それはNY時代にやっていたペーパーバックやハードカバーの表紙に使われたイラストの原画だ。
今はパソコンで作るため、全てデータになっているが、日本に帰ってきてからもしばらくは依頼仕事の原画は紙を使って制作しており、その都度Fedexでアメリカまで送っていた。そしてそのアメリカにいた頃にも日本の仕事をやっていて、やはりその都度日本に送っていた。その原画たちが大量に部屋の片隅にあるのだ。
そのいわば「私の過去」を今回完全に整理しようと思い立った。
終活に近づいているのか?それとも新しい自分を見るために過去を終わらせようとしているのか。
引っ張り出してみた。
パラパラと覗くだけで一気に過去が押し寄せてくる。
ああ、こんな作品もあった。そうだったあの時はここで苦労したんだ。
記憶から完全に消えていた過去が一瞬で思い出される。
そして愛おしさがこみ上げてきた。
この幅50センチ、長さ70センチの中に、私の想いが詰まっていた。
ここはこういうアイディアにしよう、ここの色はこれでパキッとさせて、そしてぐいっと動きをつけて、こう大胆にレイアウトしよう。。。
あの時代、アメリカで私のような手法で紙を切って作品を作っているイラストレーターはいなかった。
そしてポップなイラストのラブロマンスやミステリーはなかったのだ。
その斬新さが買われて、私は一気に忙しくなった。
これまでのペーパーバックのあり方を変えたイラストとも言われて記事になったこともある。
バーンズ&ノーブルという大型チェーン店の新刊のコーナーにあるイラストを使われた表紙が全部私の絵で埋まったこともあった。あの時代にスマホがあったら、確実に写メ撮ってたのになあ。
私は整理が下手だし、めちゃくちゃ忙しかったから、いちいちその絵がどんなふうに印刷物になっていたのかを確認する暇もなかった。
それが今回整理するにあたり、ググってみる。あったあった。こんなふうに使われていたのか(遅すぎ!)ああ、この作家さんの仕事は結構やっていたなあと。
断捨離ってあるけれど、ただでさえ服を捨てるのも、ものを捨てるのも辛いのに、
自分がゼロから作ったものを整理し、捨てていくのはとても勇気がいる。
私は今まで自分が作ったものをどこか恥ずかしいものとして、目を塞いできた。
汚点のような感覚。それは自分自身が自信がないからなのだろう。
自分自身を否定しまくって、愛せなかったからだろう。
だから押入れの隅っこに隠しておいたのだ。
でもこうして、ひとつひとつ見ていくと、そこには愛があった。
たとえ依頼仕事で自分本来の思いからは遠く離れてはいても、私の感覚の中から出てきたもの。
その都度、思いをいっぱい入れて作ってきたのだと心に響いてくる。
自分から出た愛の表現を、私は自分で目を背けてきたのだ。
今だから私はそれを受け取ることができるように思う。
自分自身を愛せると思い始めたから。
その愛をはっきりと今受け取ろう。
受け取ることによってそれを終わらせていくとき、過去は必然的に消えていく。
広げられたカーペットが巻き戻されていくように。
それと同時にそれまで過去の延長線で同じように広がっていた未来は当然消えていくだろう。
そしてそこに知られざる未知が出現する。