2018年9月30日日曜日

共感の世界


共感。

この世知辛い世の中、右を向いても左も見ても苦しいことだらけ。日々の生活はつらいことのオンパレード。

そんな心の思いを吐露して共感してくれる友だちのありがたいこと。
つらいね。そうだよね。わかるよ。
そのとき、ああ、つらがっていいんだ、悲しがっていいんだ、ハラ立てていいんだ。。
自分の中から湧き出てくる感情を肯定してくれる存在。心に安堵が広がる。

感情的になってはいけないという段階から、その感情は人として持っていいんだという肯定の認識が生まれる。

共感は安堵し、よろこびが生まれる。
そしてまた同じことが起こると、同じように感情が動き、同じように共感を求める。
感情が動き、それを吐露し、共感され、安堵する。
それが繰り返される。

その繰り返しにふと気がつくとき、あなたはその共感の世界からはなれて見ている。
ぐるぐると回っている洗濯機の中から出て、回っている渦をみている。
そのとき、次の段階へと進む。



なぜ感情が動くのか。なぜここで悲しいと思うのか。なぜこれに怒るのか。
いつもそれに怒っているのが苦しいことを深くのぞいていくと、そこに必ず理由があることを知るだろう。とても個人的なものだ。自分に起こった過去の出来事の重なりで、その感情はわき上がってくるのだから。

その感情の起こりを、他人のせいではなく、自分のこととして観る。
不幸にも偶然出来事が起こり、あいつのせいであなたが怒らされたのではなく、その人はあなたの中にあるものを、表に出させようとして、役者をやってくれているのだと認識することをうながされる。
過去の、いつかどこかで自分の中から拒絶したものを見ていたのだと気がつきはじめる。


たとえば、「こういうことはいけないことだ。」と教えられると、その時からそれはいけないことなのだというルールが生まれる。
「それ、いけないんだよ」
「なんで?」
「だってママがそう言ってたもん」

そのルールめがねで世の中を見ると、なるほどそれはたしかにいけないことだ。それはぜひ正す必要がある。そしていつのまにかそれを正すことが、その人の心の平安をもたらすことのように思いはじめる。
だからそうしない人を怒る、裁く、うまくいかないと泣く。感情がわきだつ。



感情が起こるには理由がある。
最初に言葉がある。
その言葉にのっとって、
からだがぴくりと反応する。
そして感情が動く。
ほぼ同時。

こういう心の中の仕組みをひもといていくと、共感もまた感情の世界だと気がつく。
そこにはそれを解体していく方向性はない。

自分の感情の仕組みを知り、それに向かい、拒絶していたものを受け入れはじめると、正しいまちがっているというルールが、どれだけ人を混乱させ苦しめているのかわかってくる。そのルールを真正面から眺めていると、それは絶対的な価値感でも強固なものでもなくなってくる。
それでもまだ根深い価値観は残っているが、表面的な価値観にふりまわされなくなる。
感情がやって来ても、どこかで引いて見るようになる。
外からの共感は必要としなくなる。




別のよろこびがはじまる。
何かが手に入ってよろこんでいたものが、何もなくてもただうれしい。
安心できるなにかがあるわけでもないのに安堵する。

なんだ。こんなことだったのか。
そっかそっか。
子供のときもっていたものだ。
親からもらうルールめがねをかける前のあの感じ。

ただここにいることが、うれしかったあのころの。



絵:「杉」/紙絵



2018年9月26日水曜日

ビギナーズラック


庭の斜面にダイコン植えた。虫も食わずに元気。


ダイコン引っこ抜かれる。
落花生、食われる。
人参、引っこ抜かれる。
ジャガイモ、食われる。
トウモロコシ、食われる。
きゅうり。。なす。。。さつまいも。。。枝豆。。。

もー。
なに作っても、猿とたぬきに食われるやんけーー!
と、ふてくされていた。

ある日、庭を眺めていた。
「あ。庭には猿こねえし。たぬきもめったにこねえし(たまに来てるんかい!)」

ウチの庭は、はっきり言って畑にはまったくむかない。山に迫っていて、日があたらない。木だらけ。日陰だらけ。草のいきおいが強過ぎる。しかも急な斜面。
土もわけの分らん砂まじりの土。

やまんばは庭のあっちこっちのかたすみに、遊び心でダイコン、人参、落花生の種を蒔いてみた。
なぜか知らんがみんな元気に育っている。同じ時期に畑に撒いたダイコンは枯れ、何度も蒔き直しをしているありさまなのに。


片隅に植えた落花生。葉っぱのいきおいがいい。

小さなすきまに人参



これはいったいどゆこと!?
まったく肥料の入ってない、畑としてはほとんど機能を果たしていない場所に、元気に育つ野菜たち。

やまんばは、頭を抱えた。
そのとき畑でいちばん最初に種を蒔いた時のことを思いだした。あの時の爆発的な野菜たちの育ち方は半端なかった。しばらく放置されていた畑を開拓したので、たまりにたまっていた堆肥があってそうなった、ともいえる。

しかしこの二つの現象に共通点を見つけた。
ビギナーズラックだ。
物事の初心者がもっているとされる幸運のこと。

いやいや。私はすでに畑のビギナーじゃない。

ビギナーとは、すなわち過去がないのだ。
畑の最初の時、私には、畑に対しての過去がなかったのだ。
そして今、庭に対しても、庭に野菜を植えるという過去がなかった。

それは何を意味しているかというと、それにまつわる記憶がないと言うことだ。
ゼロ。ナッシング。
真っ白なあたまで、庭に、畑に、種を蒔いた。
庭と畑の最初の爆発的ないきおいの共通項はそのことだけだ。

ほぼ縁の下にジャガイモ植えた。どーなる???


過去。
最近そのことについてよく考える。
もし私たちに過去の記憶がなかったら、苦しみはない。
あのとき、あんなことされた、あのとき、あんなことしてしまった、
いいことも悪いことも、思いだしては比べ、嘆き、それを元に未来を想定し続ける。
過去の後悔と、未来の望みに翻弄される。

自分にまつわることもそうだ。
私はこんな過去をもっていて、こんな肩書きをもち、こんな性質をして、、、、。
その自分の過去が、自分をふりまわしていることに気づく。
こんな状況になったら、こんな風になってしまう私!そうならないためには、ああやってこうやって!と、そうならないための苦労をする。

ん?まてよ?今そんな状況にあるのか?
まわりを見渡せば、そんな状況にない。あたまがそれをイメージして大騒ぎしているだけだ。

そんなとき、過去を消してみる。
私の背中からずーっと続いていると思っている過去を、ぱき。と切ってみるのだ。

目の前には静かな光景。
いきなり静かになる心。
自分に対するたくさんのレッテルがない。
ゼロ。真空。すべてが止まる。時間がなくなる。


私たちはつねに時間の中にいる。
畑に種を蒔く。芽が出る。大きくなる、という時間がある。
すると次には、大きくしなければいけない、育てなければいけない、という次の観念が動きはじめる。
起きる時間、仕事に行く時間、ノルマをこなす時間、スケジュール、死に行くまでの時間、、、。
その時間の中で翻弄され続ける。

時間が止まる経験をすると、当り前だったはずの時間というものが、すこし苦しく感じはじめた。

ビギナーズラック。過去のない自分。
私はずっと、ビギナーでいられるだろうか。


無肥料栽培の白菜の育苗は全滅w




2018年9月23日日曜日

リアルヒストリーチャンネル(笑)



「きのうねえ。とーちゃんから電話があって、
『わしの金でふたりにおごっちゃれ』って、言われたんで」
「えー。あっちの世界から?
そりゃーかなり電話代高かったやろーなー」

きのう父の葬儀に来れなかった従姉妹ふたりと「つくしのとーちゃんを偲ぶ会」を小さなイタリアンレストランでもよおした。

偶然にも東京の西の果てに住んでいる従姉妹三人。同い年のこの三人は、滅多にあうことはないが、父の死をだしにはじめて三人顔をあわせた。


父についてのかれらの思い出を聞くと、私だけの視点が、かれらの話を通してなにかがぱたぱたと組み立てられ、父が立体的になってくる。そんな時間が好きだ。

そのうち話は自然と父方の家について。
断片的にしかわからない父方の系図。みんな二十歳前後から高知を出て記憶が曖昧。小さい時のおぼろげな記憶を頼って、それぞれの立ち位置から見た視点を語り合う。
三人の中にどんどん父方の構図が現れはじめる。スリリングなリアルヒストリーチャンネル。自分の身体の中の血がそれを味わっているかのようにうねりはじめた。

屋敷に火をつけられた話、
屋敷の中に武具甲冑があった話、
曾祖父は日本中を回っていた山師だった話、
金持ちと貧乏を行ったり来たりした話、
父は祖父の名前をまわりに絶対に口に出来なかった話。。。
これだけでも荒々しい家系であったことは確かだ。

やがて三人がそれぞれ小さい時から父に殴られて育ったことが判明。荒々しい家系にありがちなしつけの仕方だ。みんながみんな同じ待遇にあっていたことを互いが知り、小さなレストランに大きな笑い声が響いた。




過去はそれをじっと見、受け入れ、解消しないかぎりいつも近くにある。
似たような体験がやって来ては、その過去を思いだし、そのつど激しい波に心を震わせる。

それを何度も何度も経験していくうちに、私はそれと面と向かい合わないかぎり、これは消えないと気がつく。

父のせいでこうなったのではない。
私は父の被害者ではない。
私が自分の問題として受け取っていくべき経験だったのだ。



私は意識的に、何度もその時の恐怖と怒りをリアルに再現し、それの中に沈殿した。
それを再体験し、心を味わい、からだに起こる反応に耳を傾け続けた。

ある時は何かを「理解」し、ある時はそれが消え去り、ある時は何も起こらない。それをすることによっての結果など期待できない。そのつど結果はちがっている。

その訓練の中で、じょじょに心の中の言葉が消えはじめた。
言い訳、言い逃れ、正当化する言葉たち。自分の中でいつも大騒ぎしていた言葉たちが、静かになりはじめる。
そしてあるとき過去が、ぷっつりと消えた。

時間は直線的にあるもんだと考えていた。後ろに過去が長ーく線上に存在し、目の前には、かすかに未来の線が続いている。そして今立っている所が現在。そう信じて来たが、今はちがう。

苦しみは過去にある。過去の出来事にしがみつくから苦しかった。
しかし過去はいつでも消える。あたまが過去を呼び戻してくるだけだ。過去の視点を通して今を見ているだけだ。それは本当の今を見てはない。

過去があるあると思い続けていたから、過去はあったのだ。だけどないないと思った所で、それはごまかしでしかない。それが脅威ではないと知るためには、それを見なければ何も変わらない。


三人が同じ境遇であったことを笑い飛ばせたのも、私の過去への思いが消えたからなのだろう。

私はいつのまにか父を赦していた。






2018年9月20日木曜日

一杯のカフェラテ


夕飯をすませると、最近ダンナとふたり散歩する。

二キロ先にコンビニがある。最初はダンナのタバコを買いにいくのについていっただけなのに、食後の散歩がいいかんじなので、だんだん日課に。

高尾は街灯が少ない。すぐ近くに真っ暗な山の稜線を見ながら、いろんなコースを歩く。民家の間、国道沿い、川沿い、そしてなんにもない原っぱ。

時おり栗畑の中から「ブヒッ!」という声と、林の中をあわてて走りさる何ものかの音も聴く。

一瞬ドキッとするが、「ブヒッ!」と声をあげてくれるおかげで、かれらと直接遭遇せずにすむ。人間の存在を感じて、ビックリしてわざわざ雄叫びをあげてくれる。
いつも「ブヒッ!ザワザワザワ!」だ(笑)。



帰り道、コンビニで買った一個のカフェラテを、その原っぱの真ん中に座って、ふたり分け合って飲む。

真っ暗な広い空を眺めながらコーヒータイム。目の前には精神病院の明かり。それがゆいいつの人工的なもの。あの明かりの中には、いろんなドラマがあるのだろう。
しかしそれもどこか夢の世界のよう。

時にはいろいろおしゃべりをして、時にはただじっと黙って。
目の前の猫じゃらしが、病院の明かりを通して透けて見える。
すべてが静かで満たされている。美しい時間。


カフェラテを買いに行く時間帯が、ちょうどカフェラテのマシーンを洗う時間と重なっていたため、何度か買えない日があった。でもいつのまにか従業員の方が私たちが行く時間にあわせてくれていた。そういう心遣いに、胸が熱くなる。

一杯のカフェラテ。
猫じゃらしの手触り。
広い空。
飛行機の点滅。
足の裏の地面の冷たさ。

「私」が広がりはじめる。


絵:紙絵/水引草


2018年9月18日火曜日

樹木希林、かっこいい!



樹木希林、大好き。
あの人が、かっこいなあと思うのは、
自分に起こることを受け入れていく潔さだと思う。

内田裕也との関係は、わたしならさっさと切っちゃうのにっておもうけど、何かしらのふたりの因縁や事情があるんやろね。

それよりかっこいいのは、老いや病気に面と向かって、戦いでなく、受け入れていく姿勢。
私はきっとその部分でひかれている。

そりゃあ、がんが見つかった時点で心は本当に恐怖を感じていたと思う。
だけどそのことに対して、向かい合って、じっと考え、やがて静かに受け入れた彼女。
しかも公然と、『私は全身がん』と公言できる強さをもっている。

今の日本人が、ずいぶん前からどこかへ置いて来た、心の姿勢を彼女はもってる。
「私はそんな大それた人間じゃないのよ。弱い人間よ」
といえる強さ。
ああでもない、こうでもないと、死という現実から逃げようとしない、腹の座ったムードが彼女全体からあふれていた。
それは昔の日本人のような凛としたたたずまい。

彼女の死は、私たちにそんなものを思いださせてくれた出来事なんじゃないかな。


私も今日はバイトが超忙しくて、ヘロヘロになって帰って来た。
アメリカの仕事があるとおもいつつも、あまりの疲れに爆睡する。目が覚めても動けない。疲れと焦りでもんもんとした。

無理矢理起きてパソコンをいじっているうちに、ふと自分があることに抵抗していることに気がついた。
疲れに抵抗していたのだ。

疲れることはいけない。
風邪をひいてはいけない。

私たちは無意識にこういう観念の中で抵抗する。
今まさに、起こっている出来事に、抵抗している自分に気がついたんだ。

抵抗するから苦しい。
疲れでしんどいのに、その疲れに抵抗する自分。疲れてはいけないと思い続ける自分。二重三重のきつさを、自分で作っていることに気がついた。

疲れてもいいんじゃないか?
風邪を引いてもいいんじゃないか?

そんな疲れも受け入れていくと、すっと楽になった。


あるがままを受け入れていく樹木希林さんも、
そんな生き方だったのかな?

若いうちから老け役を徹して来た彼女。
彼女だからこその、老いというテーマをずっと学んでいたのかもしれない。

彼女の生き方は、私たちにいろんなものを教えてくれている。

ありがとう。
そしてほんとにお疲れさまでした。



絵:紙絵/「ススキ」

2018年9月15日土曜日

これ、夢なんじゃね?



ときどき、ん?これは夢なんじゃないか。。?
とおもうことがある。
いや、最近しょっちゅうやな。

夢ってさあ、奇想天外な展開でも、なぜか納得してその気になってがんばったりするじゃない。

空飛んでる夢なんか見ても、
「ん?空飛べるじゃないかー。よし!がんばって、あの山越えてやるどー!」
とか言って、越えてみせたりする。

友だちの夢もそうだ。
牛乳買ったらUFOが目の前にいて、UFOの棚に牛乳を置いて、家に配達してもらったそう。
(UFOの棚ってどんなんやったんやろな?)
「そんときゃ、なんかへんだなーとかよぎったよ。
けど、何となくそういうもんだと思って棚に置いた」
という。


夢の奇想天外さは、目が覚めたら「そんことあっかよ!」ってつっこみたくなるんやけど、ふしぎなのはそのとき「そーゆーもんだ」と納得してるんよね。
なぜかつじつまあってるような気になってるのよね。

そーゆー理屈で行くと、この今私が現実に生きていると思っている世界も、
そーゆーもんだと納得して生きてるんかもね。

「ウソつけー!夢なもんか!
だってこれとこれとこれは、絶対つじつまあってるじゃねえか!」

とおっしゃるかもしれませんが、それでさえほんとかどーかわかんない。ほんとは「つじつまあってる」と、思わされてるんかもしれんよ。

万有引力の法則だって、つじつまがあってるっておもわされてるんかもしれんよ。
物を落としたら下に落ちるって、地球だけの話しかも知れんよ。
他の星に行ったら
「えーーー、それ、ありえなーーい!」
って、ならんともかぎらん(笑)。


そもそも寝ている時に見た夢が「あー夢だった」って知ってるのは、
「目が覚める」って言う、別次元があるからやろ?
じゃあ、わしらが「起きてる」って信じていることも、
別次元から見れば、夢かもしれんやん?


肩ぽんぽんって叩かれて、
「ねえ、ねえ、そろそろ起きなよー」
って言われてるんかもしれんで。

あん?
私の五十肩は、それか?
ぽんぽんしても起きんから、イッタイ思いさせて揺り起こされている?

おあとがよろしーようで。





2018年9月13日木曜日

手当て その2




一週間後、ハードなバイトのあとのへべれけになったからだに、三回目の施術がはじまった。

今回、彼女は鍼灸師という肩書きを捨てた。
友だちだから出来ることかもしれないが、彼女の臨機応変さ、あたまのやわらかさに脱帽する。

ベッドに仰向けに寝ると、彼女はわたしの丹田に手をあてた。
とたんにお腹が熱くなる。その熱が瞬時に右足に伝わった。だんだん背中が熱くなる。
針灸ではかすかにしか感じられなかった熱が、手をあてられているだけではっきりと現れる。

彼女は足元に場所を変えて、両足首に手を添えた。
からだの中の何かのエネルギーが、一気にあたまにかけのぼった。

今度は足首を離れてどこかに触れている。
両方の足の先が焼けるほどに熱い。
「ど、どこ触ってるの?」
おもわず不安になって聞く。
「ん?足先だよ~」
言って間もなく左半身に何かが走り、左の脳に痛みを感じる。

施術してもらっている間、私の中にずっとあるイメージが浮かんでいた。
それはからだの中が真っ暗で、何もないという感覚だ。
その真っ暗な空間を、かすかなエネルギーが移動している。あきらかに何かが起こっている。しかしそれがいったいなんなのかはわからない。

私たちのからだの中は、物理的にいろんな臓器が存在している。その臓器の変化に応じて治療を施すのが西洋医学。中医では、そこにツボや経絡といった、目に見えないものも存在し、それを前提として治療を施す。

しかし今わたしが見ていたものは、そんなものは存在しないと教えていた。
量子ーまさに本来の物質の姿、何もない世界。
彼女の手を通して、わたしは別の次元のからだの世界を見ていたのか。


彼女は位置を変えて、手をわたしの首の後ろにまわした。
じょじょに今までとはちがう感覚になる。
今度はからだの中ではなく、外にもう一人の自分がはみでた。

その表情はティチアーノが描く、マグダラのマリアのような恍惚な顔をして、私のからだの上でぐるぐると回転している。

なんじゃこりゃあ~~~?

その官能的な感覚と、めまいがするような回転に、ただただわたしはなすがままになっていた。


「はい。そのまましばらく横になっててね」

彼女は部屋から出て行った。
ひとりぽつねんと寝ている私。
戻ってくる彼女を待っていられなくて、勝手におき上がった。

「はあ~~~っ!よく寝たあ~~~~っ!」
と、口走っていた。
一睡もしていないのに、その寝起きの爽快感といったら!
(あれ?あのとき両腕をあげていたなあ。。。w)

その後は疲れなど飛んでしまい、晩ご飯も元気に作り、夜の散歩にも出かけた。
何というか、からだがひとつにまとまった。そんな感じだった。

中医はいたんだ箇所を直接治療するのではなく、まわりから責めるのだそう。
バラバラになったからだをひとつにまとめ統一し、元気にさせる。そうすることで、自分で治していくのだという。
彼女の手当ては、まさにそれをやってくれた。最初の針灸の治療があったからこそ、三度目の手当てが効いたのかもしれない。

ただ鍼という金属や、お灸という植物を通して触れられるよりも、何も介さず、直接手で触れてもらうほうが、私のからだはよろこんだ。そのあとのからだの調子がまるでちがっていたのだ。

「手を当ててる間、何を考えてるの?」とわたし。
「なーんも。ただぼーっとしてるだけだよ。手の感覚に集中してるだけ~」
手の感覚だけに入っていると、私のからだの変化がわかるようだ。
おそるべし。ハンドパワー。でも彼女にその自覚はないようだ(笑)。



その晩も相変わらず痛みで目が覚めた。
だけど何かがちがう。
どこかのんきな私がいた。
私が痛いのではない。
ただそこに「痛み」があるだけだ。
私と痛みをくっつけなくなった。

五十肩は一年ぐらいかかるとみんなが言う。
そのぐらいのスパンで付き合っていくんだな。
そう思うと、焦らなくなる。
痛みを悪者にしなくなる。邪見にしなくなる。

明け方、痛みの中で感じた。
ああ、痛みって、怒りなのかもしれない。。。
これは私の怒りだ。
私が自分に向けた怒りを、つまり自分を痛めつけたことを、自分で味わっているんだ。。

そう思うと、痛みも愛おしくなった。
ごめんよ、私。
今までいっぱい痛めつけたね。
そっと左腕に手をあてた。


手当て。
そっと手をあてる。
そのことがいかに人を癒すのかをじかに体験させてもらった。
それは人と人が互いに触れ合うことで交流する何かだ。
これはひとりでは出来ない。
ふたりいて、はじめて何かが動くことを教えてくれる。

癒しってすごいね。




絵:「ねこじゃらし」




2018年9月12日水曜日

手当て その1



この夏、左肩が痛くなった。
あげられない。うしろにまわせない。夜中に痛みで何度も起こされる。いかんともしがたい状況になる。

友だちに鍼灸師さんがいる。
彼女とは非二元の話しで盛り上がるが、一度も施術を頼んだことがなかった。

57歳。自分の身体に変化を感じるお年頃。
彼女はこの道のベテランさん、中医のことは専門家。
ここは一発、お年頃の身体に鍼をうってもらい、お灸を据えてもらい、強烈な刺激を受けてみますか!と、彼女にお願いをした。

お天気の午後、彼女が運営する小さな施術室に、はじめて「患者さん」としてでむく。

「ちょっと遊んでいい?」
彼女の楽しそうな顔に、期待が膨らむ。
「うん。いいよ!」

ベッドに座ると、彼女はそっとわたしの腰に手をあてた。
静かな時間が流れる。
ふと腰の感じがちがうのに気がついた。

あれ、、?
腰が、、、消えていく、、、。

私たちは普段、自分の腰の感覚に気がついていないが、腰という存在は知っている。しかし今、私の腰が消えはじめている。。!重くどっしりとしているはずの腰が、どんどん希薄になり、軽くなり、それと同時に上昇していくのだ。

な、、なんじゃ、こりゃ?


「さて。じゃあ、ベッドに横になって」
彼女の言葉で現実にもどった。
それから鍼灸の治療に入った。

まずはお灸。
むかーし、親にお灸を据えられていた時期があった。怒られて、じゃないよ。
それとなぜかどこかの家で専門家の人にしばらく据えられていたことがあったなあ。。
などと思いだしながら、そのころとはまったくちがう、熱くない、やさしいお灸を味わっていた。その間、環境音楽を聴きながらのウットリとする時間。

そして鍼。一瞬の痛さのあとは、ただじーっとしているだけ。すこーし身体のどこかが反応している。だけど強い刺激ではなかった。
たっぷり二時間。内容の濃い施術をしてもらった。



その晩。
いわゆる好転反応か、痛みが増した。
昔漢方薬を飲んでいたことがあり、好転反応というものがあることを知っていたので、
やはり出たかとおもった。
症状が悪化したことにより、これは本格的に自分でも治していかねばならんと思い立ち、母直伝の民間療法も同時進行。これでは彼女の施術か、民間療法か、どっちが効いたのかわからなくなるが、そんなこといってられない。

その晩から、朝晩の一回ずつ、ショウガと玉ねぎをすりおろし、はちみつを入れたぬるま湯割りを飲み続ける。
症状は相変わらず一進一退を繰り返した。


次の週、二回目の施術もお灸を中心にしてもらったが、そのうち首が痛くなりはじめ、ガマンできなくなった。

「おねがい。お灸はいいから、手で触って。。。」

じつは最初から彼女の手の力を感じていた。
腰に手をあててくれた感触、時おりお灸のあとにそっと肩に手をあててくれている時のなんとも言えない安堵感。
首の痛さもあいまって、針灸という道具を通してではなく、直接彼女の手で触れてもらうことでの、あの安堵感がほしい!という衝動が起こったのだ。

鍼灸師さんの立ち場としては複雑であったと思う。しかし彼女は患者のわがままを受け入れてくれた。



頭の側に回り、わたしの首を両手で支えてくれた。
とたんに右足に熱が走る。足の甲が熱くなる。やがてそれは左に移っていった。
耳にふれられていたとき、ふしぎなビジョンを見た。
それはおだやかなイギリスの丘陵地帯。
ああ、、、ここで私たちはあったことがある。。。
そのうち、左に修道院が見えた。
ここに、彼女はいたのか、、?
そんな思いが出てくる中、首の痛さは治り、施術は終った。

その日の午後は最悪だった。起き上がれないまま、ソファで一日を過ごす。夕方、母直伝の番茶醤油梅干しで、なんとか元気を取り戻した。
ひどい後退反応だ。こんなに疲れがたまっていたのか。

考えてみれば、たまるはずだ。
父の死の前後、高知を行ったり来たりした。その間日本とアメリカの仕事も忙しく、バイトも入りっぱなし。畑も仕込みの段階であったが、行っても疲れ果て、ほとんど手つかず。
初盆も終り、ホッとしたころだった、痛みが出たのは。

「典型的な五十肩ね」
彼女は言った。
「時間かかるわよ。しぶといんだから」



さて三度目の施術で、わたしはふしぎな旅に出る。
つづきはまた。




絵:ホタルブクロとどくだみ