恐れの重低音の目的は何か。
分離だ。
あなたと私は違うという分離の概念を起こさせること。
子供はどうやって生まれる?
母親から別れることによって。
その始まりは一個の細胞分裂から。
分裂に分裂を繰り返して、一個の人間という個別の肉体になる。
出生時は泣きながらこの世に生まれてくる。
母から離れるのが悲しいのか、
はたまたこの世に生まれ堕ちることが恐ろしいからか、
少なくとも喜びで泣いて出てくるわけではなさそうだ。
人だけではない。モノもまたそれぞれが分かれている。
テーブルに置かれたコップは、各々別れて独立している。
別れているとはどういうことか。
互いに否定し合わなければ、
それが存在できない。
コップはテーブルを否定しなければ、
コップではなく、テーブルもまた然り。
私はあなたではないから、私であり、
あなたもまた私ではないから、あなた。
分離は、相手がよくわからないというおまけ付き。
あなたのことがわからない。
何を考えているのかわからない。
わからないから恐れる。
言葉もこの世界で生み出されたアイテム。
わからないから言葉を使ってわかろうとする。
しかし思いを言葉という限られた道具を使っても表しきれない。
言葉で伝わらないと、態度で、形で、モノで表す。
そうしていつの間にか、互いにすれ違っていく。
そしてその互いの緊張の中で、やきもきし、ビクビクし、
それが満杯になった時、雪崩が起こる。
その雪崩のせいで誰かが傷つき、密かに仕返しを企てる。
しかし攻撃は新たな攻撃を生み出し、それが終わることはない。
なぜこんなことに?
それこそがこの重低音の目的。
互いが互いを否定することによって分離が成り立つ世界。
その分離の材料は、恐れ、罪、罪悪感。
この世の物語が、何度も繰り返されていることに私は気づいた。
何百回も、何万回も、何億回も。。。
歴史の中で、自分の過去の中で、デジャヴの中で。
全ては罪、罪悪感、恐れが元になっている。
そして分離とは違う道があることを知った。
そもそも分離などしていなかった。
分離とは夢であったのだ。
この地球は夢という劇場。
物語は分離とともに始まる。
しかし分離そのものがない時、物語もない。
このことが分離を生きている私たちにはとても退屈に思える。
しかし真実が一瞬扉を開けた時、どこかで知っていたことを思い出す。
ここでの学びが、
牢屋に閉じ込められることだけでしかなかったこと。
私たちはここで生きるだけの、
限られた体を持った、
か弱き存在などではなかったことを。
絵:「ドイツトウヒ」
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