2016年8月15日月曜日

ぐだぐだな盆踊り。だけど。。。



きのうは毎年恒例の夏祭り。
ウチの町内会は、80世帯ぐらいしかない小さな村。

やまんばは、町内会の夏祭りで、20年ぶりに盆踊りを復活させた実行委員のひとりなので、曲の進行やだんどりで、いつもばたばたする。

なぜなら、音響設備が、いつもどっかから借りてきたカラオケ設備。
懇親会で飲んで酔っぱらったオヤジどもが、機械の扱い方がわからず、それ、カセットテープが入らないだの、CDがうまくならないだのと悪戦苦闘。

そんなこんなで、今年も案の定、盆踊りのCD流せば、マイクが入らん、マイクを付ければ、CDが流せない。
マイクに差し替えているあいだに、酔っぱらいがハウリングをおこして、会場中不協和音にさらされる(笑)。

夏祭りの司会進行役らしき人もいない。
盆踊りの曲をスイッチオンしてくれるお人も、オフしてくれるお人もいない。

やまんばは55歳であるが、他の大御所踊子隊はみな70過ぎなので、下っ端のわたしがなれない浴衣姿でひとり会場を走り回る。

ぐだぐだはそれだけではない。
やまんばが間に入れる曲の説明も、曲名も、途中でわからなくなり、
「次は、炭坑節と、東京音頭と、えーと。。。。、なんだっけ?
。。では、そんなかんじで、はじめます」
と、いってしまう始末。

しかも、ウチのダンナが録音してくれた、きれいな音のCDは、いつのまにか消えていて、大御所のところで録音された、とてつもなくひどい音のCDにすり替えられていた。

ひどい音の盆踊り、ひどいアナウンス、ハウリング。。。。
ひどいことづくめの盆踊り。

でもいつのまにか、たくさんの人が来てくれていた。
小さな子供たちは、かわいい浴衣姿で、見よう見まねで踊っていた。老人たちも艶やかな浴衣姿で踊る。大人も子供も一緒になって、ひとつの大きな輪が、たのしんでいた。



自分の中の美意識をおもいしらされる。

きれいな音でなければいけない、
アナウンスはちゃんとしなければいけない、
進行はちゃんとしなければいけない。。。

そんな「こうであらねばならない」が、ことごとく潰されていく。

それでもなぜか、たのしいのだ。
あらねばならないものなんて、なにもないのかもしれない。

きのうはもう、すでにここにはない。

ただ、胸のあたりに、ほっこりした何かの残像がのこっている。。。


絵:アメリカで出版された絵本「The Drums of Noto Hanto」

2016年8月8日月曜日

アロイトマト消えるの巻


ナスとトマトのマリネが作りたくって、畑にトマトを取に行く。
東側のフェンス近くに、7、8個、赤い実がたわわに点々とあるはず。。。。

ん?
みどり色しかみえない。。。。
ない。。。赤いトマト。。。わたしのアイドル、無肥料栽培の関野さんの貴重な種を購入し、育てたアロイトマト。。。
木っ端みじんに消えていた。

足下には、食い散らかしたトマトの皮がすこしだけあった。
サッ、、、サルのやろう。。。。。

心はぐるぐるする。
あ~~、きのうまであったのにい。。。
昨日じゃまだ赤くなり切ってなかったなあ。今日だからこそ、ちょうどいい赤さだったのにい。。。だから今日ナスとトマトのマリネを。。。。。

草を刈りながらぶつぶつ言う。
しばらくぶつぶついう。
言ってる自分に気がつく。
しばらく言わせておこう。。。


立ち上がって、トマトの苗の方を観る。

サルどもは、食いかけをほっぽりっぱなしにはしなかった。皮こそ残したが、後はきれいさっぱり食べていったのだ。

どっかで彼らは糞をするだろう。
そおすりゃ、この山のどこかで、関野さんのアロイトマトがなりはじめるかも知れない。。。
想像するとおもしろくなった。
サルがした糞から、トマトがなる。それをまた食う野生動物たち。するとあっちこっちに、アロイトマトが。。。
やまんばは、山に分け入って、アロイトマトを収穫するのだ。

うまかったんかな。
だって、残してないもん。
そうおもうとうれしくなった。

あのトマトは、わたしの口であのうまさを味わってないだけやな。
でもサルは、確実にあのうまさを味わったんや。。。
そう思うと、何だかどっちが食べてもいいじゃないか、って気になってくる。

これって、母親が子供に食べさせて、おいしがっているのをみてよろこぶ、それににてね?
げげーっ。
わし、サルじゃねえし。

ひとり妄想して、頭を振る。

でも、どこか心が温かくなった。


(自分もサルもおなじになっちまったのか?)

絵:「東京五輪で日本はどこまで復活するのか」新書表紙

2016年8月7日日曜日

縄文人と弥生人のはざまで



どこで聞いたのか、忘れたけど、縄文人の狩猟採集から、弥生人の農耕に変化したときから、戦いが始まったと聞いたことがある。

それまで、山に分け入って、野草や実や、時々狩猟をして、生きてきた民族には、自分たちが所有する「土地」というものがなかった。そこでは、野生も人も共存が出来ていたし、季節ごとに移動し、取り尽くさないと言う、自然なバランスが保たれていた。

しかし自分たちで土地を耕しそこに野菜を育て生きるという、一定の場所に固定された生活を選んだときから、ここは誰々の土地でありはじめた。

場所によっては、水はけのよい場所もあったであろうし、また悪い場所もあったであろう。川に近い土地もあるだろうし、水を確保するのに大変な場所というちがいもあっただろう。
やがて土地の大きさを競い合い、野菜の収穫量を競い合い、そして権力の象徴としての土地になっていく。村どおしの争いになり、民族通しの争いになり、豊かさとは、いかに土地を確保するかに心が割かれていった。


わたしの畑は、山と村のちょうどはざまにある。
山からは、絶えずサルや、イノシシや、タヌキや、ハクビシンなどがやってくる。村からは、猫もやって来る。
畑にいくたび、
「はて?ここにあったはずのきゅうり。。。?」
「あ~~れ~~~、ダイコンがあ~~」
と、なくなる野菜たちや、荒らされている畝を見る。

これは、あの狩猟採集の時代となにがちがう?

「そろそろあけびがいいころあいだ。明日にはちょうど熟れ時。。。ぐふふ。。」と、翌日行くと、もぬけのから。。。(笑)。
おんなじじゃねえか!
野生と人間が共存している世界だ。

ちがいがあるのは、弥生人的に土をホックリ返し、草を取り、種をおろすことが行なわれているだけ。
後は、自然の中で行なわれていることと同じ。野生も人もいっしょくただ。

土地を耕し「これはわたしの土地だ!」といい、他人も野生も受け入れない弥生人的な発想には、戦いが生まれる。電気コードを畑のまわりに張り巡らせ、野生も人も寄せつけない。
ちょっと前にあった事件をおもいだす。シカよけに付けた電気コードで、人が亡くなった事件。。。

だからといって、めぐらしてある柵を全部取っ払うことはしない。ほどほどに柵を作ってある。それでいい。

私の畑は、作物をいかに育てるか、ではなく、
自分の心のあり方を問われている気がする。

そんなことを考えていたら、ダンナが、
「福岡のじっちゃんもそうだったんじゃないか?
自然農法を通して、人間という生き方を問う、
そういうことを言ってたんじゃないか?」
といった。

わたしは縄文人と弥生人のはざまに立っている。
福岡のじっちゃんは、あまりにも先を走っていた人だ。

今、わたしはその入り口に立っているのかも知れない。


絵;「釣り」

眼をつぶって音を聴く


眼をつぶって、音を聴く。

蝉の鳴き声、コオロギの声、電車の走る音、時々走り抜ける車の音、そして、自分の内側でしゃべっている声。。。

外の声と、内の声。

どこがちがうんだろう?
どこに境界線があるんだろう?

内側の声は、耳で聞いていないのに、聞こえて来る。

どっちも「聞こえて来る」

眼をつぶって「音」をきくとき、
自分と、外、との、境界線が曖昧になっている。
あれは蝉の声だ、とか、あれは車のタイヤの音だ、とか、これは自分の声だ。。。と言う、境はどこにあるんだ?

みんな聞こえて来る。

あるのは、真っ暗な闇から聞こえて来る、たくさんの音だ。

一瞬、この音の世界が、全部「自分」の中から聞こえてきているような気がした。


まるで、この世界すべてが「自分」であるかのように。



2016年8月1日月曜日

そんなこともあるんかのー


先日、「すごい挑戦ですね」と言ったお客さん。

その後、まったくわたしに気がついてないそぶり。
あのときの会話は一体なんだったんだろう。。。?
と、おもう。

フツー、あそこまで会話すると、何となく知り合いっぽい会釈もあるってもんだ。だけどいっさいない。あの瞬間だけが、まるで知り合いのような会話だった。

それ以降は、以前のように、まったく眼も会わさない、いつものそぶりのまんまだ。あの出来事はなかったかのようだ。

あれこそ、世に言う、メッセンジャーだったのかもしれぬ。
どこかのだれかがわたしに向かって、外から伝えたかった言葉。その言葉を、彼女の声を通して、わたしの耳が受け取る必要があった。

そんなこともあるんかのー。