだん傾いてくる。
ダウンタウンのチェルシーにそんなビルはあった。ひしめき合ったビルのあいだにめずらしく空地ができた。で、寄り添えるお隣さんがいなくなったビルさんは、ピサの斜塔のように傾いていた。
あそこにゃー住みたくない。ニューヨークのアパートの床は大抵どこかが傾いているが、あそこまで傾いていると、いるだけで気分が悪くなるに違いない。だいいちどっちを向いて寝ていいかわからないではないか。頭を上にすると、足に血が下がるし、かといって頭を傾いている方にすると、血が上る。(住まなきゃいいだろ)
ハーレムにも傾きビルはあった。となりの空地から、子供でもやらないぐらいてきとーな鉄のつっかい棒がしてあった。みっともない事この上ない。しかしそんなことを気にするニューヨーカーではない。雨風しのげりゃ、御の字だ。
しかしビルが倒れる心配もさることながら、もう一つ心配な事がある。それは壁。
ブロンクスでは、空地になったとなりのビルの壁が、いきなりはがれ落ちた(笑)。ニューヨークタイムズの誌面を堂々と飾る。
7、8階建てのビルの一面が見事にはがれ落ちて、全部のフロアが丸見え。ベッドもそのまま、机もそのまま、ある家族はキッチンでごはんを食べていた。
ある意味、これは巨大なインスタレーションアートである。さすがニューヨーク。アートの街!
などとふざけたことを言っているばあいではないのだ。
もしマンハッタンの街に、震度3ほどの地震が来てしまったら、街は壊滅状態になるんじゃないかと、いらぬ心配してしまう。
新しく建設中のビルの柱を見ても、びみょーに歪んでいる。一本びしっとビルを突き抜けた柱ではなく、フロアごとに柱を立てたようなふしがある。どうみてもあやしい。
地震大国ニッポンから来た私はそこを通る度に「こんなビル、住たかあないわよねえ」と、友達と悪態をついていた。
鉄はうたれると強くなると言うが、ニッポンは地震によってうたれて強くなったに違いない。たぶん、世界一の耐震技術だ。
さて今世界中が揺れている感じがする。海底火山も噴火したし、あちこちでぷすぷす何かしら動いているような気配。
地球さんもそろそろなんか考えだして来ているのかもしれない。自分の皮膚の上にくっついたウイルスがウザッタくなって来た?
「うっとおしいなあ、くしゃみの一つでもしてやるかあ〜?」なんて?
そうなったら、ニンゲンウイルスは木っ端みじんじゃ。
大自然の前ではニンゲンなんてちっこいちっこい、アリンコのフケみたいなもんだ(アリンコにフケあったっけ?)。それを前提にしたら、今このときを大事に思って生きることが精神衛生上一番いいのかもしれない。
などと、畑の草をむしりながらひとり考えたのであった。
絵:ミステリーブックカバー掲載
2009年3月24日火曜日
勝手に石けんなし生活
歯磨き粉をやめ、石けんでからだを洗うのをやめ、シャンプーもリンスも使わなくなり、2、3週間経つ。
すこぶる調子がいい。花粉症の症状もまったくと言っていいほどでなくなった。
なんやー。早く言ってよー。ならこんなに悩まなかったのにイ。
最初シャンプーしなくなってごわごわしていた髪も、油分が毛先の方に徐々に降りて来ているのか、だんだんしっとりとし始めて来た。シャンプーしない友達が言うことにゃ、さらさらになるまでに半年かかるらしいから、このまま継続して効果を見よう。
でも何と言ったって、驚いた事にゃ、あのダンナのかぐわしい加齢臭(失礼!)が、うんともすんとも臭わなくなっていることだ。
理屈で考えればおかしなことだ。石けんは、「バイ菌が繁殖するのを防いで、からだを清潔に保つ」はずなのだ。だから石けんでからだをゴシゴシしないとトンでもない事になるはず。
シャワーをあびながらからだをさすっているだけの今。
なのにいつもお肌はすべすべで、わきがも臭わない。さらにあれほどからだを拭いては臭くなっていた彼のバスタオルまでが、石けんを使わなくなってからは全然臭わずサラッとしている。
これはとてつもなくバイ菌が繁殖している証拠なのか!!!
私は、どっかでニンゲンは裸一貫で生きていけるはずと思っているフシがある。
それは幼いときから母のからだの様子を見て来たからかもしれない。学校から帰ってくると、母はいつも床に付していた。枕元に洗面器を置き、げーげーと苦しそうに吐いている。吐き出すものは全部吐き出している。それでも吐きたがる。その母の背中をさすりながら、私も苦しかった。
彼女はものすごい頭痛もちで、ノーシン、バッファリン、セデスを何十年もあびるように飲んでいた。いつも「お薬、お薬」といい、彼女の手元に「お薬」がなかったら、パニックにおちいる。もしこの世にセデスがなくなったら、きっと彼女はその場で死んでしまっていただろう。彼女は死ぬまでセデスを買い続けなければいけないのだ。
そんな人生は私は耐えられないと思った。
自然農法の巨匠福岡正信さんの言葉に「何もしない運動」というのがある。
自然はものすごいバランスで動いている。何かが起こった時、それには原因がある。しかしそれはその前にあった事の結果であり、その結果の前に原因がある。そしてその原因は別の結果であって、その前に原因があり....と延々と続く。
つまり原因というのははじめっからないのだ。自然というダイナミックなエネルギーが、宇宙的な巨大なバランスによって調節をしているという事実があるだけだ。それはニンゲンの計り知れない叡智の中にもぐりこんでいる。
作物はニンゲンが作るのではなく、自然が作り上げるものなのだと強調する。ニンゲンの浅い知恵では、原因と結果を求めてただぐるぐるするだけである。だから何もするなと。
ニンゲンもその宇宙の一部だ。浅い知恵で目の前の事に振り回されて「あれがだめならこれ。これがだめならあれ」とどんどんいらん事を増やしていっている気がする。
バイ菌が繁殖するといけないからと、石けんを使う。でも皮膚は絶えず入れ替わり、自分で新陳代謝している。その大事なお仕事を石けんで洗い流してしまうから、皮膚さんはあせってよけいエネルギーを消耗しているのではないのか。
バイ菌退治の名目である歯磨き粉で、せっかくの粘膜がどんどんはぎ取られる。でも粘膜さんは、文句もいわずにせっせせっせと作り直してくれている。
なんかいっぱいいらん事をしているんじゃないだろうか、ニンゲンさんは。
そのいらん事が臨界点を越えたから、花粉症などの苦しい症状が出る。これは一つの警鐘?
「もー、ええかげんにせえよ、ニンゲン!こんなん延々とやってられっかい!」
って皮膚工場で働く細胞さんが、さじを投げる。ストライキを起こす。
ニンゲンと言うスーパーコンピューターは、ニンゲンさんが頭で考えるより、じつははるかにすごいマシーンなんじゃないだろうか。
久しぶりに読みはじめた福岡さんのことばは、私に元気をくれる。「何もしない運動」は、作物だけでなく、ニンゲンのからだや心にも利く。
私が誕生日にもらった言葉「自分のからだを信じる」ということはすなわち、そういうことなのだ。
ちなみに、母のその後?
彼女は「60歳になったら、頭痛が消える」と、勝手に決めていたので、60歳になったらそうなった。
今は何も飲んでいない。(なんじゃそりゃ)
絵:「温泉で花見」coopけんぽ表紙
2009年3月22日日曜日
山の仙人が言うことにゃ
山にうつくしい仙人がいる。
その人は山の手入れをしている。まじめで謙虚。どこかユーモラスで透明感がある。いつもしょぼくれた格好をしているのに、なぜか美しい。ばったり山で彼と出会うと、心がうれしくなる。
とつとつと語る彼のコトバに耳を傾けていると、不思議な世界に連れて行かれる。何となしにいったコトバの中に、人間の感覚の無限がぽこっと現われたりする。
彼は山を走る。
昼夜とわず、ひた走る。必要最低限のものを背負い、額に懐中電灯をつけて走る。
真っ暗な闇の世界。たった一人の自分。懐中電灯に照らされて目の前に現れる樹々の姿。そしてその無数の影たち。それが回り灯籠のようにぐるぐると展開する。道はけもの道。どこに崖があらわれるかわからない緊張感。足元など見えはしない。それでも全速力で走る。
突然あらわれる大きな木の影に驚く。さっと目の前を走るイノシシにはっとする。だんだん感覚が研ぎすまされていく。
「するとねえ。見もしないのに、走りながら、あそこに人が埋められているとか、ここに何かがあったとかがわかってくるんだよね。それは理屈じゃないんだよ。なぜかわかるんだなあ〜」
と、へらへらと笑う。
木の根っこにつまずいてバランスを崩した時、額から懐中電灯が飛んだ。
「ここでこれをなくしちゃ、困るだろ?必死だったよ」
彼はスローモーションのように宙を飛ぶその懐中電灯に向かって飛んでいたそうな。
からだ中から全感覚が開きはじめ、超人のようになる。彼の話は、役小角や高尾山にいた修験道たちをほうふつとさせる。
ニンゲンは無限の力を持っている。彼のコトバにそれを確信する。
その現代の仙人がぼやく。
「植樹祭なんかやりたくねえよ」
今年もまた植樹祭が行われる。何百人もやってくる人々のために、山を切り開き、道を作り、安全を確保する。
「山桜ばっかり植えるんだよ。それも業者が手入れがしやすい品種改良された山桜。本当は実生の木を大事にしなきゃいけないのに...。」
実生とは、その場所で落ちた種が芽を出し、自然に成長したもの。それがオリジナル。その実生の木はきびしい大自然の中に耐え忍んで這い上がってくる優れた木たち。
それを無視し、外からやって来た苗木を植えさせる。どうして?それが今の「地球にやさしい」ブームだからだ。
その人工的な苗を植えさせるためにもともと生えている木々を伐採し、山の急な斜面を整備し、炊き出しをする。すごい重労働だ。素人さんたちが山に入るのだ。神経を使う。その上何かが起こったときは、何を訴えられるかわからない。準備を整えるために、どれだけの苦労があるか容易に想像できる。
その苦労の上に乗っかって、植えっぱなしで嬉々として帰っていく人々。彼らの心の中には「いいことをした」という喜びであふれている。でもそれはホントに「いいことをした」ことになるのか?
それをのちのち手入れするのは仙人たちなのだ。その手入れは、その後何十年も続く。実生が生えてきたものとはちがうのだ。
今はすべてがイベント化している。ゴミを拾う事までイベント化している。
私は木下沢のゴミを拾って来たが、そんなものみんなとやる事ではないと思っている。淡々と一人でやる行為であるはずだ。みんなといっしょにやる事が大事ではないのだ。たった一人で誰にもしられずやるからこそ、心に自信と喜びが生まれる。それはじっと深い所で静かに育まれるのだ。
エコはブームにはなりえない。
ブームはやがて去る。ブームになるにはそのウラに何かの意図が入っている。それは企業のイメージアップだったり、お金儲けだったり。
「そんなとこ、やめちまえよ」と私。
「いや、オレはやめない。やめたら意見できないだろ。中にいるからこそ、言いたい事が言えるのさ」
こんな人たちがいるから日本はあるんだな。やがて日本の山々は彼らのような人々に支えられてよみがえってくるのだ。
絵:オリジナル絵本「はなたれさきち」より「大天狗さきち」
2009年3月20日金曜日
デスバレー
デスバレーは、アメリカにある国立公園。
公園といっても、その広さは長野県とほぼ同じ。おじいさんが孫を連れて、お砂場で放し飼いにするレベルではない。そしてその暑さときたらハンパではない。9月の終わりごろでも46度!鳥も大口を開けて闊歩する灼熱のお砂場なのだ。
そのお砂場は、映画スタートレックに出てくる「火星」そのものだった。それもそのはず、そのスタートレックはここで撮影された。
わしら夫婦はそんなへんな所に魅了されて出かけていった。
そこがインディアンの聖地だったなんて、現地のホテルで働いているインディアンから聞くまでまったく知らなかった。
「デスバレー(死の谷)なんて名前がついてるけど、ここは僕らの大事な場所なんだよ」
たんに金儲けの観光地となってしまったこの場所で、今でも密かに彼ら部族の儀式は行われていると言う。
こんな話が聞けるのは、私が黄色人種だからだ。時々出会うインディアンに、白人への警戒心と黄色人種への安堵感を、言葉のはしばしに感じる。それはあまりにも悲惨な歴史を目の当たりにしてきたからなのだろう。近代的なニューヨークにいてでさえも、インディアンの影は、ビルの谷間に見え隠れしていたのだから。
昼間の灼熱とはうって変わって涼しい夜。
私たちは真っ暗な夜に車を走らせる。満天の星空。風ひとつない砂漠。とある場所の入り口。私たちは大の字になって砂漠に身を横たえる。大地の鼓動に耳を傾けながらじっとしていると、ひたひたひたと音がする。やせほそったコヨーテが私たちの横を通り抜けていった。
コヨーテ。意味はトリックスター........。
そんな言葉を思い浮かべながらうとうとしはじめる。
ふと、右側前方に何かの気配を感じた。
誰かくる...?
頭を上げてまわりを見渡す。誰もいない。
しかしそれは私たちに向かってまっすぐやって来ている。心がちょっと不安になった。
「そろそろ、帰ろうか」ダンナが言った。
「うん、帰ろう、帰ろう」
私たちはホテルに戻った。
ニューヨークのアパートに戻って、いつものように忙しい日々をすごす。だけど、なんかへん。
なんかこう、私たち夫婦と犬だけじゃあない、もう一人誰かがいるのだ。
「ねえ、...ウチに誰かいない...?」と私。
「ああ....、いるねえ..」とダンナ。
「ここに、いるような気がするんだけど....」と私は指を指す。ダンナもうなずく。
25畳の広いリビングのど真ん中、その人はあぐらをかいて堂々と座っていた。
頭は真っ白く長い髪を肩までたらしている。上半身は裸。皮で出来たまっ白いズボンとモカシンを身につけていた。
「あん時、右っかわからやって来た人だな」ダンナが言った。だから帰ろうと言い出したのだ。
私たちはいつのまにか、インディアンの酋長のような人物を連れて帰ってしまっていたようだ。
それはあの場所で寝ちまったから気に入らなかったのか?それともなんか別の、ニューヨークに来る用事でもあって、私たちの車にでも便乗したのか?
それにしてもなんでリビングのど真ん中に座っているわけ?お客さんでも、たまには隅によったりと、ちょっとは遠慮するのに。それとも私らを見はってでもいたのか?まん中でぴくりとも動かなかった。
ともあれ、数日間いっしょにすごしたのち、彼はいつのまにかいなくなっていた。
今もってその意味はわからない。でもそんなワクワクするような不思議なことがあの場所にはあったのだ。それは私たち日本人にはわからないインディアンの深〜い世界...。
アメリカの大地には、今もそんな場所が隠れひそんでいる。
絵:「よあけ」けんぽ表紙
2009年3月18日水曜日
花粉症の克服
花粉舞いちる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょーか。
きのうはすこぶる調子がよかった。黄色い空気の裏高尾をノーマスクでかけずり回っても、ぜんぜんヘーキ。
「うおー!わたしはついに花粉症を克服したぜい!」と、高尾山に向かって雄叫びをあげた。
のもつかのま、今日は何となく鼻がふがふがっている....。
どーも揺り戻しが来ている様子。しかし、着実に歩は進んでいる。この揺り戻しは、徐々に振り子が小さくなり、やがてぴたっとおさまる予感がしている。
ここだけの話(どこだけや)、私はある実験を始めた。(えらいたいそやな)「かまへんかまへん」戦法もイケてるが、精神的にヨワイ私はもっと他の手はないかと探す。
「野人エッセイす」というへんなブログを見つける。そこには、ありとあらゆるわしらがジョーシキと思い込んでいる習慣をくつがえす内容が満載だった。
ほとほと西洋的発想に飽き飽きしていた私にとって(全部じゃないよ。ワインも好きだから)、「人間は自然の一部だから、自然に治る」という彼の発想に共感してしまう。日本人はそういう事をとっくに知っていたはずだ。だから自然と共存し、自然からすべてを学んだ。その知恵での長い歴史があったからこそ、今の日本人は生きてるのだ。もしそれがまちがいであったなら、とっくに滅びていたに違いない。
彼の数ある戦法の一つに、歯磨き粉を使わない、シャンプーを使わない、石けんを使わない、洗剤を使わない、というのがある。
なるほど。
花粉症の人は粘膜がヨワイから敏感なはずだ。石けんや歯磨き粉で、肌や口の中の粘膜がこそげとられていたり、大事なタンパク質が分解されているとしたら?トーゼン、外からの異物に対して過敏に反応するはずだ。別に人工的でもない自然界の花粉に対してここまで敏感に反応するのは、私のからだがどっか不自然なのだ。
そして口の中は、外から一番モノが入ってくるのだ。ここの粘膜がヨワイとどーなる?
そーか。歯磨き粉をやめてみようとおもった。
すると、その夜からのどの様子がちがってきた。ニューヨークでもノドをやられた。もともとノドがヨワイ。この時期は、寝ていると鼻が詰まって口で息をする。するとノドがからからになり、ものすごいかゆさが襲う。寝ているうちに無意識にかきむしってすごいことになる。
ところがやめたその日から、かゆくないのだ。いや相変わらず、鼻は詰まって口で息をしている。ノドもからからになる。しかし、なぜかかゆさがなかった。
たぶん、歯磨き粉をしないと、ノドの粘膜がそのまま保護され、花粉に反応しなくなるんじゃなかろうか。そして、それからというもの、唾液がよく出る。唾液は消化も助けるし、殺菌効果もある。こりゃ一石二鳥じゃないか。
なんだか調子こいちゃって、からだも石けんで洗うのをやめた。
人類は今まで毎日お風呂に入って、石けんでゴシゴシからだを洗ってきたのか?フロなんて入れるのは限られたときだけだった。それでも生きてきている。ついでに思いきって、シャンプーもやめてみた。お湯でゴシゴシ洗うだけ。すると、夜のつらさが一気になくなっているではないか。
それから日に日に楽になり、今の所、昼間はまったく支障がなくなっている。花粉症のかの字もない。しかし夜中は多少ある。
それでもその揺り戻しがくる。今日はその日のようだ。朝はキツかった。けどそれに気持ちが振り回されないようにした。すると今は楽になっている。そうやって振り子のように揺れながら治っていくに違いない。
コメントをくれたリスさんも言っていたが、共存する事がうまい日本人なのだ。歴史始まってから次々とやって来る新しい事をぐんぐんと取り入れてきたニッポン人。朝鮮から、中国から、ドイツから、アメリカから。
でもどうも最近消化不良が起こっている気がする。それは日本人のからだや心に現われはじめている。
ここら辺で、そろそろいらないものを排除する時期が来ているんではないかとおもう。
歯磨き粉はつけなくてもいい話は、歯医者さんから聞いていた。はじめっからいらなかったのだ。ただコマーシャルに踊らされていただけなのかもしれない。
最近、若い人たちが高尾に引っ越してくる。みんな、今の文明に疑問を感じている。昔の姿を歓んで受け入れている人たちがいる。それは彼らの中に何かしらの芽生えがあるからではないのか。
歯磨き粉もシャンプーも西洋的発想から来ている気がする。菌は悪いものだから排除せよ。と。
その排除のしかたはきっと自然界には極端すぎるのだ。
いや、少なくとも日本人にとってキツ過ぎるのかもしれない。
今度導入される裁判の形だって、日本人の私から見たらおかしいとおもう。アメリカからやってくるスタイルを全部「オッケーオッケー」と受け入れる事は、もうそろそろやめる時期が来ていると断言したい。
それには、まず自分の身の回りの事から見返してみることだとおもっている。国がなにをやってくれるかという事を望んでもしかたない。プラカードを担いで運動するなど、外に求める事の前に、すべては自分のからだや心の中からはじまっているのだ。
花粉症になった事で、気がつかされた。人間の内にある自然の偉大さを感じずにはいられなかった。
野人さんありがとう。
絵:大きな木 coopけんぽ表紙
2009年3月17日火曜日
ペインキラー
ニューヨークでのこと、ドラッグストアのレジの横にのど飴があった。
空気が乾燥しているニューヨークの冬はキツい。ノドが一発でヤラレル。これ幸いとそののど飴を買った。
なめはじめてから30秒後、なんかへんな感覚になった。鼻の下から首のまわり全部、何も感じなくなっていた。皮膚を触ってもわからない。口を開けているのか締めているのかもわからない。あごを動かしてみても、動かした感がない....!
な、なんじゃこれはーーーーっ!
でも一番の目的であったノドの痛さが治った。え?いや、これはノドの痛さが「治った」のではなく、痛さを「なにも感じなくなった」だけだ。
これって、治ったって事?
アメリカ人は薬の事を「ペインキラー」と呼ぶ。直訳すると「痛みの殺し屋」つまり痛み止め。
「道を歩いているアメリカ人に聞いてごらん『アスピリンもってる?』て。そうすると、間違いなく全員もっているよ」
と、英会話のアメリカ人のおばちゃんは言った。彼女は授業が調子に乗ってくると、キッチンでアスピリンを飲む。
朝、ニューヨーカーたちは、でかいプラスティックのコップに、なみなみと入れてもらった濃い濃いスタバのコーヒーを片手に、さっそうと仕事場に向かう。一見、「おうおう。ニューヨーカーは目覚ましにあんなにいっぱいコーヒーを飲むのか。さぞかしすばらしい仕事をこなすんだろうなあ」と見える。
じつはあれ、頭痛薬なのだ。みんなコーヒーが頭痛を和らげてくれると信じている。結構頭痛持ちが多い。だから彼らにはかかせない。
「年がいってくると、朝起きると体中が痛いのよ」おばちゃんはいう。年がいくとは、その痛みと戦う事になるのだと。
だから「ペインキラー」はかかせない。一生必要になってくる。
となると、冒頭ののど飴の理由がわかる。要するに、それは日常茶飯事なのだ。日常茶飯事にモルヒネ(?)麻薬(?)麻酔(?)のようなもので、感じなくさせているだけなのだ。それで治ったことになっているのだ。
でもさー。それってホントに治っているの?からだが痛くなったり、喉が痛くなったり、頭が痛くなったりするには、それなりの理由ってえもんがあるでしょ。それをあなた、一把ひとからげに「感じなくさせちゃって」ハイ終わり?
と思っちゃうのは私が日本人だから?
なんか西洋の治療のしかたって、「痛い箇所をとる」とか「痛いものを無くす」とかそういう発想で来ている気がする。ガンが出来たら取る。ウイルスがいたら消す。でもガンもウイルスもなんかの理由があってそこに存在しちゃったわけで、その理由を知る事から始まるんじゃないのか?人間のからだってすごいバランスで動いている気がするんだけどなあ...。
それを「ほら!がんが見つかった。それ!とれ!」とか
「おおっ!ウイルスだぜ!殺してしまえ!」と、単純にやっつけたり、切り取っちゃったりするだけでいいの?なんかモノ扱いだよなあ。人間のからだは、金属で出来ている機械じゃないんだから。
それにそんなことしたら、またどっかで出てくるかもしれないじゃない。そうすると「転移だ」とか言って、また殺しちゃう?いたちごっこじゃないの。でもそうしているうちにどんどんからだはバランスを崩していかないの?
この発想は、「お、テロだ!やっつけてしまえ」といって、よその国に行って「テロだテロだ」と殺しに行く発想と似てないか?
私としては、テロをやる人はテロをやるなりに何かしらの理由があってやりにくるんではないかと思ってしまう。それはその国がどこかおかしな事をしていたり、国と言うからだが変調を来しているから、現われてくるのじゃないだろうか。たとえばよその国にへんな事をしていない国が、テロで狙われたりするだろうか。なにかしら恨みを買うような事をやってしまったからではないのか?
そこんところを考えないで、「悪いものが来たら殺す」という考えでは、いつまでたってもからだは治らないし、国も平和にはなれない気がするなあ。
などと、のど飴からテロにまで飛んでしまったお話でした。ちゃんちゃん。
追伸:あのあとすぐのど飴を吐き出したが、丸々2時間、私の口とノドは存在していなかった。めちゃくちゃおっかなかった。
で、そのスリルがおもしろくって日本に戻った時、友達に「はい、お土産」とのど飴あげたのに、誰もなめてくれなかった。
絵:お口直しに、椿の絵 けんぽ表紙
2009年3月16日月曜日
「あたしの手元は10000ボルト」
2009年3月12日木曜日
上海の超能力者
95年に上海人の気功の先生につれられて、上海、北京、西安に遊びに行った。
その頃、上海の南京路はおしゃれで活気があったが、一歩路地に入るとそこは別世界。迷路のような路地が無限に入り組んで、生活する人々の現実の世界が広がっていた。
その迷路に連れ込まれたいたいけなニッポン人4人、ダンナと、私と、Hくんと、かあちゃん(というあだ名)。みんな気功の生徒たち。
細い路地をくねくねと曲がると、ある家に入る。そこで私たちは中国の超能力者に会った。
聞くところによると、文化大革命の時、その能力が災いして危ない目に会い、生死をさまよったらしい。その後、中国の奥深くに逃亡。今はこうして迷路の中で身を潜めるように生活をしている。気功の先生はその人をいたく尊敬し、師と仰いでいた。
部屋に入ると、師は両手を広げて迎え入れてくれた。いかにも絵に描いたような風貌をしたおじいちゃん。そのお目目にサングラスをかけさせたら、ドラゴンボールのカメ仙人やないかいな。
「皆のからだを見てしんぜよう」(もちろん中国語)
そういって、一人一人のからだを見る。といっても、彼から2メートルほど離れた所に立たされる。カメ仙人はおもむろに目をとじた。左手で黄色いノートを持ち、右手でエンピツを持つ。その右手がふっと私に向かって伸ばされた。まるで私のからだをなでるかのように手が宙をかいている。目が半眼になったり、くらくらとからだが動いている。珍しい動きに思わず彼の仕草を観察する。しばらく私に向かって手を動かしたあと、その右手はノートに落ちた。からだをゆらしながら目をつぶったまま、ノートにあやしげな線が引かれはじめた。ぐにゅぐにゅと引かれる線は、何やら妙な絵を描いている。
「はあ...」とため息をついて私の診察終了。黄色いノートには私の身体のシルエットらしい形が出来上がっていた。
「あなたはこれを飲みなさい」そういって、漢方薬の処方箋をもらった。(なんや、ただの医者だったのか?)
そうやってみんなの「診察」が終わってから、
「皆に、気を送ってしんぜよう」といった。
ニッポン人4人を全員立たせて、その向かいに立ち、はあ〜〜〜〜〜〜っと気を送ってくる(らしい)。
しばらくはなんて事なかったが、そのうち何となくからだが揺れはじめる。なんか恥ずかしくなって抵抗する。でもちょっとだけ動くままにさせていた。でもあんまり恥ずかしいものだから、ちらっと目を開けて、となりのダンナを見た。
すると、からだを前後左右に振りまくり、恥ずかしさなどどこ吹く風、ものすごく揺れまくっているダンナがそこにいた。
さて、その時からカメ仙人のダンナを見る目が変わってしまった。
「きみ!私といっしょに西安の山奥で修行をしようではないか!」肩を叩いてぐっと引き寄せられるダンナ。
「この人の超能力はすごい!ぜひ弟子にしたい!」とコーフン気味。
彼は年に1ヶ月間、西安の山奥に引きこもり、超人になる修行を積んでいるのだ。それにぜひダンナを連れて行きたいとだだをこねる。
彼は修行の一環として、毎朝一番に出る自分のおしっこを飲み干し、その気を養っている。これが一番いいらしい。そ、そんな所にうちのダンナをやっちゃっていいのか?
「だから、師匠はちょっといつもクサイネ〜」と、気功の先生は笑う。
でもそのお陰で額からはものすごい光がバッカーンと出ているらしい。私にはちっとも見えなかった。
「師匠、他の人の超能力はドオ?」と、気功の先生が、のこりの私らの能力を聞く。
「ふん。2番目はこの人」と、かあちゃんを指す。
「3番目は、この人」とHくんを指す。
一瞬、間があって、
「...です。」だと。
え〜っ?
するってえと、私は4番目にも入らんのか?
おついしょうでもいいから、せめて「4番目はこの人」と言ってほしかった...。
カメ仙人の執拗なまでの申し出を振りほどいて、帰路についた私たち。
後日、薬局で仙人の処方してくれた漢方薬を作ってもらって、ホテルで中身をあけてみる。
そこには、サソリ丸々一匹と、体長15センチはある巨大ムカデが、木っ端や枯れ葉(失礼!薬草)の間にひしなびて入っていた....。
おそるべし、中国4000年の歴史!
絵:諸葛孔明
2009年3月10日火曜日
からだを信じる
「自分のからだを信じる」
48回目の誕生日を迎えて、そんな言葉が頭の中に浮かんだ。
「自分を信じる」ってえのは聞いた事があるが、からだを信じる?なんかエッチな意味....?(ちがうだろ)
気がつけば、このからだとは48年間もお付き合いさせてもらっている。コンプレックスは山ほどあるのに、「信じる」とはこれいかに。
スギ花粉舞い散るこの季節、首から上に常に意識はあり、アコがかゆい、ここがかゆいと大さわぎ。でもハッカ油のエキスを吸うとすーっとかゆさが消えていく。たとえ一時期だといえどもこの変化はなんなん?
で、かゆさが襲ってきた時に、その場所がどんな風になっているのか観察してみた。なんだか粘膜の上にぎざぎざしたものがうごめいて、おおさわぎしている。ちりちりと線香花火のような、電気のような、ちっこいかみなりのような(ああ、絵で描いたら早いのに!)やつが暴れているのだ。
それがハッカ油を吸い込むと消える。すーっと引いてなくなる。メントールがらみの空気吸っただけなのに。ということはひょっとしたら、ギザギザしたものは、気のせい?
そう思って、今度はハッカ油を吸わずに、イメージでそのギザギザを沈静化してみる。上からすーっと潮が引くようにおさまっていくイメージ。
すると....
かゆみがどっかにいってしまったのだ。
へ..?こんなのあり?
と、またその波がやって来た時に、もう一回やってみる。
やっぱりおさまる。
そうはいっても、油断すると、
「ドつぼにはまってさあたいへん。鼻タン出てきてこんにちは。坊ちゃん一緒に、
へ..へ...ヘーーーークション!」となる。
花粉症の症状はとてつもなくつらい。このかゆさは、かゆいとおもえばおもうほど、ドつぼにはまる。普通のかゆさは、かゆい所をささっとかくと、そのかゆさはおさまる。でも花粉症のかゆさはかけばかくほどもっとかゆくなる!!!かきむしって、かきむしって、目も顔もノドもぼろぼろ!鼻の中は濃厚な鼻たんであふれ返って息も出来ない。
ああ、今そんなことを書いている最中にも思い出しちゃって、くしゃみを連発。それまで忘れていたのにい!
ということは、じつはそのかゆさに心が囚われている?
からだというものは、たんに花粉という異物がからだの中に入ってきて、粘膜が刺激された....という事実があるだけなのだ。
しかしそれに心が動揺して、その刺激をおさめようとかく。しかし逆にその刺激を増幅してしまうのではないのか。
そーいや、忘れているときはちっともかゆくない。あれやこれやとやることがいっぱいあって忙しい時、はっと気がつくとかゆさを忘れている。でもそのはっと気がついた瞬間、一気に鼻がむずむずしはじめる。つまりその瞬間『花粉症』を「思い出す」のだ。
四六時中フガフガやっている人は、いつも「花粉症」を思っている。あのかゆさが、いつ襲ってくるかと戦々恐々としている。だからマスクをして
「私、花粉、吸ってないから」と自分に言い聞かせる。へいきになる。けどいつもどこかで入ってくるのではないかと花粉を見はっているのだ。
人はそうやって自分のからだを見はっているのではないだろうか。
「いつ病気になるかわからないでしょ。三大成人病はこれとこれとこれ。ちゃんと規則正しい生活をして、いい食事をとり、保存料なんか入っていたら大変。農薬なんてもってのほか!」と言って、あっちの野菜が安全、こっちのお肉が安全と言って走り回る。
でもそんなことってそう続けられるのかなあ。ケーキも食べたいし、忙しいお昼は、たまにはカップヌードルですませたい。朝は寝坊もしたいし、美味しいワインを飲んで夜更かしもしたい。
そうすると、心のどこかでチクリと痛さが残る。どっかで病気の種を作っているんじゃないだろうか?と。
人はそうやって、自分のからだを常に見はっているのではないだろうか。いつかどこかで何かの変化がないかとびくびくしている。
だから花粉という異物に対してからだが反応すると、「うっわ〜〜〜〜〜っ、大変だー」と大騒ぎする。
これ「感情過敏症」と似ていない?
でもさー、ご飯食べて、それを消化してくれている胃や腸さんたちは、私たちが見はっているから、ちゃんと働いている?
呼吸は、私たちが忘れていると、吸って吐いてすることをなまけてる?
みんな、ほっげーと忘れている所で、ひたひたと働いてくれているんじゃないの。
私たちの知らない所で異物を出し、消化し、血液を送っている。ものすごい精巧なコンピューターのように。
それが「自分のからだを信じる」ことなんだとおもう。
48年間連れ添っていくれているこのからだは、精巧なコンピューターさんなのだ。おばかな私がいろんなものをからだに入れても、
「こんなもん食いやがって。しょーがないなー」
とかいいながら、黙々と消化吸収排泄までもっていってくれているのだ。だから多少お腹が痛くなっても気にしない。「あ、今へんなもん食ったから直してくれてんだなあ」と感謝する。ひえ〜〜〜、おなかいた〜い!と、おおさわぎはしないことにした。心を静かになにもしないでまつ。すると、しばらくたつと便をもよおし、それは排泄される。
人間のからだはものすごい精巧に出来ている。病いは気からと言うが、それは真実を言っているのではないのか。私は母の背骨の一件や、アメリカ人のあの食生活にしてあの元気さの影に、たんに食物だけが病気の原因ではない気がしている。すべてのキーワードは「心」にあるのではないかと。
で、この季節花粉飛びまくりだけど、私はマスクをはずした。「花粉....」と思った瞬間、鼻の中が膨張するが、気にしないでほったらかしにしておくと、消えていく。
からだは冬から春に変わっていく。多少の難儀はからださんの変化には必然なのだと受け止める。だから多少むずがゆくても、それに心が反応しないようにした。するとかきむしったときの10分の1にも満たないかゆさで終わる。
うちのダンナは花粉症になりそうな症状が出ると、心の中で「かまへん、かまへん」というらしい(なんで関西弁やねん)。そうすると、かまへん気分になって消えていくそうだ。
からだは見はらなくてもちゃんとやってくれている。
そう確信することが、なによりの早道なんじゃなかろうか。
すべてのヒントは自分の中にあるんだろうな。誕生日に大事な言葉をプレゼントされた。
また長くなっちゃった...。
絵:けんぽ表紙「縁側ネコ」
2009年3月6日金曜日
泣きたい気持ち
最近、気になる事がある。
人がやたら人前で泣いている。
テレビを見ると、みんな泣いている。飯島愛さんの告別式でも、いい大人が号泣している。百数年も続いた老舗の会社がつぶれると言っては、若社長が従業員の前で号泣している。
ほんとに愛ちゃんの事で泣いてるの?ほんとに従業員の事を思って泣いてるの?
なんとなく、その人たちは自分自身に泣きたい気持ちがあるから、その場をお借りして泣いているんじゃないかと勘ぐってしまう。
そりゃ、泣くことじたいは悪い事じゃない。世の中つらいことばっかり。泣くことで、そのつらさが癒され、ストレスも解消できる。という利点がある。でもさー、だからといって人前で、ああも号泣することはないとおもうなあ。
日本人は、亡き人に思いを馳せ、苦しさをじっと胸の内に秘めて、ほろっと泣く。そして声を上げて泣きたいときは、一人で泣く。私らの時代まではそういう美意識があった気がする。けど最近は、何でもかんでも感情がおおげさに表現される。うれしいと言っちゃあ大騒ぎ、悲しいと言っちゃあ、大泣き。許せないと言っちゃあ、恨み節。
これは「ちょっと西洋風に、表現を大きくしてみました」ということ?西洋ナイズドスイミング?
私はこれを「感情過敏症」と呼んでみる。感情という花粉がそこらにぷよぷよと浮いていて、人の鼻の中に入る。そこで「へ....、ヘーーーーックション!」と反応する症状。
人はいつも自分の感情に意識がある。どこかにうれしいことやら悲しいことやら怒りたいことを触発してくれる素材がないかとアンテナを張り巡らしている。で、ぷよぷよとやって来た「感情花粉」にヤラレルのだ。これは花粉症に似ている?
でも昔はそんなに自分自身の感情に意識が向いていただろうか。むしろ、それをしない方向に生きていた気がする。だから日本人は黙ってサッポロビールだったのだ(なんのたとえじゃ)。それは、そこに心を置いた時、ろくなことがなかったという知恵があったからではないだろうか。
案外と、うれしいという感情は、あまり心に長くとどまり続けないけど、悲しいやら憎らしいやら腹が立つことに、心はずっととどまりたがったりする。
「あいつ、憎らしい。あんなやつがいなけりゃ、会社はもっと楽しいのに」
「なんでメール返しがないの?あたしのこときらいになったんじゃないの?」
「このままじゃ、あしたにでもリストラされるかもしれない。そうなったら一家心中だ...」
そんな言葉が現代人の心の中で四六時中渦巻いているんではないだろうか。だからなんでもないことに過敏に反応する。あいての何気ない一言に傷つく。
それは、いつも自分の心の反応に常に意識があるからではないか。いつどこで傷つけられるか分からないから絶えずいつも神経を尖らせている。
ニューヨークでは肉体的にいつどこで傷つけられるか分からないから神経をはっているもんだが、ここ日本では、心がいつどこで傷つけられるかと神経をぴーんとはっている人たちがいっぱいいる気がする。ふはははは〜。って、笑い事じゃないぞ。
日本に帰ってきた時、なんかへんだとおもった。なんか前に住んでいた日本と雰囲気が違うと。ずっと、なんでかわからなかった。でもだんだん、日本人が自分の心に比重をおきはじめていることに気がついた。いや、心を大事にするということならわかる。たぶん、そういう意味で「心の時代」と言われてきたにちがいない。
でも同じ心でも、今の心の感心ごとは「傷つく」ことなのだ。
このネガティブな感情はたちが悪い。ほおっておくとそれは増幅していく。最初の取っ掛かりはなんでもないことなのだ。そこからどんどんあれもこれもと広がっていく。あの時ああされた。この時ああ言われた。やっぱりあいつは悪魔だ..!と心は暴走する。
今、それが増幅された人たちがいとも簡単に人を刺す。
「どうしてそんなことをするのか分からない」
と、インタビューを受けた人たちが、犯人に対して人ごとのように言う。ほんとうにそうだろうか。その行為まで行かなくても、そこまで恨んだり怒ったりしていないと誰が言える?ほんの一線を越えるか、越えないかの違いでしかないかもしれないのに...。
そしてその犯人を見て「許せない」と思えば、またそこでネガティブな心にポッと火がつく....。
だから心というものは気をつけていないといけない。今、人々の中でそんな感情が無防備になっているようにみえる。好き放題暴れさせているように。それに心でどんなことを言ったって、誰にもとがめられはしない。こりゃ、ある種の快感になったりするんじゃなかろうか。顔さえニッコリしてればいいんだもの。
でも心に一人歩きをさせるとろくなことがないのだ。
昔の人はそのことをよく心得ていた。心はコントロールしなければいけない魔物だということを。そもそも心とはそういうものなのだ。だからあまり感情をあらわにしなかった。あらわにすると、それに飲み込まれるのがオチだと知っていたから。
たとえ心の中でおおさわぎしても、そこに答えは見出せないということも。
ひとしきり泣いたらやめる。ひとしきり怒ったらやめる。やめるという意志力がいる。
誰も心を傷つけられない。傷ついたーっと思い込んでいる自分がいるだけだ。ほんとうは気にもしなけりゃ、なんてことないのだ。なんてことがあるのは、そこにプライドがあるからだ。私もそのちっこいプライドで右往左往した。
でもそれは一瞬のうちに変化する。「じゃあ、今までの感情は何?」とおもうが、人の感情なんてそれっくらいものんだってことだ。増幅することも出来るし、ぽっと消すことも出来る。
火のように怒り散らしている大魔神の私に「はい、お茶とおまんじゅう」とあたえたら、あっという間に縁側にすわるおばばになるのだ。
絵:「窓の雪」
2009年3月4日水曜日
バンドネオンの豹
ここんところ、打ち合わせは電話とメールのやり取り。久しぶりに呼ばれて、神楽坂に行ってきた。
昔出た本の復刻版の印刷物が出来たのと、その続編の表紙の打ち合わせ。
高橋克彦さんの『バンドネオンの豹』。ランダムハウス講談社から。昔の表紙の絵は横尾忠則さんだった。そのあとを私が引き継ぐ。おそれおおい。
私はあまり小説は読まないが、このお話にははまってしまった。まさに私が中学生の頃めざめてしまったロストワールドのオンパレード。「地球空洞説」、「シャンバラ」、「巨人」、「海底2万里」のネモ船長...!
高校生までは、この私の趣味についてくれていた友達もいた。しかし、大学に入ってもついてきてくれていた(と思い込んでいた?)友達は、社会人になったとたん「まだそんなこと言ってんの?」と態度が変わる。
それからというもの、ひと知れずひたひたと一人その道を貫いてきた(どんな道や)。あれから30年(きみまろ調)。まさかあなたに会おうとは!
久しぶりに、中学生の気分でコーフンしながら作った作品がこれ。悪の手先「サーベルドラゴン」がヒロインのあやを手に入れた瞬間。舞台は地球の中。円盤、ピラミッド、ノーチラス号!ああ、めくるめくシーンに、手に汗握る大活劇〜。
そんなことにコーフンした昔の(?)少年少女よ。ぜひこの一冊を。
そして今、その続編の表紙に取りかかる。
続編は分厚い。22年後の彼らの物語が始まる。今回はぐっと今風になっている。霊魂やオーラや気などがふんだんに出てくる。空中浮遊は、お茶の子さいさい。武器にマシーンなんて使わない。
「地球空洞説」にコーフンした私も、あれから進化した。読みあさったオカルト、神秘学、宗教学数知れず。私の本棚は人が見たら「こいつは変人か?」と思うような代物ばかり。この続編はその私の進化にぴたりと一致した。
さて、どんなシーンが浮かびます事やら。
そんな私でも作家さんからお礼のメールをもらうことがある。うれしいやら、くすぐったいやら。
自己嫌悪菌がまだある私は、人に褒められる事が苦手。「いやいや、やめてください。そんなにほめられたら、ああ、溶けてしまう〜」と。
でもちょっとづつ、その言葉を真正面から受け取る事にしている。
みなさま、ありがとうございます。
絵:「バンドネオンの豹」表紙
2009年3月1日日曜日
鉄しか知らないウチュー人
この世に物質というものは、存在しているのだろうか?
私は小さい時からよく、自分の目の前に見えているものは、自分が見たいものだけがそう見えているだけであって、本当は何もない。もしくはまったく違う世界が展開しているのではないかと考えてしまって、心がぷるぷると震えたことがあった。
たとえば、この地球にある宇宙人が円盤に乗ってやってきたとする。その宇宙人に『鉄』という素材しか見えなかったとしたらどうなるのだろう?(その円盤はたぶん鉄で出来ているのだ。鉄だけで空を飛ぶかどうかはしらないが)
その宇宙人の目にうつる東京の風景は、鉄の骨組みしかない箱の形の乱立にしか見えないだろう。じゃあ、その宇宙人が道路に降りたらどうなるのか。鉄しか見えないとしたら、道はどんな風に見えるのか。土に入っている鉄分しか見えないとしたら、細かい粒子の霧のような地面に見えるんじゃなかろうか。おっかなくって、おちおち地面に立っていられないはずだ。
じゃあ人は?
人とすれ違ったって、わからないかもしれない。いやいや、血液には鉄分がはいっているぞ...。だとしたら、血液の流れしか見えない.....?き...きもちわるいなあ...。
じゃあ、木はどうなる?
鉄しか見えない宇宙人に、木を説明しても分からないじゃないか。だいたい木の前にたってみたって、木をさわれるのだろうか?見えないのにその存在を手で確認できるんだろうか。気がつかないでまっすぐすすむと、木にぶつかったりするんだろうか。その疑問はずっと私をとらえていたが、大人になって最近おもった。
きっと、触れないのだ。だって、鉄しか認識していないのだもの。
と、いうことは、認識していないものは、触れられないということなのだろうか。
南アメリカにスペイン人が海から船で侵略しにきたとき、その土地の原住民には、船が見えなかったのだという。だから彼らは、スペイン人が海の上に立っていて、すーっと浮かんで海の上をやって来たように見えたのだ。それでびっくりした。「神々がやってきた!」と。
だからすんなり征服されたともいう。
つまり、原住民の頭の中には「船」という存在はなかったのだ。その認識がないゆえに、船が見えなかった。だから浮かんでやってきたと思ってしまったのだ。
この話を聞いて、原住民はばっかだなあ〜、あはは〜、なんて笑っていられるんだろうか。現代人は何でも知っているとたかをくくっていられるのか?今だ認識をしていない存在や物質はないと、だれがいえるんだろうか。
いや、原住民だからこそ、船以外に私たちたちより知っている何かがあったのかもしれないのに。
本当にこの世は私たちが認識している世界のままなのだろうか。よく考えてみたら、となりの人がゆびさす赤いバラを「これは赤い」というものが、ホントに私が思う赤い色と同じだと、どうやって確認するのか。
「これはオランウータンです」というオランウータンらしきものが、私が見ているオランウータンと、となりの人が見ているオランウータンと、はたして同じなのか。それさえも分からないではないか。
およそこの世で物質と呼ばれるものが、私が思う物質と、となりの人が思う物質というものを外から相対的に見ることなどできるのか?すべてが自分からしか見えないのに、だ。そう、人は主観の中でしか生きられないのだ。
そんなふうに考えはじめると、すべてのことが曖昧になってくる。その曖昧さを認識することは悪いことではないかもしれない。自分の足元がぐらつくことは、悪いことではない。
信じきって逆にがんじがらめになっているこの世の認識を(常識ともいえるかもしれない)解放する糸口になるかもしれない。
そうすると、この世に物質というものが存在しないのではないか?と言う冒頭のアホなアイディアも、まんざらすてたものではない。
その存在しないかもしれない物質を日々作り続けている私。あなたは私が作った「物質」をどんなふうに認識してくれるのだろうか。
「つくしの小さなイラストレーション展」が、今日からはじまります。
絵:アリゾナにむかって
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